第十四話(前編) ミカちゃん
わたしのための奴隷だ。
許せない。
許せない。
許せるはずがない!
「引き取った女の子を、奴隷にしたのか! よくもそんな悍ましい犯罪行為……!」
「ミヌレ。おまえは何を癇癪起こしているんだ? この子はおまえの妹だ。家族は助け合うものだろう」
「養子縁組してないだろう!」
もし養子にしていたら、書類の家族欄にも記載されていたし、連盟への報告に上がっていたはずだ。
それがなかったってことは、養子にしていないんだ。
このままじゃこの子はただの使用人だ。
もし両親が亡くなっても何ひとつ相続する権利はないし、家から追い出されてしまう。路頭に迷ってしまう。
「養子縁組なんて大袈裟なことしなくても、この子も家族だろう」
「だったらわたしが居ない間、どうだったんだ! ミカを学校へ通わせたか! 新しい服を仕立ててやったのか!」
「ミヌレ。おまえなに言ってるんだ。学校よりまず家族だろう」
行かせてないのか。
読み書きを、四則を、地理を、歴史を、科学を、法律を、人間が人間として生きるためのしるべを、この子に与えていないのか。
「それがわたしへの愛情のつもりか、気色悪ィな! 奴隷を作るクズが、いくら善意と愛情を持っても害悪なんだよ!」
もし両親が死んでも、何一つ譲られない。
そして働くための学力や技術も与えない。
搾取用の子供を作る人間の愛に、なんの価値がある?
吐き気がするほど害悪だ。
「父親にむかってその言い草はなんだ!」
ああ、クソ。
まったくオニクス先生の言う通りだ。
そこらへんにいる親の育て方など、搾取と愛玩の二択。それ以外の育て方が出来るなら聖人か悪人だ。
わたしの父親は聖人じゃなかった。それだけ。
悪人じゃないと理解しても、わたしの血液は煮えくり返っていた。
「父親なのも、クソなのも、どっちも事実だ! 父親だからってそれがどうした! 親になったのが分不相応なクズ!」
いいや、普通の人間だ。
これで分不相応なんて言ってたら、人類は絶滅する。
それでもわたしの口から、どうしようもないくらい罵声が湧く。
「おまえのためだろう。そんな悲しいこと言わないでくれ」
「悲しい? 反省もせず、被害者ぶるのか浅ましい! とことんクソ野郎だな! おまえみたいな父親から愛されてるなんて、気色悪いだけだ!」
「このっ………」
張り手が降ってくる。
先生とクワルツさんが臨戦態勢になる。
まずい。父がオーバーキルされる。
ふたりより早く、わたしは後ろ脚で立ち上がり、前脚で父親の腕を弾いた。
スカートどころかペチコートまで大きく翻って、ユニタウレ化した下肢が顕わになる。
父親の焦点が、蹄に結ばれた。
「は? おまえ………どうしてそんな化け物に!」
父親は顔を顰めて、額を押さえた。頭痛を堪えているみたい。
足がもつれ、ふらつき、そのまま膝を付いて蹲った。
突然、酔っぱらったみたいな動きだ。
わたしがユニタウレ化したの、ショックだったのかな。
近くで立っていた先生が、倒れた父親を診る。
「脳卒中を起こしている」
「マジかよ」
卒中って単語にびっくりしたけど、わたしのキスで回復させればいいんだよ。したくないけど!
父の額に口付ける。
具合悪そうなままだった。
「治らない……?」
「では溢血でも血栓でもなくて、老化で脳の血管が細くなったせいで梗塞しているのか。ならきみの魔法では回復しないかもしれん。老化は癒せんだろう」
「ふぇっ? でも白そこひは治癒できましたよ!」
千年前の砂漠で、盗賊の老頭目ハジャル・アズラクさんの眼を治癒できたもの。
白そこひって老化現象のひとつだよね。
「老頭目の白そこひは原因が老化ではなく、外傷、あるいは皮膚炎や口渇病の併発だったのだろう。投薬の副作用もありうる。で、きみの父親の脳梗塞は老化が原因だ」
そうか。白そこひってお年寄りがなるから老化って思い込んでいたけど、目に怪我したり、薬の使い過ぎでもなるよな。
「私の診立てでは、上体を起こしてこのまま三時間ほど木陰に放置すれば……」
おや。風通しのいい日陰で安静にさせればいいの?
