第十二話(前編) 汝が何か知るがよい
エグマリヌ嬢はウイユ・ド・シャくんを護衛にして、パーティーメンバーから離脱しました。
「オプシディエンヌの情報が手に入るといいですね」
居場所とか、弱点とか、【破魂】の在りかとか、有益な情報が欲しい。
「【読心】は対象者保護のため、休息入れる必要があるから長くかかるかもしれない」
ストラスが廃人になっても一向に問題ないぞ。
とか本音を口に出して、レトン監督生と議論になったら困る。当初の目的も済ませなくちゃいけないのに。
「ふむ。ではあの横領役人から情報を絞り取るまで、ルーレットで無双するか」
「クワルツさん、当初の目的を忘れていませんか?」
わたしの囁きに、クワルツさんがほんの刹那、固まった。
「ゼルヴァナ・アカラナ像の見物だろう。そんな大事な事、忘れているわけがないだろう」
自信たっぷりに言い切ってくれたけど、演技力MAXな怪盗に言われても信用できない。
わたしたちはカジノに戻り、当初の目的、ゼルヴァナ・アカラナ像とそこに憑りついた幽霊の見学へと向かった。
世話役さんに案内されたのは、中庭っぽい空間だ。
植物がたくさん植えこまれ、水路が引かれて、瀟洒な橋が架けられていた。水路の下には【光】の護符が埋め込まれていて、冷光によって波模様が天井や壁に投影されていた。
青白い波模様があちこちで揺らぐ空間は、水の無い水底みたい。
水路に取り囲まれた中心には、石像が鎮座していた。
思ったより巨大だ。
大理石めいた女王の像に、黒瑪瑙めいた蛇が絡みついている。
「この彫像、ミヌレ一年生に似ているね」
レトン監督生が呟く。
わたしに似ているけど、わたしがモデルではない。
これは本物のゼルヴァナ・アカラナ、未来のわたしだ。
ゼルヴァナ・アカラナに纏わりつく蛇は牙を剥き出しにして、細い首元に食らいつこうとしているように見える。
喰われている図なのか?
でも尾を咬む蛇は、女王ゼルヴァナ・アカラナに従うもの、神にして奴隷。つがいとして座すものだ。
砂漠の民が描いたわたしの肖像では、先生が縁取りになっていた。
この彫像、ゼルヴァナ・アカラナ派のなかでも、さらに異端なひとが造ったとか?
恨みつらみであっても、祈りであっても、わたしは受け止めよう。
突然、クワルツさんは石像の前で屈みこむ。瓶底眼鏡の奥の瞳が細く絞られた。
「ミヌレくん。台座に古代エノク語が刻まれているぞ」
「古代エノク語? 砂漠の文字じゃなくて?」
わたしもしゃがんで、台座に彫刻された文字を見る。
砂漠の言語じゃない。でも砂漠帝国だってエノク語の書物はあった。
「コグノスケ・テー・イプスム………汝が何か知るがよい、か」
汝が何か………
わたしは、わたしが何か知っている。
今は夢見る胚芽に過ぎないが、いつか女神となる存在。
バングルを錫杖化する。銀のひかりが星めいて灯り、水にまで染み渡っていく。
銀のひかりを纏いながら、わたしは唇を開く。紡ぐ音韻は古代デゼル語、千年前に交わされていた言語。
「わたしはゼルヴァナ・アカラナの胚芽。いつか時間の輪の外を統べるもの。時を超越する錫杖を持ちて、あまたの予言を齎すもの。未来を齎すもの。女神にして女王。無窮の混沌。その名は『夢魔の女王』」
微睡むような蒼から淡い銀が生まれ、ふわりふわりと揺れて、集まっていった。
彫像の前に銀霞が広がり、揺らぎ、絞られ、ひとの輪郭に凝った。
幽霊だ。
儚さの無い幽霊だな。二メートル半くらいの立派な体格しているもの。
このひと、アトランティスの民の幽霊だ。
以前、法王聖下への拝謁を許されたから、直感的に理解できた。
「これ第四人類の幽霊ですよ」
「ほう。アトランティス時代の幽霊とは、また珍妙な。そんなに幽霊は長生きするものなのか?」
クワルツさんが疑問を呈した。
「幽霊の寿命は、自然環境下だと50万年です。第四人類の幽霊がいても不思議ではありません」
レトン監督生が解説してくれた。
レムリアの幽霊は存在しないけど、アトランティスの幽霊だったら自然環境下でも存在しうるのである。レアだけど。
というか、砂漠の民の幽霊じゃないのか。
わたしへの信仰でも憎悪でもないって分かって、こころから重みが抜けていった。
蒼と静まりに満ちた広間で、幽霊は言葉を紡ぐ。
それは音を発しながらも、静けさを深めるような語りかけだった。
全然さっぱりヒアリングできないけど。
………たぶん幽霊が語ってるのって、古代エノク語かアトランティス語だよな。
喋ってくれるのは嬉しいけど、全然、こっちに通じてねぇ!
