第四十話(前編)契約の虹
聖廟の手前の広場は、ピクニックレベルMAXだった。
園遊会って言い方をしてもいいけど、この素朴さはピクニックだわ。
素朴だけど、華やかだ。
緋と紫の花が飾られ、敷物がいくつも敷かれて、ご馳走が寄せ集められている。
盛りの野薔薇も飾られていて、枝から荊がすべて折り取られていた。小人さんの小さな親指の腹で、ひとつひとつ荊をぺちぺち折っていったのね。温室の薔薇の棘なら折るのも容易いけど、野生の薔薇の棘は硬い。時間がかかったでしょうに、葉っぱの先っぽまで、水を落としていないわ。丁寧な作業を素早くこなしている。
小人の若者は給仕し飲み物を運び、年寄りはのんびり腰を下ろし、小さな子供は隅っこで固まってはしゃいでいた。
「ミヌレくん、こっちだ」
クワルツくんが手招きする。
わたしたちの座るところは、黄金羊の敷物が重ねられて、クッションがいくつも置かれていた。クッションにも羊毛が詰まっている。黄金羊の豪奢と野薔薇の可憐さに溢れていた。
中央に座らされると、両脇にふたりが腰を下ろす。
「小人たちから聞いたが、日が暮れるまで食事を楽しみ、夜になったらアンブロシアの酒が登場する。それが正式な宴らしい」
「こっちは楽しくない話題を聞きました。今までやってきた漂流者のことを聞いたら、消えてしまったと。漂流者排除の魔法かもしれません」
「追い出しの魔法か………今のところ剣呑な気配は感じないが、小人たちを傷つけたり、嫌われたりすると発動するのか?」
もし王女カルブンクルスが小人の守りとして結界を張っていたら、その可能性もある。
ここを脱出するために、小人さんを傷つけるのか。
それは嫌だな。
正攻法で脱出したい。
でも現在地が判明しないといけない。
思考がぐるぐる堂々巡りしていると、楽団がやってきて音楽を奏でる。難しい考えを吹き飛ばすようなテンポだ。竪琴や太鼓、それから葦笛。古い時代の楽器たちはアトランティスの空気を奏でた。
可愛らしく着飾った女の子たちは、手提げ籠から花や香草を撒いている。他の小人がダンスで踏めば、たちまち立ち上る香りの精気。
音楽と芳香のダンスだ。
「王さま、女王さま!」
「さあ宴だよ」
「ご馳走だよ!」
わたしたちの前に、あつあつの陶器鍋が運ばれてくる。
チーズの海にどーんと腸詰が一本まるまると入っている。
チーズフォンデュかな。
ひとくち食べた途端、チーズが舌に圧し掛かった。食べ応えがあるチーズには、何か混ざっている。
「アリゴよ。じゃがいもを潰して、裏漉しして、白ワインと生クリームと混ぜて、羊のチーズに溶かしたの」
「最高のご馳走ですね!」
わたしの言葉に、ほっぺを赤くして微笑む小人たち。
「御馳走でしょ! こっちは鱒のワインソース煮込み。今朝釣ったばかり」
次から次へと香り高いご馳走がやってくる。
「さあさ、どんどん召し上がって。冬瓜と杏のスープよ。うちの庭のお野菜よ」
「ローストうずらのクレソン添えだよ! いちばん肥えたの絞めたよ」
「それとうずら卵のピクルスだよ」
「肉団子に晩生いちごのポタージュをかけたご馳走。うちに伝わるとっておき!」
「うちで実ったイチジクと紫茄子の温製サラダ! ラズベリードレッシングで食べて」
「カルキノスの白ワイン蒸しはお好き?」
「これね、ニシンとじゃがいものオーブン焼き。女王さま、ニシンとじゃがいもを食べたいって言ったから、週末のごちそう作ったの」
「ぼくのはね、甘酢ニシンとライ麦ビスケットのクリーム和えだよ」
「じゃがいもとモリーユ茸のオムレット!」
「大麦とラム肉のシチューだよ」
小人たちが自慢げに、ご馳走を運んでくる。
入れ代わり立ち代わりだ。これはおそらく島中の各ご家庭から、とびきりのパーティ料理を持ち寄っているんじゃないか。
お皿や鍋は小人サイズだから、味わうのは小皿ひとつ程度。だけどこんなに続くと、胃がはち切れそう。
先生とクワルツくんは健啖家だった。一瞬たりとも途切れないご馳走を味わっている。
「胡椒が入っていないな」
先生が不服そうに呟く。
この島に胡椒と生姜は無いっぽい。味付けは香草と塩が基本。でもキノコの旨味が深いし、にんにくや魚醤や蜂蜜といったバリエーションも豊かだ。十分に美味しい。
シチューだって芥子の実がぷちぷちしてて、食感にもこだわっている。
「吾輩、喉を潤したいな。エールはあるか?」
クワルツくんがエールを所望すれば、小人たちはビア樽を手押し車で運んでくる。全速力だ。
