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第五話  バグはチートで修正します


 いや、っていうか、此処、どこだ?

 片っぽだけが腕に戻ったのにも驚いたけど、見たことない寝室にいるのもびっくりだ。


 

 魔法空間に降りる前は、クワルツさんに抱えられて、けもの道を逃げていたはずだ。

 今、わたしは見知らぬ部屋の寝台に横たわっている。

 藁の匂いがするマットレスに、擦り切れているけど清潔なリネン。

 部屋は板張りの床と壁紙の無い壁、梁がむき出しの天井。窓はひとつきり。上部がハメ殺しの硝子で、下部が木戸になっているタイプの古臭い造りの窓だ。

 ベッドのすぐ横には、簡素な食卓テーブルと椅子。ブリキ製の魔術ランタンと水差しとコップが、ひとつずつ置かれていた。

 民家、それも労働者階級の家だ。


 どこだ。

 森からどこかの宿に到着したのか?

 いや、そもそもここは現実か?

 きちんと現実に浮上できている?

 わたしの魔法空間が歪んだのか、誰かの夢に入ってしまったのか、過去の記憶を呼び起こしているのか、現実なのか、仮想なのか、未来なのか、空想なのか、分からない。

 分からない。

 分カラナイ。


 足元が崩れ落ちる感覚。

 

「ミヌレくん!」  

  

 鼓膜を突き抜ける怪盗の裂帛。

 クワルツさんが駆け寄ってきた。眼鏡を外して、衣服を剥ぎ、人の姿から狼の姿に転じて、寝台に乗る。

 

「クワルツさん! ここは、現実?」 

「現実だ。魔法空間や予知なら、きみが一角獣のままではない。ここは吾輩の隠れ家だ」  

 

 確かに魔法空間だったら、わたしは人間の形態になっているはず。

 片方だけ人間に戻った手を、ぐっと握る。

 能力にアプデがあったのは嬉しいけど、肉体がバグってるの勘弁してほしいなあ。

「回復力が暴走したようだな」

 クワルツさんは眼を細める。

 一部だけ人間の腕に戻ったのは、折れた前足を回復しようとした魔力が暴走したのか。

「では! わたしの全身を思いっきり傷つければ、戻れるということじゃないですか!」  

 やったね。

 図書迷宮を開かなくても、元の姿に戻れるぞ。

「わたしのハラワタ裂いて下さい、お願いします!」

 勢いよく頭を下げる。

 やば、角がシーツに穴をあけてしまった。後で縫わなきゃ。縫物、苦手なのに。

「しかしミヌレくん……」

「死なないようにゆっくりわたしを食べていけば、回復すると思うんですよ。とりあえず手足の先っぽの方から試してみませんか?」

 どこかで回復限界が生じる可能性も無きにしも非ずだしな。 

「不安がひとつある」

 狼の眼が、わたしを見据える。

「魔法使いの魔法は、魔法使い自身にもどうしようも出来ん。己の身を傷つけることが、変化解除の条件になってしまう可能性がある」

「それでも、わたしは、早くこの術を扱えるようになりたい」

 ライカンスロープ術の制御。元々わたしは、そのためにクワルツさんのところに来たのだ。

 物言えない獣は嫌だ。

 長い沈黙のあと、クワルツさんは口を開いた。

「その覚悟に従おう。ではシートとバケツを用意してくる。汚すとオンブルに怒られるから」

 若干、野戦病院っぽくなったな。

 でも無茶な施術をするんだから、野戦病院と似たようなものだ。ほんとの戦争を知ってる先生が聞いたら、こんなもんじゃないって叱られるかもしれない。

 準備は整った。

 わたしは深呼吸して、瞼を伏せた。

 脳内に『魔術解剖学』で学んだ、体内循環図を思い浮かべる。血が流れる血管、細胞間質液が流れるリンパ管、そして魔力が流れる経絡。

 痛覚を遮断する魔力を、経絡に循環させる。

「お願いします」 

 狼は口を開く。

 

 首には、牙が。

 腹には、爪が。

 一角獣であるわたしを引き裂く。

 皮膚が裂かれて、はらわたが引きずり出される。わたしの鼓膜に身体が千切れる音が響く。血があふれて、肉が垂れる感触が、体を覆う。

 痛みは無い。

 魔力による痛覚遮断が成功している。


 あとはうまく回復するだけだ。


 思い描けばいい、わたし自身を。


 わたしはわたしの輪郭を知っている。

 図書迷宮の暗闇の中、オニクス先生の手のひらが教えてくれた。初めて他人に奥まで触れられた時の、輪郭が際立つ感覚を思い出す。先生の手で、わたしは自分の身体に輪郭があるって気づいた。

 体温の違い、皮膚の柔らかさの違い。

 そのひとつひとつが、わたしの肉体のカタチを教えてくれた。


 わたしはわたしの色彩を知っている。

 漆黒の隻眼には、わたしが映っていた。黒い瞳の奥底で、鉱石色が鏡の中より鮮やかに輝いていた。

 鏡よりも水面よりも、オニクス先生の瞳を信じている。

 