よかった。そんなに大したことないのか。
「死んでくれる」
「その提案は却下です!」
「あと腐れ無くていいだろう」
「後味悪い!」
なんでこのおっさんは、全方向に殺意が通常運行してるの?
「とにかく手当しないと……」
「しなくていい」
「老化による脳卒中って、先生でも治療できないんですか?」
「できる」
ハァ?
「倒れたばかりなら、血液軟化錬金薬を血管に注射すればいい。錬金薬なら刺繍遣いのために、在庫があるはずだ」
「じゃあ、それを……」
「断る。私が撤廃させた奴隷制を破って、善人ヅラしている愚物を助けろと?」
たしかに殺意だな!
エクラン王国の奴隷制撤廃したの、先生だもんな!
それでも実の父親を放置するなんて、さすがに抵抗がある。
「ミヌレ。この男を助けても後遺症のせいで、介護が必要になるかもしれん。その時に使われるのはそこにいるきみの妹だ。その子供の人生を、この男の飯だのおまるの世話だけに使うことになるな」
「……」
あと腐れ無くていいって言われた真意を理解した。
盲目という死ぬまで介護が必要な人間に、看護婦を雇うでもなく、教会に寄付して修道女に助けてもらうでもなく、身寄りのない子供を引き取ったのだ。
わたしの介護を一生させるために。
そんな考えの馬鹿が卒中起こしたら、ミカちゃんの人生は介護のために使われるだろう。
見捨てるのが正しいのか?
いや、ミカちゃんはまた別の方法で助けなくちゃいけない。
実の父親を見殺しにしてミカちゃんを助けるのは、なんだかよくない気がする。
「どうせ近所家族、そんな価値観の人間ばかりですよ。この父親ひとり見殺しにしたって、綺麗に問題が片付くわけありません」
「なるほど、きみの意見も尤もだ。とりあえず血液は採取しておこう」
治療もしないで採血器を出した。
たしかに両親から採血するのも、この村でしなくちゃいけない用事だけどさ。
「ミカちゃん! お母さんはどこ?」
「婦人親睦会だよ」
あー、今日は水曜日か!
村の主婦の寄り合いで、慈善バザー用のキルティングの大作をこしらえたり、教会を掃除したりする日だ。
「じゃあいっしょに医者に行くよ」
「なんで? おとーさんはここんとこずーっとよく足がもつれて倒れるけど、平気だから構うなって言うよ」
きょとんして豆の筋を取っている。
暢気か?
「いやいや、今回は完全に意識無くなってるでしょ」
「でもたまにこうなるし」
もともと具合悪かったんかい。
症状があったんなら、素直に医者に診てもらえよ。
「このまま【飛翔】させて病院へ。いえ、動かすとまずいですよね。急いでお医者さまを連れてきます」
「いや、動かした方が死亡しやすいからお勧めだぞ」
先生の意見はスルーしよ。
「クワルツさんは先生を見張っていてください。医者を呼んできます」
【飛翔】を詠唱する。
「ミカちゃん、【飛翔】するよ。病院に案内して」
「えっ、なにするの? やだ、怖い」
「飛ぶよ」
「やだやだやだ」
わたしは有無言わさず、一気に天高く【飛翔】した。
緊急事態だからって引きずってきたけど、方向と建物の特徴を聞いたらすぐ下ろして……
「うわー、たのしーねー!」
さっきまでやだやだ言ってたのは、どこのどいつだよ!
