第二十話(前編)束の間の幸福
わたしは予知発狂を侮っていた。
ここが現実だって認識して、落ち着いたかと思ったけど、わたしの感覚はまだ納得してない。
現実なのか仮想なのか分かんなくなって混乱する。
クラスメイトをモブ扱いしてきた羞恥、イベント扱いしてきた罪悪感、いろんな感情がくさびみたいに胸をえぐっている。
侍女室の衝立は倒れて、カーテンは引きちぎれていた。無残に割れた水差しの陶器片を、先生がひとつひとつ拾っている。
先生の腕には、わたしの爪痕が残っている。
さっきわたしが癇癪に任せて暴れたせいだ。
引きこもりたいけど、目の前の惨状はわたしのしでかしたこと。見ないわけにはいかない。
「すみません……」
「こんなことに罪悪感を覚えるな」
「だって先生も傷だらけで……」
先生はわたしの手を取る。
言いかけた謝罪が、ひゅっと喉の奥で窄まった。
「きみの花びらみたいな小さな爪で、他人を害せると思っているのか。馬鹿々々しい」
「それに先生のこと悪しざまに言ってしまいました」
「心の膿が出ただけだ」
「甘えてすみません」
「謝るな。きみ一人程度、甘やかせる甲斐性はある。自惚れかもしれんがな。私の手に負えなければ、我が師を頼ることになるが……」
オニクス先生の師匠?
「オプシディエンヌ?」
その名前に、先生はひどい渋面を作った。
「あの毒婦ではない。我が師ラーヴ、この世でもっとも尊い御方だ。あの御方ならば、間違いなくきみを癒せる」
「先生が、尊敬してる相手だと……」
「なんだね。その天地がひっくり返ったような顔は」
「いえ、その、先生が尊敬するひとって、どんなひとかなって。会ってみたいです」
わたしの発言に、先生は微かに笑った。
皮肉も揶揄もない、ただの微笑み。
「いつかお目通り叶うかもしれん」
先生が……まともな敬語を…………
呆然としているうちに、先生は壊れた物を片付け終えた。
弁償しなきゃな……
「落ち着いたようだな。日光でも当たりに行くか?」
「お外、出ていいんですか?」
窓を開ける。
先生が【浮遊】と【飛翔】を唱えれば、わたしごと身体は冬の空に舞う。
すっごく寒いけど、それ以上に胸がどきどきしていた。ほっぺなんて熱いくらいだ。
「空は灰色、地面は雪。こういう地形を飛ぶと、上下感覚がなくなる。斜めに飛んで雪に突っ込む術師が多い。海でもよくある事故だ。これを空間識失調という」
飛びながら、綴りを指で書く。
「こればかりは気合や訓練でどうにもならん」
「先生はどう保っているんですか?」
「保ってない」
「は?」
「鳥ならぬ身は空を飛ぶようにできないから、空間識失調するものだ」
「はひ?」
「だから現実と夢の境目が分からなくなっても、それはきみの心の弱さではない。人間の脳は予知に対して無防備だ」
ああ、先生はわたしを慰めるために話を切り出したのか。
つーか……いま事故る可能性がありますよ、って話の切り出し方はどうなんだ? 話すの下手なひとか。
「ちなみに定期的に【浮遊】だけに切り替える。上がるのは簡単で、下がるのは制御が難しいだろう。で、上空で解除して、落下して感覚を正常に戻してから【浮遊】して、【飛翔】する」
「なるほど。重ね掛けの利点ですね」
「安全に飛ぶなら、獣魔術の【霊鳥羽化】か【飛竜羽化】で、空駆ける生き物に変化するしかないな」
「アイテム入手が大変じゃねーか……」
飛竜のうろこなら兎も角、不死鳥の羽根なんか、クリア後ダンジョンでしか手に入らないぞ。
白銀の雪と、鈍灰の雲のあいだを飛ぶ。
城の方角から馬が二頭やってきた。二頭の鞍上には、エグマリヌ嬢とサフィールさま。
エグマリヌ嬢が呼んでいるみたいだった。
「これは叱られるやもしれんな。法律的には、術者自身が【飛翔】する場合、水平計器付きのゴーグルの着用が義務付けられているからな」
「先生は付けないんですか」
「御覧の通り、私には目玉が片っぽしかないからな」
先生は笑って、肩を竦めた。
「ぅあ、すみません」
