第二十四話(後編)墓碑銘を刻まなかった
「おっしゃる通りわたしは26歳です! あなたと釣り合う適齢期ですよ!」
早鐘打つ勢いのまま、先生へと駆け寄って……寸前で踏みとどまった。
「今のわたしが抱き着いたら、先生は社会的に死んでしまいますね」
客観的には未成年で、学院の生徒だ。
先生は社会的に二度くらい死んでるけど、三回も死ななくていい。
「ああ、卒業するまでは控えなさい」
「卒業したら、いいって、ことなんですね!」
わたしは念を押す。
先生ときたら往生際が悪く、しばらく視線を漂わせ、そして頷いた。
「卒業しても気持ちが変わらないなら、きみから求婚してくれ」
「………あなたからは求婚して頂けないのでしょうか?」
意外だ。
求婚は身分の高い方からするのが、エクラン王国の常識なのに。
教師と卒業生だったら、教師からするものじゃないかしら?
「きみは私の願いを受け入れてしまう。どれほど愚かで困難でもな。だからきみの望むタイミングで、私との結婚を決めるといい。卒業後、月ではなく他国に留学したくなることもあるだろうからな」
「結婚したからって、留学はできますよね?」
「いや、その……身軽な方がいいだろう」
また言い淀んでいる。
なにをそんなに言いづらそうにしているだと思った瞬間、理由を察してしまった。
結婚したら、物理的に身軽じゃなくなる可能性があるからだ。
「もう赤ちゃんのことまで考えていらっしゃるんですか?」
途端、先生が思いっきり顔を逸らした。
生々しい話題だから、触れにくかったんだな。
「言っておきますが、先生としては尊敬していますが、父親としての態度は評価が高くありませんよ。モリオンくんも折り合いがついてないじゃないですか」
「それは分かっている。あの子への責務を果たさないとな」
モリオンくんはもう実の両親など吹っ切っているけど、オニクス先生はそれなりに責任を果たすべきだ。
父親らしい態度が出来なくても、せめて大人として対応しなくちゃいけない。
「ただ私は寿命が長いかもしれんだろう」
先生はアトランティスの先祖返りしているからな。
わたしに先立たれることを危惧しているのか。
「大丈夫ですよ。【羽化登仙】があるじゃないですか」
以前、月下老に東方魔術を習わないかって誘われたことがある。
わたしは生まれつき東方魔術にも向いているって、おっしゃってくださった。
「あれは容易いものではない。適性が高くとも、何十年もの研鑽が必要だ。肉体を魔術的に変化させるため、辟穀、服餌、導引、瞑想を三十年から五十年にも渡って続ける必要がある。特に断食し、空気中の僅かなエーテルだけで生きるなど、きみに耐えられるか?」
「覚悟の上です。それでも、わたしはあなたと生きますよ」
簡単に言っているわけじゃない。
前の時間軸で【羽化登仙】の修行者を見かけた。
穀物を断った肉体を、錬金薬漬けにする。肉体変質させるほど薬を服用するのだから、副作用は激しい。導引と呼ばれる特別な体操で、毒素を発散していかなくちゃいけない。信念を抱き、何十年もの人生を費やしても、断念してしまうほど過酷な修行だ。
千年の時間を得るための対価は、途方もなく高い。
それでも先生がわたしと一緒に生きてくれるなら、どんな努力だってしてみせる。
「覚悟していようとも、【羽化登仙】は過酷だ。きみが定められた寿命を選んでも、私は受け止める。ただこの世界からいなくなってしまったとしても、きみの血を引いた子々孫々を見守れるなら、贖罪のために生きられる。そう思ったのだ」
「……わたしが先にいなくなっても、生きて頂けるんですか。それは嬉しいです」
嬉しい。
だけどその発言、わたしの地雷を踏んだ。
このままロマンチックな空気を維持したいんだけど、聞き流すにはでかい地雷である。
流すわけにはいかない。いいのだろうかと思いながら見過ごすと、砂漠の戦争の二の舞だからな。
価値観の相違は、お互いのメンタルが安定しているうちに話し合おう。メンタル崩れてから話し合いすると不毛になるし、下手したらトラウマになる。
「結婚する前にきちんと話し合っておきますけど、その思想は受け入れがたいです」
「なにが問題だ?」
「子を願うのは美しいと思います。でも孫を望むのは醜悪です。我が子が子孫を作ることを前提にしないで下さい。繁殖前提の家畜じゃないんですから」
「いや……たしかにそうだが」
口ではそう言ってるけど、この表情は納得いっていないな。
「先生。人類と動物の絶対的な違いは、文化継承ですよ。繁殖で世代を重ねる動物と違って、人類は文化を継承できるんです」
人類の本質は、血ではない。文化だ。
ひとの脳で考えられた魔導、ひとの腕で鍛えられた金属、ひとの手が煎じる薬餌、ひとの舌が歌う詩歌、ひとの脚が踏む舞踏。それらを創り育み、伝え語り受け継ぎ、あるいは発掘、再現し、また後世へと伝えゆく。それこそ人類の本質。
