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第十九話(前編) 痴愚なる女神への賛歌


 

「もう大丈夫。坊や、わたくしが守ってあげるわ」

 子守唄めいた囁きによって、騒霊現象(ポルターガイスト)が猛り狂う。

 理性の箍が外れているせいで、鎮まってくれない。

 オプシディエンヌの糸や人魚まで引き裂いてくれるのはありがたいけど、無差別攻撃だからわたしの皮膚も裂ける。わたしだけじゃない。このままじゃ全員、柘榴みたいに真っ赤になってしまう。

 それに寮母さん自身、魔力枯渇で顔色が悪くなってきている。

 あの出血と魔力枯渇が重なったら死ぬぞ。

 それはモリオンくんも察している。

 白鸚鵡の外皮も、騒霊現象(ポルターガイスト)のせいで禿げかけていた。モリオンくんが毛羽だった外皮を剥ぎ取れば、シナモンの香りの炎が零れ、不死鳥がヒステリックに囀る。

 紅蓮の炎が、ふたりを取り囲んだ。

 ステンドグラスの光輝と、不死鳥の火炎が、混ざり合い、光の絵具がぶちまけられたみたいだ。

 火勢は羽ばたくたびに盛り、不規則に明滅し、火の粉を散らす。目まぐるしい炎の影のせいで、動かない鉱石も、動けなくなった人魚たちも、蠢いているようだった。 

「ママン、もうボクたちは大丈夫です。だから力を、抑えて」

「だめよ、だめ。あなたがまた盗まれてしまうわ」

 怯える様に震えて、モリオンくんを抱き締める。

「させません! わたしが代わりに戦いますから!」

 わたしの手首の奥で、冷たさが凝る。

 人魚からもらった黒真珠だ。

 黒真珠は強い魔力を秘めていて、柔らかな波紋を奏でていく。

 不思議な波紋だ。

 心地よい疲れような、安心できる闇のような、眠りに沈む時にそっくりな感覚が、黒真珠から伝わってくる。

 まるで人魚の子守唄。

 水底の揺籃。

 不意に、空気から張り詰めていたものが抜けた。


 騒霊現象(ポルターガイスト)が消えていく。


 この黒真珠が、寮母さんの暴走を止めたのか?

「……まったく」

 最初に口を開いたのは、オプシディエンヌだった。艶を失った黒髪を掻き上げ、糸を繰りながら、モリオンくんを睥睨している。

「母親を鞍替えするなんて、節操のない子ね」

 ァア? 自分の作戦が裏目に出てんのに、したり顔とか面の皮ミルフィーユなの?

