第二十九話(後編)航空サロンでおしゃべりを
冷たく乾ききった沈黙の中に、ノックがひび割れみたいに響いた。返事も待たずにドアが開く。入ってきたのは、オニクス先生だった。
静まる室内。
生徒用談話室に、教師が不意打ち入室したみたいな空気だな。
「噂をすれば影ですね」
モリオンくんが一瞥して呟く。
蜘蛛の愛人だった先生は、隻眼を眇めた。
「私の悪口で盛り上がっていたのか?」
「さあ、どぉでしょうねぇ。ああ、御覧の通りあなたの座る席はありませんよ」
「ではわたしが先生のおひざに座れば、解決ですね」
「椅子を詰めて場所を作ります」
モリオンくんがすかさず動いた。
「いや、立ったままでいい。用件だけ伝える」
言いながら、隻眼はクワルツくんへと移動した。
「怪盗。【書翰】用の羽根は手に入ったのか?」
「無論」
胸を張るクワルツくん。
「先生が盗んでくるように頼んだんですか? なら、あの絵画も?」
「否。あの絵画は、吾輩の犯罪哲学と怪盗倫理に適うものだったのだ」
歴史画の方は趣味ということね。
でもグリフォンの羽根は、素材として盗んできたのか。
【書翰】は獣属性の魔術。簡易的な手紙でもあり、羽根を追跡して相手の居場所を突き止めることも可能だ。風の魔法を宿した羽根が必要なんだけど、一回使ったら消えるから、コスパ最悪。
貴重な羽根を使い捨てだもの。
ボス戦前だから、貴重アイテムもどんどん使うべきだけどさ。
「これが指定のものだろう」
クワルツくんが持ってきた箱を、片手で開く。
緞子の内張りに並んでいる羽根は、白と黒、それからスカーレットやビビットヴァイオレットやビリジアン、アイリスブルーにターコイズブルーといったド派手な極彩色だった。いえもう、極楽色と形容したくなる色彩たち。
羽根の形をした宝石みたい。
「南方島嶼グリフォンの羽根ですね!」
エクラン王国のグリフォンは鷹みたいで地味な褐色や焦げ茶だけど、南方島嶼国のグリフォンは孔雀や鸚鵡ほども華やかだ。
「収集家を探して盗むより、南方でグリフォンを狩った方が早かったがな」
「クワルツくん。南方島嶼国のグリフォンは、狩猟禁止ですよ。国際幻獣環境保全条約があるので」
南方に棲む極彩色のグリフォンは、固有種で貴重だもの。
しかも島嶼化して、密猟者が狩りやすくなっている。
「これなら緊急時でも、宛先を咄嗟に判別できるだろう。ミヌレが白、私が黒で、あとは勝手に決めるといい」
「吾輩、黒がいい!」
クワルツくんが力いっぱい挙手した。
「何色でも構わんだろう」
「色分けするのは理に適っている。だが! 夜陰を駆ける爪とは吾輩のこと。羽根とて漆黒が相応しいのではないか? 何色でも構わんというなら、吾輩は黒がいいぞ!」
強硬に主張するクワルツくんの後ろで、モリオンくんが箱を漁りだす。
「クワルツ、葡萄色がある」
「ふむ? 葡萄色も悪くないな」
クワルツくんは紫の羽根をひらひらさせる。マリヌちゃんはアイリスブルーを選ぶ。モリオンくんは適当にスカーレットを手に取った。
「【書翰】を作った経験は?」
先生の問いかけに、クワルツくん以外は挙手した。
「ではその魔術基礎の無い怪盗に、誰か教えておくように。ここは手狭だからな、私は後で作る」
「賢者連盟に帰還して作った方が広くていいんじゃないですか?」
わたしの設置した転移絨毯あるから、帰還は容易い。
「機密保護のためだ。私は賢者連盟を全面的に信用していない。この呪符の件も伝えていないからな」
用心深いなあ。
だから素材の調達をクワルツくんに委ねていたのか。
「なら、先生。少なくともここにいる顔ぶれは、信用しているってことですね
「信用しないと、戦術手が狭まるから仕方ない」
突き放した物言いで、部屋を出ていってしまった。
