第三話 ボイス収集に出動だ
魔術の実技の授業。
夜光蛾の鱗粉が配られてくる。
これが魔術的なインクだ。
令嬢の中には「虫の粉なんて嫌」って声も上がっているけど、いや、これはもう粉じゃん。八本足をばたばたさせているやつの腹を潰すより楽だよなあ。
鱗粉を溶かすのは、月の光がある真夜中に採取した湧き水。
呪文を唱えながら攪拌する。
硝子棒をくるくるしていると、指先に魔力的な手ごたえが伝わってきて楽しい。
そして自分の指に湧き水をつけて、蛍石に呪文を書いていく。
魔力を持つものが呪文を綴れば、石は魔の法則を孕む。
さて、魔力と術式が安定してるかな……
器を被せて暫し待つと、青白い光が漏れだした。
光の護符が完成した!
成功音が脳内で鳴り響く。
光の護符は、暗くなると自動的に冷光を放つアイテム。火より明るさは劣るけど、火災の心配は無し。図書館や公文書が納められた施設や、街の常夜灯として利用される。
最初のうちは、こういう危険性のない護符をひたすら作らされるのだ。
「では来週の実技から、呪符の制作に入ります。媒介の講義を受けていない生徒は、受けておくように」
呪文を使用することで効果が発動するのが、呪符だ。
来週からは呪符制作か。
これで一気に魔術師らしくなってきた。
授業で作った護符は、アクセサリーにして身に着けている。
どうやってアクセサリーにするかというと、乙女の嗜みクロッシェレース。
石を包み込みながらレースを編むのが、教室で流行っていた。自由時間ともなれば、談話室や中庭で、かぎ針を動かしているお嬢様をよく見かける。ラリエットやポシェットをせっせと作っているのだ。
レースは淑女の必須技能らしいが、わたしは生憎と編み物は出来ない。
とりあえず端切れで小袋をお手製して、小さな穴を開け、かがり縫いすることにした。
図書館の前庭で、ちくちく縫う。
幽霊が出るとかいう噂のせいか、生徒が少なくて静かだ。
気が付くと空は暮れなずんでいた。夕凪の静けさが訪れる。図書館の壁に埋め込まれた光の護符が、ひとつひとつ灯っていったけど、読み書きや縫物ができる明るさではない。
わたしは手を休め、耳を澄ませた。
かつん、かつん。
音がする。
かつん、かつん。
誰もいない石畳に響く、規則正しい杖の音。
わたしは立ち上がる。
スカートをつまみ、深く頭を下げた。
「ごきげんよう、オニクス先生」
刹那、風が吹いた。
風が通り抜けたときには、漆黒のマントが眼前で揺らめく。
夕闇の中にたたずむ先生は、一足先にきた夜のように黒かった。
「何の用だ?」
「教師が通りかかったら挨拶するのが礼儀では?」
わたしの模範解答に対して、オニクス先生は鼻で笑う。
「殊勝なことだ。だが礼儀が煩わしいから、私は姿を消している。いないものとして扱え」
「分かりました」
つれないなあ。
オニクス先生の隻眼が、わたしの裁縫へと移動した。
「生徒番号320、きみは手芸の才能は皆無だな」
「ちなみに編み物よりマシなんですよ、これが」
「そうか。哀れだな」
憐れまれた。
「きみは給費生だったな」
頷く。
給費生というのは、奨学金が出る生徒とはまた別である。家庭が貧乏すぎて給食費や洗濯費や寮費さえ捻出できないから、学費以外も国費で援助してもらっている生徒のことだ。
下層中流家庭は奨学生で、労働者階級は給費生って感じかな。
「そんな要らん作業をしているから、給費生は学力が上がらんのだ」
「おっしゃる通りです。ま、でもそのうち護符を量産できるようになったらがっぽがっぽ売りさばいて、アクセサリーにできるよう外注するのでご心配無く!」
ゲーム的には、そのうち護符を売りさばけるようになる。
そいつがミヌレのお小遣いだ。そしたら街の彫金屋さんにお願いして、護符や呪符を自分用のアクセサリーしてもらえるんだぞ。ふへへへ。
お金が稼げるまでは、ちょっと我慢だ。
「前向きだな。今までの給費生は、夢と現実の落差に打ちのめされていたが……」
「へぇ~、そうなんですか」
わたしはゲームで手順分かってるけど、確か初見だと孤独感があるかも。
「……頑張りたまえ」
めっちゃ優しいボイスだった。
やっぱボイスだけだったら、オニクス先生がいちばん好きかも。声優には興味はないけど、オニクス先生の声優さんくらい出演作を調べればよかった。
ゲーム沼ったの、この『モン・ビジュー』が初めてだったし、その前はアニメとか興味なかったんだよね。わたしは歴オタと古典オタだったの。
もっと新規ボイス聞きたいなあ。
そうだ。オニクス先生の授業は夜間だ。
闇魔術は夜しか使えないからな。講義も日が沈んでからなのである。
寮を抜け出して教室の近くにいれば、オニクス先生のボイス聞き放題じゃないですか! これは名案ですよ!
