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第十四話(中編) ミカちゃん



 父は納屋の軒先に寝かされていた。

 納屋の周りの土は濡れているわけじゃないのに、いつもほんのり湿りを帯びている。農具や荷馬車、肥料や藁、山羊や鶏の匂いが染みついた湿り気だ。

 長年変わらない匂いの中、今日は鼻腔を刺す臭いが混ざる。

 錬金薬の匂いだ。

 硝子と真鍮の注射器が、日差しを照り返す。

 注射器を満たしている液体は、血液を柔らかくする錬金薬だ。心音や体温を診ながら少しづつ注射し、脳の血管のつまりをほぐしていくらしい。

 レトン監督生は治癒魔術の実習は終えている。錬金薬を注射しながらの治療も練習したことがあるらしいけど、必要量だけ投与するのは、やっぱり経験が必要なんだろうな。顔が緊張で強張っている。

 治癒の手元を、先生が覗き込んできた。

「錬金薬はあと二ミリ量を増やすといい」

 手を出さないけど、口を出してくる。

 先生にとって奴隷制は殴るべき対象だけど、レトン監督生は比較的大切な生徒だからな。口を挟みたくなるのだろう。

 長い時間をかけて、錬金薬を打ち終える。

「生徒番号010。休んだらどうだ。病み上がりで緊張が続くと、発熱がぶり返すぞ」

 オニクス先生の指摘通り、レトン監督生の額は汗ばんでいた。緊張で火照っているみたい。

 実習を終えただけの状態でいきなり重症患者を治療なんて、レトン監督生でも精神的に重かったんだろう。

「投薬経過の観察を、代わって頂けるんですか?」

「それは断る。奴隷を使う輩など死ねばいい」

 純粋な本音でしか喋れないって厄介だよな。

 わたしもドン引きだけど、エグマリヌ嬢はもっとドン引きしてるよ。

「さすがにミヌレの父親殺しはしませんよね」

 エグマリヌ嬢が殊更声を低くして問う。

 威圧を隠していないけど、自分の父親を殺した相手にする質問としては、大変礼儀正しい態度だった。

 先生が無神経すぎる。

 エグマリヌ嬢の父親であるエリオドールさまを暗殺した一件、覚えてて言ってるんだよな。

「死ねばいいと思っているが、殺しはしない」

 物騒な本音に対して、さすがにレトン監督生が口を開く。

「こういう言い方は良くないのですが、ミヌレ一年生のお父上なんですから、先生が治療して恩義を売っておく方が……」

「別にミヌレの父親という理由で、治癒に口を挟んでいるわけではない」 

 隻眼はレトン監督生へと向けられた。

「生徒番号010は魔術公衆衛生論で、国民すべての衛生を整えることが防疫に繋がると論じていた。身分が低かろうと、自業自得で破産した愚者だろうと、罪を犯した悪党であろうと、排除や隔離するのではなく国税によって衛生を管理すべきだと。これは真っ当な人間には受け入れられない理屈だ。真面目な人間が稼いで払った税金で、不真面目な人間や犯罪者が助かるなど釈然としないだろう。真面目に働く人間が損をするシステムだ。それでも生徒番号010は、公衆衛生の平等性を目指すのだろう」

「はい。上下水道や治療に関しては、公平ではなく平等に施されるべきだと思います」 

 力強い頷きだった。

「その分け隔ての無さを、私は好ましく思っている」

 隻眼も口調も、柔らかかった。

 これはもう微笑んでいるといっていい。

「生徒番号010。私は奴隷も奴隷の主も、死ねばいいと思っている。たとえ誰の家族であろうと、どれほど身分が高かろうともな。それでも私が治療に口を挟んでいるのは、きみの理想の美しさに屈しているからだ」

 レトン監督生の上体がふらりと揺れ、膝から崩れ落ちる。

 緊張が頂点に達したのか?

 それとも推しに褒められて、感極まっちゃったか?

「休みたまえ。生まれついての蒲柳の質は、きみの責任ではない」

「いえ、大丈夫です。ほんとうに大丈夫ですよ」

「無理は禁物だ。こっちの容態は安定している」

 先生の言うとおり、父の震えは止まっていた。呼吸も規則正しい。

 わたしはレトン監督生を支えて、庭のベンチに腰を下ろす。エグマリヌ嬢と、魔狼の姿のクワルツさんも寄り添ってくれた。先生だけは父の容態を観察していた。

 沈黙が横たわる。

 誰も喋らない。奴隷制というセンシティブな話題に、みんな話題を切り出しかねているみたいだった。

「聞き苦しい家庭の事情ですが、お話してもよろしいでしょうか」

「ミヌレの話なら、なんでも聞きたいよ」

「監督生というのは、そういう打ち明け話の聞き役でもあるよ」

 わたしは今までの経緯を説明した。

 なるべく恨みつらみは語らないようにしたかったけど、つい憎悪が零れる。

「ミカの一生を、父の介護で終わらせたくないんです」

「辛い話だね」

 エグマリヌ嬢はわたしの気持ちに寄り添ってくれた。

「お金で解決できるよ」

 レトン監督生の口調は優しいけど、内容がドライだ。

 あまりのドライさに涙も乾く。

「こういう言い方は反感を生むって分かっているけど、ミヌレ一年生なら平気だろう。きみは率直だから。しばらく看護婦を雇えるくらいのお金は、僕の小遣いの範囲で貸せるよ」