「元からモリオンくんの母親は、寮母さんただ一人です! モリオンくんの母親って幻想抱いているのは、そっちじゃないか!」

 生みの親より育ての親だ。

 オプシディエンヌはモリオンくんを産卵した生みの親だけど、育ての親になるのはきっと寮母さんだ。

 母親と呼ばれるのは、寮母さんだけでいい。

「仮にモリオンくんが誹られるなら、主君より母親を選んだこと! それだけです!」

 母親という呪いを解かなくちゃ。

 オプシディエンヌの元に、モリオンくんの情をひとかけらだって残しちゃいけない。

「そう、あれは主君で……ボクのママンじゃない」 

 モリオンくんは肩の怪我に、指を突っ込んだ。

 深く深く、自分の指で傷を抉る。腱か何かが千切れる音がして、血が噴く。

「モリオンくんっ?」

「ミヌレ嬢。これをお返し致します」

 傷口から垂れ流れたのは、宇宙色の宝石だった。

 あれはアナキティドゥス石。

 オプシディエンヌは【破魂】の呪符のひとつを、モリオンくんの体内に埋め込んでいたのか。

「夢解きのアマンディヌス石は、蜘蛛の心臓にあります」

 血まみれで語る。

 その告発は、オプシディエンヌの美貌を歪めさせた。口許や眉間に醜穢な皺を刻み、モリオンくんを睨みつける。白と黒の瞳ときたら、憎しみの熾火がちらついていた。

「裏切り上手なところは、父親譲りかしら」

 オプシディエンヌは一歩踏み出し、糸を編むように繰る。

 翳りに伏していた人魚がひとり、蠢いた。

 法王聖下の『光輝聖堂』で抑えられているのに、また人魚で人形(マリオネット)遊びをするつもりか。

 危惧と緊張が走った一秒後、人魚が瞬発する。

 オプシディエンヌの鳩尾が、人魚の貫き手で突き抜かれた。

「………な」 

 蜘蛛と人魚に、ステンドグラスめいた光輝が差し込む。真実を浮かび上がらせる輝きを浴びた瞬間、人魚の黒髪から色が抜けていき、水晶色の輝きを帯びていく。

 クワルツさんだ!

 みんながモリオンくんに注視している間に、人魚に化けて、不意打ちを狙っていたんだ。

 オプシディエンヌの胸を貫き、その内部を抉る。

 手にはアマンディヌス石が握られていた。

「よくも………ッ」

 オプシディエンヌの呻きと共に、クワルツさんの腕が爆ぜた。

 糸に切り裂かれ、血肉となってまき散らされる。

「クワルツさんっ!」

「ぐっ………」

 片腕を失い、バランスを崩し、群晶へと転がり落ちる。

「【氷壁】っ!」

 遥か後方から、エグマリヌ令嬢の詠唱が飛ぶ。氷の守りはクワルツさんの爆ぜた腕に絡みつき、緊急の止血となる。

 精密な魔術展開だ。

 防御魔術を治癒に応用するなんて。

「盗みにかけては一流だな」

 先生がクワルツさんを賞賛する。

 闇の至宝石は、腕が爆ぜるより先に指弾され、先生に届けられていたんだ。

 至宝石のひとつアマンディヌス石が取り戻せた。



 これでみっつ。



 でもまだひとつ、見つかっていない。

 行方が知れないのは、狂いし精神を癒したもうアントセロマヌス石。

 狂気を、癒す?

 脳裏に形作られた単語に、わたしの視線が寮母さんへと向かった。理性の箍が破壊されて、狂っていた寮母さんを宥めたのは、大粒の黒真珠。

 わたしは黒真珠を霊視する。

 間違いない。これだ。

「先生っ!」

 黒真珠を投げ渡す。

「……そうか、そこにあったのか、アントセロマヌス石」

 先生は黒真珠を抓む。

 指先に力を籠めて、砕いた。

 亀裂が入って真珠層が散る。

 核になっていたのは、黒真珠より黒い宝石。極彩色の閃光が差し込まれても、紅蓮の火炎に照らされても、漆黒のまま艶めいている。

 アントセロマヌス石だ!

「返してちょうだい。それはあなたには過ぎた玩具よ」

 オプシディエンヌは唇をさらに歪ませ引き攣らせ、糸を幾重にも繰っていく。

 この性悪蜘蛛、舐めプしてやがったな。探している闇の至宝石を、持っていながら気づかない。そんな滑稽劇を楽しんでいたんだろう。

 先生はすべての至宝石を携える。

  


 邪眼を宿せしアンティファティス石


 悪霊を招きたるアナキティドゥス石


 夢を解きたるアマンディヌス石


 そして狂気を癒せしアントセロマヌス石



 【破魂】の魔術を宿した石が、よっつ揃った。

 …………揃ってしまった。



 オプシディエンヌを殺せる。

 そして、先生も死ぬんだ。

 


