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永久夢的チーティング  作者: 猫目石琥珀
外伝 魔王教授の課外授業 第一夜
423/502

二限目 我楽多街の新聞記者たち



 何も考えられなくなってきそうだったけど、途切れ途切れの月明かりを縫って、遠くから足音が響いてきた。

 でもぼくは幽霊状態だから、助けてもらえない。

 駆けてきたのは男性だ。手にはレイピア。貴族や騎士の持つ武器だ。

 抜き身の刃で、教授に切りかかる。

 月明かりまで切り裂く鋭い一撃だったけど、教授は身動きしない。それどころか見向きもしない。レイピアの刃を片腕だけで受け流す。蛇革の外套には傷ひとつ刻まれなかった。

「あれっ、教授じゃないですか」

 拍子抜けした声が発された。

 顔見知り?

 新たにやってきた男性も、魔術師なんだろう。両の耳朶が、無数のピアスで縁どられている。あれはぜんぶ呪符だ。

 護符をピアスにしている魔術師はよく見かけるけど、呪符をあれだけびっしり耳に付けている魔術師は見かけない。満月めいた大粒の月長石に、ライムが結晶化したような緑柱石や透輝石、真珠の房飾りが垂れる珊瑚、それからダイヤモンド。あと知らない宝石がいくつか。すべてにオリハルコンの座金が輝いている。

「死臭がしたから、切り裂き魔かと思ったじゃないですか」

 そう言いながら敵意と緊張ごと、レイピアを鞘に納める。

 革鞘がすごく綺麗で、ぼくはうっかり目を奪われた。

 立体的に飛竜が型押しされ、波紋様で埋め尽くされている。華やかで凝った装飾は、鞘だけじゃない。鞣革のボレロや、腕覆い、拍車付きブーツにまで型押し装飾が施されている。

 お金持ちの三男坊とか四男坊が冒険者になったら、こういう趣味に走った装備になるよね。

 日焼け具合や手の節くれからして、ただ上っ面だけじゃなくて、長年、野外活動しているんだろう。腰の革包みは、形からして筆記鞄だ。博物探検家とか冒険手記家っぽい。

 教授は冷やかに見下ろしている。

「久しぶりだな、生徒番号222……いや、ニケルか」

「教授。生徒を番号で呼ぶ習慣、おやめになったんですか」

「私は妻のため百凡に堕ちると決めた。サンプルに等しい凡俗どもの名を呼ぶことも厭わん」

「あははは」

 何が面白いポイントなのかさっぱり分からないけど、ニケルって呼ばれた男性は楽しそうだった。

 たぶん三十歳前後なんだけど、妙に空気が若いというか軽いというか。

 ニケル氏は夜目にも白いハンカチーフを出して、女性の死に顔を覆う。弔いの姿勢だ。

「きみはこんな貧民どもの歓楽街で、事件を嗅ぎまわっているのか」

「そうですよ。おれは大衆向けの猟奇新聞記者ですからね。溝底だって嗅ぎまわるのは当然ですけど、教授はどうして我楽多街に? スフェール学院の教授がおいでになる場所じゃないですよ」

 新聞記者なんだ。

 一拍ばかり遅れて、別の足音が反響してくる。

「ニケル! 勝手に突っ込んじゃない」

 もうひとり紳士がやってきた。装飾された魔術ランタンを掲げている。柔らかな雰囲気で、いかにも貴族って雰囲気の服だ。白貂の毛皮が縁どりされた紺の上着に、シルクタイを護符が鏤められたタイピンで留めている。ほのかに香り立つ高級そうなオーデコロン。

 金属補強された編み上げブーツだけが、貴族っぽくない。

 治安の悪い地区を歩いたら、一秒で追いはぎされそうな身なりだった。

「ラリマーが遅いんだろ」

 ニケル氏にそう言われ何か反論しようとしていたけど、近くの遺体に顔色を変える。

 遺体を目にして、痛ましそうに黙祷した。青白い魔術の【光】に照らされている面持ちは、古めかしい肖像画の人物みたいだ。

 瞳を閉じ、唇を固く結び、祈った。

 凍てつきながらも血なまぐさい袋小路に、少しだけ優しい温度を招くような黙祷だった。

 お金持ちとか貴族は、こういう場所に住んでる人たちを尊重していないと思っていたけど、さっきニケル氏が顔を覆ってあげたり、ラリマー氏が黙祷したりする姿勢は自然だった。

 黙祷を終え、ラリマー氏は呼吸を整える。

「まさか教授が真犯人ですか」

 そうなんです。

 教授が真犯人なんです!

 そう叫ぼうとしたのに、束縛が強すぎて喉から音が出せない。

「私が妻を悲しませると思うか?」

 二人組の男性は、首を横に振った。同時に、即座に。

 なんでそんなに早いんだ、否定が。

「きみたちも事件を追っていたのか」

「……教授も追ってたってことは、闇の教団がらみですか」

 教授は頷く。

「ちょうどいい、きみたちが第一発見者になりたまえ。私はいなかった。犯人は目撃できなかった。いいな」

「教授が報告した方が早いのでは?」

「私が事件現場に居座ったら、確実に犯人にされるからすぐにその場を離れろ。妻の金言だ」

「法律より言いつけが上なんですか?」

「私の愛しき妻が語るすべては、物理法則を上回るのだ。水が雲になるように、林檎が地に落ちるように、世界は妻の言葉に従え! それが森羅万象の運命だ!」

 講義室と同じ調子で語っている。もう語るというか、歌うの領域だ。

「まずいな。ミヌレと長いこと会えてないから、教授のオペラ長くなるぞ」

「あの一角狂獣リュナティク・ユニタウレは、教授を放置してどこいったの?」

「どっか行ったわけじゃなくて、象牙の塔で大規模魔術を展開中だってさ。マイユショーが言ってた」

「彼女が本気を出したら、月を丸ごとでも一瞬だろう。どこまで展開範囲してるんだよ」

「太陽系ハビタブル領域ぜんぶ」

「ああ、さすがにそれは彼女でも手間だね。とすると教授が何かやらかしても、来れないのか……」 

 暢気に話をしている場合じゃないよ。

 足元に遺体があるんだよ。

 どうすれば教授が犯人だって伝えられるんだ。

「だから、きみたちが第一発見者だ」

「おっしゃる通りです」

「畏まりました」

 えええっ、なんでそんなめちゃくちゃな事を受け入れているんだ、どういうこと?

