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第三十話(後編)極光白夜に獣は吼ゆる

 

 

 なんて状態だ。

 北極圏に辿り着かないうちに、こんな災難に畳み掛けられるなんて。

 降るはずないオーロラによって、魔導航空艇は大破。クワルツくんは肺腑を負傷して、マリヌちゃんの怪我は治りにくい。よく分からん雪もどきは降り注いでいる。

 その上、先住民のライカンスロープ術者たちに、罪を咎められていた。

 一角獣に守られた娘と、蛇に呪われた男って、わたしと先生のことだよね?

 わたしと、先生の罪?

 白イルカの眼は、怒りが燃えているように揺れる。見つめられていると火花が飛んできそうだ。

「針葉樹林を荒らしてしまって、申し訳ありません」

「木々は倒れて朽ちるもの。自然の摂理を咎めると思われたか」

 森を荒らしたのが怒りの原因ではない。

 じゃあ罪って………どれだ?

「では時間への干渉でしょうか?」

 わたしが抱えている罪の中では、最たるものだ。

 時間軸に干渉して、因果律を狂わせた。そのせいで宇宙は不安定になっている。

「否や」

「戦争を起こしたことですか?」

「否や」

「古代竜への干渉?」

「白を切るか!」

 咆哮が轟く。

 とぼけたいわけじゃない。思い当たる節が多すぎるの。ヒントくれないと分からない。

 困っていると、背後で大きな咳が響いた。クワルツくんだ。

「もしや人魚を喰ったせいではないか?」

 クワルツくんが掠れながら呟く。

「人魚を、食べたこと?」

 鸚鵡返しした途端、ライカンスロープたちからの圧が増した。

 まさか本当に人魚を食べたことを咎められている?

 人魚を食べたのは、喋らずの島での滞在中だ。たしかあれは幼芽月。そんな何か月前に食べたものを嗅ぎつけるなんて。

 いや、魔法は時間を凌駕する。

 魔法的な探知で、わたしたちが人魚を食べたことを察したのか。

「ここは我らがいにしえより住まう海と森。ゆえに裁くは我らである。禁忌を犯した穢れは、血によって贖わねばならん!」

 吼えれば、尾が跳ねる。湖面から飛沫が舞い、雪もどきと混ざり合い、オーロラを斑に染めるほどだった。

「待ってくれ!」

 魔狼化したクワルツくんの咆哮が、森と湖にこだました。

 肺にダメージ食らっているのに、そんな大声を出したら負担がかかる。

「人魚を喰ったのは、止むに止まれぬ事情がある! 誰が好き好んで、同胞を喰うものか!」

 わりと好き好んで食べたけど、ここはクワルツくんの演技力に場を委ねよう。

「オーロラに関しては心当たりがある。だが怪我人がいるのだ。頼む。まず手当させてくれ」 

「そなたは罪を犯してないようだな。禁忌を血で贖わせた後、オーロラの異変はそなたから伺おう」

 まずい。悪化した。

 戦うわけにも、逃げるわけにもいかない。逃げたからって事態が拗れるだけだ。

 海の民との敵対だけは避けなくちゃ。

 ここで諍いを起こせば海の民の排他性が高くなり、先住民と開拓民の戦争の火種になりかねない。

 すぐ近くでシャンスリエール共和国が南北に別れて小競り合いしているのに、カルトン共和国の開拓民と先住民との紛争が起きたら、もう北方沿岸諸国のすべてが戦火に包まれてしまう。

「ミヌレ。交渉できんようだな。殲滅も隠滅も私の得手だ。難民キャンプひとつ、存在ごと抹消した経験がある」

 背後から魔王が囁く。いや、魔王じゃなくて先生だけど。

 どうやって敵対回避しようか脳髄を絞っているのに、何をぬかすんだ、この男は。

 このまま戦闘に突入してしまったら、勝利してしまう。もうわたしの背後で、先生がエストック抜く寸前だもの。

 モリオンくんはマリヌちゃんを保護してくれたらしく引っ込んでいるけど、絶対に魔導銃を構えているだろうな。

 戦闘するわけにはいかない。

 勝利は破滅に直結する。

「先生。静かに待機して頂けますか?」

「だが殺意持って迫る相手に、他にどんな手段で躱す?」

「あなたは黙って跪いて下さい」

 見もせず言い放てば、先生は口を噤んで下がる。

 血で、贖えるか?

 わたしの首ひとつで解決するなら、それで構わない。ヴリルの銀環で回復力をブーストすれば、おそらく生首でも生存できる。

 だけど問題がひとつ。

 どこかでオプシディエンヌが偵察していたら、生首でも生きられるとバレる。

 戦術手がひとつ潰れる。

 沼ヒノキの木々の方から、蹄のギャロップが響いてきた。それから馬の嘶きも。

 また新しいライカンスロープ術者がやってきたの?

