序のふたつまえ 魔女は少女を殺したい
こじんまりしたテーブル。
上座には若き国王ピエール19世。右側には王の叔父であるディアスポール公爵。そして左側にプラティーヌ姫が着席する。
プラティーヌ姫の壮麗な正装は、コンク真珠めいたピンクサテン。ドレスの背中からは長い襞が畳まれ、たおやかなドレープとなって床へと垂れていく。
襞が美しく垂れるように、儀式めいて椅子へと腰かけた。
ドレスの背中の襞は身分によって長くなり、現在の王宮ではプラティーヌ姫がもっとも長く曳いている。
テーブルへ恭しく運ばれる料理。
まずはキャビアとホタテ貝のサラダ。
内陸国であるエクラン王国に新鮮な魚介類が届いているのは、水魔術【霧氷】で冷やしているからだ。魔術先進国としての誇らしき前菜である。
次にキャベツのポタージュ。
舌平目のムニエル。
トリュフでソテーした山鶉のフィレ。
パセリソースでグラッセした仔牛の内腿肉。
三人の昼食であるが、周囲には廷臣たちが侍っていた。
給仕役の貴族もいるが、大半の貴族たちは立っているだけで食事どころか水もない。何をするわけではない。王族の食事を見物しているだけ。
だが貴族にとって王家の生活を見物できる権利こそ、大事なものだった。
否、大事なものにしたのだ。
廷臣が良き働きをするたびに、褒美を下賜していては国庫が痩せる。
駿馬だの土地だの黄金だの、物質は限りある。
そして褒美を貯めこまれれば、王に匹敵する力をつけてしまう。だからといって臣下に褒美を取らせなければ、報われぬと思って忠義や関心は離れていく。
ならばどうすればよいか。
簡単だ。
価値ないものに、価値を与えればいい。
ゆえに王族の食事を眺められることを、駿馬や土地や黄金と等しくした。
宮中の晩餐席や観劇席のどこに座れるか。
宮中の庭園にどこまで踏み入っていいか。
ドレスのプリーツの長さはどこまで許されるか。
身に着ける宝石の数は、いくつまで許されるか。
くだらない特権という、無形の褒美を創った。くだらないものなら、いくらでも与えられる。宮中のしきたりは、煩雑なだけで無意味だからこそ、絶大な効果がある。
無価値たる価値によって、エクラン国の国王は代々、宮中の力関係や国庫を御しているのだ。
まったく滑稽なシステム。
プラティーヌは内心、そう嗤って優雅にグラスに口づける。
彼女の肉体は王族の姫君だったが、魂はオプシディエンヌと呼ばれた魔女である。十年前、この宮廷で公妾として華やかに咲いていたが、今は宮廷史上もっとも美しく気品ある姫君と謳われていた。
「陛下。帝国から書簡が参りました。皇女殿下が、来月のご出立されるそうです」
公爵が語る。
国王陛下であるピエール19世は、公爵からの言葉に耳を傾けてはいたものの返事は無い。うつむき加減で、ワインを飲んでいる。
ピエール19世は、いまだ王妃を娶っていない。
父の急逝や婚約者の早逝が重なり、延び延びになっていたのだ。
王の結婚は、外交なのだ。
婚約者であった帝国の第一皇女が亡くなったからといって、すぐ違う女性をあてがうわけにはいかない。この結婚は、帝国と友好を築くための外交戦略である。
亡くなった婚約者には、妹がいた。
婚約式を挙げたのは、一年前。婚約によって結納の品が運ばれて、王宮には未来の王妃のための部屋が設えられていた。
未来の王妃たるべき皇女は、今年の春に16歳になる。
やっと挙式できる。
ついに春には、帝国の皇女との婚儀だ。
「こんな寒い季節を旅するなんて、難儀ですわね」
プラティーヌが呟く。稚気を含んだ口調だが、これは周囲に聞かさせるための会話だ。
テーブルで交わされる王族の会話は、部屋のどこにいても聞こえる。
誰に聞こえてもいい会話をしなくてはならない。
「誕生日と同時に挙式するのは、帝国と話し合った末の事。冬越えが難儀なら、去年の秋に入国していればよかったものを」
「皇女殿下は、お母さまの皇后陛下と離れがたかったのでしょうね」
プラティーヌ姫は母親を早くに亡くしている。
うら若い姫君の呟きに、どんな底意地の悪い貴族でも、扇の下で陰口をたたくことは無かった。
「皇女殿下がお国に入ったら、姫がお出迎えしていいかしら? どんな方なのかはやく知りたいわ」
プラティーヌ姫の愛くるしいおねだりに首を横に振ったのは、父親であるディアスポール公爵だった。
「出迎えは女官頭の権利だ。おまえは控えていなさい」
「でも夕餉に同席するくらいよろしいでしょう? 最初からエチケット夫人たちにガミガミ取り囲まれては、未来の王妃さまがおかわいそう」
幼稚な口調で、貴族夫人たちを揶揄する。
自分たちを見物する貴族らの扇の奥から、こそりこそりと呟きが聞こえるが、こんなものに拘泥していては王族は務まらない。
「お会いするのは王妃になられてからだ」
ディアスポール公爵の言葉は、穏やかだが何一つ容赦がない。
「ではお手紙を出してよろしいかしら?」