ビア樽には、鹿の枝角模様の焼き印が押されていた。
「枝角のエールはめでたき日のため!」
「結婚式や成人祝いに飲むエール!」
泡の無い金色のエールが、陶器のビアマグに注がれた。
「ふむ、二次発酵はさせてないのか。古風ゆかしい仕込み方でありながら、ここまで透明感があるとは驚きだな。清透に何を入れた? 紅藻か、魚の浮袋か……」
「清透に聖鹿ケリュネイアの蹄を入れてるんだ」
小太りの小人が、はきはきと答える。
「ほお。それはまた神聖にして稀有だな。聖鹿ケリュネイアはぜひ瞳に焼き付けたい」
クワルツくんが大仰に感心する。『幻想大樹』にしかいないと思っていたけど、聖鹿ケリュネイアってこの島にも生息しているのか。アトランティス時代では美の象徴のひとつだった。わたしも一度、見たいな。
小人たちの眉が下がる。
「だめ。だめ。聖鹿ケリュネイアは森の奥深く」
「森は危ない。われわれはケルベロスが食べた残りをもらうの」
「森は怖いよ。ケルベロスは芥子の蜜菓子が好きでしょ。それを蹄や角ととりかえっこもらうの」
「ふむ。そこまで剣呑な森か?」
「だってスチュムパリューデスがいるんだよ」
「ヒュドラの沼だって危ないよね」
聖鹿ケリュネイア、怪鳥スチュムパリューデスに、大沼蛇ヒュドラ………そういえばこの島の白い砂浜には、古代毛蟹のカルキノスもいた。
動物相が『幻想大樹』と同じね。
ぼんやりしていると、小人たちが寄って来る。
「女王さまは、おなかぱんぱん?」
「グランベをどうぞ」
小人が発した単語に、横のふたりが色めきだった。
「なんですか、グランベって」
「アトランティスの宴会で、口直しとして出されていた何かだ。正体不明でな」
先生が小声で耳打ちしてくれた。
今まで正体不明のものだったアトランティスのお口直しの一品が、わたしたちの前に出される。
キャベツサラダだった。
細かく千切りにしたキャベツ。匂いからして、ハーブビネガーを和えてある。
まあ、ご馳走攻めの口直しに、キャベツサラダは妥当である。第四人類っていっても、それほど第五人類と大差ない味覚みたいね。わたしも第六人類だけど、味覚は変わらないし。
キャベツサラダを口に運んだ。
酢のさっぱり感が心地良い。まさしく口直しだ。お酢だけならとんがってしまうけど、これは蜂蜜を混ぜて酸味の尖りを丸くしているな。噛んでいると、風変わりな香りが鼻孔に抜けていく。
「美味しいですね。蜂蜜と赤ワイン酢で和えてあって、あとはハーブがいくつか。ハリエニシダみたいな香りですね」
「たっぷりのヘンルーダと、ちょっぴりのシルフィウムだよ」
どっちも現代だと、薬用ハーブである。
ヘンルーダは目薬とか傷薬。あと蝿除けとして、干し肉やハムを仕込んでいる時に一緒に干す。
シルフィウムは催淫避妊薬だ。
「女王さま、ヘンルーダはね、内気なひとがパーティーに出た時、胃のこなれを助けるの」
「内気なひとは、パーティーだと胃が悪くなるからね」
小人たちはきゃっきゃっと説明してくれる。
曇りない瞳は、善意の塊だった。
「内気な性質の方も、絶対に出席なんですか?」
「仲間外れは可哀想でしょ~」
「みんな一緒に歌って踊ってお喋りするの。それがいちばん幸せ!」
胃腸の調子が悪くなるって理解されても、パーティーにお呼ばれされるんだ。そうか。
………消極的なら誘われるのはいいとして、内向的な性格だったら、ここで暮らしにくい気がする。
「どこの世界も、誰かにとっての地獄か、誰しもの地獄だな」
先生がいつもの台詞を、ジズマン語で飛ばす。こっそりとだが、はっきりと。
わたしはコメントしづらくて、薬用ハーブのキャベツサラダをもしゃもしゃ食べ続けた。
「ミヌレ、食べ過ぎるな。どっちも経口摂取で微量の毒がある」
「わたしは一角獣だから平気です」
キャベツサラダを空にすれば、またご馳走がどんどんやってくる。無限か。
次の料理が来ると、前の料理は下げられて、小人たちが茹でじゃがいもと一緒に食べていく。そしてまた次の料理。
ご馳走も続き、音楽も終わらない。
子どもたちの合唱が、玉乗りや手妻の大道芸が、巫女たちの踊りが、老人の詩の朗読が、果てしなく続く。料理は運ばれ、音楽は奏でられ、ダンスも弾む。
音楽は千年前の砂漠帝国に似ているけど、もっとテンポが緩やかで伸びやか。それに風が遠くからやってきて遠くへと吹き抜けていく解放感がある。清涼感というべきか?
