表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
353/512

第二十七話(後編) 北極大陸へ舵を取れ


 レトン監督生は実家で静養しているかと思いきや、もうスフィール学院に戻っていた。

 わたしたちは学院長に許可を取り、監督生室に案内される。

 監督生たちのための居間だ。魔術書が書棚だけじゃなくて飾り棚にまで置かれ、暖炉には花が飾られている。そして肘掛け椅子にはレトン監督生が腰を下ろしていた。

 礼儀正しく立ち上がり、頭を下げる。

「足を運んで頂きありがとうございます」

 ずいぶんと回復したみたい。

 相変わらず蒲柳で、風が吹けばそのまま吹き飛ばされてしまいそうな雰囲気だけど、顔色は悪くない。きちんと襟元を正して、ローブを纏っている。

「お元気そうで良かったです」

 にょきっと生えたわたしに対して、真鍮の瞳が丸くなる。

「ミヌレ一年生……【幽体離脱】しているのか」

「はい。肉体は月に置きっぱなしです」

 レトン監督生は元気だけど、先生はどういうわけか不服げな顔をしている。

 視線の先には暖炉の花。薔薇だの百合だの香しい花が、ざっくりと花瓶に生けられている。

「きみはこういう匂いの強い花は苦手だろう。何故、飾ってある?」

「実はさっき伯母たちがお見舞いに………」

 レトン監督生が言うや否や、先生は暖炉に飾ってある花たちを鷲掴みにする。

 窓へ足早に近づき、硝子窓を開ける。

 まさか窓から投げ捨てる気か?

「先生、お見舞いを無下にしたら駄目ですよ」

 わたしが耳元で喚く。

 思いっきりがなり立てたので、先生は窓ではなく扉に行って、廊下に捨てた。あとで回収するのかな。

「何を考えていらっしゃるんですか」

「穏便に済ませようと思っただけだ。生徒番号010と血が繋がっているだけの老嬢どもへ、ネズミの死骸と一緒に送り返せばよかったかな?」

 老嬢って結婚もしてなくて、愛人も抱えていない女性への蔑称だ。

 悪しざまな言い方に、レトン監督生は困っているようだけど反論はしなかった。たぶんほんとに面倒な親戚なんだろう。

「生徒番号010。あの老嬢ども、他に余計なものを押し付けてこなかっただろうな」

「実はリキュール入りショコラも……」

「きみはただでさえショコラを食べると頭痛がするのに、リキュール入り?」

 先生は素早く没収した。

 レトン監督生はベニエも受け付けないし、ショコラは頭痛がする。アルコールなんてもってのほかだ。

 ただのショコラだったらエランちゃんが食べるでしょうけど、リキュール入りは無理ね。

「もしかしてレトン監督生って、親戚に暗殺されかかってます?」

「伯母さまたちは完全に善意で贈ってきているんだよ」

「私もそれに関しては認める」

 花とショコラが手土産の定番とはいえ、思慮マイナス値な善意って、悪意以下だよ。

 善良な奴隷制肯定派並みに、存在しちゃいけない生命体だよ。

「厄介極まりない見舞客が来るなら、実家で安静していた方がよかったのではないか? 無理すると後々に響くぞ。取り換えの利かん人間に無理をさせたくない」

「心配して頂いた方にこう申し上げるのは失礼ですが、取り換えが利く人間なんてどこにもいません」

 レトン監督生が穏やかに反論する。

 その物言いに、先生は嬉しそうに口許を綻ばせた。

「気丈さは衰えていないようだな」

「ええ、ご心配には及びません。月で手厚い処置を受けましたし、看護師も付いています。監督生としての雑務は学年長にお願いして、分担してもらっています。僕が受けているのは、生徒間の難しい問題だけですよ」

 さらりと言ってくれる。

 卒論発表会が間近なのに、学年長それぞれに見合った雑務を割り振って、一般生徒の悩みの相談や、起こした問題の後始末してるの。病み上がりがしていい仕事じゃない。 

 レトン監督生は采配が上手だろうけど、座学や実技より擦り減るぞ。

「きみは気苦労が趣味か?」

「監督生の役割は望んでやっているんですよ。先生の反対を押し切って監督生になったんです。全うするのを見届けて下さい」

 オニクス先生って、レトン監督生が役につくの反対していたんだ。

 そういえば手術に関わったものね。体力的に激務を負わせるべきではないと思ったのかしら。

「強いな。魔女に侵蝕され、容易く日常に戻れるとは、きみの精神力は賞賛に値する」

 白皙が翳る。

「申し訳ありません」

「なんだ? きみが謝罪する理由が無い」

「魔女の【魅了】にかかったことです」

「まさか気に病んでいるのか? あれは私さえ降す魔女だ。【魅了】に抵抗できただけでも素晴らしい」

「いえ、物理的に抵抗する機会はありました」

「それがなんだ? 抵抗の機会はおろか、寝首を掻く好機でも、きみは暴力に踏み切れない。それはきみの弱さでも優しさでもなく、ただそういう脳の構造をしているだけだ。平和な法治国家で生きるに最適の脳構造だ」

