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永久夢的チーティング  作者: 猫目石琥珀
外伝 魔王教授の課外授業 第三夜
441/502

四限目 月明かりには雪化粧



 霧になったリチェスは渦巻きながら、心臓のように脈動して、オペラ座の輝きを濁らせていった。

 シャンデリアの蝋燭は灯っているけど、舞台の隅にある常夜灯が明滅している。

 【光】の護符に干渉しているんだ。

 リチェスはちょっかいかけたいわけじゃなくて、反光属性である星幽二重体だから干渉してしまっているんだ。彼女をオペラ座から引きはがさないと、常夜灯が落ちる。

 【光】の不自然な明滅のせいなのか、劇場付きの従僕や魔術師たちが裏通路で行き交っている。魔術師らは【耐炎】を宿した柘榴石のブローチやピアスに、防火用外套を羽織っている。その上、髪型が短髪となれば、消防魔術師だ。

 消防魔術師は火災や落雷などの災害時に働く。

 その人たちが動いているとなれば、もう災いの予兆だと思われているんだ。

 予兆が真実になる前に、リチェスを止めなくちゃ。

 リチェスは小麦粉みたいに散らかってしまった。濃いところがさらに凝って、イルカの彫像へと入り込んでいった。ぼくの身長より大きなイルカで、鱗模様が描かれてヒレがついている。

 イルカの彫像が、汗を掻く。

 内部に入っている水系の護符が、リチェスのせいで暴走しているみたいだ。

 とりあえず話しかけてみた。

「リチェス、どうしたの」

 ぼくの呼びかけに対して、白い靄は渦巻いて凝り、密度が増す。

「いたのよ………わたしのからだを奪った魔法使いが」

 魔法使い?

 もしかして魔王教授を、悪い魔法使いと見間違えたのかな。

 否定するのも肯定するのも良くない気がした。

「じゃあここから逃げよう」

 ぼくが手を差し伸べると、たちまち霧が集まって女の子の姿になった。

 オペラ座の豪奢な丸天井を、梁の渡り合う屋根裏を、そして銅板の屋根をすり抜けて、月が朧な夜空へと向かう。

 白い雪片が、ぼくの瞳や唇を素通りしていく。

 珍しい、雪が降っているんだ。月明かりが淡くなっているのは、雲のせいか。

 天へ、天へ、ただひたすら天を目指した。

 もし生身だったら、肺腑の空気まで凍りそうな天の頂。

 このまま月まで行きたいくらいだけど、肉体との繋がりが切れたら怖い。風の加護が薄まったあたりで止まる。ここなら教授の【飛翔】でも昇ってこれないはずだ。

「リチェス。きみは肉体が欲しいの?」

「ほしいわ………」

「じゃあぼくの肉体を貸してあげる。あ、でも復讐とか反逆とか使わないでほしい。家族や恩人に手紙を出したいとか、好物を食べたいとか、描きかけの絵を仕上げたいとか………そういう願いなら大丈夫だけど」

「無いわ、目的なんて」

「じゃあどうしてきみは肉体を欲しがってるの?」

 リチェスは微かに震えた。

「目的が無かったら、からだを欲しがっちゃだめなの? ………希望がなかったら、生きていてはいけないの?」

 そうか。

 何かやりたいって目標を持ってなくても、身体って必要なんだ!

