表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
359/502

第三十話(中編)極光白夜に獣は吼ゆる



 エーテリック領域との時空断層が生じて、膨大な精霊が噴き出す。

 魔術の天敵、いや、大災害である精霊の大進軍(オーロラ)と呼ばれる現象。

 魔術が使えないのに、空気中のエーテル濃度が急激に上昇していく。まずい。下手に呼吸したら、肺腑がエーテルに焼かれる。

 わたしは再生能力が高いし、先生は先祖返りしているから平気だけど、マリヌちゃんたちが危険だ。

 魔導航空艇が揺れ動き、床が斜めになった。

 踏ん張ろうと四つ足になり、一瞬だけ【胡蝶】を解除。両腕を伸ばして、マリヌちゃんを抱き締める。

「クワルツくんも早く!」

「駄目だ! このままだと湖に突っ込んで、機関部が爆発する!」

 未来視の眼を眇め、叫ぶ。

 火属性動力による水蒸気爆発か?

 それとも循環用弱水が、湖に混ざって噴出したんか?

 クワルツくんは荒れる船体を跳ね跳ぶ。踏ん張り利かすため、くるぶしから下だけ魔狼化させ跳ねた。

 側部に付いている係留綱を掴む。鋼で編まれた太い綱を振り回し、針葉樹へ投げつけた。鋼の係留綱が、針葉樹の幹へと巻き付く。

 べきべきって針葉樹がへし折れていった。

「うわっ!」

 さらに大きく傾く魔導航空艇。減速したけどバランス崩壊したぞ!

 魔術さえ使えれば、わたしの【防壁】で魔導航空艇を止められるのに!

 咄嗟に手すりに摑まり、身動きせず【胡蝶】を展開させた。幾千億万の蝶々の羽ばたきを纏う。

 【胡蝶】は時魔術の結界だ。

 北極近くでも展開ができている。

 衝撃がいくつもくるけど、【胡蝶】の守りは完璧だ。この荒れ狂った魔導航空艇で、わたしが身動きしなきゃな。

 先生も壁面にしがみついて、動けないレベルだぞ。

 一角獣の下肢でも、もうすっ飛ばされそう。

 限界だ。そう思った瞬間、魔導航空艇の勢いが止まった。

 【胡蝶】が霧散した。

 ということは、もう魔導航空艇は完全に停止して、エーテルによる危険もないってことかしら。空の上と違って、地表まではエーテルが濃くならなかったみたい。

 次にわたしを包み込んでくるのは、噎せるほどの濃緑の芳香だ。何本もの針葉樹を倒しちゃったから、木の精気が香気になって立ち上っている。生命力に溢れた香りだ。

 前方には大きな湖、ギリギリで止まってくれたな。

 クワルツくんは地べたに倒れ、病的に息切れをしている。

 高濃度のエーテルをいきなり吸ったもんだから、肺腑が焼かれたんだ。例えるならアルコールで酩酊している状態で、深海にいきなり沈んだダメージに近い。

 息切れしているクワルツくんを、マリヌちゃんは助け起こす。

 わたしは人工呼吸を施した。

 先生が背後で長い舌打ちしているけど無視だ。人命救助に嫉妬するのは、幼稚だな。

「大丈夫ですか、ミヌレさま」

 モリオンくんが水を持ってきてくれる。それから飴色の薬鞄も。

「わたしとマリヌちゃんは【胡蝶】で防御できてます。クワルツくんをお願い」

 モリオンくんは頷いて、薬鞄から吸引器を出して、クワルツくんへ差し出す。

 管付きの香水瓶みたいに見えるけど、肺に薬を入れるための医療器具だ。喘息とかに使う。

「クワルツ。エーテル中和錬金薬を肺へ吸入させる。口内で怪我してないか? 無ければ息を吐いて。吸うときに薬を噴出する。5秒かけて吸って、10秒息を止めて」

 モリオンくんはてきぱきと処置していく。

 熟練の錬金薬剤師の手際だった。

「モリオンくんは平気なの?」

「ご心配には及びません、ミヌレさま。ボクは第三人類(レムリア)第四人類(アトランティス)のハーフですからね。エーテル濃度が濃いのは歓迎です。むしろ普段の空気より調子がいいくらいですよ」

