第二十話(後編)束の間の幸福
テスト範囲じゃねーか!
魔術史と星智学、両方に出題されがちな名前だよ、カマユーって!
まだご存命だったのかよ。時間障壁の到達成功って聖暦1567年だぞ。
ほんとにあれ星幽体なのかよ。輪郭がはっきりしているし、声もしっかり聞こえてる。本人がここにいるみたいだ。
「『跪け』」
「ぐっ………あッ」
オニクス先生の膝が折れた。
首から頬へと、漆黒の文様が這い上がっている。蛇めいてのたうち、羽虫めいて震える文様。あれが先生の肉体に刻まれた【制約】の呪文。
カマユーが発したのは魔術でも何でもない。ただの言葉なのに。
だけど【制約】が、その言葉に反応した。
わざわざ七賢者が地球にまでお出ましになったってことは、先生に『七賢者の命令には逆らってはならない』って【制約】でも掛けられているのか。
「くそっ……が…ッ」
先生の喘ぎが、雪原に軋んだ。
顔は蒼褪め、額に脂漏がにじむ。あの魔術、先生から魔力を無理に搾り取って発動しているんだ。
「自業自得だな、オニクス」
ため息交じりで呟く、大賢者カマユー。
「大罪さえ犯さなかったら、そのうち賢者に連なったかもしれない逸材だったのに。道を踏み外した代償は大きいよ」
「大罪って………戦争はどうしようもないじゃないですか!」
白銀世界に響くわたしの叫び。
濃淡の違う双眸が、わたしへと向けられた。
「彼の罪を、誰にも教わっていないのかい?」
「戦争の非道行為と、公妾姦通は伺っております。どちらも世俗の罪! 象牙の塔の賢者がお出ましになることなんてありません。罪を理由に、先生を奴隷にするためですか!」
相手は大賢者のひとりだ。
こんな口答えしたら、学閥から弾き飛ばされる。魔術師として生きていけなくなる。
それでもわたしは言いたかった。
「先生に危険な発動実験させるために、罪を問うてるように思えます」
「なにも知らないのか」
咎める口調だった。だけどわたしへの発言ではない。先生へと向けられていた。
「オニクスと闇の教団のはなしは知らないようだね」
「先生が闇の教団を壊滅させたことでしたら、存じております」
「その言葉は正しいが、正しく理解はしていない。正しく理解したものなら、そんな言葉は使わないからね」
微かな風が雪片を吹き飛ばした。大賢者カマユーの姿を素通りして、飛び去って行く。
「オニクスは王宮を追放された後、どうしたと思う?」
「ですから、闇の教団を………」
「この男こそが闇の教団の立ち上げたひとりだぞ! そこで四年もの間、副総帥として君臨していたのだ!」
闇の教団の、副総帥。
「ハァア? マジで悪の大幹部してたんですか!」
思わず突っ込んでしまった。
いや、けっこう真面目な話なのは分かってます。
でもまだ発狂状態から癒えてないから、感想が「中二病設定盛りすぎじゃねーの」なんだよ。
……これが発狂か。
他人の生命や感情、あらゆる物事に対して、娯楽視してしまう。
こんな状態が続いたら、本当に精神がおかしくなる。
「この男が非道な実験を繰り返し、闇魔術に汚名を着せたせいで、闇に属する術は排斥されていった! 技術は何も悪くないのに! どれほど無関係な術師が殺されていったか! どれほどの研究が、古書が、遺跡が、破棄されていったか! この男は魔術の発展を閉ざした! この男が発動実験で足が壊死しようが、皮膚の下に蛆が湧こうが、両腕が吹き飛ぼうが、肯定することも否定することも許さん!」
慟哭じみた叫びが、雪に波紋する。
こいつ、人命は気にしてないのな………
そこらへんって、わりと先生と五十歩百歩では?