「………心細いわ、からだが無いのは」

「とりあえずぼくの身体に憑く?」

「だめ。入れない。女の子のからだじゃないから」

 そっか。

 誰かの肉体をあげられない。

 生きてる人は当然だし、死体だって家族がいる。

 ぼくの肉体だって貸すくらいなら出来るけど、誰かに盗られたら姉さんや兄さんが悲しむ。 

 幽霊状態でも人生を楽しめればいいけど、リチェスはそういうタイプじゃないのか。

 前向きに幽霊を楽しめばいいよなんて、口が裂けても言えない。

 おじいちゃんが死んだとき、元気を出してって近所の人たちが言ってきた。

 そんな口先でぼくが元気が出せるくらい、その人と仲良くも無いし信頼もしてない。貴族を訴えるなってしゃしゃり出てきた人たちが、ぼくを励ますなんてうんざりだ。

 リチェスだって初対面のぼくに励まされたって、元気が出てくるわけじゃない。

「ぼくは何が出来るかな。肉体が無くても心細くならないよう、他に何ができる?」

「意味がないわ」

 耳に届いたのは、氷めいた呟き。

 あまりにも冷たいものに触れ、指が切れてしまいそうになる瞬間みたいだった。

「優しくされたって、きれいなものがあったって、意味がない」

「リチェス」


「からだが無ければ! すべて無いの!」


 リチェスの輪郭が、拡散した。

 月明かりを濁らせて、雪に混ざり、夜をかき回していくほどの靄が、ぼくを素通りしていく。

 星幽体なのに、肉体があるみたいに体温が剥ぎ取られてしまう。魔力が吸われているんだ。根こそぎ奪われないように、腹に力を込める。

 駄目だ。

 意識まで霞む。

 

「そこまでにしておきたまえ」


 低く、艶のある声が届く。

 魔王教授だ。

 観劇の正装、オペラハットにベルベットの外套を纏った姿で夜空に立つ。

 ここは月明りが雪化粧した世界だというのに、鼓膜の奥に名残っているオーケストラの余韻が響く。世界そのものが舞台になったみたいだ

 どうしてこんな高度まで来れたんだろう。だってここは【飛翔】が届かない領域なのに。

「悪い魔法使い………」

 怯えのせいか、リチェスが収縮していく。

「リチェス。よく見て、人違いだよ」

「そんな。でも、ああ………悪い魔法使いより、ずっとお年寄りだわ」

 お年寄り。

 魔王教授は五十路に届いていないけど、リチェスからしたらお年寄りなのか。白髪があるとお年寄りに入れる子供っているよね。

「私が処理しよう」

「だ、駄目です。だってリチェスはまだ愚かさを犯してない」

 善悪正邪を問わず、愚かさの代償を支払わなければならない。

 だけどまだリチェスは誰の身体も奪ってない。憑りついてさえいない。あの老いた胎児や、ドブレ校長とは違う。

 まだ間に合う!

 教授は杖を収めた。

「どうするつもりだ。威勢だけで片付くほど、世界はきみに優しくないぞ」

「ぼくの魔力をあげて、リチェスが納得できる方法を探します。話し合えるなら、きっと何かがあるはずです」  

「理想論だな」

 たしかにリチェスと落としどころを見つけるなんて、おばあちゃんにおやすみのキスするほど簡単じゃないだろう。

 でもこのまま引き下がるのは嫌だ。

 言い合っている隙に、リチェスが姿を結ぶ。

 今まで一番、輪郭がはっきりした。輪郭だけじゃない。色彩まで備わってくる。

 ぼくの魔力を吸ったせいか。

 ふわふわした輪郭は縮れ毛になってブルネットとして色づき、ほっそりした四肢が褐色に染まる。目鼻立ちまでくっきりしてきた。瞳が大粒で、ぷっくりとした唇をしている。南方の顔立ちだ。

 ショコラ細工のお人形みたいな愛らしさだ。

 友人のセラは自分が学校で一番かわいいと豪語しているけど、たぶんセラと同じくらい可愛いんじゃないかな。   

「………わたしの、からだ」

 リチェスがオペラ座へ向かっていく。

 その先にあったのは、大きな絨毯?