「だから私自身が飛ぶのは違法だ。まして誰かを抱えて飛んでたら、呪符が剥奪される」
それなのにわたしを抱えて飛んでくれたのか。
ちょっと嬉しいぞ。
わたしは先生にぎゅっと引っ付く。
「無視して振り切るか?」
「降ろしてください。エグマリヌ嬢に心配させられませんよ。ずっと心配のかけ通しなんですから。わたしが寮に残ったことだって、すごく心配して………」
あ。
ゲームのすべてが予知だったとしたら。
そして予知に登場しないキャラがいたら。
「先生! 重要なキャラが、ゲームに登場しない…………予知に出現しないってことは……どういうことでしょうか?」
「きみが予知から悉く外れた行動をとったせいじゃないか?」
「違う! 彼女と会ったのは先生に出会う前! あそこまではほとんどゲーム通りだった!」
「………そんな人間いるのか?」
「プラティーヌ殿下! 彼女はゲームに、予知に、登場していなかった!」
「私さえ予知されているにもかかわらず?」
先生は雪原に降り立つ。
二頭の馬が早駆けしてきた。
エグマリヌ嬢はちょっと怖い顔で、わたしを手招きする。心配させ過ぎて怒られちゃうかな。
「ミヌレ、離れよう。邪魔できない」
「なんの?」
エグマリヌ嬢の顔は怖かったけど、サフィールさまのほうがもっと厳しい顔をしていた。怒っているというか、悩んでいるというか。
わたしだけがうすらぼんやりしている。
「オニクスどの。貴兄に決闘を申し込みに来た」
サフィールさまは厳かに言い放った。
決闘?
どうしてサフィールさまとオニクス先生が、決闘しなきゃならないの?
「きみから決闘の申し込みか。今更だな」
「ああ、今更だ」
「悪いが今はそれどころではない」
「それでも受けてもらう!」
今更って、どういうこと。先生とサフィールさまは決闘する理由があるの?
わたしの疑問に対して、エグマリヌ嬢は首を横に振った。
「ボクも知らない。でも兄は決闘に正当な理由があると言った。だから決闘しなきゃいけないんだ」
決闘の理由を、エグマリヌ嬢に教えてない?
オニクス先生は漆黒のローブを脱ぎ捨て、蜥蜴の杖から刀身を引き出す。
「レイピア? ……じゃない?」
「あれはエストックです。飛地戦争の兵士に支給されていた武器。先生は飛地で部隊長を務めていましたから」
わたしはエグマリヌ嬢の疑問に答える。
サフィールさまも剣を抜く。一角獣を象ったレイピアと、エーデルワイスが浮き彫りになったマン・ゴーシュ。オリハルコンが含有された武具だ。
サフィールさまが地面をければ、雪飛沫が舞う。一気に距離を詰めた。
「戦場を知らん綺麗な太刀筋だな」
オニクス先生は煽りながら、紙一重で避けていく。
ふたりとも「今更」って言った。だとすると昔の因縁か。宮廷で何かあったのか。
「とはいえ、お父上より剣の腕前は上だ」
「貴兄の口で、父を語るな!」
サフィールさまの激昂が、雪原に響き渡る。
………まさか。
「エグマリヌ嬢! お父上のお名前は、なんとおっしゃいますの?」
「えっ? エリオドールだよ」
ならば何かあったのは宮廷ではない。戦場でだ。
騎士エリオドール。
オニクス先生が戦場で殺した上官だ。
先生は先代国王が亡くなってから、戦場でのやり口を暴露され、裁判にかけられて宮廷を追放された。その時に父上であるエリオドールが味方に殺されたことを、サフィールさまは知ってしまったのか。
だけど、どうして?
よりにもよってこのタイミングで決闘の決意をした?
先生が自分の領地に入ってきたから?
「忠義な息子どのだな。だが弔いにしては遅い」
「過去のためではない、未来のためだ。蛇蝎の毒牙にかかるものが増えぬよう、我が剣で、我が手で、貴兄にピリオドを打つと決めただけ」
蛇蝎の毒牙って………
「とんだ誤解だな。私は賢者に従っておとなしくしていたぞ。奴隷の従順さを賞賛してほしいものだな」
「少女を毒牙にかけておいて、よくも抜け抜けと」
……ん?
わたしのせいかよ!
サフィールさまがちょっとキレてんの、わたしのせいかよ!