「あまつさえこの男は、ぼくたち賢者が討伐に出陣したことを知って、先手を打ってきたのだ。総帥を裏切って首を刎ね飛ばし、差し出し、ぼくらに命乞いをしたのだ!」
濃淡の瞳に、憎悪を宿す。
「今のように跪いて、命乞いをしていたよ………殺してやりたかった」
「ははっ、それは素晴らしい評価を頂いてしまったな」
先生は嗤う。
「だが星智魔術の大賢者よ、私は殺せまい。封印もできまい。絶対にだ。ふたたび世界が崩壊しはじめたら、七賢者たちでさえどうしようもあるまい。私だけだ! 私だけがこの下らん世界の崩壊を防げる!」
「………そうかな」
「どこにいるというのだ。私以上に魔力が高く、私以上に闇の魔術を扱えるものなど………」
言葉が途切れた。
雪の世界に静寂が訪れる。
先生はゆるり、ゆるりと、首を動かして、わたしへと視線を送った。
「そう。やっと見いだせたんだよ、あんたの役割を引き継げさせられる才覚の持ち主、闇魔術の頂きに座する女王」
「………ミヌレを」
「そう。彼女が次の世界鎮護の魔術師となる」
まずい。
たぶんこれはまずいぞ。
話の内容を把握してねぇけど、流れは理解できた。
わたしのせいで先生がお役御免になる。そしたら先生はどうなる。無期懲役か? 最悪、死刑だってありうる。
世界鎮護の仕事内容は知らんけど、やれる魔術師がレアなんだろう。
服従と引き換えに、先生の保護を頼むか?
いや、取引なんて、賢者たちに意味はない。なんといっても【制約】の魔術が使える連中だぞ。わたしが捕まったら即、先生とお揃いにされる。そんで先生はお払い箱だ。
「わたしがいなくなれば、先生は鎮護を続けられますね」
「死ぬ気か?」
「まさか」
わたしの唇が笑いの形となった。
大賢者がわたしを見据える。
「ミヌレ、あんたには最高の環境を贈ろう。月にきみの席はもう用意してある。書物も師匠も選りすぐったものを惜しみなく与えよう。そして象牙の塔で女王になるんだ。世界を揺り籠にして、すべての人類に夢を与える、『夢魔の女王』だ」
「いいえ、そのご招待はお断りいたします」
わたしは胸を押さえた。
この薄い乳房の下で脈打っているのは心臓ではなく、一角獣の角の破片。
「嘶け、我は獣」
呪文を紡ぐ。
「蹄を持ちて走駆せし獣」
「一角獣のライカンスロープ術! 早く取り押さえろ、絶対に怪我はさせるな!」
カマユーの命令に、サフィールさまと魔術騎士団長が動いた。
同時にエグマリヌ嬢も動く。
「我は水の恩恵に感謝するがゆえに! 凍れる壁で我が身を守り賜え! 【氷壁】」
エグマリヌ嬢の魔術が発動する。
わたしたちの周囲に、青白い氷の壁が生じた。
初級魔術ゆえに構成展開は早い。
「マリヌっ! 何を考えている!」
「いやだ、いやだ、いやだ! 王族だろうが兄さまだろうが、もうミヌレを傷つかせない! 髪のひとふさだって! ボクの友達なんだ!」
ありがとう、エグマリヌ嬢。
ほんとはちょっぴり髪の毛切られた件は根に持っていたけど、これは御釣りが出るレベルの援護。つーか、巻き込んですまなかった。
魔術騎士団長の剣が【氷壁】を砕く。
だがわたしの呪文は完成していた。
「角を宿して、毒を清め、汝を貫き裁くもの 【一角獣化】! 」
わたしの手は蹄となり、わたしの髪は鬣となる。
角持つ獣、一角獣。
わたしは氷壁の残骸を飛び越え、雪原の果てまで駆けた。
駆けて、駆けて、跳びはねて、駆ける。
雪原の断崖絶壁を跳ぶ。
人の身ならば落ちて潰れて死ぬだけだが、一角獣の蹄は力強く断崖絶壁を蹴って駆ける。雪も岩場も絶壁も、奈落の底さえものともしない。疲れも知らない。屈することもない。闇さえ貫き、一角獣の四肢は、どこまでも駆けていく。
今は逃げなければ。
わたしが賢者の手に落ちたら、先生は用済みだ。けっして囚われてはいけない。
駆ける、駆ける。
脾臓が爆ぜても構わない。わたしは駆ける。
ただ闇雲に逃げているわけじゃない。
目的はひとつ、オニクス先生の師匠ラーヴさま。
名前と存在を知れたのは僥倖だった。先生が尊敬している魔術師だ。そのひとを探して見つければ、この事態を打破できるかもしれない。溺れる者の藁かもしれないけど、それでも今のわたしにはラーヴさましか縋るものがない。
顔も知らない、居場所も分からない、それでも探す。
ラーヴさまを探しに行くために、まず彼のもとに向かおう。闇雲に探すよりその方が効率がいいはずだ。
わたしは雪の世界を駆けた。




