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第十六話(中編) 黒き真珠が孕むもの


 泡が下から噴き上がってくる。

 ぷくり、ぷくり、大きな泡、小さな泡、細かな泡、さまざまな泡。

 泡の源がどこなのか視線で探れば、蠢く輪郭があった。

 人魚だ。

 ポーポイエス級の人魚が五匹か、六匹…いいや、もっとか?

 わたし目指して泳いてくる。

 『図書迷宮』で、人魚とエンカウントするなんて聞いてねーぞ。国内だと人魚は『湖底神殿』の固有エネミーのはず。

 それともオプシディエンヌが飼ってるの?

 人魚たちのぬらりとした眼球が、わたしを射抜く。

 これはひょっとして完全に餌として認識された?

 思考する逡巡、わたしの髪が揺れて解けて散っていく。【胡蝶】が発動して、わたしを護ってくれた。

 ただ動くと蝶が散ってしまう。

 ここでじっとしていれば、人魚たちはいつか諦める。

 だけどそれじゃダメだ。

 わたしは肺を人魚化したから呼吸が続くけど、先生は呼吸できない。いくら人類最強でも、人魚と水中戦は無理だ。呪文が唱えられない上に、こんな真っ暗な水中で襲われたら、ひとたまりもないぞ。

 早く人魚たちを退けて、先生を見つけないと。


 そのいち 人魚除けの香水を流して人魚を退ける。

 そのに  全力で泳ぐ。


 こんなぺろぺろキャンデイな計画でうまく行くか?

 人魚の水中スピードを甘く見過ぎだ。

 あいつら水中だと一瞬で、数十メートル進むぞ。

 魅了の魔法はわたしに通じないけど、尾っぽで叩かれたら骨折する。人魚の尾は凶器だ。

 よし、トカゲ計画だ。

 いざとなったらわたし自身の指や耳を切り落として、餌にすればいいんだ。

 そんで錫杖で即時回復。

 わたしは人魚除けの香水を、胸から出す。オプシディエンヌが本物かどうか識別するためのアイテムだったんだけど、ここで使わないと詰んじゃないそうだ。

 栓を抜く。香水が水と入り交ざり、忌避した人魚たちは闇の深くへと潜っていった。

 先生を探すぞ。

 わたしはよっつの蹄を掻いて、暗い水中を進んでいく。

 水が揺らぎ、唸った。

 また人魚だ。

 ヴリルの銀環を錫杖化して、太ももから短剣を抜く。

 薔薇斑紋のダマスカス鋼の刃は、重い水さえ裂き、わたしの耳を切り落とした。血といっしょに、耳がひとつ流れていく。

 血を塞ぐため、錫杖で即時回復!

 耳へと群がる人魚たち。

 よし、トカゲ作戦はうまく行きそうだ。

 

 ≪………なかま≫


 急に、音が波紋した。

 それは泡が弾ける音も似て、雨が落ちる音にも似て、流れるせせらぎにも似ている。この世にあるすべての水の奏でる音に似ている。


 ≪なかま…に……近い≫


 水音だと思ったけど、聲だ。

 波紋する水が、鼓膜に響いている。

 これは人魚の聲?

 人魚が喉から発するのは歌だけで、言葉なんて発しないはずなのに。

  

 ≪におい、おなじ≫


 同じ匂い?

 わたしが人魚の仲間で、同じ匂いがするっていうの?

 【水中呼吸】状態だから、肺と血液は人魚化している。

 人魚化した血のせいで、もしかして仲間だと判断されたのか?

 あるいはわたしが人魚を食べたせいか?

 あの喋らずの島。耳の聞こえない海辺のひとたちと一緒に食卓を囲み、人魚を食べた。わたしの星幽体に、人魚の星幽体が残っていても不思議じゃない。 

 人魚たちが集まってくる。

 だけど牙は剥かない。嗤うような囀るような不思議な唇のかたちが、わたしに近づく。

 人魚たちがわたしの周りをくるくると回遊する。

 背後から、わたしの腕が取られた。

 まずい。

 水の中で人魚に掴まれたら、もうおしまいだ。何匹もの人魚は、わたしを水底へと引きずり込んでいった。 

 喰うつもりはないみたいだ。

 だけど囚われるわけにはいかない。

 わたしの魔法空間『おたくのおうち』を召還して一時避難するか。

 魔力消耗する上に、籠城戦なんてとんだ時間のロスだ。

 脳裏にいろんな戦術が駆け巡るけど、二手先三手先まで思考を伸ばせばすべて決め手に欠ける。

 いや、拙速でもいいから、何か手を打たなくちゃ。

 大きな泡が下から噴き上がってきた。

 人魚の肋骨から、泡が湧いている。さまざまな大きさの肋骨が、雪のように水底に積もっていた。死んだ人魚の魔法がまだ空気を作っているから、泡が湧きだしているのか。

 先祖の塋域(はかば)から沸き立つ泡を、子孫の人魚たちは取り込んでいく。

 ドリンクバーならぬ、泡ぶくバーか、ここ。

 もしかしてわたしを仲間だと勘違いして、親切心で泡ぶくバーに案内してくれたのか? 

 ご親切はありがたいけど、そういう場合ではない。

「先生の居場所、分かる?」 

 泡を吐きながら聞いてみたけど、人魚たちは反応がない。ジズマン語は通じないよな。


 ≪とてもつよい匂いがする≫

 ≪なかまになって……新しい女王さまになって≫

 ≪新しい女王……≫


 新しい女王さま?