「すみません、通して下さい」

 遠くから聞こえるのは、ジスマン語だ。しかもこの声は………

「オンブル!」

 クワルツくんの歓呼は響き、北極の獣たちが開かれる。

 走ってきたのは、ぶち模様の大型農耕馬。鞍に跨っているのはオンブルさん!

 蜜褐色の髪を乱して、馬を疾駆させていた。サージとウールの古い作業着で、まるで畑に行く途中の恰好だけど、巡回裁判にでも馳せ参じる証言者じみた気迫だった。

 農耕馬の鞍から降り、湖のほとりへ駆け、膝を付いた。

「私はオンブル。羽白の海バトの氏族を預かる呪術師カルカスの大甥です」

 オンブルさんが古代エノク語で話しかける。

 ああ、古代エノク語なら、人間状態でも通じたのか。

 必死の自己紹介に、白イルカさんは鷹揚に頷き、ライカンスロープ術者たちはざわめきだった。

 岩陰で咆え、木陰で囀り、泥濘で唸り、湖畔で鳴く。

 「羽白の氏族は、穏健融和派だったか」「あの男、魔力は薄いが、海の血は濃いな」「羽白には、外へ嫁いだ娘がいたはずだ。それの孫か」「大昔の話ではないか」「とはいえカルカス翁は、屈指の精霊祓いだ」「カルカス翁の娘には、わしの息子が婿入りしておる。蔑ろにすまい」「話を聞くべきだ」

 ざわめきが続くが、こちらへの敵意は薄らいでいく。

 やや緩んだ空気の中、オンブルさんは浅く息を吸い、重々しく言葉を吐く。

「白イルカの氏を束ねし大刀自さま。これは私の正式な客人、手当をお許しください。オーロラに関しての報告は必ず致します」

「客人であったか。ならば贄を。禁忌を犯した贖罪に、贄を捧げよ」

 レムリアみたいなこと言い出してない?

「白イルカさんが、贖罪の贄を捧げろっておっしゃってますよ」

「生贄か。分かった、犯罪者を見繕ってくるから、待ってもらえ」

「オニクス教師! 生贄じゃなくて贄です」

 大慌てで止めるオンブルさん。

「物品です。いや、そもそも何をやらかしたんですか? 罪業のレベルで、どのくらいの贄を捧げるか決めるんですけど、もうどこかの氏族を殺戮したんですか?」

「人魚を食べた」

 先生からの回答に、オンブルさんの喉から言葉にならない悲鳴が上がった。そして口許を押さえる。悲鳴を抑えるためじゃなくて、感情を読まれないためだろう。

 だけど嫌悪と驚愕が漏れている。

 そのふたつは言葉にしてしまえば短いが、感情として抱くなら重い。

 昔、わたしの内臓をクリーム煮にした時もなんだかんだと微笑んでいたオンブルさんが、ここまで顔色を変えるのは尋常じゃないぞ。もしかして人魚食いって、氏族虐殺を上回る罪だったのか。

「最悪だ……」

 オンブルさんが抑えた口の隙間から、呻きが漏れる。

「白イルカの大刀自に見つかったのも最悪ですよ。遭難して人肉食べるケースはありますけど、そんなこと」 

 オンブルさんが自分自身で納得しやすいよう、状況をでっち上げている。いや、実はマリネとかベニエとかにして美味しく頂いたんだけど、それはさすがに言えないな。

「最上級の贄が要りますね。宝飾や武器を壊すんです」

「分かった。吾輩が盗んでくる」

 魔狼のままきゃんきゃん鳴いて、前足をぱたぱた動かす。オンブルさんには通じたっぽい。

「高価なのは当然だけど、愛用した宝飾や武器じゃないと、贄として認められない。婚約記念品とか、肉親の形見とか、感傷的価値を宿した高価なものだ」

 思い入れのある宝飾品を破壊する?

 わたしの持っている宝飾は、ほとんど先生から贈られた呪符だ。

 戦力が減じてしまうし、呪符を壊すのって星幽体的に辛いんだよな。呪符って義肢みたいなものだから、作り直してすぐしっくりくるものではないんだよ。

「ふむ。吾輩のソムリエ・カップ(タートヴァン)は?」

 ソムリエ・カップ(タートヴァン)をポーチから出して、咥えた状態で差し出した。銀細工が繊細な年代物で、且つクワルツくんの家に伝わる宝だ。

 条件に合っているはずなのに、オンブルさんは眉根を寄せたまま首を横に振る。

「クワルトスは禁忌を犯してないだろう」

「本人のものではないと贖えんか?」

「海の民は分かるらしいよ。咎人の愛用品かそうでないか。私には分からないけど」

 愛用品か否か、魔法で探知しているのかな? 

