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第二十九話(前編)航空サロンでおしゃべりを



 魔導航空艇の動力は、異形の心臓めいていた。

 鋼の車輪が組み合わさり、オリハルコン合金の吸鍔(ピストン)が引っ切り無しに上下し、噴気孔からは轟音とともに空気が排出される。巨大なパイプの中を流れる冷却循環がごぼりと呻き、騒音は幾つも重なっていた。

 北極大陸へ全速前進しているから、唸りは絶えることは無い。

 轟音の底に居続けたせいで、鼓膜の奥に振動が巣食っているみたいだ。

 鼓膜に水が入ったような不快感。

 だけど耳に入った水と違って、振動は片足ぴょんぴょんしても出て行かないんだよな。

 居心地は最悪なんだけど、先生が計器点検で動力室を回っているので、後ろをついていく。呪符や濾過機の点検作業をしている横顔は、凛々しくていつまでも眺めていられた。

「ミヌレ。戻ったらどうだ? そろそろきみの友人たちが訪れる時刻だろう」

「え、ええ」

 現在、魔導航空艇に乗船しているのは三名。

 責任者のスティビンヌ猊下と、可動MAP兵器のオニクス先生と、転移用絨毯を設置できるわたしだけでいい。クワルツくんたちは、到着したら転移絨毯で呼ぶ。

 そういう予定を組んでいたけど、結局、毎日みんな引っ切り無しに訪れるのよね。

 わたしは小部屋に行き、転移用絨毯を組んで敷く。

 まずモリオンくんがやってきた。

 手にはピクニックバスケット。

「ごきげんよう、ミヌレさま。ママンがプチ・シュークリーム(プロフィトロール)とフロランタンを焼いてくれましたよ。あとベニエですが、これは甘くないタイプで、アスパラガス入りのと白身魚入りの二種です」 

 モリオンくんはすっかりおやつ定期便だ。

 寮母さんの趣味はお菓子作りだから、良いリハビリになっているのかな。

「日に日にお菓子の量が増えているわね。元気になっている証かしら?」

「ええもう、前の時間軸より順調な回復です。だからお小言もたっぷりですよ。子供なんだから危険な事しなくていいとか、礼儀作法と勉強はどこまで身に着けているかとか、良い友達を作っておくようにとか。特に口うるさいのは進路です。色んな学校の話を聞かされたりしますね」

 モリオンくんは瞳を輝かせ、頬を緩ませて話す。

 誰かにとっては地獄であっても、誰かにとっては楽園になりうる。

 寮母さんはお説教が長い。本当にうんざりするほど長い。でもモリオンくんにとっては、小言さえ嬉しいのかもしれない。そもそもモリオンくんは勉強も礼節も完璧なので、小言内容が負担ではないしな。

 交友関係にまで口を挟む母親って、わたしは願い下げだけど。

「お菓子を頂きましょうか」

 わたしは腕輪を錫杖化した。

「召喚!」

 錫杖を鳴らして、家具を召喚する。

 わたしの魔法空間からソファや安楽椅子を招いた。殺風景な部屋に、そろいの調度品。

「貴族が使わなくなった家具を、女中や家政婦用の居間に押し込んだみたいね」

「壁がよそよそしいですからね。明るい色の壁紙を張れば、狭くても格好がつくのに。そうすればミヌレさまのサロンらしくなります」

 なんとも大仰なことを言う。

 本当にこの狭い一室が貴族のサロンのように、モリオンくんがお茶の支度をしてくれた。

 大きなバスケットから茶道具を出し、ピクニックケトルでお湯を沸かしてくれる。

 茶葉に沸かした湯を注げば、ふわっと芳香が広がった。強い香りだけど、格調高くてさっぱりとしている。この香りは寮母さんがブレンドしたハーブティーね。

「寮母さんのベニエって、冷めても美味しいんですよね」

「また頼んできます。ベニエの中身でいちばんお好きなものって何でしょう」

「人魚の皮つき背脂かしら」

 喋らずの島でご馳走になったベニエだ。胡麻風味の生地に、皮つき背脂を包んだベニエは絶品だったな。

「ミヌレさまがお望みでしたら、カラフェ湖か喋らずの島まで仕入れに参ります」

 本気で行きそうな勢いだな。

「人魚だったら、この近くにもいそうな気がするけど」

 現在、魔導航空艇は海上を飛行中だ。

 人魚はどの海域にもいる。

「近くにいるでしょうけど、人魚を獲ってるの北方沿岸諸国の人間に知られたら、どこにも協力を取り付けられませんよ」

「ああ、人魚の人権運動! その話、どうなったか知ってる?」

「人権とまではいきませんが、保護法は二年前に可決されたんですよ。今から十年後ですね」

 結局、保護するのか。

 人間を容赦なく食べようとする魔獣を保護するの、釈然としないな。

 ベニエを頬張っていると、転移絨毯がふわっと動いた。

 次に訪れたのは、マリヌちゃん。

「ミヌレ、エクラン王国内での異変は無し」

 貴族的に華やいだ衣装だ。いつもより豪奢な刺繍が施されている。

「綺麗な刺繍ですね。参内なさったのですか?」

「女王陛下の軍議に参加させて頂いたよ。もちろん小姓役で、発言が許されているわけじゃないけどね」 

 軍議中のお茶淹れ係だ。

 雑用ではあるけど、交わされている内容は超一級の国家機密だから、信認篤い若手にしかやらせない。マリヌちゃんの年齢でそれをやらせてもらえるのは、破格の恩寵と言ってもいい。

