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第九話 (中編) 抱卵の如く、大樹の如くに



 本日の昼餉は、ピクニックランチだ。

 目的地は放牧場が眺められる丘。

 アイスクリームの入ったバスケットは、エグマリヌ嬢が【霧氷】をかけた。これでお天気よくても、アイスクリームは冷たいままだ。

 ランチバスケットをはじめ、敷物とかクッションとかは、使用人さんに目的地まで運んでもらうのだ。

 貴族階級のピクニックは手ぶら。

 でもクワルツさんは彩色された長方形の木箱を抱えている。

「その荷物も預けなくていいんですか?」

「旅行用クラヴィコードだ。楽器は荷物ではないからな」

 なるほど。

 楽器が荷物に入らないというのは分かんないけど、荷物扱いできないってクワルツさんの価値観は覚えた。

「ミヌレ。その散歩用ドレス、可愛くてミヌレの雰囲気にぴったりだよ。次に注文するドレスも、似たようなデザインにする?」

 わたしが着てるのは、サンザシ模様のドレスだ。

 濃い苔緑だから汚れが目立たず、木綿だからクリーニングしやすいという、ピクニックとか散歩とかにぴったりのドレス。

 でも去年のお仕立てたから、サイズが小さいのだ。

 お嬢さまが着るにしては数センチ短い。靴どころか足首が丸見えだ。こういうちょっとした丈の長さまでぴったりさせておかないと、借り物っぽくて上流社会では浮くんだよな。

「ミヌレが新しいドレスを仕立て……」

 不意に途切れるエグマリヌ嬢の言葉。

 そこまで言って、わたしのドレスを今まで仕立てていたのがディアモンさんだって思い出したみたい。

 あの状態のディアモンさんにドレスを作ってほしいと願うのは、さすがに鬼畜だ。

「他のクチュリエにドレスを依頼する気にもなれなくて」 

「そうだね。ミヌレがいちばん可愛くなるのは、ディアモンさんのドレスを着た時だよ。いや、いつも可愛いけどね。ディアモンさんはミヌレの可愛さを、引き出してくれるというか………流行や伝統にはめるんじゃなくて、ミヌレ自身の髪の色や可愛らしさに主眼を置いていたというか。仕立てに詳しくないボクが言うのも、偉そうだけど」

「ドレスに詳しくなくても、わたしの親友ですよ。エグマリヌ嬢がいちばんかわいいって思ったら、それが正解です」

「そ、そうかな」

「そうですよ」

 春が終わり小路からはスノーフレークは消えて、黄水仙ばかりが咲き残っている。

 丘へと続く道は、村のひとたちが下草を刈ってくれていた。靴につく雫も泥も少ないし、足首をくすぐるほど草が伸びてない。小石を踏んづけてしまうこともない。野趣を損なわない程度に、道を整えてくれていた。

 丘は青草が刈られたばかりの匂いがする。

 それから露で濡れた土や、野生の黄水仙の匂い。

 畑の匂いだ。

「園遊会前みたいな匂いだね」

 エグマリヌ嬢の言葉に首を傾げてしまう。

 園遊会ってこんな匂いなの?

 出席したことないから知らんけど。

「ミヌレくん。庭先でパーティーするときは、数日前に使用人が総出で草刈りするのだ」

 補足してくれたのは、クワルツさん。

 上流階級に属するひとにとって、この青々とした匂いは園遊会を連想するのか。階級によって匂いの印象も違う。それは当然なんだけど、実際に聞くとおもしろい。

 放牧場が眺められる丘は、白詰草が揺れている。

 どっしりとした樫の木が聳えていて、木陰にピクニックランチの準備が整っていた。敷物が敷かれて、クッションが用意されている。どちらの色彩も素朴かつ多色使いだから、なんとなく砂漠帝国の四阿を思い出した。

 バスケットを広げる。

 ランチバスケットには、陶器に入ったキッシュ。それと前菜に人参のグラッセも付いている。

 キッシュの黄色とニンジンの橙色のコントラストが綺麗。緑の中で見ると、ますます鮮やかだ。

 デザートバスケットには、錫の入れ物に詰められたバニラアイスクリーム。瓶詰めビスケット。飲み物は木苺のコーディアルと白葡萄酒だ。木苺模様のデザート皿や、グラスも綺麗に入っている。

 クワルツさんは真っ先にワイン瓶を出して、エチケットを確認する。

「ワイン瓶がスマートですね」

 エクラン王国で見るワイン瓶と全然違う。スリムだ。

「うむ。この細さがモンターニュのワイン瓶の特徴だな。それとモンターニュ産のエチケットには、農園名ではなく品種名が大きく書かれる。細い瓶で葡萄の品種名が書かれていたら、モンターニュ産だ」

 ワインの豆知識を教えてくれる。専門家が教えてくれる豆知識、好きなんだよな。

 葡萄の話を聞きながらランチだ。

 キッシュをひとくち齧れば、濃厚な生クリームに黒胡椒。それから噛み応えのあるものが入ってる。なんだこれ。ベーコンかと思ったけど、お肉じゃないな。きのこか。噛んでいると、野趣に富んだ風味が感じられる。