「談話室に教師が突然来た挙句、実習課題を与えていった感じですねえ」
「吾輩はもう卒業したのに」
ティーセットを片付け、みんなで【書翰】作りに励む。
「髪の毛が媒介に必要だろう。リオは髪が短いな」
「ボクは切った髪を残してますから大丈夫ですよ。持ってこれますけど、クワルツの方がみっともない髪型になりそうですね」
「吾輩は体毛をある程度変化させられるぞ」
クワルツくんは髪を梳くように撫でて、伸ばしていく。便利だな。
媒介を揃え、採血器で魔術インクを用意する。
「血生臭い……」
四人揃って、狭い部屋で【書翰】を作るものじゃないな。
魔術インクが血液だときつい。
「でも学院の実習みたいで楽しいね」
マリヌちゃんが微笑む。
言い聞かせているわけじゃなくて、えくぼが出来て、ほんとに楽しそうだ。
「スフェール学院って、実習も充実しているんですか」
モリオンくんが興味深げに問う。
「すごく珍しい媒介も使わせてもらえるし、実習カリキュラムはトップクラスだよ」
「リオはスフェール学院へ入るか? 以前の時間軸とは違う学校に入りたいのだろう?」
「いえ、ボクはスフェール学院、というかエクラン王国の学校は対象外です」
成長するとオニクス先生と激似だからな。
未亡人のヴェールで顔を隠せる寮母さんと違って、モリオンくんは素顔で生活しなくちゃいけない。だからこそ前の時間軸では、バギエ公国に移住したのよね。
「今回の時間軸なら賢者連盟の息が掛かってる学校でも大丈夫ですから、コーフロ国立考古大学の付属高等学院を目指そうと思います。レムリア文明の通説を習って、それを正しい方へ覆しにかかろうかと」
「ふむ。エノク語が得意なら、良い進学先だな」
ふたりが自分の未来に関して喋っていると、気持ちが暖かくなってくる。
前の時間軸だと、わたしの我儘に付き合わせてしまったもの。
わたしはほんわかしているけど、横のマリヌちゃんの空気は硬かった。
「前の時間軸と違う学校か。ミヌレはスフェール学院に戻るよね?」
マリヌちゃんの顔は真剣だった。
その眼差しに、適当な返事はできない。
「………どうしましょう。わたしは中身は26歳なんですよ。それなのに十代の子たちと混ざって人間関係を形成するのって、騙している気がするんです」
学院は学ぶところだ。
だけどそれ以上に、人格形成と人脈作りの場だ。
ただ勉強するだけなら何人か家庭教師を雇えばいいのに、わざわざ学院に身を置いて学ぶのは、人間関係を培うためだ。
そういう場所で、年齢詐称は浅ましい気がする。
「ミヌレさま。ボクも中身は23歳ですよ」
「そ、それはそうだけど……」
モリオンくんは子供時代が不憫過ぎるから、二、三回どころか四、五回は幸せな子供時代やっていいと思うのよね。
他人の人生を勝手に不憫がるのは失礼だけど、生みの親がオプシディエンヌだぞ。邪淫の蜘蛛の元に生まれたんだから、そのくらい恵まれないと釣り合わない。
「ミヌレくん、隠し事や秘密は誰にでもある。吾輩とて怪盗だという真実を隠して、神学校にいたのだぞ。オンブルは知っていたがな。己の魂に関わる秘密など、打ち明ける相手は腹心の友だけでいい。そう吹聴せずともよかろう」
「そうだよ、ミヌレ。親友が知っていれば十分だよ!」
やたらマリヌちゃんが意気込んできた。
うん、相談する相手を間違えたな!
中身が23歳のモリオンくんと、神学生でありながら怪盗やってたクワルツくんと、わたしと一緒に学院で学びたいマリヌちゃんである。
そりゃ学校行くか行かないか相談したら、そういう結論になるのは火を見るよりも明らか。
そのくらい予想しておくべきだった。
「そもそも懲役中の大罪人が教師になっている学院で、年齢なんて些細な事ですよ」
モリオンくんの呟きに、クワルツくんとマリヌちゃんは大きく頷いた。