 太古はエーテル濃度が高かったものな。

 先生も平然としている。

 エーテル順応性が特出している親子はいいとして、現生人類であるクワルツくんの呼吸器系には、ダメージが入っている。人工呼吸と錬金薬で症状は緩和したみたい。

「しかし惨憺たる有り様ですね」

 モリオンくんが視線を後方へ投げる。

 慣性の法則の逆らった代償として、針葉樹が十数本も倒れてしまっている。オプシディエンヌや現地の人たち見つからないよう、こっそり入国したかったのに。

 予定としてはオンブルさんちに転移絨毯を設置させてもらって、魔導航空艇を連盟加盟地へ移動させるつもりだったけど、ここまで航空艇が損傷しているとご破算だ。

 爆発するよりマシか。

 魔導航空艇からスティビンヌ猊下が飛び出してくる。

「無事だったさね?」

 スティビンヌ猊下はわたしと先生の様子だけを確かめて、ほっとしている。これは鎮護魔術師の安否を確認しにきただけだな。

「『未来視の狼』、助かったさね。冷却用の弱水が漏れてるから、湖に落ちたら噴水状態だったさ」

 心配はしていないが、感謝している。

「あと面白いことが観察できたさね! オーロラで精霊が降ってきた時、魔力の安全弁が閉まっているところは、損傷率三割だったさよ。常時可動部の損傷は七割なのに! 魔導銃みたいに安全弁を付ければ、保護できるかもしれないさ」  

「それでも常時動力の魔導航空艇は使えんだろう」

 先生が魔導談議に乗り出した。

「常時タイプは使えないさね。でも魔導銃みたいな、対抗式の魔導技術なら北極でも使えるかもしれないさね!」 

「スティビンヌ猊下。喜ばしい話ですけど、今はそれどころじゃ………」

 早くこの場所から、魔導航空艇を移動させないと。

 視界に白いものが過る。

 ひらひらと舞う白い小さな輝きたち。

 雪?

 夏の盛りなのに、カルトン共和国では雪が降るの? それとも風のせいで、北極域から流れてきたのかしら?

 オーロラが棚引く白夜から、無限に雪が舞う。

 絶えず変わる光を浴びながらも純白を保ち、針葉樹へ、大地へ、雪は降りた。濃緑の森が、純白に粧われていく。

 幻想的だけど、オーロラの次は吹雪なんて踏んだり蹴ったりじゃないか。

 これじゃまるで北極大陸だ。

「もとから不全呪文用の安全弁だから、暴発抵抗があるのか」

「そうさね! 不発に対してはまだ対応できないけど、暴発なら防げるさ」

 まだ魔導談義を続けている。

「おふたりとも! そんな場合じゃありませんよ。雪だって吹雪いてきたんですから」

 そう叫ぶ間にも、雪が強くなってくる。

 わたしは完全一角獣化すれば、耐寒性は強くなるし、ホワイトアウトしても方向を掴めるから、それほど危機感は無い。

 でも他のひとたちは、危険だ。

 なのにスティビンヌ猊下はきょとんとしていた。硝子の双眸で、白い空へ焦点を合わせる。

「雪? ………って雪なんて降ってるさね?」

「予知か?」

 スティビンヌ猊下もオニクス先生も、不思議そうに空を見上げていた。

 こんなに吹雪いているのに!

 クワルツくんへ視線を移せば、彼まで首を傾げていた。

「吾輩の網膜にも、雪なぞ映らんぞ」

 未来視と遠視の瞳にも映らない?

 じゃあ、わたしたちへ吹雪いているこの白い小さな結晶は、霊視でしか掴めない不可視物質か? 

 手のひらにひとひら、白い結晶が舞い降りる。

 違う! 六花結晶じゃない!

 蛆みたいなものが、ぴくぴくと蠢動している。

 視界から霊視モードを解除して、物理レイヤーだけにする。

 見えなくなった。

「不可視物質が周囲に充満しています!」

「オーロラの余波か?」

「鉱石望遠鏡で三点観測するさね!」

 スティビンヌ猊下が良い笑顔で、観測器を取りに魔導航空艇の中に走る。

 危機感というものが無いのか!

 オプシディエンヌが元凶だったら、どうするんだ!

 いや、でも命にかかわることだったら、【胡蝶】が反応しているはずだよね。これは観測されたことがないオーロラの余波か?