 なんで絨毯が、ふわふわ浮遊しているんだ。

 ぷかりぷかぷか浮かぶ絨毯の上には、さっきのダイヤモンドみたいな絶世の美女が座っていた。異国的な刺繍の施された紫の外套を頭からかぶり、こっちを見上げている。

 大きな絨毯が近づいてきた。

 まずい。

 あの人の身体が奪われる。

 止める間もなく、リチェスが美女にぶつかり、そして、そのまま素通りした。 

「どうして………また憑けないの?」

 大きな瞳が驚きのせいで、ますます大きくなっていた。

 じゃあリチェスがわざと素通りしたんじゃなくて、憑りつけなかったんだ。

「あらあら、まだ星幽二重体を保護してなかったの。アタシの魔力が減ったわよ」

 美女が恨みがましそうに発した呟きは、骨太だった。

 体格のいい騎士が発するような低音。

 もしかして酷い喉風邪をひいているの? それとも喉の病気かな。

 驚きの気持ちは出さないでおこう。うちのパティ姉さんだって低音のハスキーボイスがコンプレックスで、褒められても嫌がるし。

 美女は指先を繰る。

 梳き羊毛を紡錘に巻き付けるような仕草を繰り返せば、リチェスが姿を現していく。

「身体に憑けない………」

「性別が違うと憑きにくいからな」

 魔王教授が嘯きながら、浮遊する絨毯へと降りた。

 さっきリチェスが、女の子じゃないと憑けないって言っていたな。

 だったらあの美人にも憑けるはずなのに。

 戸惑っていると、教授は詠唱を始めていた。

「汝は星の影、貪婪たる翳り、欲望の架け橋。星から離れては地に落ち、水に揺れ、日に映りたるもの」 

 あの呪文は【影縫】だ。

 幽霊を繋ぎとめる光魔術。

 この魔術は展開範囲が狭いはずだ。

「星在る影よ、その輪郭を留めよ 【影縫】」

 黒曜石の杖の先端が、リチェスを突こうと風を切る。

 一瞬の直線に、割り込んだ。

 【影縫】がぼくに発動する。

「カイユーくん、邪魔だてをするか」 

「ぼくがオペラ座に連れてきたんですよ。先に愚かさの代価を支払うのは、ぼくだ!」

 叫んだ後、魔王教授は何も言わなかった。

 沈黙の虚空に、雪が降る。


「……もう、いいわ」


 夜を凪がせたのは、泣きそうな囁きだった。

 ほんとに泣いていたのかもしれない。幽霊だから泣けないだけで、あるいは雪で見えないだけで。

「………リチェス?」

 大粒の瞳がぼくを映す。

 リチェスの色彩と輪郭が崩れかけた。降りしきる雪と一緒に散っていきそうだ。

「あなたは優しいのね、とても。そんな優しい人がからだをくれないなら、もう誰もわたしを助けてくれないわ。神さまにだって見放されている……わたしの願いをかなえるのは、きっと悪人だけ」

 諦めだった。

 そんなことないって言いたくなったけど、言葉を飲み込む。

 ぼくの杜撰な否定で救われるくらい、リチェスの絶望は浅くないから。

「わたしは愚かなことをしたの。そして失敗した。だからもう………この世からいらないされても、しかたないわ」

 言葉を選んでいるうちに、教授がリチェスの元に飛ぶ。

 【乱鴉】をするつもりか。

 最悪の光景が過ったけど、教授が発したのは闇の呪文ではなくて、真っ当な会話だった。

「きみの目的は肉体だけか? 世界への復讐や、乗っ取った肉体の地位や財産ではないのか」

「……復讐? そんなのしたくないし、地位や財産はいらない。健康だったら、なんでもいいの。どうせなら、きれいなほうがいいけど」

「欲のないことだ。その程度ならば、私が融通してやろう」

「教授っ?」

 どこから肉体を持ってくるつもりだ?

 遺体公示所(モルグ)から盗んでくるのかな?

 それとも実験体として献じられた志願死体を使うの?

「きみに渡す肉体の対価は、連盟の指示に従うことだ。無茶な要求はしない」

「待ってください! 遺体を冒涜したら、神さまに叱られますよ!」

「このやり方なら、妻に叱られはせん」

 黒瑪瑙の瞳に見下ろされる。

 冷たさに気圧されそうになるけど、おなかに力を込めて気合を入れる。

「いえ、奥さんの話じゃなくて……」

「私が仕えて崇め、祈りて敬する神は、この世でただひとり、妻だけだ」

 そういえば教授は、とんでもない宗派だった。

 

 

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