現代魔術師の基礎科目には、古代エノク語が無いんだよ!
たぶんなんかすごい重要そうなことを、一方的に喋り倒されても困る。
「我は何ぞや 烈風を駆けし蹄を持ちて
我は何ぞや 波濤を泳ぎし尾を持ちて
我は何ぞや 雷雲を翔けし羽を持ちて」
幽霊の言語が、ジズマン語に変わった?
馬鹿な。
これがアトランティスの幽霊だとしたら、ジスマン語はあり得ない。
何万年も前に、ジズマン語は存在していない。あるのは神官が使う古代エノク語と、第四人類と擬人類との共通言語であるアトランティス語だ。
それこれは呪文だ。
術式の黙章。呪符に綴って音声に紡がない部分だ。
どういうことだ?
呪文を伴う近代魔術は、アトランティスが滅び切った後に誕生したのに。
「時に囚われることなき、無窮たる混沌
我が何か 知るがよい………」
銀のひかりも消えて、蒼い世界に戻る。
「クワルツさん、古代語部分のヒアリングできました?」
「いや、繰り返せば聞き取りできるが、一回喋られただけでは無理だ。古代エノク語ということしか分からん。きみのムービーギャラリーを召還して、教師か元司祭に視聴してもらいたまえ。それが確実で早いな」
古代エノク語は、アトランティス時代に使われていた言語のひとつ。
あの幽霊は、間違いなくアトランティスの民。
「だが拾えた単語もあった。『視た』『時間の無い』『女神』」
時間の無い場所のいる女神を視たってこと?
………もしかして時間障壁の彼方の光景か。
障壁の彼方を視た第四人類がいたのか。
魔法空間に、遠視の光景が彫像化したとか。
そんで彫像を魔法空間から召喚して、何万年も残っているの?
なら、この彫像は、わたしと先生の未来の姿。
どうして蛇に戒められているの?
未来の先生に、牙を立てられるなんて………
『永久回廊』で寄り添ってくれていると思っていたけど、まさか何か拗れて先生はわたしのこと憎んでいるの……?
気持ちが重くなって俯く。
わたしが先生に喰われている図………
ん?
もしかして、これは、とても、えっちなシーンでは!
でもえっちなシーンだと思えば、ゼルヴァナ・アカラナも表情も苦悶じゃなくて喜悦っぽいし、蛇も乳房とか腰とかに絡みついている。
『永久回廊』の窮極の間で、ふたりっきりの時、すごくえっちなことしているのでは!
つがいだものな!
夫婦だものな!
つまりこれは夫婦生活!
「ピェエエエエエエエエッ!」
喉の奥から悲鳴が迸った。
レトン監督生がびっくりして後ずさる。
なんで『永久回廊』での行為が、公衆の面前に晒されなくちゃいけないの!
見ないで!
恥ずかしい!
でもなんで恥ずかしいのか説明するのは、もっと恥ずかしい!
「ミヌレ一年生、どうしたんだい」
「おそらくだが、ミヌレくんはゼルヴァナ・アカラナにトラウマがある。精神的に不安定になったのだろう」
クワルツさんが適当に誤魔化して、わたしを抱きとめてくれる。
「先に戻って休もう」
「やはり休養を取るべきだろうな」
ふたりが脇を固め、わたしは連行されていった。
「ピェェ………」
あれが! みんなの目に! 晒されている!