わたしは夜を待った。
暮れた世界に月明り。鉱石色の髪は目立つ。
臙脂色のペチコートを頭にかぶって、夜道を進む。
消灯時間過ぎて外にいると叱られるけど、バレなきゃ大丈夫である。ふへへ。
ちょっと寒いけど我慢我慢。わたしは建物の外から、明かりが灯っている教室をそっと覗く。教室には上級生たちが集まっていた。あと外部の魔術師たちも、聴講生としてやってきている。
オニクス先生はまだ来てないのかな。そろそろ受講時間なのに。
そう思った瞬間、杖の音が教室に響く。
突如として教壇に姿を現す、オニクス先生。
「さて、授業を始めようか」
【幻影】で姿を消してたのかよ。
授業開始前からずっといたんだな。そんなに他人に話しかけられたくないのか………
なんという筋金入りだ。
「先日、街に出かけたのだが、丁度良く暴漢に襲われた。【恐怖】のサンプルが増えた。とはいえ逃走と失禁と気絶と号泣という月並みな結果だったから、臨床を取らずに夕食に行った。稀な事例だと、自殺したという報告が公式で三件、私の知る限りだとあと二件ある」
憲兵沙汰なお話を、外食したのと同じテンションで話していく。
「きみたちは【恐怖】を習得しても、暴漢にかけるのはやめておいた方がいい。恐怖の余り狂暴化する類型がある。これは再三言っているが、闇魔術で人は思い通りに操れない」
そこは魔術基礎やってても、誤解してるひと多いよね。
エグマリヌ嬢もそうだし。
「また同じく【魅了】も、人によって反応は千差万別だ。【魅了】による過去事例1033、魔術師が不埒な動機で修道女に対して【魅了】をかけたが、修道女は魔術師の行動を窘め、教会に帰依するよう説得した。これは【魅了】が通じなかったわけではない。【魅了】されたために、真っ当な道に進んでほしいという愛情がそう行動させたのだ」
へぇー。
「同魔術師の【魅了】による過去事例1095、娼館にて娼婦にかけた。心中を強要されて、内臓損傷による全治3か月。懲りてなくて失笑を禁じ得ない」
真顔で言う。
「あと興味深い件は【魅了】過去事例1741。優秀な剣士を忠実な護衛にしようと目論見、【魅了】をかけた事例がある。【魅了】をかけられた剣士は、その魔術師を凌辱した。これも【魅了】された故の行動だ。その剣士にとって愛とは、性行為に過ぎなかった。余談だがこれは同性間だった」
おもしろーい。
めっちゃ裏目に出る事例があるんだ。
じゃあわたしが【魅了】にかかったらどうなるんだろ。興味あるな。一瞬だけかけて結果だけ教えてほしい。
「たとえ魔術で感情を操っても、信念と倫理は関与できない。信念を持てば、【魅了】や【恐怖】をかけられたところで愚かな行動など取るまい。己の人間性を感情に委ねるな。感情だけで生きるなら家畜だ。豚だ。家畜でなく人間の精神を持つならば、闇の魔術を忌避することはない!」
だ、誰だよ~、このおっさんを教員試験に合格させたやつ。
わたしはこういう極端に過激なやつ面白いなって思うけど、学院的にだいじょうぶ? 教師としていいの?
「……さて、その精神とは何ぞや」
オニクス先生の声が、真剣みを帯びた。
ひょっとして今までのは、授業前の軽い雑談だったのでは?