 これは先生なりに慰めているのだろう。

「勇敢な兵士が死屍累々に失神することもあり、強者に対して弓絞れても難民に対して刃を振り下ろせない兵士もいる。抵抗の好機に対して実力行使できなかったとしても、それはきみが軟弱だということでも愚かだということでもない。きみは最初に出会った時から物怖じしない、賢い子だった。そのきみが何も出来なかったなら、もはや最善は尽くされたのだ」 

「そう、でしょうか」

 そして幸いなことに、レトン監督生も慰められている。

 言い方にも表情にも単語にも優しさなんて無いのに、レトン監督生の血色は良くなっていた。もしかすると意外に相性がいいのかもしれない。

 じっと見ていたら、レトン監督生はわたしの視線に気づいたのか、気恥ずかしそうに俯いた。

「僕に用件があるのでしょう。貴重なおふたりのお時間を、僕の慰めのために拝借できません」

「きみは慰める価値がある男だよ。だが慰撫がきみの負担になるというなら、単刀直入に問おう。前の時間軸のことが聞きたい。覚えていたら教えてほしいのだが」

「何なりと、と申し上げたいのですが、断片的にしか記憶にありません。それにだんだん希薄になっていってます」

「生徒番号220が北極へ渡った手段は、まだ記憶にあるか」

「ありますが………まさか北極へ? 四属と【幽体離脱】が使えない禁域ですよ」

「その程度の禁域に臆することはない。魔女との決着をつけるためならば、北極だろうが金星だろうが、否、たとえ永遠の陽射しの頂だろうと事象の地平面だろうと、私は赴かねばならんのだ」

 戯曲的な物言いだけど、先生の言葉には覚悟があった。

 オプシディエンヌがいるなら、本当に事象の地平面にまで行きそうじゃないか。

「朧げでよろしければお話致します」

 レトン監督生はやや躊躇いがちに口を開いた。





「連盟の耐氷船で北極大陸へ赴き、犬ぞりで移動したらしい」

「耐氷船……」

 スティビンヌ猊下が小さく呟く。

 氷にぶつかっても耐えきれる鋼で船殻を保護し、耐摩耗の高い特殊な塗料を使用する。船内の水が凍らないように、凍結防止のシステムを組み込んでいる。それが耐氷船だ。北方沿岸諸国の海軍は当然持ってるし、貿易系財閥も所有しているのかな。

 ちなみに賢者連盟は所有していない。

「連盟が耐氷船を所有するなんて、何年後の話さね」

「十年後だ。造船に関しては、アスィエ商会が出資したそうだ」

 レトン監督生に話を聞きに行ったけど、その手段は未来にしかなかった。

 半分くらい予想できたこととはいえ、気落ちする。

 モリオンくんにレトン監督生から貰った花とショコラを渡すと、手早く花瓶に生けてくれた。それからお茶の支度をしてくれる。

 先生は考えに耽っている。隻眼が一瞬だけクワルツくんへと投げられた。

「犬ぞりはあるとして……」

「待て。その犬ぞりの犬は、もしや吾輩か?」

「北極域でもライカンスロープは可能だ」

 これはもう完全にクワルツくんを犬ぞりにする予定ですね。

 わたしとクワルツくんがライカンスロープして、ソリを引くのは悪くはない案かな。

「あとは耐氷船だな。魔導技師、連盟で造船計画があるのか?」

「計画申請している魔術師がいるって、小耳に挟んだことはあるさね。ブッソールの学閥の魔術師で、専攻は古精霊学。北極圏の氷床コアを採取を希望していたさ」

 古精霊学か。 

 地球の精霊進化を研究する学問だ。

 精霊はそのものは残らないけど、大地や気温や植物といったものは精霊の影響を受ける。水底の堆積物の花粉、化石植物の年輪から、古代精霊がどのような変化を経たか類推していく学問だ。

 北極大陸は精霊が受肉した地だから、氷床コアは絶好の古精霊指示物だ。古精霊学者なら採取したいだろう。

「あたしの門下じゃないから詳しくないけど、耐氷船を造船させるためにあちこちに出資を懇請中だったさね」

「まだ出資者集めの段階か……」

 先生が長ったらしい舌打ちをした。

「耐氷船を持ってるっていえば、北方沿岸諸国さねえ。あそこは連盟非加盟国ばっかりだから、協力を要請するツテもないさよ」

「強奪すればいい」 

「蛮族ですか」

 即座に突っ込んだのは、モリオンくんだった。

 手に持っているポットのお湯が、一気に冷めそうな口ぶりである。

「シャンスリエール共和国が南北に別れて、紛争中だろう。濡れ衣を被せる工作は、私の得意とするところ。連盟が汚名を着せられることもない」

「知能の高い蛮族ですね」

 モリオンくんの突っ込みはさらに凍てついていた。

 わたしへ出してくれたお茶からは、ミントやオレンジピールといったショコラに合う香りが漂っている。でもカップに口をつけたら凍傷になりそうなほど、モリオンくんから発されている空気は冷たい。