「そんな大金をお借りするわけには……」

「僕の一か月の本代くらいだよ」

 マジかよ……

 そりゃ闇魔術系って魔術書のなかでも高額だし、稀覯本も集めているもんな。

「それに……看護婦か修道女を雇った方がいい。いつ終わるか分からない介護に身内を介入させると、お互い愛情は摩耗していくよ。当たり前のことだ」

 『お互い』か。

 レトン監督生は幼い頃、寝台だけが活動範囲だった。

 それを知っていると、重い言葉に聞こえる。

「愛情は育むもので、試したり利用したり消費するものじゃない。消費するのはお金でいいよ。愛を守るためにお金がある」

 消費するのはお金でいい、か。

 愛情を疲れさせないために使う。

 だからレトン監督生は利益とか考えるんだ。お金は愛情を擦り減らないために必要だから。

 関係を守るために。

「献身によって、愛が擦り減るとは限らないのではありませんか」

 エグマリヌ嬢はぽつりと呟く。

 唐突だから独り言っぽかったけど、独り言にして大きかった。

「家族関係は家庭よって差があると分かっています。ミヌレの気持ちも分かります。介護用の家族なんて残酷だ。でも家族を支えることで愛情が擦り減っていくのが当然とは、ボクには思えません」

 エグマリヌ嬢の横顔は普段より幼い。

 この表情は、兄のことを考えている時だ。

 【屍人形】にされてしまったサフィールさま。

 魔力が切れたら生命まで終わるのに、サフィールさまは低魔力者だ。何かの拍子に命が尽きかねない。

 サフィールさまの場合、介護というより支援が必要だろう。エグマリヌ嬢にとってはいつ終わるか分からないけど、支えるべき肉親だ。

「誰もがきみのように高潔であるのは難しいよ」

「だいたいカジノでボクの兄のことを持ち出しておきながら、監督生ご自身は家族愛に猜疑があるのですか? 言い包められている気分です」

「猜疑があるわけじゃないし、言い包めているつもりはないんだけどな」

 騎士道叩きこまれている名門貴族のご息女と、成り上がり大富豪の御曹司は、なんだか妙に空気を強張らせていた。

 どうしよう。何か飲み物でも持ってこようかな。今の時期なら木苺と生姜のコーディアルがあるはずだ。

 どのタイミングで脱出しようか見計らっていると、母と妹がやってきた。

「わあ、若いお医者さんね」

 とことこやってくるミカちゃん。

 古着の身なりに、レトン監督生とエグマリヌ嬢が揃って眉を顰めた。ぼろ雑巾ルックだものな。靴を履いているだけ、救貧院や孤児院よりマシ。

「お母さん、ミカちゃん。もう処置は終わったよ。寝台の用意してくれれば運ぶから」

「おとーさんの寝床は朝に片付けたよ! リネン取り換えて、マットレスも均一にして、木螺子も締めてあるから。あっ、待ってて、汚れても良いリネンを重ねるね」

 わたしは【飛翔】で、父親を寝室へと運んだ。

「おねーちゃん。お客さまにお飲み物出す? 木苺と生姜のコーディアルあるから、おねーちゃんお願いしていい?」

 わたしはキッチンへ行く。

 食器棚の前で、母がぼんやり立っている。座りもしない。本当に突っ立っていた。大黒柱が倒れたから呆然としているのかな?

「ショックなのは分かるけど、お母さんも手伝って頂けませんか」

「刺繍すればいい?」

「ハァ?」

「だって今日は教会で刺繍する日なのよ」

 倒れた夫と、客に応対している娘と、働いている養女が視界に入っているはずなのに、この台詞は何なんだ。

 このまま放置したら、ミカちゃんだけに凄まじい負担がかかるぞ。

 暗澹たる境地で客用グラスを洗い、陰鬱な心地でコーディアルの水割りを作って、みんなのところに持って行く。懐かしくて爽やかな香りがするのに、気分はちっとも晴れやしない。

 気持ちの重さに足を引きずっていたら、エグマリヌ嬢とクワルツさんがやってきた。

「…………これすごく今更なんですけど、父を助けて良かったんでしょうかね」 

 わたしの小さなぼやきに、友人ふたりの視線が集まった。

 見殺しにするのも嫌だけど、助けるのもいい結果になりそうにない。

「良いに決まっているよ。肉親が困っている折に見捨てたら、後悔するかもしれない。縁を切るにしたって、きちんと話し合える時に縁を切った方がいいよ」

 エグマリヌ嬢は真っすぐな眼差しだ。

 あいにくだけどうちの父親は、価値観の相違を話し合えるタイプの親じゃないんだ。まあ、弱ってる時に見捨てるのは気が引けるよな。

 殴りたい相手でも、怪我している間より回復してから殴った方がすっきりする。

 クワルツさんは人の姿に戻る。

「吾輩も良かったと思うぞ。倫理的な話は伯爵令嬢がしてくれたから、吾輩は人道も人情も欠いた意見を言わせてもらうが、もし父親が亡くなった場合、きみの母親に父親の親族から再婚相手が出る」

「再婚?」

 そ、そうだよな。

 あの母親、女手一つで切り盛りできるタイプじゃない。

 善意であれ、うちの資産目当てであれ、再婚は勧められるし、たぶん母は断れない気がする。そもそも断るという概念を持っていそうにない。

「農家とはそういうものだ。その再婚相手がきみの妹に善くしてくれるか否か、相当な博打だ。ただきみがどうしても許せないなら、吾輩は見捨てても構わんと思うぞ」

「………ありがとうございます」

 肯定されてこころが軽くなる。

 父も助けて、同時にミカちゃんも助けよう。

 まずミカちゃんが何を望んでいるのか、きちんと向き合わなくちゃ。


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