表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
328/502

第十七話(後編) 埋葬された道化師はかく語りけり



 目を開けば、いつもの小部屋。

 壁の本棚には、漫画と資料集が詰まっている。学習机にはミリペンと落書き帳。あとマグカップ。そしてゲーム機とディスプレイ………のはずだけど、ディスプレイがアクアリウムになっていた。

「またアプデしたの?」

 よく見たら水槽じゃなくて、ディスプレイにバーチャルアクアリウムが映っているだけだ。

 極彩珊瑚とレースめいた海藻が揺れる水底で、人魚たちが泳いでいた。比較的浅いのか、日差しが水模様を水底に届けている。

 すごく綺麗だけど、ゆっくり眺めている暇はない。

 蝶々柄のカーテン開けて窓の外を見下ろせば、玄関前で幽霊がうろついていた。

 輪郭は熔けていたけど、まだ這いずり回っている。

 這いずり回った後には、白粉と口紅が混ざったような跡がついていた。

 ラピス・ラジュリさんは死んでも、人の形を維持して、窓辺まで来ていた。ポンポンヌは形を保てないのだろう。

 魔力量の差が浮き彫りになっている。

 【乱鴉】を唱えればすぐに消える。このまま放置しても、魔力を消耗して星幽体は地球に還るだろう。

 傍観していても良かった。

 奴隷売買をするような人間なんて、惨めったらしく死んでほしい。

 だけど少しだけ、彼女を知りたいと思った。

 ポンポンヌが副総帥オニクスに、どんな世界を創ってもらいたかったのか。「絶対にして荘厳なる闇」とか「正しき秩序」とか言っていたけど、どういう定義で語っていたのだろう。

 好奇と呼ぶほど浮ついているわけじゃないし、関心と呼ぶほど優しい気持ちではない。

 副総帥オニクスを慕って狂った女の最期を、わたしは見届けたくなったのかもしれない。

 窓を開けて、外へ飛び出す。

「………ぅ」

 ひどい臭気だった。夏に濡れたまま放置した白粉と口紅が、黴たり腐ったりした匂いだ。いや、腐ったものを煮込んでいるみたいに、肌にむわっとした不快感が伝わってくる。鼻を塞いでも、毛穴へ腐臭が染みてきそうだ。

 これはわたしの魔力が腐敗しているんだ。

「ポンポンヌさん………」

「閣下に寄生する蛆虫が!」

 化粧が泥めいて渦巻き、金粉や銀粉が噴き、罵声が轟く。

 鼓膜どころか、精神を劈くほどの裂帛だった。

「まさに蛆虫だよ! 蛆虫! 蛆虫! 子供のくせに閣下を腐らした。お前みたいな分別も付かんガキなんて、年上の男なら誰でも良かっただろうが!」

 罵声は途切れない。

「囲われてる自覚無いのが、生意気を通り越して気色悪いんだよ! どうせ甘やかしてれる父親が欲しかっただけだろう! 新しくて若い父親に股開けば、ずぅっと甘やかされて生きていけるからねぇ!」 

 下品な断末魔だ。

 だけど言わんとすることは理解できる。

 わたしみたいな子供が年上と結婚すれば、巣立ちの苦労を知ること無く、一生、親元にいるような甘ったれた生活ができるかもしれない。

 これを言われたのが砂漠に流される前なら、胸に突き刺さっただろう。あの頃のわたしは先生から与えられた価値観で生きて、それを疑問にも思わない。巣立つ前の雛鳥だったもの。