ミカちゃんは目をきらきらさせて、地上をきょろきょろしている。
「驢馬のパン屋さんだよ、あんなにちっちゃい! おーい」
「病院に急行してるんですけど?」
「勝手にお医者さま呼んだら、怒られないかな」
「それで怒るんだったら、恩知らず過ぎるだろ! 早く戻らないと、先生がまた誰かに喧嘩しかけるかもしれないのに」
「ケンカっぱやいの?」
「そうなの。目を離すと、何故か戦争を勃発させるタイプなの!」
「へえ。鉛の兵隊さんを買ってあげたらいいよ」
妹からの突っ込み入った。
……いや、ボケか?
アンジェリアが咲き誇る土手を越えれば、小さな教会が見えてくる。
小さな教会の前庭には、村の婦人たちが集まっていた。今日は刺繍を刺すのか、みんなあざやかな刺繍束を抱えている。
「あ、おかーさんだよ」
青錆色のエプロンにプラム色のスカートの女性を指さす。
わたしの母親は四十前後くらいで、ちんまりとした背丈だった。背丈も手も小ぶり。わたしの小柄なところは母親似かな。
おっと、それより降りて緊急事態を伝えなくちゃ。
わたしが降り立つと婦人たちはざわついたけど、母親だけはうすらぼんやり突っ立っていた。
「おかーさん。おねーちゃんは目が治ったのよ。あと空も飛べる!」
「え、ええ。見れば分かるわ」
「完治したの! こういうときは、喜ばないと!」
「思いつかなかったわ」
母親はきょとんとしてから、わたしへと視線を向ける。
「よかったわね、ミヌレ」
暢気と言うか、なんというか………なんだろう、このタイプ。
テンポが遅れているなあ。
「父が卒中で倒れたんです。お医者さんを呼びに行ってきます」
「そうなの。どうすればいい?」
「家に戻って、父を診ててください」
母は小走りで、家の方に駆けていく。走り方が下手くそだな。身体の動かし方そのものが下手だ。
「おかーさん。お医者さんって今、家にいる?」
ミカちゃんの質問に、母はこけそうになりながら止まる。
「いいえ、お医者さまは奥さんと旅行中よ」
「マジかよ! なんで先に言わないの」
わたしの怒声に、母がきゅっと委縮した。
「え? えっ? だって……聞かれなかったし」
「答えて! お医者さんに用事があるのに、いなかったら困るでしょ!」
「だって、だって、思いつかなかったもの……」
ミカちゃんがキレ散らかして、母はしょんぼりとする。
医者がいない僻地。
詰みじゃん。
あ、医者はもうひとりいる。正確には医者の卵。
「ミカちゃん。おねえちゃんは空にいるお医者さん連れてくるから、お母さんとおうち戻ってて」
「あい」
わたしは一気に急上昇する。
雲を突っ切ったその先には、魔導航空艇が浮いていた。
エグマリヌ嬢が整備用外通路に佇んでいる。氷色の瞳がわたしを見つけ、欄干から身を乗り出す。
「ミヌレ! 何かあったのかい」
「厄介な病人が出たんですよ。私の魔法ではどうにもならないので、レトン監督生に手当を頼みたいんです」
喋りながら魔導航空艇内に飛び込んだ。
連絡通路にレトン監督生がいる。隣のスティビンヌ猊下から、魔導技術の講義を受けているようだった。
「レトン監督生! 卒中の処置ってできますか? 脳梗塞です!」
「教科書で読んだことはある、けど……」
「父が卒中起こしたんですが、お医者さまがいないんですよ、この村」
瞬時にレトン監督生の顔つきが厳しくなる。
「オニクス先生に何かあったのかい? あの方も応急医療が出来るはずだよ」
「父が奴隷制に関わっていたので、治療拒否されました」
「……ああ」
レトン監督生は納得してくれた。
「スティビンヌ猊下。軟血錬金薬はありますか?」
「ああ、ディアモン用に一応あるさよ。治療ついでに血液採取も忘れないでほしいさね」
やっぱこのひと、倫理の程度がオニクス先生レベルだな。