人類と動物の決定的な違いだ。
自分や愛するものの血が、絶えることなく、遥かな未来まで続けばいいと願うのも自由だ。願うだけならばいい。
もし血を繋ぐことを強制するなら、繁殖を優先するなら、人類に産まれてきた意味はなんだというんだ。己が生物的に繁殖したいなら、家畜の胎から産まれてこればよかった。あるいは多産の鳥か虫、魚。それでいいだろう。
鳥でもなく、虫でもなく、魚でもなく、わたしたちは人類だ。
生命の在り方は自由だ。
「ミヌレ。きみ言わんとすることも、分からなくもないが………きみは人類を、何か崇高なものだと思い違いしているな。人類は強くも美しくも無い。どんなシステムさえ地獄に堕とす存在だ」
奴隷として売られた先生の意見を否定するもの、残酷な気がした。
そもそも「どんなシステムでも、人間が関わったら地獄になる」って思想は、先生のなかで根強い。むしろ思想の根本だ。否定できるものがわたしにない。
奴隷と徴兵、宮廷の寵臣と教団の副総帥。戦争と平和、最下層と最上層、搾取される側とする側。いろんな世界で生き抜いてきた。どう否定すればいいのか分からない。
「私は聖人ではない。奴隷以下の家畜精神と罵られようが、きみの血を引いた孫や曾孫が見たい」
「思想だけなら関税はかかりませんけど、それを言い出したら他者の自由に対する汚染ですよ」
「汚染とは大袈裟だな。そもそも文化の継承を第一にしても、子孫が先細りすれば受け継げなくなる。子を望む人間だけが出産していたら、人口は保てない。己にとって不要であっても、子供を産まなければ、戦争や疫病や天災を耐え切れんぞ」
………不要な子供か。
堕胎されかけていた先生にとって、『不要な子供』こそ必須だという結論に達したのか。
そこを否定したら、先生自身さえ否定してしまう。
「仮にですよ、人類も種の繁栄が第一と仮定しましょう。そこまでは譲歩します。ですが異性が番いて子孫を生むことだけが、種の繁栄になるわけではないでしょう。蜜蜂さんは働き蜂は子を産まないという形質で、もう一億年もこの世に縷々綿々と命を繋いでいるんですよ!」
蜜蜂はこの世でいちばん高貴だ。
誰の命を奪わず、己の蜜で命を繋ぐ。
地球の生命は弱肉強食の摂理に組み込まれているけど、蜜蜂さんたちは食むことによって花粉を広げていく。
「蜜蜂は親子より姉妹の方が血が濃いのだから、血縁選択した方が優位だ」
即座に血縁選択論で反論しただと……
一気に反論の手札が減った。
獣属血統の論文まで読んでいるのかよ。
というか血縁選択論は今から三年後に出版される論文のはずだけど、もう査読か何かで目を通しているの?
わたしは獣属性だし、家業の蜜蜂に関するから、たまたま手に取っただけなのに。
「け、血縁選択論は実証されていないでしょう」
「仮説として論じるに足る」
先生が一歩近づいた。
「生命の在り方を本気で私と論じるつもりか? 確かに私の専門は闇魔術だが、不老不死の研究で行った生体実験の経験と、読み込んだ獣属論文の量と質は誰にも負けん。私は闇魔術のレベルを百年先に押し上げた。きみの十二年を軽んじるつもりなどないが、討論して私が負けるとは思わん」
その言葉の重さが、背骨に圧し掛かってきた。
オニクス先生の立つ場所こそ、魔術と学問の最前線だ。このひとに立ち向かうのは、あまり重い。
黙っていると、隣の部屋から物音がする。
マリヌちゃんが起きたのかな?
不意に先生が溜息を漏らす。威圧が抜けた。
「すまない、ミヌレ。きみが26歳だと思って、浮かれて先走ったな。この話はいつかまた続きをしよう」
居心地悪そうに、先生は小部屋から出て行く。
いきなり結婚とか子孫の話になったのは、スティビンヌ猊下のお孫さんの結婚写真の影響だろう。
先走ったとはいえ、行く末が死ばかりだった先生が、未来を考えてくれるのは良い傾向だ。
だけど不意に、スティビンヌ猊下の言葉を思い出す。
ずいぶん昔の記憶が、鼓膜に響いているみたいな鮮やかさで蘇ってきた。
──月下老のご母堂は、数えきれないほどの失敗したさね──
──オプシディエンヌも似たようなもんさね──
──第三人類だとしたら、あたしら第五人類とは違い過ぎる──
現代において、オプシディエンヌと子を成せるのは、オニクス先生だけかもしれない。
わたしは第六人類だ。
ラーヴさまがそうおっしゃっていた。
突然変異で第六人類になったわたしと、先祖返りで第四人類である先生と、子を成せるの?
いえ、いえ、そんなことは些細な事だ。
子を産むか産まないかなんて、人生の中で大した話じゃない。
もっと大きな問題がある。
………第六人類の寿命は、どれくらいなの?