 偽証罪とかそういう感じだよ。

 教授は遺体を指さした。

「参考になる事実を教えよう。遺体の状態は、外から切り裂かれたものではない。内側から爆ぜたものだ。犯人は被害者の内側に仕込み、爆ぜさせている。記事にしたまえ」

 ニケル氏は遺体を検分する。

「ああ、たしかにこれは刃の傷じゃないですね。爆発系の火属かな」

「火属反応は無いよ」

「じゃ風属かな」

「ニケル。あてずっぽうで四属判断するから、ちょくちょく四属干渉で魔術が誤築を起こすんだよ。四属は無意識レベルで把握しておかないと、暴発事故が……」

「分かってるって! ラリマー、衛兵を呼んで」

 ラリマー氏は言われる前に呪文を唱えていた。

 月夜に【閃光】を打ち上げる。

 緊急信号として打ちあがった魔術の目映さは、我楽多街の闇を一瞬だけ掃った。

 遠く彼方から、夜をつんざく呼子笛の響き。

 これで数分後に……でも、暗いし、入り組んだ路地だから、衛兵たちが駆けつけてくれるのは十数分かかるかな。

 その間にニケル氏が女性のマフを探っている。

 毛皮のマフから引っ張り出されたのは、ハンカチーフ、小銭入れ、指ぬきと針糸。ハンカチーフは擦り切れて、小銭入れは継ぎ宛てされているけど、普通に女性のポケットに入っていそうな雑貨ばかりだ。

 というか兵士でも検視官でもないのに、勝手に遺品を漁っていいのか。よくないよね。

「身元不明か」

「首筋を観察したまえ、薄いが水銀症の痕だ。乱暴な堕胎経験があるなら、産婆を問い質せば身元は割れるだろう」

「なるほど」

 頷きながら立ち上がる。

「んじゃあラリマーが第一発見者で残っていれば、十分だよな。おれは原稿を書いて組ませる」

「いつものことだからいいけどさ、ニケルは検閲官にもう少し礼儀正しく振舞ってくれないと、後で面倒だから頼むよ」

 ラリマー氏のお小言はもう届いていない。

 ニケル氏はとっくに闇の彼方に駆けていってしまっている。とんでもなく足が速いな。

 ぼくも逃げたいけど、教授の魔術が刺さってまだ動けない。

 肉体があったら臓腑がねじ曲がってるくらい暴れているけど、抜け出せないんだ。

「ところできみたちが切り裂き魔の事件を追っているなら、今までの被害も調べているのだろう」

「情報はお渡しできません」

 ラリマー氏の静かな返答は、彼が持っている魔術ランタンの光より冷たかった。

「被害者の中には、死者の名誉のために沈黙を選んだ方々もおられます。ぼくは公表しないと約束して取材した。それを他人に見せるわけにはいません」

「公共の利益を損なってもか?」

「お言葉ですが、公と個を秤にかけて許されるのは庶民だけでしょう。ぼくは子爵家の第四推定爵位継承者として、国家と国民、ふたつの幸福と尊厳を守る義務があります。取るに足らない新聞社を営んでいても、それは不変です」

 空色の瞳は、魔術ランタンの光を吸い込んで底光りしていた。

 ご立派な貴族論を垂れ流している。

 本気なんだろうか。

 しばしの沈黙を経て、魔王教授の口許が緩んだ。

「第一報で、娼婦が切り裂かれたと報道された影響か。貧民窟など程度の差はあれ、片足を犯罪に突っ込んだ連中ばかりだろうに」

「職種や過去で左右される敬意など、おべっかやへつらいとどれほど差があるんです? 己が己自身に払う敬意と等しく、己は他者に敬意を払うものでしょう」

 淀みない回答に、魔王教授は笑う。

 月明りに伸びた影までも嗤ったようだった。

「きみの気概に免じ、資料はこの瞳に映さないでおこう。だが質問に答えてもらいたい、正しく、速やかに」

「お答え可能ならば」

「今回の事件、おおやけにしなかった遺族が四名ほどいるな? 数だけで構わん」

 ラリマー氏は躊躇っていたが、口を開く。

「……被害を隠している事件、三件あります。これはぼくが裏取りしました。被害に遭ったか裏が取れていませんが、女性が急死した事件が二件。ご存じだったんですか?」

「いや、犯人の行動周期から、被害数を割り出しただけだ。計算が正しいと分かれば、対策を絞れる」

 真犯人って、あなたが犯人だろうに。

「私はこれから真犯人を追う。後は任せた」

 もしかして口先三寸で現場から逃げて、後で事件の資料を焼いてしまうつもりなんじゃないか?

 証拠隠滅ってやつだ。

 駄目だ。

 そんなこと絶対に駄目だ。

 歯を食いしばった瞬間、四肢が軽くなった。

 あれ、動ける?

 もしかして魔術の効果が切れたのか。

 今の隙に逃げなくっちゃ!


 ぼくは思いっきり地面を蹴るイメージで、星たちが凍る夜空へと飛びあがった。



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