 

 ≪古き女王は、なかまを作り変えていくの……≫

 ≪人魚はたましいがひとつ。なのに、削られる≫

 ≪………古き女王のせいで、なかまが星に還れない≫ 


 古い女王。

 その単語で連想したのは、オプシディエンヌだ。レムリアという旧文明の君臨者。 

 仲間を作り変える。削られる。星に還れない。

 ここは生け簀か。オプシディエンヌの囮人形を作るための材料倉庫。

 人魚たちは同胞を改造されたくなくて、わたしを新しい女王さまにしたいのか。


 ≪なかまになって、新たな女王≫

 ≪なかまになって、古い女王は要らない≫

 ≪さあ、流れをさかのぼり、流れをすすむ………なかまになれるよ≫


 遡り、進む。

 水を遡って進む?

 仲間になれる?

 人魚たちはなにを言ってるんだ?

 流れを遡るって、鮭しか連想できないぞ。


 ≪流れ…流れ………≫


 人魚が繰り返し語る『流れ』という単語が、脳内で意味を象どる。そこには、わたしの想像より遥かに多い意味が込められていた。それは血、それは時、それは意識。

 流れを遡る。

 血を遡り、時を遡れば、血を進み、時を進めば仲間になれる?

 時と血を遡るのは、先祖返りだ。

 時と血を辿るのは、進化だ。

 血に潜む太古の情報を引き出し、起こし、手繰って、遡る。


 先祖返りと進化を同時に行うのか!

   

 血の記憶を手繰り、過去を遡り、そして己の望む方向に進化するんだ。

 人魚と分岐する前の第三人類まで肉体を遡らせ、人魚へと進化。 

 過去に遡る。

 未来を辿る。

 だけどこれは同一のことだ。時間を凌駕すれば、過去や未来は右や左程度の違いしかない。   

 現在も過去も未来も等しい。



 ライカンスロープを使うには、対象の肉体のかけらを要する

 わたしは一角獣の角、クワルツさんは狼の牙。【飛竜羽化】なら飛竜のうろこ、【霊鳥羽化】なら不死鳥の羽根。肺と血液を人魚化する【水中呼吸】だったら、人魚の涙と髪。

 素材の星幽体情報を引き出して、肉体を変化させるからだ。

 でも『妖精の取り換え仔』は、素材がないのに獣化している。

 生まれながらの異形。

 あれは、先祖返りの一種か。

 いまだ輪郭が定まらぬ胎児のうちに魔力が暴走し、時を遡り、別の分岐に進化してしまったんだ。だから羽根や鱗を持って生まれてくる。人類とは違う時の路、あるいは時の袋小路に迷い込んでしまった。

 胎児のように先祖返りをすればいい。

 この場所こそ、先祖返りには打って付けだ。

 闇の深さも、水の重さとぬくもりも、羊水に満たされた子宮に似ているのだから。

 


「我は何ぞや 烈風を駆けし蹄を持ちて

 我は何ぞや 波濤を泳ぎし尾を持ちて 

 我は何ぞや 雷雲を翔けし羽を持ちて」


 わたしはアトランティスの幽霊から受け取った黙章を、自分の胸に書き綴っていく。

 以前、呪文を試したけど、その時は変化出来なかった。

 でも今なら出来る。

 根拠のない確固たる自信が、わたしのなかに生まれていた。 

 

「時に囚われることなき、無窮たる混沌

 我が何か 知るがよい」

 

 『時に囚われることなき、無窮たる混沌』か。

 進化を自在に泳ぐ存在。

 それがわたしだ。


「啼け、我は獣」


 『永久回廊』で聞いた詠章へと繋げる。


「あまつちわだつみ統べる獣 角を宿して、魂清め 尾を靡かせ、星泳ぎ」


 これを唱え終えたら、わたしは『夢魔の女王(みらいのわたし)』にまた近づく。  

 進化する。

 神化するんだ。


「汝を殺し愛すもの 【磨羯神化】!」

 

 【胡蝶】が舞った。

 人魚たちに見守られ、煌めく幾千億の蝶々と泡沫に取り囲まれて、わたしの輪郭が変わっていく。 

 一角獣の前脚、そして人魚の尾が生える。

 『夢魔の女王』ゼルヴァナ・アカラナ。

 砂漠の民が崇拝し、『永久回廊』に座する無窮神性。


 ≪きれい、きれい≫

 ≪あれが新しいなかま、新しい女王さま………≫

 ≪新しい女王さま……古い女王のもの、あげる≫


 泡ぶくと一緒に、黒真珠がひとつ、わたしの手元に届いた。

 見事な黒真珠だ。

 こんな大粒で、完璧な真円の真珠はお目にかかったことが無いし、何より艶めきが深い。孔雀の羽根や、エメラルド、針葉樹の葉、この世の美しい濃緑だけ集めて、濾して凝らせ、熟して固め、真珠と化したような黒。

 女王に相応しい珠玉。

 それに魔力を感じる。

 芯から強くて密な魔力が、指先へと伝わってくる。護符ではないようだけど、なんだろう。

 見惚れてしまったけど、それどころじゃない。

 先生を助けないと。

 わたしは手首を切り、黒真珠を押し込んだ。

 尾を翻して泳ぐ。脳の一部も人魚化したのか、水中の方向感覚が備わっている。

 ここが人魚たちの巣なら、先生の方にも人魚が集まっているはず。先生は獣属適性無いから、肉体回復が難儀なんだぞ。食われたら駄目だ。

 霊視モードに切り換えようとしたけど、また眼球に嫌な感覚が走る。

 【磨羯神化】したせいで、魔力が足りてないのか。

 焦りを押さえ、泳ぐ。

 手首が鼓動している。いや、手首のところに押し込んだ黒真珠が、なにか反響しているみたいだ。

 黒真珠の呼応に引っ張られるように、わたしは冥漠(やみ)の底へと泳いていった。

 


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