「陛下がお許しになれば、届けよう。良いですかな、陛下」
公爵がそう水を向ける。
一拍おいて、国王は口を開いた。
「良きに計らえ」
ピエール19世はため息に似た呟きを落として、フォークとナイフを操り食事をはじめた。
昼食会の後、プラティーヌは侍女官を引き連れて、自室へと戻る。
侍女官は子爵夫人と男爵未亡人だ。
王族の侍女官は、慣例的に貴族夫人の務めであった。もちろん実務的な作業は小間使いがするため、さらに侍女官の後ろに数名の小間使いが連れ立って歩く。
プラティーヌの自室は古風な調度と、レースで構成されていた。この時代にまだ機械編みのレースは存在しない。すべて手編みのレースであり、その結び目のひとつひとつが真珠やダイヤより高価であった。
寝台の天蓋からレースが幾重にも垂れているのは勿論、窓も椅子も、鏡も机も、書棚も絵画も、チェンバロにも、そして飾られている大輪の花たちまでもが純白無垢のレースで覆われている。
まさしく蚕の繭のなか。
あるいは蜘蛛の巣の底。
贅を尽くした部屋は、どこか蟲のねぐらめいている。
レースの世界で、レースのガウンに着替える。
姫君の着替えを、侍女官が手伝い、その侍女官を小間使いたちが補佐していく。
七分三十秒かけて着替え終えたプラティーヌは、寝椅子にくつろいだ。
「あなたたち、図書室から書簡全集をもってきて。便箋も用意してほしいの。あなたたちのセンスに任せるけど、帝国の皇女殿下がお喜びになるようなパピエでなくちゃだめよ」
侍女官ふたりに便箋を用立てるよう命じて、自室から下がらせる。
姫君はようやく独りになった。
もちろん小間使いたちが、無言で部屋の隅に控えている。王族が独りきりになることはあり得ない。
「さ、姫のお人形さんたち。可愛がってあげるからいらっしゃい」
蜜色の誘いに、小間使いたちは恍惚と頬を染める。
愛らしい小間使いたちは、すべてプラティーヌのお人形さんだった。比喩でなく、真実として。
「今日はあなたから」
小間使いに、口づける。
唇を重ね、舌を絡め、吐息でまぐわう。
魔力の供給だ。
口づけで魔力を与えられた人形は、うっとりと跪く。
【屍人形】。
小間使いの命を奪い、魔術を与え、駆動させているのだ。
魔女オプシディエンヌは、永遠を生きるための研究に腐心していた。
この【屍人形】もそのひとつ。
だがどれだけ頑丈に作っても、内在する魔力が無くなければ肉体が崩壊する。
その弱点だけは克服できなかった。
そんな脆弱性があるなら、永遠ではない。
だけどミヌレを見つけたのだ。
永劫の魔力を持つ少女。
ここにいるお人形たちは、内在する魔力が尽きれば壊れてしまうのだが、あの少女を基礎にすれば壊れぬ人形ができるのではないか。
そこに己の魂を宿せば、永遠が手に入る。
どのくらいの不朽性があるかは実験してみないと分からないが、それでも試す価値はある。
本当はミヌレが成長するまで、もう少し待つつもりだった。
まだ子供だ。何年かして背丈と四肢が伸びてから、自分の器候補としてストックしておこうと思っていたのに。
それが行方知れずになってしまうなんて。
魔女オプシディエンヌにも、苦手分野はある。
未来視や遠視だ。
闇の教団でオニクスは闇属性の催眠系を専門に研究していたが、オプシディエンヌは霊視系を好んで実験していた。
膨大な人体実験の結果、予知や遠視の魔法は、視力が欠損している人間が持ちうる特性だと判明している。先天性か後天性かは問わない。
たとえば戦場で隻眼となったオニクス。
たとえば重度の近眼であるクワルツ。
そして盲目の占い婆のように、生まれながら視力を知らないものが、最も強い予知や遠視を得るのだ。
【屍人形】に口づけながら、巻き毛を弄ぶ。
愛くるしくて、巻き毛が綺麗で、ショコラを淹れるのが上手なお人形たち。
傍に仕えさせるには最適の人形である。
「可愛い仔。あなたの眼球をえぐってもいいかしら?」
「はい、身に余る光栄です。姫さま」
プラティーヌが戯言を囁けば、恍惚の眼差しが返ってくる。
眼窩に指を入れて、眼球をえぐれば、遠見の魔法が生まれないだろうか。本当にそんなこと出来やしないが。
人形たちと戯れていると、羽ばたきの音が舞い降りてきた。
窓辺に訪れたのは、白い鸚鵡。
剥製めいた、否、実際にこの鸚鵡は剥製なのだ。
獣魔術【鸚鵡】は、鸚鵡の死骸を呪符化する魔術なのだから。
「我ガ主! 我ガ主! ミヌレを占いニ、捕らえましタ。追撃中」
白き鸚鵡の知らせに、プラティーヌは微笑む。
プラティーヌは舌を銀の針で突き、血珠を結ばせた。
「愛しい仔たち。あなたたちに任せましょう。ミヌレばかりにかまけたら、妾の計画が進められないもの」
そして舌の血を、白鸚鵡に啄ませる。
血のかたちをした伝言を食み、白鸚鵡は無機質に羽ばたいた。
男を破滅させるのは趣味。
永遠に生きるのは手段。
プラティーヌ姫、否や、魔女オプシディエンヌの目的は、破滅でも永遠でもなかった。