「陛下は国外の聖騎士と国内の騎士団を指揮なさっているけど、オプシディエンヌの足跡さえ確認できない。北極が正解だと陛下も思われているようだね。オプシディエンヌの目がどこについているか分からない以上、今まで通りに捜索を続けるとのお言葉だ」

「無為の捜索などして、陛下のお名前に傷がつかないでしょうか」

「オプシディエンヌのアジトは押さえているから、成果は上がっているよ」

 マリヌちゃんがえくぼを作る。

 この表情は嘘じゃないな。

 フロランタンを齧っていると、転移用絨毯がもそっと動いた。

 クワルツくんだ。

 いつもの怪盗姿で、平べったい包みを抱えている。

「ミヌレくん! 絵画を盗んできた。殺風景だから丁度いいだろう」

 でかい絵画を突き付けられた。

 なんともロマンティックで華やかな絵画だ。神殿の大階段に、赤毛の美女が腰かけている。薔薇と菫の雨が降り、柘榴と葡萄が銀の器に溢れんばかりに盛られていた。その傍らには冥府犬ケルベロス。

 アトランティス時代を描いた歴史画だな。

 柔らかな色調でありつつ、明暗のコントラストが高い色使い。しかも服飾の襞まで精緻に描かれていて、わたしの好みだ。見惚れてしまったけど、そういう場合ではない。

「絵画を盗んでいたんですか」

「ふむ? この絵はお気に召さんか?」

「ミヌレさまのサロンには相応しい画風と題材なのに」

「そうだね。ミヌレのサロンには、こういう雰囲気の歴史画がぴったりだよ」

 友人たちが口々に言うけど、論点はそこじゃない。

「ミヌレくん。グリフォンの羽根のコレクションもあるぞ。これはグリフォン密猟団から盗み果せた」

「いえ、それより魔術騎士団と一緒にオプシディエンヌの調査って聞いていましたが、どうして怪盗仕事やってるんですか?」

「ミヌレくん、怪盗は仕事ではない。生き様であり、信念であり、美学であり、そして哲学である」

 腕組みしながら堂々を言い放つ。

 いやそういう話ではないんですが。

 怪盗なんて単独行動して、オプシディエンヌに目を付けられたら危険だ。ただでさえオンブルさんという理性が居ないのに。

「ミヌレ、クワルトス氏が大々的に怪盗やってくれるから、世間の話題も事欠かなくていいよ」

 マリヌちゃんが微笑みを装った。

 内心を読み取らせまいという意思が、薄氷めいて表情に張られている。それでも苦悩が隠しきれていなかった。苦悩の源は、クワルツくんじゃない。世間だ。

「まあ………確かにゴシップを引き受けて頂けるなら、大変ありがたいお話です」

 ゴシップ担当は要る。

 伯爵家は領地の処女雪と同じく清廉潔白、正々堂々。ゴシップとは縁遠い位置にいる。

 だけど問題はプラティーヌ殿下だ。

 降嫁したばかりなのに、臨月に入ってしまっているのだ。

 世間には口さがない連中がいくらでもいる。社交界でどんな疑惑が交わされているか、そして場末でどんな猥雑な噂を口にしているか知りたくもないが、酒の肴には打って付けなのだろう。ヴィンテージワインだろうが、気の抜けたエールだろうが、噂は肴になる。

 夜ごとの怪盗騒動が、そいつらの興味を引き付けてくれているなら、マリヌちゃんにとってこれほどありがたいことはない。

「クワルトス氏、宮中でマダム・ペルルにお会いしました。ヴェルメイユ陛下の宮中は古風で堅苦しいと、高笑いしておられましたよ。大変ご健勝です」

「千金の知らせだな」

 曾祖母の健在に、クワルツくんが上機嫌に笑う。

「マダムからの預かり物です。お渡しするように仰せつかりました」

 マリヌちゃんがベルベットの丸い小箱を出す。

 宝飾入れみたいね。腕輪か首飾りが入っていそうな形。

 でもクワルツくんに宝飾を贈ってどうするのかしら? 生前贈与にしたって、贈られるより盗む方が楽しいタイプだもの。

 クワルツくんが珍しく神妙な顔をしている。指先でそっと丸い小箱を開いた。

 中に入っていたのは、銀無垢のソムリエ・カップ(タートヴァン)だ。

「曾祖父の遺品だ。献酌侍従長していた」

 ああ、貴族の次男三男が任じられる役職か。

 王へワインを注ぐ侍従。その長官ともなれば、どの農園のワインを王に献じるか選ぶため、最もワインに詳しい人物が選ばれる。そして毒殺しやすい立場であるため、最も信頼できる人物が任命される。

