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第四十一話(中編)REVERIE・REVERSE・RUN




 衣服や荷物を整え、黄金羊のランプを片手に森へと向かう。

 樹冠に隙間なき森は日差しが乏しいせいか、湿った土の匂いと肉食獣の匂いが、交ざり、籠っていた。

 来訪者を厭うが如く茂る草薮、足を淀ませる湿地。右足が泥濘を踏んだと思ったら、左足は硬い大樹の根を踏む。開墾の鍬を拒む土柄だ。

 滑りやすい沢を、二度ほど超える。

 不意にクワルツくんが立ち止まった。匂いを嗅ぐように鼻を動かし、足元の木の葉を蹴る。

「ミヌレくん。ここはさっき踏んだ地面だ。堂々巡りしているようだな」

「空間が捩じれている………?」

 森はもっと深くまで行けるはずだ。小人たちが大沼蛇ヒュドラだの聖鹿ケリュネイアだの言っていたもの。

 門が閉ざされているだけ。

 わたしはヴリルの銀環を錫杖化して、先端に黄金羊のランプを引っ掛ける。

 光の魔法を宿した角から作られており、闇の歪みを払う力を宿したレアアイテムだ。

 あちこち照らしていると、数か所、落ちる影が奇妙に歪曲した。

「ここらへんに魔術的な歪みが生じていますね」

 霊視したり触れてみたりする。クワルツくんも背後で、穴からの匂いを嗅いでいた。

「空間に小さな間隙あります。給気口みたいですね。サイズ的には、小人がなんとか通れる程度しかないですよ」

「関節を外せば通れるぞ」

 クワルツくんの怪盗スキルなら通れるだろうよ。あとわたしの小柄さでも。

 しかし先生は無理だ。

 アトランティスの体格では、絶対に通れない穴。

「少しお待ちを。数か所の穴をこじ開けて、ひとつにしてみます」

「ミヌレ。そこまでの干渉は可能か?」

「鍵役のわたしがヴリルの銀環を持っているから、可能だと思いますよ」

 魔法空間の鍵役。

 主が無い魔法空間は不安定で、安定させるには『鍵役』が不可欠だ。なのに先生とクワルツくんが消耗してないってことは、わたしが鍵役にされている。

 わたしは魔力が無限に等しいから気付かなかったんだよ。

 勝手にひとを鍵にしないでほしい。

 錫杖を振るって、深呼吸をひとつ。 


「鍵穴無き錠よ、扉無き門よ、開け!」 


 錫杖の石突きで、虚空を突いた。

 幽邃な闇が、両開きの扉のように開いて、高濃度エーテルが噴き出してくる。肺腑を蝕むほどのエーテルだったけど、外に繋がっている。

 闇が開き切れば、湿った匂いがまず肺腑に飛び込んできた。呼吸を落ち着けて周囲を眺めれば、潤沢な森だった。さっきと違って、あちこちに花が咲いている。凛と伸び、紫から白へと階調していく花。

 鳥兜の群生だ。

 そして崩れた石像や支柱には、矮小なアンブロシアが実っている。

 『幻想大樹』ラスボスのフィールド、『鳥兜の廃園』。

 ケルベロスの三重奏が響いてきた。

「間違いありません、ここが『幻想大樹』です」

 数パーセントしか姿を現さない隠しダンジョン。逆走すれば現実世界のどこかには出られる。

 どこに出るんだろ……?

 エクラン王国の辺境かもしれないけど、南方島嶼の最南端かもしれないし、帝国領の黒森かもしれない。極東の黒潮古陸の可能性だってある。

 それでも次元の断層に閉じ込められているよりマシだ。

 わたしの不安を煽るように、ケルベロスの遠吠えが響いた。普通の犬より甲高くて、聞いていると口にの中に金属を含んだ感覚になってくる。

「ふむ、遠吠えが近いな。しかし近くで耳にすると、狼の遠吠えとはずいぶん趣きが違うな………」

 クワルツくんは疑問を口にする。

「狼じゃないですからね。というかケルベロスは鱗竜類ですよ」

「よく観察しろ、怪盗。ケルベロスはしっぽが蛇だろう。冥府犬ケルベロスは収斂進化しただけで、ヒュドラやスキュラと同じ鱗竜類多頭蜥蜴目だ」

 先生が補足してくれる。

「ケルベロスは……トカゲなのか?」

「分類学的にはトカゲです」

 多頭生物は基本、卵生だもの。

 頭を増やす進化を辿った生命が胎生だったら、意味が分からんだろう。産道どうやって通るんだよ。

 スレイプニル型異馬だって難産だったのに、頭が増えてたら母体は死ぬ。

「不思議なものだな。頭尾蛇アンフェスバエナが足の無いトカゲなのは納得いくが、ケルベロスが蜥蜴なのは驚きを通り越して、何かペテンにかけられている気分だ」

 そういや前の時間軸でも、砂漠で頭尾蛇アンフェスバエナを捌いて焼いている時に、そんな話したような気がする。頭尾蛇アンフェスバエナは見た目は蛇だけど、実はミミズトカゲ類なのだ。