「一般的に人間とは肉体と精神、そして魂だと言われている。肉体は朽ちるが、精神と魂は天国か地獄に逝くのだと。そんなのは教会が適当にふいてるホラだから忘れろ」
教会に喧嘩売るなや。
「おっと、私は喧嘩を売るつもりはない。教会は馬鹿と無学の集会所だから、分かりやすく説明しているだけだな」
全方向に喧嘩売るなや。
「まず人間には肉体がある。肉体を形成しているのが精気だ。動植物、自然環境、そして惑星の運行など、存在と現象問わず、すべてに宿っている。ではこの精気の働きと別名は? 生徒番号098」
「働きは形成力、物質の形を保つ力です。別名は形成力包含体」
「その通りだ」
ボイスが良いと、訳の分からん授業も聞く気が出てくるな。
聖書の朗読だって司祭さまがかっこよかったり、声が良かったりすると、出席率が違うって話だしな。
しかしマジでいい声だ。
こういうイベント、アプデしてくれねーかな。設定資料集の後ろにみっしり小さく書いてある文章を、オニクス先生の声で朗読するやつ。
「そして星幽体。この星幽体は動物と人間に存在する欲望体だ。欲望体の役目はみっつある。肉体の感覚を可能にすること。精神と物体との架橋たること。意識を活動させること。星幽体があるからこそ人や獣は空腹や熱を感じ、己の意識で手足を動かし、そして思考することが可能だ。だからこの欲望体を失うと、植物人間になる」
黒板にチョークで文字を綴っていく。
肉体と、精気と、星幽体(思考と五感と制御)か。
ここらへんは設定資料の後ろのページに、細かい文字で書かれていたな。読むやついるのかよって思いながら熟読した。
「この肉体、精気、そして星幽体。このみっつを『下位の構成要素』と呼ぶ。何故、下位と名付けられているのか。滅びるという性質があるからだ。消滅性が永遠性より劣るわけではないが、魔術用語だ。優性劣性みたいなものだな」
綴った文字を、ぐるっと赤いチョークで取り囲む。
「質問は?」
挙手した生徒がいた。
「星幽体は消滅しないって、星智学でやりました」
「定義の基礎を固める良い質問だ。星智学的な観点からだとそうだな、消滅しない。星幽体は精気が消滅した後、分解していき、地球を循環する星気光に吸収される。だが人間という個の状態からは、滅すると表現すべきだ。個人として再構築不可能だからな。つまり星幽体の持続性は、どの学問の視点で論じられるか、だ。だからどの講義のどの教授からその定義を習ったのか、それを加えた質問の仕方は助かる」
学問によって、おなじものの定義が変わることがあるんだ。
「さて、滅びるものがあるならば、滅びぬものもある。『高位の構成要素』、モナド、ブッディ、マナスである」
また黒板に綴る。
「モナドは語源的に「分割不可能な最小単位」だが、現代魔術用語では破壊不可能な要素という意味で使っている。人間の構成要素では最高位であり、通俗的な表現なら、魂か。ブッディは星幽体の変化とともに発展して、意識の変化をもたらす。マナスは精神活動、感情や知性や自我などのすべての精神活動に干渉する。モナドは核であり、ブッディは下位から変化を受け、マナスが下位へと干渉する。このみっつは永遠だ。さて、魔術用語で永遠とは? 生徒番号077」
「『時間の干渉を受けない』あるいは、『時間の外にある』の意味です。時間の連続性は問いません」
「正解だ」
機嫌よく授業を進めていく。
「高位の構成要素と下位の構成要素を結ぶのが、エゴ。通俗的に個性とか自我とか言われるもの。これは不変のものだ。『下位の構成要素』の殻の中に存在し、物質界での経験を吸収している。それぞれみっつの『高位の構成要素』『下位の構成要素』、そして『エゴ』。これが人間だ。ここまで質問は?」
「不変なのにエゴは『高位の構成要素』じゃないんですね」
わたしの口から思わず疑問が飛び出した。
だって疑問だったんだもん。
オニクス先生の隻眼が、わたしへと向けられた。
あっ、やべ。消灯時間以後に出歩いてるのがバレたら、めっちゃ叱られて謹慎だ。わたしは頭からすっぽりペチコートを被る。
「誰だ! 私の講義は、星智学と解剖学を修めてからだぞ!」
怒鳴り声が届く前に逃げた。
「我は汝を恐れるがゆえに、呪を紡ぐ。炎を恐れぬ勇者あれど、痛みを恐れぬ聖者あれど、死を恐れぬ賢者あれど、恐れを恐れぬものは在らず」
ぼええぇぇっ、あのおっさん全力の詠唱かましてきやがった!
