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第三十八話(後編)「それは地の林檎が実りし処に」



 先生の纏っている衣が、日に透ける。

 身体のラインが、紫に彩られて浮き上がっていた。

 左右対称に整った細身の筋肉質。前合わせになっているから前面は透けてないけど、三角筋や上腕二頭筋、腹斜筋からのくびれに、大腿直筋までくっきりと浮かび上がっている。


 …………えっちだな。


 いや、なにこんな非常事態で、いかがわしいことを考えているんだ!

 邪念を払え。

 気を取り直して先生を見上げる。

 透け透けの衣装ってえっちだな。

 ありがとうございます。

 そうじゃなくて、いや、その、わたしは先生に求婚する予定で、結婚式も挙げる予定で、その後には当然の流れとして夜が訪れるけど、夜になったらその衣装を着てほしい。

 いや、これ感想じゃなくて要望だ。

 感想と要望の違いは分かるぞ。

 わたし賢いオタクだから、区別できるの。

「早く現在位置を把握せねばな。正確な時間が分からんから算出は難しいが、現在の太陽の仰角からして、夜が訪れるかもしれんな。相当、流されたとはいえ、星座さえ読めれば現在地も割り出せる」

「うう……」

「気候や植物相の印象ではコーフロ連邦の北部だが、さっきの葡萄林で見かけた切り株の木目が詰まっていなかったから、コーフロ連邦北部ほど厳しい寒さは訪れないようだ。こうも古代種や野生種ばかりでは断定できんがな」