 雑談しながら走っていると、クワルツくんの耳が動く。

 獣化した耳の動きは激しい。

「ミヌレくん、まずい。小人たちが追い付いてきた」

「もう【睡眠】が解けてしまったの?」

「そこの怪盗が余計なことをしているからだ」

「別に先生を責めてません。魔術維持時間が悪いとか言ってませんからね」

 釘を刺すと、先生は不機嫌に舌打ちする。長ったらしい舌打ちは、凄まじく耳障りだった。

 行く手を遮るように、何匹もの冥府犬ケルベロスが姿を現した。

 いや、暗がりに十数頭はいる。

 三つの首を持ち、毒の唾液を垂らし、蛇の尾を持つ獣型爬虫類。獰猛にして賢明なる番犬。わたしたちにとっては脅威じゃない。

 問題は小人たちだ。

 前にケルベロスが立ちふさがり、後ろには小人たちが追いかけてきた。


「行かないで!」

「行かないで!」

「王さま、女王さま!」

「われらには王がいるの!」

「どうして外へ行こうとするの」


 小人たちが泣きながら追いついてきた。

 その小さな手と短い足を必死に動かし、転んだり、倒れたりして、泥だらけになってわたしたちを追いかけてくる。

 何匹ものケルベロスは、小人たちを威嚇した。獰猛に咆えると、毒を含んだ唾液が泡立って、飛ぶ。 

 猛毒の唾液だ。

 小人たちにかかり、悲鳴が上がる。

「目に……目が見えない」

「痛い、でも、でも、王さまたち追わなくちゃ、行っちゃやだ」

「行かないで……お願い」

 ケルベロスの威嚇だけでも、小人たちは傷を負う。

 小人が芥子の蜜菓子を持ってきて、みっつに割ってケルベロスへ投げる。蜜菓子に夢中になるケルベロス。

 その隙に突破しようとするけど、別のケルベロスに咆えられた。

「きゃあ!」

 飛んだ唾液に、小人の皮膚が焼ける。

 この状態で逃げるの無理だ。

「ミヌレ、どうして逃げないのだ?」

「いやこの状態から逃げるとか無理ですよ!」 

 このまま逃げたって、小人のみんなは諦めない。追いかける最中、ケルベロスに傷つけられてしまう。ケルベロスの縄張りを通れても、次は大沼蛇ヒュドラの沼地だ。

 せめてケルベロスがおとなしくなってくれないと、小人たちがますます傷つく。

 発つ前に、芥子の蜜菓子をたくさん用意するんだった。


 

 祝福あれ

 風はやみ嵐は去った

 まさに平穏

 幸せな夜明け


 清らかなる王冠よ

 我らに喜びを

 我らに慰めを



 ファルセットが響く。

 それはクワルツくんからだった。

 繊細な高音域なのに、力強く揺るがない独唱だ。響いた場所すべて大聖堂になっていくみたい。聞いている己の魂まで天上へと引っ張られていくほどの、清らかさ、高らかさ。

 一匹、二匹と、ケルベロスの咆哮が鎮まっていく。

 ケルベロスは最高の音楽を聞かせればおとなしくなる。そうやってアトランティスの王族は、ケルベロスを飼いならしていた。

 それでもまだすべて服従していない。

 大人しくなっただけだ。臨戦態勢は解いていない。

 やっぱりアトランティスの王族の歌声じゃないと、ケルベロスたちはおとなしくなってくれないのか。


 祝福あれ

 夜には夜の

 昼には昼の

 幸せ来らん 

 

 慈しみ深き王よ

 我らに豊穣を

 我らに安息を 

 

「え……?」

 高らかなカウンターテナーに、低い声が加わり、重なり、調和する。

 オニクス先生が歌っている!

 聖歌は響く。

 天へ導かれるような高音域と、地から湧くような低音域。

 

 救いは王に求め

 我ら祈りて、正しく生きる

 祝せしや

 祝せしや

 我らと王に祝福を


 歌の終わりには余韻と静寂。ケルベロスたちは牙も爪も収め、夜の森のようにおとなしくなった。

 クワルツくんが息継ぎをして、小人たちを見る。

 怪我のひどい小人の前に傅いた。

「すまない。吾輩たちはやるべきことがあるのだ。天の葡萄を、外界に根付かせねばならん」 

「善い王さま。やだ、外つ世は辛くて苦しいだけだよ。ここに居よう」

「案ずるな。アンブロシアを根付かせてきたら、ここに戻ってくる」

 クワルツくん、何を言ってるの? 

