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第三十七話(後編)誰も知らない寓話の国


 

 甲板には超弩アーバレスト。

 投擲槍くらい巨大な矢が、装填されている。

 あれを撃つのか?

 でも骨董品を通り越して、残骸だぞ。

 遠目からでも状態の酷さは分かる。矢も弦も錆びて、レバーが外れ、クランクが壊れている。これじゃ弓が引けない。

 そりゃ古いガレオン船だもの。潮風に放置されたら、壊れて当然だ。

 アーバレストは使えない。獣属以外の魔術も使えない。

 やっぱり肉弾戦しかない。

 腹をくくって触腕を蹴り飛ばしていると、先生がアーバレストの機構を確認していた。

「先生、どれもクランクかレバーが破損していて……」 

「問題ない」

 先生は手甲を装備した手で、錆びついた弦を握った。

 まさか鋼鉄製の弦を、人力で引く気か?

「ぐっ………ぅ」

 歯を食いしばり、全身の力で腕を引く。

 先生たったひとりの腕力で、潮風が赤錆色になるほどの匂いをまき散らして、鋼鉄の太い弦が引かれていく。 

 なんて筋肉だ。

 アーバレストが絞られ、放たれた。

 唸りを上げて飛ぶ矢。

 クラーケンの眉間に突き刺さった。

 大波と飛沫を上げながら、触手が老婦人を手放す。すかさずキャッチして、岩場に着地。

 クラーケンは真っ白に褪せ、大海原へと流れていった。

 湾が静寂に包まれた。

「女王さま! このような栄誉! このご活躍は子々孫々に伝えるよ!」

 嬉々としてる。

 まるで楽しく遊んだ後みたい。

 ………まあ、怖がって震えているよりいいんだけど。

 感激している老婦人を砂浜に下ろし、先生のいる甲板へと急ぐ。

 先生の手のひらは擦り切れて、血まみれになっていた。手甲の留め具の革が千切れて、そこの皮膚まで破れている。これ、肉まで達しているんじゃないか。

 わたしは手のひらにキスする。

 魔力のこもった息吹きは、たちまち先生の皮膚を再生させてくれる。

 人差し指をちゅっと咥えると、先生は無理やり指を引っこ抜く。

「治癒が終わっていませんよ」

「構うな。さっさと他の連中を探すぞ」

「先生は休まれた方がいいです。わたしはきちんとベッドに寝かせられて、スープも頂きましたから万全ですよ。一旦、小人さんのおうちに戻りましょう」

 わたしは来た道を振り返る。

 どこまでも続く緑の芝生には、干し葡萄みたいな跡が点々と続いている。一角獣の蹄で芝生の根が削れるほど駆けたから、土が露出しているのだ。

 老婦人たちも、この蹄痕を追ってきたのか。

「この程度で行軍を取り止めするほど、私は軟弱ではない」

 先生の心身は軍隊仕様だからな。

 無理に休めといっても辞退するだろうし、わたしもみんなと早く合流したい。

 砂浜に降りると、小人さんたちが駆けつける。あと驢馬。

「なんて背高のっぽな王さま。王さまと女王さまがお揃いに。めでたき!」

「めでたき!」

「めでたき!」

 勢いよく唱和する孫娘さんたち。

 ついでに驢馬も、ツェヒェホーン~と鳴く。

「たしかに骨格が人類ではない。擬人類か」

「王さまびしょ濡れ。お風呂よ。しゅんしゅんに沸かすよ」

「家族風呂なの。広いのよ」

「王さまの長い脚でも、のびのび入れるお風呂よ」

 小人さんたちが言い連ねた台詞は、先生にとって誘惑的だったらしい。ふらりと傾く。

 わりと風呂が好きだものな。

 大山脈でも即行で温泉に入りに行ったし。

「ご厚意ありがとう、クリューサンテムムさんとそのお嬢さんたち。でも、わたしたちは他の仲間を探しを優先したいの。お風呂はのちほど頂いてよろしいかしら?」

「ほんと? 約束ね!」

 飾り気のない笑顔だ。エランちゃんを思い出す。

