第二十四話(中編)墓碑銘を刻まなかった
スティビンヌ猊下にめちゃくちゃ叱られた。
【遡行】の件である。
以前、カマユーに提出したレポートには、たしか破損したと綴ったような覚えがある。昔過ぎて忘れたけど。
ラーヴさまのことも内緒にしたけど、この呪符も誤魔化した。だってわたしの心臓を弄られるの嫌だったし。
これが連盟が知らんうちに作った呪符だったらよかったけど、いや、よくはないけど、連盟としては許容範囲だ。だけどわたしは連盟に提出したレポートに虚偽を綴り、呪符を隠匿した。
最高責任者たる賢者がお怒りなのも当然だ。
聞き流すのも辛くなってきた。
息苦しい。
ここは魔導航空艇の奥深く、スティビンヌ猊下の室内だ。
スティビンヌ猊下は安楽椅子に身を沈めて足を組んでいた。その背後には、製図板付きの書き物机が置かれている。あと壁には正体不明な魔導装置に、何を示しているのか変わらない計器たち。
この部屋、そもそも空調を気遣ってないかもしれない。魔導ゴーレムに呼吸は必要ないもの。
「身体検査するさね」
「何故?」
「蛇蝎の【制約】を解いた魔術さよ。『夢魔の女王』の【制約】が解除されてないかの確認は急務さ」
スティビンヌ猊下はオリハルコンドレスを引っぺがして、【制約】が整っているか触診する。
たしかにわたしの【制約】が解かれてしまったら、ラーヴさまを召喚できてしまう。世界を滅ぼす力だ。
先生はわたしに背を向ける。
視線の方向には、大判の銀鏡写真が飾られてあった。
花婿さんと花嫁さんを中心にした家族写真ね。機械と魔導の無機質極まりない室内で、家族写真は安楽椅子と同じくらい人間味のあるものだ。
でも写っているのは、知らない顔ばかり。
どうしてこんな写真が、スティビンヌ猊下の自室に飾ってあるんだろう?
わたしの疑問を読み取ったのか、スティビンヌ猊下も銀鏡写真へ視線を動かす。
「ああ、それは孫の結婚写真さね。写真ができたから、ダーリンが持ってきてくれたさ」
「お孫さんの……」
スティビンヌ猊下って若い姿だけど、実年齢は百歳くらいだったものな。
「前見た時はおくるみで洗礼式だったさね。それが闇の教団を討伐したり、魔導ゴーレム開発したり、オプシディエンヌを捜索している間に、ウェディングドレスで結婚式さ。そもそも子育てしてないから、娘とか孫って感慨どころか実感もないさね。ダーリンが家族写真くらい持っておけって勧めるもんだから、一応」
ほんとに一応って口調だ。
孤児だったブッソール猊下と違って、肉親に対して執着は薄いみたい。
わたしの皮膚から、スティビンヌ猊下の指が離れた。
触診が終わる。
「ま、【遡行】を秘密にしておいたのは、結果的には悪くなかったさ。正直に報告されていたら、カマユー猊下しか知らない場所に封印されていただろうからさ。下手したら木星行きだったかもしれないね。物騒すぎるさ」
硝子眼に一角獣の角を映す。
「闇魔術【制約】を解除できたってことは、不可逆を超越したさねえ。それなら魔女を巻き戻すこともできそうさね」
「はい。前の時間軸で、研究と実験は済んでいます」
「そりゃいいさ。あとは魔女を発見するだけさね」
気楽そうになったスティビンヌ猊下とは正反対に、オニクス先生の表情は硬さを増した。
「急ぐ必要がある。因果律を不安定にした以上、オプシディエンヌが時間に干渉できるようになるのも、時間の問題だ」
「まさに時間の問題ですね」
「ミヌレ。私は冗句を言ったつもりはない」
「冗句をおっしゃったとは思ってませんよ、個人的に面白かっただけで」
わたしは【遡行】の呪符をふりふりする。
「たしかに時間そのものに問題が生じている。オプシディエンヌを巻き戻した後、二度と時間干渉できないように箍をはめ直す必要があるからな」
「そうさね。子々孫々に迷惑かからないようにしたいものさね」
箍は必要よね。
でもたぶん未来のわたしがやっていると思う。
スティビンヌ猊下は壁の時計のようなものへ視線を動かす。
「そろそろ出発するさね。飛行状態になったら、あたしは魔導航空艇の冷却循環に付きっ切りになるから、『夢魔の女王』は疑似転移絨毯の設置をお願いするさね」
砂漠帝国の疑似転移用絨毯。修繕が終わったのか、新しいのが届いたのか、どちらにせよありがたい。ワープがあるとないとで利便性が違う。