 その献酌侍従長が使っていたソムリエ・カップ(タートヴァン)は、蔦模様の装飾がされ、持ち手の部分には葡萄模様が打ち出されている。

 霜に覆われた葡萄を、魔法で銀食器に変えてしまったみたい。なんて瑞々しい細工なんだろう。資格の無い人間が触れたら、たちまち魔法が解けてしまいそうな儚さと高貴さがある。

「曾祖父の所持していたソムリエ・カップ(タートヴァン)の中で、いちばん古くて、綺麗なものだ。吾輩が子供の頃に欲しいといったら、一人前になったらとマダムに言われたものだ」

「ではマダムは、クワルツくんを一人前だってお認めなのですね」

「ひょっとしたらそんなこと忘れてしまって、最後の餞別のつもりかもしれんがな。吾輩が共和国の土を踏むならば、完全な縁切りも已む無しだろう」

「マダムはそこまで共和制をお嫌いですか?」

 共和国の領土を踏むだけで、曾孫の縁を切るなんて。

 身分と伝統を重んじるエクラン王国の民なら、共和制は懐疑的だろう。

 マダムは王女ではないけど、王のご息女だものな。懐疑的通り越して嫌悪してもおかしくない。でも曾孫の縁切りはおかしい。

「共和国は思想犯の吹き溜まりだぞ」 

 その吹き溜まりから来たのが、クワルツくんの親友なんですけど?

 親友の故郷に対する暴言が凄いな。

 わたし、貴族制が嫌いになっても、それがマリヌちゃんの美徳や責任感を培ったものである以上、悪しざまには言えない。

 クワルツくんは王家の血を引いているので、わたしとは事情が違うって分かっているけど。

「貴族がカルトン共和国に入国したら、火あぶりになったりしないかな」

 室内はお茶の優しい香りに満ちているけど、マリヌちゃんの瞳が揺らいでいる。

 たぶん本気で火あぶりを不安がっているわけじゃない。

 名門貴族のご令嬢が共和国に足を踏み入れるって、なかなかない事態だものね。そういう政治形態や価値観が違う場所で、どう貴族として恥じない立ち居振る舞いができるか、気にしているんだろう。

「ハッハッハッ、大丈夫だろう。今は夏だ。貴族を火あぶりにするのは、冬の祭りだからな」

 クワルツくんがプチ・シュー(プロフィトロール)片手に、朗らかに言う。

「何故、不安を煽る?」

「火あぶりって本当かい?」

「マリヌちゃん。案山子ですよ。王冠を被せた案山子を燃やすんですよ」

 カルトン共和国では案山子を王さまとお妃さまに扮装させて、大きな篝火で燃やすお祭りがある。篝火の周りで踊りながら、夜を明かすらしい。

 身分制撤廃という主義主張は理解の範疇だけど、それを案山子の火あぶりで表現するのは好きじゃないな。

 身分制を貶すんじゃなくて、民主主義の良さで語れないものか。

 嫌いなものを嫌いって主張するのも大事だけど、嫌いなものを踏みつけるお祭りって釈然としない。

 まあ、王さま案山子を燃やすのが、象徴的に理解しやすいんだろうな。

「案山子に王冠をつけて、火あぶりの刑に処してるのか」

 本気で嫌そうだった。

 マリヌちゃんの家は、王家に忠誠を誓って何百年という貴族だ。敬意を払っている対象を模して、燃やされれば当然ね。

 猫が好きな人間が、人形とはいえ猫を燃やすお祭りなんて聞かされたら、拒否感出るでしょう。

「伯爵令嬢、案山子の火あぶりなら可愛らしいですよ。レムリアの魔女の住処に踏み込もうとするなら、もっと悍ましい儀式を目にするかもしれません」

 モリオンくんはお茶を味わいつつ語る。口調は冗談めいていたけど、黒水晶の瞳は真剣だった。

 真の目的地は、共和国なんて比にならないほどの絶界。

 邪淫の蜘蛛が住まう地だもの。

「レムリア時代のように、愚王の祀りが行われていても不思議じゃありませんからね」 

「悍ましい祭祀なのか」

 マリヌちゃんは恐る恐る問う。

「愚王の祀りは、魔女のティータイムですよ。あの魔女は愛したものを王に据え、惜しみなく慈しみ、そして生贄台へと上げる。己が王の心臓を喰らうために」

 モリオンくんは語りながらプチ・シュー(プロフィトロール)を抓み、口へと運ぶ。

 その仕草は上品なのに、指先に抓まれた小さな菓子は、乾いた心臓のように見えた。


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