 年配のご婦人の笑顔に対して、五歳児を連想するのは失礼だけど、底抜けに明るい無邪気さなんだもの。

 先生は濡れたマントを投げ渡す。たっぷり水分を含んで重たくなったマントに、老婦人たちはよろめいた。

「洗濯を頼む」

「はい、王さま。喜んで!」

 楽しそうに濡れたマントを、驢馬の鞍に乗せた。

 アイリスブルーの羽根を取り出して、詠唱をする。

 これはマリヌちゃんへの【書翰】だ。

 呪文を唱えて、羽根を解き放つ。

 アイリスブルーの羽根は勢いよく飛び放ち、水平線目掛けて飛んでいく。

 彼方の海面から触腕が飛び出した。

 クラーケンの触腕がうねり、小さな羽根を捕まえようとしている。

 グリフォンの魔力を宿した羽根は軽やかな回避を見せ、水平線の遥か彼方へと消えていった。

 モリオンくんにも宛てるが、これも同じ。

 ふたりは海の彼方にいるのか。

「マリヌちゃんたち、海に沈んでいないみたいですね」

 最後は紫、いや、蛍光帯びた葡萄色の羽根。

 葡萄色をいちばん最後に選んだのは、最も信頼している相手だからだ。

「【書翰】」

 葡萄色の羽根が震え、一気に飛んでいく。

 マリヌちゃんたちとは逆方向。

 羽根は丘を越えて翔けていく。


 クワルツくんは陸続きの場所にいる!




 一角半獣化して、先生を背に乗せて駆ける。

 行く手には、麦畑が黄金色に騒めいていた。

 穂の背の高さからして、品種改良されていない。現代の穀物って、茎が短くても穂が熟すように改良されているもの。

「古い品種の大麦ですね。家畜も穀物もアトランティス時代ばかりです」

「二十万年前から進化が停滞しているのか。だがあの小人たちはなんだ? 擬人類だが、知り得るどの擬人類とも違うな」

「この件が片付いたら、月下老とクリスタリザシオン聖下にムービーギャラリーをご覧いただきましょう」

 擬人類も興味深いけど、後回しだ。

 みんなとの合流が最優先。

 わたしたちが回り込んであぜ道を駆けていくと、野良仕事中の小人さんたちが跳ねる。麦穂に風が駆け抜けるように、みんな揺れ動いて騒めいた。

「女王さまだ! 背高のっぽの王さまだ! めでたしめでたしだ!」

「善きかな、善きかな。王と女王のご帰還だ」

「早く虹が出るといいね~~」

 小人さんたちはわたしたちに笑顔で膝を付き、頭をぴょこぴょと振る。みんな巻き毛で、顔は日に焼け、農民や職工特有の使い込まれた指先をしている。

 朴訥で謹厚な働き者ばかりって雰囲気ね。

 葡萄色の羽根は大麦畑を突っ切って、崖の方へと飛ぶ。

 風に乗って一気に翔けてしまった。

 追いつけない。

「さすがに収穫間際の大麦を蹴散らせませんね」

 それにこの麦のなかに小人さんが屈んで作業していたら、絶対に気づかない。脳天を叩き割ったら最悪だ。

 先生はわたしの背から降り、小人たちへ隻眼を向ける。

「そこの民たち。このあたりで漂流者を見なかったか? 水晶色の髪の若者だ」

 小人がわらわらっと駆け寄ってきた。

「あっちにいるよ!」

「農薬作ってるよ!」

 ………クワルツくん、農薬を作ってんのかい。

「いくらなんでも討伐中に漂流して農薬作るのはおかしいので、別人とか………」

「あの怪盗ならやりかねん」

 しかめっ面から放たれた呟きに、わたしには反論する根拠も威勢もなかった。




 小人たちに取り囲まれながら、大麦畑を後にした。

 大麦畑の次の畑には、ナイトシェード系の野菜っぽいものがわさわさ繁ってる。なんだろう。花そのものは茄子にそっくりだけど、茄子はあんな風に集まって咲かないし。

「この野菜はなんですか?」

「こっちはね、じゃがいも畑」

「じゃ……じゃがいも! アトランティス時代に絶滅した、あの!」

 驚きのあまり声がひっくり返る。

 じゃがいもだぞ!