 でも価値観や倫理の相違で、わたしと先生は苦しんで、藻掻いた。

 わたしは砂漠で先生の価値観から巣立って、それでも先生と共にあること選んだんだ。

 あれは地獄じみた苦しみだったけど、たぶん必要だった。

 ポンポンヌの罵声は的外れだ。

 師弟のような、あるいは親子のような関係は、もう千年前に通り過ぎている。

 ため息の代わりに、わたしは呪文を唱える。

 攻撃するためでも、身を守るためでもない。それどころか魔術でもない。

 わたしの姿を顕すための魔法の呪文。

「それは受肉した女王、それは夢みる胚胎、それは大いなる息吹…………それらは永遠であるが、ひとつのもの。ただ唯一のもの。すなわち『夢魔の女王』!」

 わたしの手足と背丈が伸び、髪が足元まで流れ、完全な『夢魔の女王』の姿になった。

 ポンポンヌだった残骸を見下ろす。

「どうか呪詛ではなく祈りを聞かせてください。真なる闇、正しき秩序とは、あなたにとってどんな形をしているんですか?」

 残骸は震え、金粉や銀粉を噴く。

 それはすすり泣きめいた動作だった。

「知るもんかい。閣下が言っていたことだよ、あたしに分かるもんか」

 教義をそのまま信奉していただけか。

「………ただ見たかった。閣下が目指す世界が、あの方の示すものが見たかった………あたしは何も分からないけど、あの方が作る世界が見たかったんだ…美しくなくても、正しくなくてもよかったから………」

 それが彼女の祈りで願いか。

 闇の教団に出会うまで、きっと彼女にとって世界は醜く歪んだものだったんだろう。以前、クワルツさんが「社会から爪弾きにされてしまった者には、社会が用意している救いでは救われん」って語っていた。

 ポンポンヌにとっては、副総帥は救いだった。

 そして救ってくれた人間が創る世界が見たかったのか。

「閣下の世界にいたかった………」 

 副総帥オニクスがどんな世界を創っても、彼女はきっと受け入れただろう。

 間違いであっても、過ちでも、歪んでいても。

 妄信だ。

 それこそ新しい父親の臥所に侍るようなものだな。

「………あたしは死ぬんだね。終わりなんだ。こんな終わりか、みじめったらしいねぇ」

「終焉ではありません。むしろ死は生まれるための儀式です。拒めば死は行き止まりですが、受け入れれば扉となります。あなたの新たなる旅路に、このわたし、ゼルヴァナ・アカラナより祝福を授けてよろしいでしょうか」

 問いかけに、ポンポンヌだったものは沈黙した。

 もし拒否されたら、攻撃魔術【乱鴉】を唱えて、手荒く星に還すしかない。

「祝福ねえ。そんな胡散臭いもん遠慮するところだけど、いいか、頼むよ……」 

 錫杖になったヴリルの銀環を振るう。遊環は鳴り響くこと涼やかで、嫋々とした余韻が尽きない。月のひかりを音に変えたら、きっとこんな風に耳に届くんだろう。

 死出の旅へ逝く彼女のための香華だ。

「死は生まれるための儀式。新たなる旅路に祝福を」

 この言祝ぎを、わたしは今まで幾つ唱えただろうか。

 呼吸するように、紡がれる祈り。

「ポンポンヌさん。あなたの来世に、まことの幸福を」

 埋葬されたピエロは崩れていく。しばらくして、化粧の残り香も消えた。

 わたしは意識を浮上させる。

 目を開けば、先生がわたしを抱き締めていた。

 先生はすでに身なりを整え終えている。纏っている呪符たちが、鉱石の輝きを反射させていた。

 エメラルド牌が背景に聳え、石たちに囲まれ、先生が抱き締めている現実か。こっちの方が魔法空間より幻想的だな。

「追い払ったか?」

「来世へ誘ってきました」

「すまない。教団のことは、私が責を負うべきなのに」

 苦しそうに呟きを絞り出した。

 鉱石が織りなす翳りに、表情は昏さを増している。

「あなたが責を負うのは道理ですね。でもわたしは手伝えるの、嬉しいですよ」

 

 闇から拍手が響いた。


 拍手?

 どこから?