わたしはもうピェピェ鳴く以外できなかった。
カジノを後にしたわたしたちは、魔導航空艇へと戻った。
金属質でチューブだらけのお部屋には、花粉の少ない花が飾られている。
赤い薔薇であったり、青い黒種草であったり、彩りは様々だ。
香しい彩りの中、ディアモンさんは指を動かし続ける。刺繍糸たちは花めいて華やか。周りの花たちが刺繍糸になって、ディアモンさんの指で刺繍に生まれ変わっていくみたいだった。
一方、先生は査読しなくちゃいけない論文に囲まれている。金属質の折り畳み机と腰かけ、白い紙に綴られる文字は黒。完全なモノトーンの世界だった。
あまり広い部屋じゃないのに、けっこうな人数が詰まっている。先生とディアモンさん。わたしとクワルツさんとレトン監督生。スティビンヌ猊下に、王宮から戻ってきたウイユ・ド・シャくん。
わたし、【浮遊】した方がいいのかな。
「ミヌレ。石像の幽霊は観測できたか?」
「ういうい。幽霊さんはアトランティスの民でしたよ。言葉は古代エノク語でしたから、翻訳をお願いします」
「砂漠の民ではなかったか」
エノク語を通訳してもらうってことは、あの石像も先生やエグマリヌ嬢やディアモンさんにも見せることになるんだよなあ………羞恥の極みだよ。
でも見せないわけにはいかないから、ここはぐっと感情を呑み込むしかない。
錫杖でディスプレイ召喚。
ムービーギャラリー鑑賞タイム。
ディスプレイに石像が映った。
「ミヌレに似ているな……」
わたしが成長した容姿を知ってる先生は、真剣な面持ちをムービーの石像を見据えている。
あまり真剣に見つめないでほしい。恥ずかしい。
「便利さね。こういう魔導器具を作るとしたら、【読心】が核になるかもしれないさね」
スティビンヌ猊下はわたしのディスプレイそのものを観察してる。いや、ムービーを視聴してくださいよ。石像は見てほしくないけど。
流れる古代エノク語。
ムービーを繰り返そうと思って、一旦、止める。
「神官長が宇宙の涯を視た。神官長が宇宙の涯を聴いた。そこは時の限りが無き世界。そこは言葉満ちる世界。白き神殿に女神と蛇は住まう。女神の言葉の断片を、我は未来に伝えよう」
先生は即時翻訳してくれる。止める必要なかったな。
「アトランティスの民が、時間障壁の向こうを霊視したのか。無窮神性の擬人化が、この石像」
擬人化ではなくて、本人ですよ。むしろわたしですよ。
しかしアトランティスの民は、ラーヴさまを霊視できないけど、時間障壁の彼方にいる『夢魔の女王』は霊視できるのか。たとえわたしが時を超える領域に昇っても、ラーヴさまの方がお強いってことかな。
「その擬人化が砂漠の民まで伝わって、宗教となった可能性があるのか?」
仮説を呟く。
ゼルヴァナ・アカラナは砂漠に伝わっている神だけど、最初に視たのは砂漠の民じゃなかったの?
ディアモンさんが美貌を顰めた。
「ゼルヴァナ・アカラナは古代帝国の巫女が霊視したのが定説だけど………もっと信仰が遡れるとしたら、アトランティス帝国から古代帝国への魔術系譜まで定説を疑うことになるわよ」
高位魔術師たちが悩んでいるけど、ムービーを進める。
ディスプレイからジズマン語が流れた。
先生とディアモンさんは、自分たちが喋っている言語であるにもかかわらず、まるで未知の言語に触れた表情になっていた。
「術式を未来視したのか?」
「ニック。この術式、知ってる?」
「私は知らん」
「アナタが知らないってことは、ならまだ開発されていないか、開発中か。あるいはオプシディエンヌが秘匿している魔術、かしら?」
ディアモンさんが断言する。
先生が持ってる知識への信頼が厚いな。
「元司祭にこのムービーを視聴させたい。形式的には獣属性の術式黙章だ、弟子が開発中の術式かもしれん」
テュルクワーズ猊下にまで見せなくちゃダメなのか?
このえっちな石像を!
そりゃ獣属性権威で古代エノク語完璧な魔術師だし、テュルクワーズ猊下は適任だよ。
でもわたしの羞恥が破裂しそう。
「テュルクワーズなら明日には来る予定さね。ディアモン魔術師とあたしの検診が入っているさ」
スティビンヌ猊下はそうおっしゃりつつ、銀無垢表紙のメモ用紙に何か文字を綴っていた。紙を丁寧に折って切り、壁際のウイユ・ド・シャくんへと視線を投げる。
「幽霊が語った術式さね。帰ってきたばかりで悪いけど、これをテュルクワーズに渡してほしいさ。あとで意見を聞かさせて欲しいって、伝えておいて欲しいさね」
ウイユ・ド・シャくんは礼儀正しく頷いて、部屋を出ていく。
「あたしはボディの稼働限界が来てるから、五時間ほど休止するさね。再起動するまでに、その査読を終わらせてほしいさ」
「この程度、すぐに終わる」
先生は即座に返事したけど、そこらへんにある書類、五時間で片付く量かな?
「五時間の量でしょうか」
「私がやらねばならんのだ。あの星智学のご老体がこなしていたのだからな」
お亡くなりになられたカマユー猊下の仕事まるごと、先生がやらされているんだ。
オプシディエンヌの追跡が急務とはいえ、連盟も通常業務を滞らせるわけにもいかんからな。
「わたし、お手伝いします」
「いや、相談なら刺繍遣いがいるし、書類整理なら………」
「僕がお手伝い致します。いつも通りで構いませんか?」
レトン監督生が一歩、前に出た。
「頼む。ミヌレは先に休んでいなさい」
「………うい」
素直に部屋を出る。
たしかに書類整理とか文具管理とかだったら、普段から補佐していたレトン監督生の方が的確だものな。
ハァ、早くわたしも、先生のお手伝いできるようになりたいなぁ~
でもわたしはわたしにしか出来ないことがある。
獣属性の黙章。
時間の果てでわたしが持っている【磨羯神化】の魔術。
きっとあれは、わたしが得るべき魔術だ。