スティビンヌ猊下は作り付けの棚から、ひと巻きの絨毯を取り出す。
「はい、転移用絨毯。なんかあったら蛇蝎に頼むさね」
「監視対象の罪人に任せるんじゃない」
先生は圧倒的な正論を吐くけど、スティビンヌ猊下は正論をさらっと無視して、魔導動力部へと行ってしまった。
わたしは小部屋で、転移用絨毯を設置していく。
先生は隣で何もせずに、なにか思案していた。何を考えているのかよく分からん顔だ。黙ったまま考え込んだと思ったら、わたしの顔をちらちら盗み見る。
なんだろう。鬱陶しいってほどじゃないけど、気が散る。
「………オニクス先生? 何かおっしゃりたいのでしょうか?」
「ミヌレ。きみは何年、時を戻した?」
「お気になさらず。もう消滅してしまった時間です」
過去とも未来とも言い表せない記憶は、脳にまだ残っている。だけどほんの僅かだ。
もう過ぎ去って無くなってしまったんだから、先生の負担になることを告げたくない。
「百年か、二百年か」
「それほど時間はかかりませんでしたよ」
「馬鹿な。時魔術の完成は、天才とて一生を費やすものだ」
「わたしはきっと時魔術に向いているんですよ。それに砂漠帝国の散逸した書物も、先生の残した時魔術の研究書も、バギエ公国で手に入りましたし」
「時魔術に関しての規格外の才能と強運を持っていたとしても、きみが「ぷきゃ」だの「ぷへ」だの、奇妙奇天烈な奇声を上げなくなっている。相当な時間を消し去ったのだろう」
奇声……?
わたし、そんなに素っ頓狂な子供だったかしら?
自覚はないけど、先生がそう言うなら奇声を上げていたのだろう。自分の癖なんて把握できるものじゃない。
「あの奇声癖が直るには、百年かかるのではないか?」
「ほんの十二年です!」
「十二年………」
わたしが告げた数字を繰り返す。
隻眼の焦点が解けて、ぼんやりとした色になった。
「無くなってしまった時間を数えるなんて、虚無ですよ」
「そうか………ミヌレ、その」
どうしたのかしら?
妙に歯切れが悪い。
「………いや、気にしないでくれ」
わたしから視線を逸らす。なんだかやたら気まずそうに。
昨夜のマリヌちゃんと似た展開だ。
マリヌちゃんはクワルツくんの方が親友っぽくて、引っかかっていた。じゃあ先生は………
「まさか十二年間ずっとクワルツくんと一緒だったのが、面白くないんですか?」
瞬間、ものすごい勢いで先生が距離を詰めてきた。
「誤解だ! そういうわけではない! きみの不貞を疑ったわけではないぞ!」
そうかしら?
だったらどうしてそんな歯切れの悪い態度なのかしらね。
勝手な想像だけど、先生に不貞を疑われたくなくて、クワルツくんはずっと狼の姿になっていたのかしら?
わたしは先生を想わなかった日は無いけど、クワルツくんとモリオンくんの協力が不貞だと見做されるなら、それはやむを得ない。だって浮気の定義だって、ひとそれぞれなんだもの。
でもそんな疑惑を一瞬でも抱くなんて、彼らの十二年間に対する侮辱じゃないか。
クワルツくんはわたしの愚行に、ずっと付き合ってくれた。離れたのは、マダム・ペルルとオンブルさんの葬儀の時だけだ。
仕方ないのかって受け入れそうになったけど、友人の名誉に泥を塗るならわたしは戦うぞ。
先生の星幽体を監禁して、十二年分のムービーギャラリー叩きこんでやる。
「私はきみの一途さを、疑ったことはない!」
「では何が引っかかったんです?」
「いや、それは……私の個人的なことだ。気にしないでほしい」
白状すれば早いのに、どうして言わないのかしら?
一瞬、疑って思い直したとか?
「気にします。わたしただ独りの問題なら腹に収めますが、友人への侮辱は許しません」
「違う。私が考えていたことは………その」
「なんです?」
「ああ、うん………」
こんなにしどろもどろになってる先生は、凄まじくレアだな。
睨みつけていると、先生は深呼吸した。
「きみの中身は26歳だな?」
耳に入ってきた数字が、鼓膜を震わし、心臓を爆ぜさせた。
オニクス先生は30歳で死んだから年齢は止まっているけど、わたしは26歳になっている。
30歳と26歳!
体感した時間を数えるなら、先生とわたしはつり合いがとれた30歳と26歳なんだ!