 そんな残酷な嘘をつくの?

「吾輩が帰還する折まで、この楽園は時を越えるだろう。民を長くは待たせんよ」

「ほんとうね」

「ほんとうだよね」

「アンブロシアを満たすのが使命なのね」

「でもアンブロシアが外つ世に満ちたら、王さまはご帰還されるのね」

 小人たちの問いかけに頷く。

 張り詰めていた空気が和らいできた。

 クワルツくんは腰のポーチから何か出す。

 ベルベットの丸い小箱だ。

「これは吾輩の曾祖父、王の給仕役であった先祖から伝えられた宝物だ。誓いにこれを渡そう」

 銀無垢のソムリエ・カップだ。

 差し込む月の明かりで、浮き彫りにされている葡萄がきらきらと輝いていた。

「この豊穣の地で、この先祖伝来のカップで、ふたたびアンブロシアの美酒を堪能しよう。約束だ」

 最長老ケドルスさんが、一歩だけ進み出た。

「では王さま。これをわれらと思って持ってて」

 大ぶりの貝を差し出す。紫色の二枚貝で、緋色の紐でくくられていた。

 その中に入っていたのは、真紅の塗り薬だ。

 まるで柘榴石を削って溶かした透明感と輝きがある。怪我した小人に紅軟膏を塗ると、すっと怪我が消えていった。わたしのキスみたいにあっという間に治っていく。

「これはカーバンクルさまが、ぼくたちのために調薬したお慈悲」

「アンブロシアの熟した種子から絞った油と、蜜蝋を混ぜた軟膏なんだよ」

「どのような怪我も癒えるの」

「鎌で落ちた指も」

「鍬で潰れた足も」

「これさえあれば」

「たちどころに元通り」

 小人たちは恭しく頭を下げ、最長老ケドルスさんが代表で進呈する。

「王よ、われわれと約束を。お誓いくださいな」

「ご帰還なさると」

「必ず」

「必ず」 

 小人たちがクワルツくんを取り囲んでいた。祈るように、縋るように。

「虹と、先代カーバンクルと、そして今まで王位に就いた吾輩の先祖すべてに誓おう。ふたたび必ずこの大地を踏む。そして先代カーバンクルと変わらぬ豊穣を約束しよう」

「女王さまは戻られるの?」

 問いを発したのは、老婦人のクリューサンテムムさんだった。

 野菊や雛菊が刺繍されたエプロンは汚れて、藪でところどころが引っ掻き傷になっている。後ろにいる孫娘さんたちも似たような有り様だ。

 傷と汚れに塗れ、わたしだけをじっと見つめていた。

 痛ましいほど真っすぐな眼差しだ。

 嘘をつきたくなかった。

 わたしは至福の楽園には戻らない。

「クリューサンテムムさん。わたしの玉座はここにはありません。わたしが座して統べるのは、遥かなる外。ここに戻ることはないでしょう」

 大陸鎮護の魔術師として、地球から切り離される場所にいるわけにはいかない。

 わたしが座するはラーヴさまの眠る大地、そしていつか時間障壁の彼方を統べるのだ。

「女王さまは、外つ世の女王さまだったのね」

 クリューサンテムムさんはつぶらな瞳に、涙をいっぱい溜めていた。

「もっといっぱいお持て成ししたかったのに」

「薔薇の香りのお風呂もしたかった」

「匂い菫の香りのベッドもしたかった」

 孫娘さんふたりも、わたしに捧げたかったことを言いつのる。

「その気持ちだけで嬉しいですよ」

「外つ世は辛くて苦しいのに」

「ええ、辛くて苦しいから行くんです。外つ世の苦しみを、少しでも取り除くために」

 オプシディエンヌという蜘蛛は、どの世界にも存在させておけない。

 過去から取り除けなくても、未来からは排除する。

 クリューサンテムムさんの皺が涙でべしょべしょになり、溢れて、顎からぽろぽろ落ちる。

 一掬の涙は重いけど、わたしの足枷にはならない。

「ありがとう、クリューサンテムムさん。あなたから頂いた優しさと恩は語り継ぎます」

「孫のロサとヴィオラのことも語り継いでね」

 涙を零しながら、老婦人はわたしの手をきゅっと握った。


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