「………ぅ」

 苦しそうな呻きが、耳に届く。マリヌちゃんからだった。

 霊視を移す。

 雪もどきがマリヌちゃんの腕に入り込んでいた。それは春先の雪が解けるみたいに静かに吸い込まれていったけど、六花のような美しいものじゃない。

 蛆めいた何かだ。それも何匹も。

「マリヌちゃん、服を脱いで! 利き腕に何か潜り込みました」

 言葉が終わるより早く、マリヌちゃんは刺繍の上着を脱ぎ、シャツをめくり上げる。

 薄い雪膚の下に、何かびくびくと鼓動していた。

「ミヌレ! 切るから回復お願い!」

 マリヌちゃんは逆手でレイピアを抜き放って、脈打つ皮膚を切り裂く。

 雪もどきは弾けたけど、肉がむき出しになり、血が溢れた。生々しい傷口へ、反射的に口づける。

 わたしのキスには魔法が宿っている。

 病気でも怪我でも呪いでも、癒すことが出来る。

 なのに、いつまでも生臭く鉄臭い。

「治りが悪い……っ」

 わたしの呻きに、モリオンくんが傷口を覗き込む。

「ミヌレさまの治癒で癒せない? オーロラが干渉しているのでしょうか?」

「ふむ。テュルクワーズ猊下に診せた方がいいな。ミヌレくんは、転移絨毯を設置し直して………」

 クワルツくんが途中だった言葉を切り、呼吸を整えた。

 表情も姿勢も変えてないけど、空気だけが変わる。これは彼の臨戦態勢だ。

「何か、来る」

 沼ヒノキと白樺の森は静かなまま。

 風のそよぎ、鳥の声、そんなものがひとつもなく、不可視物質の雪もどきが深々と吹いていた。

 倒れた針葉樹から、唐突にウサギが飛び出す。

 野兎かと思ったけど、これ、北極ウサギだ。

 白樺の木立からは、麝香ウシがのっそりと歩いてきた。黒褐色の深い毛に覆われた巨体を揺らし、角を向けてくる。

 麝香ウシって淡水湿原にいる動物だった気がするけど、どうしてこんな森に?

 ひょっとしてオプシディエンヌの使い魔(ファミリア)か?

 すかさず霊視モードに切り換える。

 使い魔(ファミリア)じゃない。

「ライカンスロープです」

 麝香ウシだけじゃない。北極ウサギもライカンスロープだ。

 大きな岩場に白フクロウと象牙カモメが止まり、北極キツネが飛び出した。

 凪いでいた湖が波紋して、竪琴アザラシたちが岸に這い上がる。遠巻きにこちらを見つめていた。

 湖から現れたのは竪琴アザラシだけじゃない。大きく波を立てて、真っ白い巨体が飛び出してきた。

 白イルカだ。

 純白の姿をくねらせて、水面に顔と尾びれを出す。

「ミヌレ、まさかすべてライカンスロープ術者か?」

「はい」

 数えきれないほどのライカンスロープ術者たちは、わたしたちを円形に取り囲んで、距離を保ちつつ視点を定めている。警戒されているな。

「オプシディエンヌの配下か、それとも先生に報復するご一行さまかしら?」

「可能性は高いな。だがこれはおそらく海の民だ。集会でもしていたのか? あるいは海の民が、オプシディエンヌに支配されたか。どちらにせよ一掃するのは容易いぞ」

「一掃しないで下さい」

 ライカンスロープしている同士は、言語が通じる。

 異言語でも通じるのかな?

 わたしは上着を脱いで、自分の輪郭を変貌させる。半獣の姿から、完全なる一角獣へ。

「お騒がせして申し訳ありません。賢者連盟のミヌレと申します。事故によりこのような着地をせざるを得ませんでした」

 挨拶に対して、白イルカが歌う。

 高く高く、人類の可聴域さえ越えて高らかに歌う。

 人間の耳には途切れ途切れの歌にしか聞こえないけど、ライカンスロープしているわたしには言語として届けられた。

「守護獣が一角獣とは、初めてお目にかかった。一角獣に守られし娘」 

 白イルカから発された声は、女性的で穏やかだった。

 よかった、言葉が通じる。

 敵対しなくてすみそうだ。あとはきちんとお詫びしなくちゃ。禍根は残さないようにしないと。

「獣の加護を宿しながら、穢れた息を吐く娘よ。オーロラの異変はそなたらが原因か」

 穏やかなまま声に威圧が増した。

 嫌な感覚に冷や汗が噴く。

「わたしたちは………」

「いや、そなたらがオーロラ事変の原因であろうとなかろうと、関係あるまい。一角獣に守られた娘と、蛇に呪われた男よ。悍ましき罪を腹に抱え、我らの地に踏み入ったこと万死に値する」

 穏やかな声に籠っていた嫌悪と不快感は、瀝青にも似ている。わたしの肌に粘りながら、張り付いてきた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