「壊した品の軽重で、許しを決めるか。野蛮だな」  

 先生ィイイ?

「馬鹿正直も時と場所を選んで下さいッ!」

 わたしの叫びを無視して、先生は一歩、前に踏み出る。

「だが分かりやすくて良い」

 飾り帯に差していたクリス・ダガーを鞘ごと抜いた。螺鈿黒檀の蛇柄の方でなく、鞘の方を握っている。

「これは隕鉄を刃として鍛えた短剣。この世に二つとない至宝だ。私が今、持ちうる品で価値が高く、若い頃より愛用した武器である。謝罪と戦意無き証として申し分ないと思うが?」 

「先生ッ! 本気ですか!」

 この世に二つと無いっていうのは、大袈裟でも何でもない。

 先生にとって使い慣れた武器でもあり、素材的にも工芸的にも価値は高い。何より魔術媒介として貴重だ。

 これは千の胎児を殺した隕鉄の刃。

 おそらく二度と作れない。 

「ミヌレ、たしかにこれは何にも代えがたい魔術媒介だ。だからこそ、壊さねばならんと思っていた。罪を重ねて、魔術を進歩させてはならなかった」

「でも………それを壊したら、本当に罪しか残らなくなってしまう」

 残酷な人体実験の果てに手にした成果だ。魔術に貢献できなかったら、先生に残るのは贖えない罪だけだ。

「それでいい」

 先生は膝を付き、わたしの耳元に唇を寄せる。

 微かに色褪せた唇で、静かに言葉を紡いだ。

「きみと子が成せないと知った時、これがどれほど唾棄すべきものであるか理解できたのだ。手遅れだが、それでも理解した。携えているのも苦痛だが、手放すわけにはいかなかった。壊すのは、いい機会だと言わせてくれ」

 先生はクリス・ダガーを手放す。

 オンブルさんが受け取り、儀式めいた所作で白イルカの前に捧げた。

 鞘を抜く。

 九曲がりの刃は、隕鉄を鍛えたものだ。

 天球層の音楽を彷徨った隕鉄は、宇宙より昏く神秘的な黒を帯びている。瞳に映した途端に、魅入られそうな刃だった。

 鋭き美しさに、すべての視線が集まる。

「まさしくふたつと無き美物であり、そなたとえにしが深きもの」

「これで私と彼女の罪の贖いとしたい。彼女は私の婚約者であり、遺産相続者である。構わんだろう」

「良かろう。それほど価値のある品ならば、我らとしても不服は無い。では己の手で砕くと良い。涙は己の瞳から流すもの、贄は己の手で壊すもの」

 歌うが如き言葉を訳すと、先生は小さく頷いた。

 エストックを抜き放つ。

 隕鉄の刃へと振り下ろした。

 金属が上げる悲鳴を、初めて聞いた。鼓膜より深いところを貫く音だ。

 鋭利な刃は、罅割れて、刃毀れする。

 錆びずに老いたような有り様だ。

 その無残さに、白イルカの大刀自は満足そうな頷きを見せた。こんな美しいものを壊させて、なにを満足しているんだ。これは本当にこの世にふたつとないものだったのに。

「見事に贖いは遂げられた。償いは終わった。オーロラ事変に関して心当たりがあるとは、まことか」

「わたしたちは、その原因を討伐しに参りました」

「問い質したいが、帯びたる傷を剥がすが喫緊であろうな」

 粛々と語りながら、オンブルさんへと視線を動かす。

「羽白に連なるものよ、海の血を宿すものよ。異郷の獣らを、そなたらの氏族に委ねよう」

 白イルカからひと啼きが響く。

 それを合図に、ライカンスロープ術者たちが散っていく。木陰へ、岩陰へ、水底へ。

 沼ヒノキの森は静寂に包まれ、人間の姿をしたものばかりになった。クワルツくんも獣化を解いている。

 オーロラは消え、雪もどきはいつの間にか終わっていた。

 何事も無かったみたいだ。

 いいや、先生のクリス・ダガーは砕かれてしまった。

 破片になった隕鉄は、白夜を映している。

「ミヌレ、惜しまずともいい。これで二度と、【破魂】を作れない」

「………それは喜ばしいです」

 項垂れたまま答えるわたしを、先生は労わるように撫でてくれた。指で髪を梳き、耳朶を撫で、頬に触れてくれる。

 甘やかすような手つきに、視線だけ上げる。

 先生の表情は憂いを帯びていたのに、どこか晴れやかだった。


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