 狼に喰われ、啜られ、屠られ、わたしは脱皮する。

 一角獣から人間のかたちへ。

 鉱石色に輝く豊かな髪、ほっそりとした未成熟の肉体、花びら色の爪。


 これが、ミヌレだ。


 久しぶりに人間の姿に戻った。

 やったね。

 デバッグ完了。

 どっちかっていうと、チートで無理やりバグ状態を治したのか。

 朦朧としているわたしを、クワルツさんはシーツでくるんでくれる。

「ミヌレくん。無事に目覚めたか。半ば諦めていたところだぞ」

 瓶底眼鏡のクワルツさんが、安堵の息を吐く。

 あれ? さっきまで狼の姿だったのに。

 ひとつきりの窓へ視線を移せば、空は紺色に翳っていた。夜更けだ。

「わたし、長いことぼんやりしていたんですか」

「三時間ほどだ。無茶なやり方だったからな。吾輩の予知ではきみをうまく視れないし、どうしたものかと思っていた」

 失敗したら、クワルツさんが罪悪感を負う。

 それはまずい方法だったな。

 とにかく感謝を述べようと口を開くと、

  

「腹減った………」


 わたしの口は恩知らずなことを言い出した。

 でもほんとおなかぺっこぺこなの。皮とか血とか肉とか魔力で再生したせいか、これマジで腹減る。

 謹慎食らってるときの比じゃない。空腹感じゃなくて、飢餓感だぞ。いや、もっとひどい。腎臓とか肝臓とかに体液が足りてない感覚がする。脱水症状だ。生命活動的にやばい領域。

 手渡されたコップから水を飲み干すと、少しマシになる。水差しを空にしたけどまだ足りない。減ったものを補わないと。

 わたしが垂れ流したハラワタが、ぼんやりした視界に入った。


「臓物料理が食べたいですね」

 

「寝起きに臓物料理は重くないかい?」

 そう言ったのはオンブルさんだった。

 居たのか。

 オンブルさんはホットミルクを渡してくれた。

 シロップがたっぷり入ったホットミルクだ。甘さを味わいながら空っぽの胃に流し込むと、暖かさが染み渡ってきた。飢餓感が少しだけ緩和する。

「獣化のあとは空腹になりがちだ。臓物料理があるかは分からんが、食堂で何か持ち帰れるものをよそおってもらうか?」

「あそこはそろそろ閉店だろう。チーズと田舎パンならあるよ」

「わたしの腹から出た臓物があるじゃないですか、そこに」

 真っ赤な内臓を指さす。

「あれを茹でて下さい」

「魔法使いって狂ってるのがデフォなのぉ?」

 オンブルさんが叫んだ。

「新鮮ですし、健康ですし、寄生虫もいませんよ」

 たぶんな。

「いやいや、自分のハラワタだよ?」

「蜘蛛だって自分の吐いた糸を食べる種がありますし、草食動物だってお産の後に胎盤を食べるんですよ」

 だったらわたしが自分の内臓食っても、問題なくない?

 わたしの意見に、オンブルさんは呻きを上げた。

 何故だ。

 合理的だろうに。

 クワルツさんは何故か大爆笑していた。

「ハッハッハッ、失礼なことを言わせてもらうが、一角獣は食材向きではない。山羊よりも臭みがあって固かった」

 食ったばかりのクワルツさんが言うと、説得力があるなあ。

 たしかに一角獣の毛は魔術媒介に、角は解毒作用として絶大な効果があるけど、肉が美味とはどこの書物も綴られていない。つまり不味い。

「でも毒があるって記述はありませんし、後学のために味は確認しておきたいじゃないですか」

「魔術師らしくて良いな。オンブル、頼む」

「この部屋、狂人の割合が高すぎる」

 オンブルさんはため息じみた愚痴を吐き、バケツいっぱいの内臓を持っていった。

 すぐに戻ってくる。なんやと思ったら、琺瑯の洗面器と、おっきな海綿が差し入れられた。

「湯あみ盥がないから、海綿だけで我慢してくれ」

 わたしの身体を洗うためのお湯だ。

 行き届いた親切に沁みる。

 シーツで区切った空間で、わたしは海綿にたっぷり湯を含ませて、皮膚の血と垢を流す。脱皮したせいか生まれたての皮膚になっていた。

 ネグリジェも用意されていた。紳士用のネグリジェはぶかぶかだ。怪盗のねぐらに女物があるわけないか。

 飢餓感も凄まじいけど、睡魔もひどい。

 身体を暖かい湯で洗ったためか、ミルクのおかげなのか、飢餓より睡魔が勝ってきた。

 わたしはもう一度、目を伏せる。

 今度は眠りにつくため、魔法空間より深く深く意識を沈めた。



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― 新着の感想 ―
クッソどうでもいい話ですが、胎盤食という単語をふと思いだしました。
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