 わたしが群晶を見回せば、翳溜まりに、それはいた。

「オプシディエンヌッ!」

 邪淫の蜘蛛オプシディエンヌ、あるいは聖娼ネフィラ・ジュラシカ。

 闇色のドレスを纏っていて、翳色のレースが縁どられている。夕方の影みたいに長く豊かなマントを、右肩とパニエで膨らんだスカートに留めている。エクラン王国の宮廷第二礼装だ。

 レースの黒手袋が奏でるのは、喝采の無い拍手。むしろ嘲笑めいた拍手だった。

 腕が四本じゃなかったら、宮廷の貴婦人そのものだ。

「ポンポンヌを嘉してあげなかったのね。最後まであなたのことばかりだったのに」

 白と黒の双眸は、折り重なっているふたりの死体を眺める。

 愛しむように、慈しむように、眺めていた。

 これは本物のオプシディエンヌか?

 それとも囮で、また隠れているのか?

 囮だと思ったら本物ってオチもある。目の前のオプシディエンヌに油断したら、全滅だぞ。

 クソ、人魚避けの香水を使ってしまったのが痛い。先生も人魚を追い払うために、水中で使ったはずだ。

 静寂に鋭い音が走る。

 先生がマントの下から、鞭を振るったんだ。

 ポンポンヌの鞭を隠し持っていたのか。 

 鞭を振るいながら、小さな硝子瓶を出す。

 あれはもしかして人魚除けの香水?

 溺れた時に使ったと思ってたけど、予備を隠し持っていたんだ。

 流れるような動作で硝子瓶を投げつけて、鞭で叩き渡った。

 もし目の前のオプシディエンヌが傀儡されている人魚だったら、肉体が拒絶反応を起こすはず。

 【焔翼】を詠唱。

 わたしも自分の機動力を上げるため、【浮遊】と【飛翔】、【防壁】をかけていく。

 オプシディエンヌのふたつの腕は黒髪を掻き上げていたけど、空いているもう二対の腕が動く。

 糸の盾が張られた。

 鞭が防がれ、香水が弾かれ、宝石たちへと降りかかる。香水の雫が、宝石の輝きのひとつみたいになる。

「オニクス。贈り物をありがとう。とても洗練された香りだけど、妾の好みは薔薇と菫だって教えたでしょう」

「人魚除けの香水。予測していたようだな」

「監視していただけよ」

 暗がりから、女性が一歩踏みでてきた。

 密偵を紛れ込ませていたのか。

 その女性がさらにもう一歩踏み出すと、先生が息を呑んだ。わたしだって心臓が潰れそうだ。

「寮母さんっ!」

「……姉さん」

 いつもひっ詰めている黒々とした長髪を、ひどく重そうに垂らしていた。ドレスはラヴェンダー色と銀が縞になった半喪服だから、肩や胸元にまで深く垂れる黒髪が、哀弔に纏うレースみたい。

 黒い瞳はどこか硝子めいていて、焦点はどこか遠くだ。

 【魅了】された人間の眼だった。

「相変わらずこっちの味方を篭絡するとか、変わり映えのしない手口だな!」

 わたしの罵声が、エメラルド牌に響く。

 マジでこれ何回目だよ!

 フォシルを唆して、クワルツさん【魅了】して、サフィールさま【屍人形】にして、先生を記憶喪失にして、ほんとに毎回同じパターンじゃねぇか!

 いい加減にしろよ!

「同じ趣向ばかりでは退屈かしら? でも妾にとってはいちばん楽しいもの」

 オプシディエンヌは妖艶に微笑む。

 妖艶だけど唇が吐くのは、邪悪そのものだ。

「人間は人間として生きるために、友情や恋慕が不可欠だわ。肉体に押し込められた自我を、人間と呼ぶのかしら? いいえ、人と人との絆に、交わされた言葉の狭間に、培ってきた時間に、分かり合おうとした努力と誠意に、真実の魂が宿るのよ。その美しく貴い本質を踏みつけに出来るなんて、最高に甘美でしょう!」

 この女の邪悪さ、歯止めがないのかよ!

 他人の大事なものを壊すのが大好きって、頭おかしいぞ!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