「ああ………」

 先生がえっちな恰好だから、大事な話が右から左へ通り抜けていく。

「ミヌレ? まだ何か疑問点があるなら言いたまえ」

 近づかれると湯上りの空気が直撃して、わたしの頬が一気に上気する。

 湿りを孕んだ黒髪からは、石鹸じゃない良い香りがするんだもの。呼吸するたびに心拍数が上がっていく。

「我は海の裔 血潮と肺腑は人魚ゆえに、水を恋う」

「どうした?」

「【水中呼吸】!」

 獣魔術を詠唱して、池に顔を突っ込む。

 これなら顔が真っ赤に火照ったのバレないぞ。顔も頭も冷える。

 唐突な奇行は意味不明だけど。

 しばらくぷくぷくしていると、先生に脇腹を掴まれてて、池から引きずり出された。

「きみの思考がトレースできんが、何を考えている?」 

「いえ、その……その衣装」

 めちゃくちゃ官能的ですね。

 いや、落ち着け。

 可及的速やかに落ち着け、わたし。

 いいか、とんでもないこと口走るな、わたし。

 先生だって卑猥な目で見られるの好きじゃないだろう。

 わたしの脳髄に宿る知性と、血肉に孕む経験、余すところなくすべて使って、なんとか誤魔化せ。

 水を含んだ髪を絞りながら、知恵も絞る。

「日差しに透けるので、お背中が見えてしまいそうです」 

 わたしの指摘で、透けやすい素材だと気づいたらしい。

 視線を逸らした理由も、それだと納得してくれたみたいだ。

「すまない。気を遣わせたな。ところで何故、池に顔を………」

「わたし、羽織るものが無いか、聞いてきますね!」

 ダッシュでその場を離れる。

 控えていたクリューサンテムムさんに尋ねれば、たっぷりとした布を用意してくれた。これ、何メートルあるんだ。廊下用絨毯みたいな長さだ。絨毯にしては織りが薄いけど。

 アトランティス時代の正装マントって、こんな長かったのね。

「それになんて手触りの良さ………」

 撫でているだけで、心から安らいでいく。

 しかも光が当たったところは、金粉が舞っているようにきらきら輝いていた。

「きれいでやさしいでしょ。王族のための織物、黄金羊の羊毛で織ったのよ」

「黄金羊のマント!」

 『幻想大樹』で低確率ドロップのレアアイテムじゃないか。

 ディアモンさんから借りた『アトランティス異聞』にも記述があったけど、陰影でこれほど美しく様変わりするなんて想像できなかった。やっぱり実物を手に取るのは大事ね。

「女王さま。ブローチをお持ちするよ」

「マント留めのブローチは先生が持っているからいいわ」

 【幻影】の呪符であるブローチだ。

「じゃあ、髪が濡れてるの。拭くよ」

 さっき絞ったけど、水滴が垂れている。

 わたしは髪を拭いてもらってから、先生の元に急いだ。

 着付けを手伝う。利き手と逆の肩にブローチで布を留め、前後に垂らして帯に挟む。後ろ側を余らせて、片方の腕にかけるのがアトランティス式。

 黒翡翠のジャボットピンで胸元を抑え、黒蝶貝の帯飾りを差し込んだ。

「綺麗なドレープは作れませんね。聖下に見せて頂いた、アトランティス時代では繊細なドレープが作られていましたよ」

 教会総本山で幻視したアトランティスの衣装は、みんなロマンチックなドレープだった。

「背中は隠れる。十分だ」

 でも太ももが透けてるので、やっぱりえっちだな。

 凝視しないように努力しよ。

 でもムービーギャラリーに入っちゃってるわね。魔法は無意識に忖度するから、絶対に収録済。

 見ないようにしても気になる。

 いっそマントでぐるぐる巻きになってほしいな~

 見たい気持ちと逸らさなくちゃいけない気持ちで板挟みになって、しゃがんだまま木陰に移動し、地面の蓬草を引っ張る。

「草むしりか、ミヌレ。そのアプサント蓬は、おそらく虫よけで雑草ではないぞ」

「それは承知しておりますけど」

 アプサント蓬を指先で捩じっていると、香気が立ち上る。虫は厭うけど、爽やかな香りだ。

「ミヌレ………私は倫理に悖る男だと自覚している。言動を不快に感じたら、遠慮はいらん。言ってくれ」

 誤解だ!

 わたしが勝手に卑猥な目で見ているだけなのに、先生が気落ちするなんて許されない。

「いえ、その、誤解です。ただ、えっと、記憶を探っていました。誰も知らない国。そんな童話ありましたね。クラーケンで遭難した船乗りが、小人の島に辿り着いて、大地の林檎を貰って帰る話」

「知らん」

 先生はなんでも知っていそうだけど、民間伝承とかお伽噺まではさすがに守備範囲外か。

「どこの地方由来の伝承だ?」

 たしかにエクラン王国発祥の物語りではない。内陸国の昔話で、クラーケンは登場しないもの。

 元となったお話が伝えられているのは、海に面した国だ。

「カルトン共和国か? シャンスリエールか? コーフロ連邦北域か? 大帝国アルムワール?」

「分かりません。子供の頃に、祖母に読み聞かせされただけですから。でもカルトン共和国の可能性は低い気がします」

 学術的な民間伝承の収集なら兎も角、共和国の物語を子供のために出版するのって、違和感があるもの。

「ともあれ現代で伝承となっているなら、島から陸地に戻った人間がいるはずだ。帰還不可能ではない。擬人類たちに外洋技術はないにしても、希望を持っているかもしれん」

「小人の島の絵本じゃ、帆船を造って出航したんですよ。船大工とか艤装職人のスキル持ちが、時間をかけて帰還したみいたです」

「造船技術が無くとも、【書翰】がある。遺留品があれば、大まかな居場所が割れる」

 先生は尊大に小人たちを呼びつける。

 ぺこぺことやってくる小人たち。

 アトランティス装束を纏っている先生の姿に、みんなつぶらな瞳を輝かせた。そばかすだらけの日焼けした頬も、真っ赤になるくらい上気する。

 巻貝の紫染めと、黄金羊のマントを纏った長身は、まさにアトランティスの王族だものな。

「すごい、本物だ! 本物だよ!」

「まことに正しく王さまだ!」

「今までの来たひとたちと、全然ちがう~」 

 大喜びで先生を取り囲み、手を繋いで輪になってダンスを始める。喜びのダンスだ。

「今まで私たち以外にも、背の高いものたちが訪れたのだな。遺留品があれば見たい」

 先生の問いに、小人たちはダンスを止めて、顔を見合わせる。

「王さまと、女王さま。来て消えたひとたちの宝物を見たいの?」

「島を巡るの? 流れ着いた硝子瓶とか車輪とか、みんなのうちで使ってるよ」

「使えるものはね、みんな順番に配るの」

 硝子が中世並みに貴重品なんだ。

 じゃあわたしが寝かせられていた部屋って硝子が入っていたから、きっと最上級のお部屋だったのね。

「むしろ実用品以外を見せてもらいたい。どこか一か所に集まってないか?」

「あるよ。捨てられないけど、いらないもの。価値のないお宝、大切ながらくた。それなら集まってる」

「聖廟に奉納してあるの」

「カーバンクルさまの聖なるお廟だよ」

「宴の支度で騒がしいけど、行く?」

 わたしたちはもちろん頷いた。

 小人たちと聖廟に赴く。

「パーティーの準備も楽しいよね」

「たくさんお花を摘むよ! みんなで音楽するよ! とびきりのご馳走を作るよ!」

「お肉は何が好き~? 羊? うずら? カマス? あんず茸?」

「王さまと女王さまの好物、教えて」

「わたしの好物はニシン(クルペア・ハレングス)蕎麦(ファゴフィーラム)です」

 途端、小人たちが固まる。

 どうしたのかしら?

 発音、間違ってないわよね?