 古代エノク語の書物にはたびたび登場する。

 そのくせ正体は不明。

 アトランティス時代に珍重されていた黄金羊クリソマロンとか、神聖視されていた聖鹿ケリュネイアは詳しい伝承が伝わっている。詩や物語にも登場するし、何行にも渡って描写される。

 でも奴隷種だった擬人類の食事なんて、資料が残されていないんだよ。素っ気ない記述だけ。

 それが手の届く距離にある!

 先生も身をかがめて、花を観察する。

「付き方は違いますけど、茄子っぽい花だったんですね。食べてみたいです」

「じゃがいもか。月下老は幼い頃に食したらしい」

 そっか、月下老だって【羽化登仙】する前は、普通に食事していたんだよな。どんな幼少時代か想像つかないけど、じゃがいもを食べていたのか。

「きめ細かい栗のような味わいだったそうだぞ。というか、月下老が生まれたアトランティス末期まで残っていたじゃがいもの品種が、栗めいた味だったというのが正確か」

「品種がそんなにあったんですか?」

「擬人類には愛されていて、品種は数え切れぬほどあったらしいな。月下老の幼い頃のうろ覚えの記憶で、正式な記録ではない。ただじゃがいもが絶滅したせいで、擬人類も全球凍結を越えられなかったかもしれないと語っていた」

「クリスタリザシオン聖下の意見も伺いたいですね」

 連盟と教会、遺恨はあるにしてもトップ同士は同郷、というか同世代だもの。

 喋りながら、なだらかな坂を下っていった。

 崖が大きく競り、日当たりの芳しくない坂の半ばに納屋が建っている。土間の屋根下という作業場っぽいところに小人たちが集まっていた。

 クワルツくんだ。

 さらさらと透けるように輝き揺れる髪は、色黒巻き毛の小人たちの間で目立つ。

 怪盗衣装の上から野良仕事用のエプロンを付けて、大きな壺に柳ホウキを突っ込んでかき回していた。

 別人かなって可能性もあったけど、あんな水晶色の髪で、トンチキ衣装を纏って、おまけに野良仕事を率先してやってる男なんて、この世にクワルツくんしかいねぇよ。

「キレイに混ざってく~」

「手際いい~」

 褒める周囲の小人たち。

「ハッハッハッ、胆礬農薬は五歳のころから作っていたからな!」

「………………」

「………………」

 マジで農薬作りに精を出してたよ、この怪盗。

 漂流して初日にすることだろうか、その農薬作り。

 わたしと先生が揃って呆然としていると、クワルツくんがこっちに気づいた。

「ふたりとも無事か。何よりだな!」

「何よりだが、何をしているんだ、怪盗」 

「胆礬農薬を作っている」

 クワルツくんが柳ホウキでぐるぐる混ぜているのは、空色の液体だった。一年でいちばん綺麗な空を、雲と一緒に混ぜたみたいな色合い。

 銅と石灰から作る農薬ね。

「ここの小人たちはみな素晴らしい働き手だな。指についた土が乾かぬほど、畑を愛している」

「暢気か?」

「急務だ」

「馬鹿か?」

「農家だ」

 クワルツくんは完成した農薬を大樽に詰めていく。

 車輪とポンプがついた大樽で、さらに革のホースと真鍮の噴霧がついている。大きい畑を持ってる大農家の噴霧器だ。一人が手押しして、一人がポンプ押して、農薬を撒くタイプ。

「おい、怪盗。農作業を続ける気か。そんなことをしている場合ではないだろう」

「している場合だ」

 真顔で何を言ってるんだ。


「アンブロシア」

 

 告げられた単語に、わたしと先生は息を呑む。

 アトランティス時代に絶滅した葡萄の名だ。

 第六人類(わたし)の寿命を延ばすための果実だ。


「この島にアンブロシアが実っている」

  

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