「ハッハッハッ。強奪など狂気の沙汰。吾輩が予告状を出して、華々しく盗みだせばよかろう」

「どっちが狂気だ。私たちが北極大陸に近づいていることを、オプシディエンヌに喧伝するようなものだぞ」

「強奪プラン出している蛮族に、賢愚の判断がつくんですかぁ」

 モリオンくんが煽り口調を飛ばす。

 あまり混ぜっ返させないで欲しい。

 わたしの無言と凝視に、モリオンくんが気まずそうに息を呑む。

「いえ、煽り抜きで申し上げますが、そもそもですね、クワルツの親友がカルトン共和国で兵役年齢なんですよ。紛争激化すれば、共和国だって軍備に力を入れなくちゃいけないんですし、そうしたら彼の友人だって兵役に就くことになるんです」

 モリオンくんの口ぶりは誠実だった。本気でクワルツくんを気遣ってる。

 オンブルさんが火災で亡くなった前の時間軸のことを覚えていれば、気遣いたくもなるよね。あの時のクワルツくんは、もう落ち込むとかそういうレベルじゃなかったもの。

「麗しい友情だな。覚えておこう」

 先生がこういう時は、覚えておくだけだな。配慮しない。

「あの、先生。そもそも耐氷船を奪ったところで、わたしたちだけで操船は出来ませんよ」

 北方の航海技術は持ち合わせていない。

「乗組員ごと強奪すればいい。突発の極秘任務だと丸め込み、私が指揮を執る」

 船だけじゃなくて指揮系統ごと乗っ取り?

 出来るかできないかで考えたら、先生は出来る。

 海賊船の朝礼を乗っ取っていたんだもの。

「万が一バレたら面倒さね」

 スティビンヌ猊下のバレなきゃいいみたいな態度は、賢者連盟の代表としていささか問題ある気がする。

「怪盗。きみの友人の聴講生番号0066の実家は、港を持っていたはずだな」

「オンブルを巻き込みたくない」

 なんの衒いも韜晦もない、ストレートな拒否だった。

「そもそもオンブルは分家の次男坊で、商港を持っているのは本家の方だぞ。おそらく耐氷船も所有しているだろうが、オンブルは商会に属しているわけではない。造園技師だ」 

 オンブルさんがただの園丁じゃなくて、裕福なのは察していたけど、思った以上に大きな商会の血族なのね。

 船舶をいくつか所有している程度だと思っていたけど、商港ひとつ持っているって相当だわ。

「だがあのロブスター輸出商会の流通は見事なものだ」

 たしかに傷みやすいロブスターを、最速で輸出するその魔術航路の組み立て方は、魔術流通のお手本のひとつだ。

 ただ【飛翔】させればいいってものではない。

 何人でチームを組むか、どの魔術と組み合わせるか、補給地の最適はどこか、その最適化こそ魔術流通学だ。

「西大陸にロブスターを普及させた流通網だ。北極域にも明るいやもしれん」

「そうさねえ。『未来視の狼』、まず連盟と取引できるかどうか、商会に打診だけでもできないさね? 古精霊学の指示物採取のため、耐氷船を探しているって建前で」

「一筆書くのは構わんが、あまり悠長には出来ん。オプシディエンヌの眼がオンブルに止まるのだけは避けたい」 

 妥協にしては、否定するような口ぶりだった。

 クワルツくんにとってオンブルさんの安否って、最優先事項だもの。

「承知さね。オプシディエンヌに蜘蛛の巣を張らせる余裕は、あたしだって与えたくないさね」

 硝子の双眸は、オニクス先生へと視線を移す。

「ああ、オニクスはその商会の前に、姿を表さないようにするさよ。どうせ余計な皮肉と暴言を抜かすだけさね」

「教会の会議は出席させて良かったんですか」

 つい突っ込んでしまう。

「そりゃあん時は鎮護魔術師の護衛に最適だし、魔術兵器を同席させるってのも悪手じゃないさね。でもまっとうな商談に、魔術兵器をちらつかせるのは正解とは言い難いさね」

 先生のこと、魔術兵器扱いしている。

 貶しているような気がしたけど、魔導兵器発明家のスティビンヌ猊下としては貶すつもりは一切無さそうだ。

「交渉を手配してくるさね」

「駄目ならシャンスリエールで耐氷船を強奪だな」

「しれっと強奪をプランBにしないで下さい」

 これ、クワルツくんには最悪だな。

 オンブルさんにご迷惑をおかけするか、オンブルさんの実家の近くで紛争が起きるかの二択になってしまった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