クワルツくんも腹ごなしに、輪に混ざって踊り、聖歌を高らかに独唱する。
水晶めいたカウンターテナーが、丘に広がっていった。
「先生は歌わないんですか?」
贅沢を言うなら、クワルツくんとの合唱を聞いてみたい。
「あいにく私は聖歌を謳うと、喉が爛れる体質でな」
「見え透いた嘘とはいえ、信憑性ありそうですね」
先生はうずらとレンズ豆の煮物を味わいながら、ちらりとわたしを見る。
「きみが歌うなら、合唱も吝かではないぞ」
「絶対に嫌です」
わたしがとんでもない音痴だって分かっているくせに。意地悪な。
太陽が沈んでも、夜のとばりが落ちても、パーティーはなお続く。
夜なんて何日ぶりかしらね。
月は朧で、星は微か。雲で編まれた透かし編み細工が、夜空を覆ってしまっている。夜の雲は星月夜を浴びて仄明るい。綺麗だけど、星座が読めないな。
ランプが灯り始めた。
ぽつりぽつりと、鼈甲色の鈍い光が落ちる。
わたしの前に、真鍮装飾のランプが置かれる。真鍮で黄水仙を立体的に象って、鼈甲や琥珀や蜂蜜といった金褐色めいた光を溢れさせている。斑入りだし硝子じゃない。
「この綺麗なランプ、硝子じゃないのね。何を使っているのかしら?」
「女王さま。これはね、黄金羊の角なの」
「黄金羊のランプ!」
驚きの声が、喉から飛び出す。
「羊の角はね、三ヶ月、水に漬けておくと柔らかくなるの」
「そうすると平たくできるの。それで剥がして磨くのよ」
「羊の角でもね、黄金羊の角がいちばん綺麗に透けるの」
小人たちは羊の角の加工方法を教えてくれる。
でも羊の角にびっくりしたわけじゃない。
黄金羊のランプって黄金羊のマントと同じく、『幻想大樹』でしか手に入らないアイテムなんだもの。そのランプに光を灯すと、【幻影】で姿を消しても影が落ちるというレアアイテム。
実物はこんな不思議な金色の輝きなのね。
黄金羊のマントといい、ランプといい、攻略本の挿絵じゃこの輝きは分からない。
ランプの幻想的な輝きを眺めていると、月夜の丘に光が増えていく。
蜜蝋まで灯されて、夜は蜜めいた香しさに溢れていた。遠くからやってきた小人たちから、花輪が贈られる。溢れそうなほど飾られて、花びらが夜風に紛れていった。
「女王さま、昼間やったきらきらしたの見たい」
「あれやって」
小人たちがやってくる。【閃光】のことか。
わたしが【閃光】を夜へ打ち上げる。光の狼煙として開発された魔術は、鮮やかな色を夜に広げる。
「お空にお花が咲いてるのね」
「光のお花きれいね!」
小人たちが大はしゃぎで、夜空を見上げていた。
みんな楽しそうだけど、オニクス先生だけは眉をひそめている。
曇って星座が読めないから、苛立っているのかしら?
「アンブロシアの酒はまだなのか」
疑問と不服が綯い交ぜになった呻きに、傍らの小人がぴょんと飛び上がった。
「夜は醸したものの時間! 王さまが高貴なワインを欲しがってるよ!」
「アンブロシア酒を!」
食事の皿は片付けられ、音楽が高まった。
軽快な音楽の中、銀無垢のお盆に乗せられてきた杯は、真珠めいたオウムガイ!
オウムガイの貝殻を真珠光沢が出るまで磨いて、オリハルコンの金線細工で縁どってあるんだ。細工は蔦模様ね。なんて手の込んだ細工なんだろう。アトランティス王族もこんな美麗な杯だったのかしら?
「我らを統べる王さまと女王さま! アンブロシア酒だよ」
小人たちがにこにこと笑う。
「戴冠のお祝いだよ!」
「本物の王さまと女王さまのためのワインだよ」
「さあさ、二百年物のアンブロシア酒をお飲みください」
オウムガイに満ちているのは、どろりとした紅玉色の液体。
王族しか飲めない神聖な酒。
馥郁としている。嗅いでいるだけで、脳髄が蕩けそうだ。甘酸っぱくて、切なくて、募る思いを香りにしたらきっとこんな芳香になるんだろう。
早く飲んでみたい。早く。
心の奥底から急かされて、わたしの指が杯へと伸びる。
「偽物の王たちは、これを飲んで消えたのだな」
オニクス先生の声が、ことさら低く響く。
宴の空気を凍らせ、撒かれた花びらを腐らせ、わたしが伸ばした手を止める問いかけだった。