いや、たぶんわたしじゃなくて、エグマリヌ嬢の同級生ってのが怒りの点だろう。父親の仇が、妹の同級生に手を出す教師になっていたら、始末したくもなるわな。
「貴兄は蛇蝎だ。欲望のまま毒牙振るう蛇蝎!」
「では踏みつぶしてみせろ! 私の毒血を雪に吸わせてみせるがいい!」
先生は無防備に腕を広げた。誘い込むような露骨な無防備さ。
サフィールさまが大きくレイピアを振るう。
先生の脇腹に刃が食い込んだ。
真っ赤に染まるシャツ。
だが剣はこれ以上、食い込まない。
嗤うオニクス先生。
「脇腹の筋肉で刃を噛んでるのか」
エグマリヌ嬢は呟く。
先生のエストックが突きを繰り出した。
サフィールさまは剣から手を放して、間合いを取る。でなければたぶん喉を貫いていた。
雪へと落ちた騎士の剣を、先生は踏みにじる。
「決闘なら武器を手放した方が負けだが、どうする若造? 次は殺し合いをするか? なら手加減はせんぞ」
嗤いながら煽る。
このおっさん、行動選択肢が嘲笑と挑発しかないのかよ!
そんなんだから蛇蝎呼ばわりされるんだよ!
「いや、この身は潔く下がろう。本懐を遂げて引き渡したかったが、致し方ない。我が身、我が腕の未熟を悔むしかない」
サフィールさまは淡々としていた。
どんな表情をしているのか、わたしの位置からは見えない。ただ口調だけは穏やかで冷やかで、この雪原そのものだった。
遠くから、馬の嘶きが聞こえる。
何頭もの軍馬が向かってきた。乗っているのは揃いの鎧とマントを纏った士官だ。
わたしの身体を、エグマリヌ嬢が抱き締める。苦しい。
「誰が来たんですか? ………正規の騎士装束じゃない。私兵騎士?」
「違う、ミヌレ。あれは賢者連盟直属、魔術騎士団だ」
教会が擁する聖騎士団と双璧成す騎士団。
魔術騎士団の鎧には、護符が埋め込まれていた。剣には呪符。魔術と剣術を極めた人間だけが入団を許されている。
ひときわ立派な軍馬が歩みを進める。
鞍にまたがっていたのは、赤銅の肌を持つ初老の騎士だった。威風堂々とした体躯と物腰をしている。
まるで炎の魔人、あるいは火星の軍神。
「これはこれは魔術騎士団長どの。お久しぶりですな」
「オニクス魔術師。未来視の魔法使いを隠匿しているとの通報がありました。未来視はすべて賢者連盟の管轄。不当な独占は連盟法違反です」
未来視の魔法使いって、わたしのことか。
誰が通報した?
考えるまでもない。こんな素早く、賢者連盟に魔術騎士を要請できるなんて、騎士のサフィールさましかいない。
「彼女の精神は安定していない! この状態では引き渡せん」
「貴公が安定させて、手なずけると?」
「人聞きの悪いことを。下種の勘繰りというやつだな。恥を知るといい、きみたちに頭脳があればな」
先生は邪悪な笑みを唇に含ませ、煽った。
無意味に敵を作るその勇ましさは嫌いじゃないけど、ちょっとどうかと思うよ!
魔術騎士団長の厳めしい顔は、なにひとつ変わらなかった。予想通りだと言わんばかりに、吐息をひとつこぼしただけ。
「ではあなたを傅かせるしかありませんな」
魔術騎士団長が手に持っていたのは、ダイヤモンドの呪符だった。
呪符が雪に落とされた。
雪原に粉雪が浮き上がり、舞う。
空中に小さな男の子の姿が投影された。
まだ六つか七つくらいで、両目は同じ色相だけど濃淡の差が激しかった。肌も浅黒いから、流浪の民の血をひいているのだろう。星座の刺繍がされたローブを纏っている。
先生は長い舌打ちをした。
「星智魔術のご老体。御身は木星におられるのでは?」
「うん。だから星幽体。あんたに跪いてもらうだけなら、魔力は要らないし」
ちっちゃな男の子は尊大に頷く。
サフィールさまは目を見開いて、その姿を凝視していた。
「大賢者カマユー猊下………」
カマユー。
このちっちゃな男の子が、世界の七賢者のひとりにして星智魔術の最高位、大賢者カマユー。
人類史上、唯一、時間障壁までの星気の旅を成功させた魔術師。