「………ブナの麦(ファゴフィーラム)? なにそれ、だれか知ってる?」

「知らない、カーバンクルさまの穀物じゃないよ…」

「ニシンでご馳走作らなくちゃ」

「えー、つまんない。あんまり女王さまのごはんって感じじゃないね~」

 もしかしてこの島、蕎麦がないのかよ。

 ひそひそ囁き合いながら、小人たちは先生の方に行く。

「のっぽの王さまは、何がお好き?」

スイカ(キトルッルス)

 やっぱり小人たちは固まって、また顔を見合わせた。

「なにそれ」

「知らない」

 スイカも島に存在しないらしい。

 絶滅したじゃがいもがあって、葡萄はさまざまな品種が揃っているのに、蕎麦とスイカは無いのか。

「わたし、大地の林檎(ポンム・ドゥ・テール)を食べてみたいです」

 小人たちがきょとんとする。

「なにそれ、知らない」

「なんだろ?」

「小人の島にあるって伺ってますよ。ひとつ植えたら二十に増える林檎です。腐らせた海藻を土に鋤きこんで、春に植えて、花に農薬を撒いて、秋に掘り起こす………」

「それはじゃがいもだよね」

「じゃがいもだよ」

 大地の林檎(ポンム・ドゥ・テール)って、じゃがいものことだったのか!

 孫娘さんたちがひょいと顔を出した。

「お出ししたスープに入ってたよ」

「ほくほくのじゃがいも」

 蜂蜜と白ワインのスープを思い出す。

 あの、蕪でも林檎でもないやつ。あれがじゃがいもだったんだ。

「美味しかったです。また頂けるかしら?」

 わたしが言うと、小人たちが顔を見合わす。

「じゃがいもでいちばんのご馳走かあ」

「蒸かしてバター付けるか、シチューにする以外なんかある?」

「アスパラが出始めだったら、じゃがいもとオムレットにするよ」

 天の葡萄(アンブロシア)は王族の飲み物で、地の林檎(じゃがいも)は擬人類の食べ物。

 奴隷種の食べ物だから、ご馳走向けのレシピが無いのかしら。でもスープは美味しかったわ。

「アリゴだよ!」

 小人のひとりが大声を出して、ぴょんとジャンプする。

「そっか。裏濾しして白ワインを隠し味にすれば、とびきりのご馳走だ!」 

「羊のチーズで作ればもっと美味しいよ!」

 小人たちは盛り上がっている。

「アリゴってなにかしら?」

 質問に小人たちがにこっと笑う。

「ないしょ!」

「宴の最初に出すから、女王さまびっくりして~」

「女王さまがびっくりするの見たい~」

 サプライズパーティー好きな人種だな。

 わたし、サプライズはいけ好かないけど、小人たちなら許せる気がする。

 クワルツくんがやってくる。

 怪盗衣装の上に、エプロンでなくアトランティス風の装束を纏っていた。紫色だけど先生よりも淡い染めだから、初夏っぽい印象だ。ただ黝く赭い手甲を武装したままだから、爽やかさが欠けている。

 農作業が終わったのかな。

「白い王さまがきたよ。王さまの好物はなあに?」

「教えて、教えて」

「吾輩はワインとチーズがあれば満足だ」

 ぱっと小人たちが笑顔になる。

 途端にクワルツくんに群がった。

「うちの家族が作る羊チーズは絶品だよ。カーバンクルさまの頃から変わっていないよ」

「嫁がエルダーフラワーワイン作るの上手なの。飲んで飲んで」

「うちの蔵にね、ひいひいじいさまが造ったワインがあるよ。王さまに飲んで頂けたら、ひいひいじいさまも喜ぶよ」

「親戚がね、山羊のチーズ造りが大得意なの。宴に用意するよ」

 すごい慕われっぷりだ。

 ほんとうの王さまみたい。

 いえ、小さな従弟妹たちに慕われている農園主みたい。……みたい、というか、それこそクワルツくんの昼間の姿だった。伝統ある果樹園と醸造所の一人っ子で、幼い従弟妹が大勢いた。

 まるでクワルツくんが享受するはずだった未来。

 不思議な気持ちで眺めていると、クワルツくんが近づいてきた。

「ミヌレくん。摘果しながらアンブロシアの種を手に入れた。育て方もざっくりとだが教わった。いつでも発てる」

 耳打ちされた小声は、ジスマン語。小人たちには分からない言語。

 アンブロシアの種子。

 大怪盗クワルツ・ド・ロッシュは、どんな宝石や書物より得難いものを盗み果せてくれた。

「正直に言うなら、十年ほど栽培の修行したいがな」

「そこはさすがにオプシディエンヌを優先しないと………」

 あとは服や荷物が乾いたら発てる。

 歓迎してくれる小人さんたちには申し訳ないけど、わたしたちには為すべきことがあるのだ。

「現在地を割り出すために、過去の漂流者の遺留品を確認しに行きます」

「頼む」

 小人さんたちの相手はクワルツくんに任せ、目的地へ急ぐ。

 王女カルブンクルスの聖廟へ。



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