 先生は【焔翼】を解く。

 【破魂】を紡ぐために無防備になった姿で、オプシディエンヌを見つめた。

「私の怨敵。ともに地獄に堕ちよう、オプシディエンヌ」

「妾はあなたが地獄に堕ちるのを愛でたいだけよ」 

 オプシディエンヌが糸を奮う。

 わたしは蹄で思いっきり地面を蹴り、身体で糸を受け止めた。わたしの全身全霊が盾となって、先生を守る。

「ミヌレ!」

 先生の悲鳴が響いた。

 そんな声を出さなくても大丈夫だ。

 ヴリルの銀環の錫杖モードは、わたしの回復を加速させる。腕が吹き飛ぼうが、足が千切れようが関係ない。即座に元通りだ。

「わたしが、前衛として盾になる。たぶんこれが最適戦術ですよね」

「………頼む」

 前衛を任された。

 あとはやり遂げるだけだ。

 わたしはオプシディエンヌへと突進する。

 絶対に逃がすものか。 

 糸がわたしの臓器を切る。糸がわたしの眼窩を裂く。血が噴き出して、もはやここは血の沼だった。わたしからの返り血で、オプシディエンヌは血まみれになっていた。

「愛するものが死んでいいの?」

「人間死亡率100%だ! どこで死ぬか、本人が決めればいい!」

 オプシディエンヌの白い目が血走り、黒い瞳が凍てつき、わたしを睨む。

 大きく腕が動き、わたしの蹄が糸に戒められた。この束縛、わたしの髪入りの糸だ。まだ持ってやがったのか、わたしの髪!

 蜘蛛の糸が、喉へと迫ってくる。

 わたしの首を胴体から切り離すつもりか。

 まずい、動けない。

 クワルツさんが隻腕だけで糸を弾いた。オプシディエンヌの横っ腹へ、回し蹴りを繰り出す。

 ほんの須臾、オプシディエンヌの体勢が崩れた。

 好機だ!

 わたしはさらに前へと踏み出し、オプシディエンヌを地べたに倒す。

「クワルツさん! わたしごと錫杖で貫いて!」

「承知した!」

 叫ぶと同時に、クワルツさんは片腕で錫杖を揮った。

 わたしの脇腹を貫き、オプシディエンヌの胎を貫き、地に縫い留める。脾臓が潰れたけど、錫杖はわたしを貫きながらも、わたしを回復させてくれる。

「ぐっ……ぅう!」

 途端にオプシディエンヌは渋面を作った。

 愉快だ。

 思わず笑いが漏れる。

「妾を繋ぎとめようなんて、思い上がりも甚だしい!」

「黙れ!」

 身を捩り、オプシディエンヌの眼窩に指を突っ込む。でかい魚をさばくみたいに、目に指を突っ込んで押さえつけた。

 オプシディエンヌの額にティアラめいて並ぶ複眼が、わたしを呪うように凝視する。

 糸がわたしの手首を刻んだ。

 ヴリルの銀環によって高速回復し、手を再生させる。もう魔力が尽きても構わない。

 回復する最中に、頭を思いっきり振る。オプシディエンヌの複眼に頭突きを食らわせた。 

 複眼が潰れ、濁った体液が飛び散り、目や鼻に入って来る。焼けるような感覚。


「隠れし下弦は幻獣に砕かれ、照らせし上弦は魔獣に喰われる」


 先生は脇腹と踵から血を流し、血痕を足跡代わりに歩む。遅々とした歩みだ。巡礼のようだ。いや、贖罪のようだ。今まで殺めた存在をすべて引きずっているように重々しい。

 糸がわたしの真横をすり抜け、先生を狙う。

 力いっぱい後ろ脚を跳ね上げた。

 わたしの後ろ脚が切り刻まれ、血霧になっていく。

 詠唱を邪魔させない。

 この終焉が、先生の願いだから、望みだから!


「いざ啜り泣け、絶望に終焉を、希望に終熄を、永遠に終止符を」


 唱えているだけで先生は摩耗していった。詠唱の声で分かる。

 不全呪文は先生の魂を軋ませて、蝕み、痛めつけながら構築されていく。この闇魔術は術者さえ巻き込むのだ。

 世界が重くなる。

 法則が、摂理が、変えられないはずの基盤が崩れて、壊れ、背骨や頸椎に圧し掛かってくるみたいだ。

 

「そして巡る摂理を越えた先に、終局を与えるために」


 すべてを終わらせる魔術の末尾が結ばれる。

 



「【破魂】」



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