覗いてたのわたしって、バレてんじゃねーか!
全力で走っていると、前方に男子生徒たちがたむろして、道を塞いでやがった。クソ、なんで夜中に出歩いてやがる。消灯時間とっくに過ぎてんだぞ。
なんか小声でぺちゃくちゃ喋ってやがる。
「給費生だと成績が落ちたら、学院にいられない。だからずっとずっと学院にいるために、その女生徒は首を吊ったんだよ………ここで」
うわ、怪談してやがる。
つーか、そんなの部屋の中でやれよ。肝試しなんかしてんじゃねぇよ。
やばい、背後の【恐怖】が完成しそうだ。
わたしのせいで、こいつら巻き添えってのは後味悪いだろーが!
だが逃げろと叫んで、言うこと聞いてくれるか?
否。
わたしが監督生なら兎も角! いきなりやってきた女生徒に逃げろと言われて、男子が逃げるわけねーよ。
闇の中、わたしは手ごろな樹木を見つけ、足をかけた。
どんぐりの木だ。どんぐりの木は折れにくいから木登りに向いてるって、冒険者のロックさんが言ってたな。今回まだその会話してないけど。きのこが生えている枝は危険とか、ゲームの知識は役に立つ。
高いところまで登って、光の護符から覆いを取る。
ぽぅ、と光を広げる護符。
光に視線が集まった瞬間、わたしは頭にかぶっているペチコートを取った。鉱石色の髪が照らされ、ぼわっと闇に浮く。
「幽霊だーっ」
男子生徒の大絶叫が唱和する。よし。逃げろ逃げろ。
後方で呪文が結ばれた。
【恐怖】の魔力が広範囲に広がる。
胆に思いっきり力を込め、感情がズレないように意識した。
わたしを通り過ぎていく【恐怖】。
よし。
ミヌレは状態異常は無効だからな。
おっと。ひとり腰を抜かして、気絶してる。
顔に見覚えがあるってことは、クラスにいたモブか。たしかニケルくんだったっけ?
………まあ、ひとりくらい、誤差ですね。巻き添えにしてすまんな。
わたしはペチコートを頭にかぶってどんぐりの木から降り、淑女寮へと走った。
本館での夕餉を終えて、渡り廊下を通って寮へと戻る。
「ミヌレ、寮と本館の近道になってる並木道があるだろ」
エグマリヌ嬢は並木を指さす。どんぐりの木が茂っていた。
わたしが昨夜、幽霊に化けた場所だ。
「あそこで幽霊が出たって。フェンシングの授業で、男子たちがそんな話題で盛り上がっててね、マイユショー監督生に怒られていたよ」
「ふふ。怖いですね。では早く帰りましょう」
夕凪の中、風が走った。
突然、視界の前に漆黒の長身が現れる。オニクス先生が【幻影】を解除したのだ。
「わあ、びっくりしました」
「さほど驚いていないようだな。やれやれ、やはりひとを驚かせるのはきみの十八番らしい」
「別にわたしは驚かせたいわけじゃないんですけど………」
わたしの呟きに対して、オニクス先生は皮肉な表情で、肩を竦めた。冗談はどうでもいいって態度だ。わたしは冗句を言ったつもりはないぞ。
隻眼に見下ろされる。
「きみの質問だが、答えるのはきみが星智学と解剖学を修めたあとだな。答えを正しく認識するための知識を身に着けねば、真理は理解できない」
答えるでもなく、無視するでもなく、わたしの問いを覚えておいてくれるのか。
星智学と解剖学を修めるとなると、四年生にならないといけない。
「遥か先ですね」
「年寄りには瞬きする程度の時間だ。私は覚えておくが、きみに覚えておけとは言わんよ」
そしてオニクス先生は姿をふたたび消した。
あと隣にいたはずのエグマリヌ嬢までいない。どこや?
「………ミヌレ」
振り向けば、後ろの柱の陰に引っ込んでいる。
胡乱な眼差しになっていた。
「先生………なんだったの?」
「びっくりさせたかったみたいですよ。お茶目ですね」
わたしは微笑んだけど、エグマリヌ嬢は苦い水薬を飲まされたような顔のままだった。