「美味しい香りが入ってますね」

「ふむ。モリーユ茸だな」

 モリーユ茸は、ゲーム中で春に山奥へ素材採取しにいくと低確率で手に入る。魔術の役には立たないけど、超高級食材として高値で売れるんだよ。

 はっきり言って、お小遣い稼ぎアイテム。

 学院の夕餉では、時期じゃないから出なかった。

「春の園遊会だとよく出るよね、モリーユ茸のキッシュ」

「冒険者タルトならぬ貴族キッシュですね」

「貴族キッシュか」

 笑壺に入ったのか、クワルツさんが笑う。グラスのワインが零れそうだぞ。

 他愛もない会話をしていると、放牧場に付属してる厩が開く。

 ヴァン・ド・ノワール、それから八本脚の仔馬さんも付いてきた。生まれたての仔馬さんは、初めての放牧場におっかなびっくり歩いている。母親のヴァン・ド・ノワールから片時も離れない。

 緑茂る放牧場に、八本脚の仔馬が歩く。

 まだおっぱい飲んでいるけど、母馬のヴァン・ド・ノワールが草を食んでるの見て、自分も鼻先で草をつついてる。口で草を引っ張ったりして遊んでいる。可愛い。

 その光景を眺めているエグマリヌ嬢も可愛い。

 氷色の瞳をきらきらさせて、えくぼを作っている。

「仕草は普通の仔馬と変わらないんだね。ボクのジャン・ド・フルールも生まれたてはあんな感じだったよ。あの子は何て名前になるのかな」

「うーん。小麦粉袋に顔つっこんだみたいですから、小麦粉(ファリーヌ)ちゃんとか」

「………ミヌレのネーミングは牧歌的だね」

 うん? 妙な間が入ったけど、これは肯定かな?

 黒葡萄酒のこどもが小麦粉ちゃんだと、親子っぽくて可愛いと思うぞ。台所親子。

「エグマリヌ嬢だったらなんて名付けます?」

「そうだね。白い馬の足型ルノンキュル・ブロンシュかな」

 可愛い……

 馬の足形が咲く季節に生まれたから、ぴったり。

「クワルツさんは?」

「ふむ。色づき(ヴェレゾン)かな」

「色づき?」

「夏に黒葡萄が緑から黒へ変化していく様子を、ヴェレゾンと呼んでいる」

「いいですね、黒葡萄酒の子供っぽくて」

 黒葡萄の色づきか。

 これはカッコイイな。

 たしかに小麦粉ちゃんは、名づけにしてはお馬鹿っぽかったかもしれない。

 デザートまで食べ終わると、クワルツさんが旅行用クラヴィコードを開く。金彩施された箱の中には、薔薇褐色と象牙色の鍵盤が並んでいた。

「あまり見かけない楽器ですけど、教会だとメジャーなんですか?」

「いや、これはマダムの得意な楽器だからな。うちではオルガンが演奏できる背丈になるまでは、クラヴィコードを習っている」

 クワルツさんの指先が鍵盤で踊る。

 楽器奏でてる指って、よくあんなに別々に動くなあ。

 素敵な音色だけど、現代だと習うひとの少ない楽器だ。

 だってクラヴィコードって、音量がささやかだもの。サロンだと聞こえにくいし、ましてや演奏ホールには向かない。

 でもこうやって友人が寄り添って、静かに楽しむ音楽としては打って付けだ。

 クラヴィコードの優しい音色。

 遠くの放牧場で、草を食む仔馬。そして微かなバニラの残り香。

「雅宴画のなかに入り込んだみたいだね」

 エグマリヌ嬢が呟く。

 雅宴画ってのは、エクラン王国では一番人気の絵画ジャンルだ。

 王侯貴族が自然の中で宴を楽しんだり、逢引きしたりする、平和かつロマンティックな絵画。

 たしかにもしここに画家がいて、わたしたちを描いたら雅宴画になるだろうな。エグマリヌ嬢やクワルツさんは、雅宴画の登場人物に相応しいもの。

「まさに雅やかな宴だ。ふがいないかもしれんが、いっそこのまま知らぬうちに片付いてくれればいいのにな」

「そうだね………何もかも片付くといいよね。秋までに片付けば、ミヌレも安心して復学できるし」

 そうなんだよな。

 進級や入学は、葡萄月の最初の日。

 今は牧草月。

 緑が生い茂り、仔馬が跳ねまわる季節。

 あと五か月以内で全部片付けば、復学しやすくていい。 

 エグマリヌ嬢の心遣いは嬉しい。

 ……でもね、エグマリヌ嬢、すべてが片付くってことは、先生が死ぬってことなんだよ。

「疲れてきたので、独りでお昼寝していいでしょうか。わたしの休息に付き合わせているのに、いきなり休みたいなんて不躾で申し訳ないのですが」 

「休んでいいに決まってるよ! ボクらのことは気にしないで」

「ミヌレくん。もしよかったら、吾輩がベッドまで運ぼうか?」

「いえ、風が気持ちいいから木陰でゆっくりしたいんです」

 エグマリヌ嬢がクッションを整えてくれる。

 わたしは木陰で丸くなると、ふたりは放牧場の方へと行ってくれた。

 

 天気も良くて、風も涼やか。

 アイスクリームも回せたし、美味しいものでおなかいっぱい。

 友人たちが優しくしてくれる。

 でも、わたしのこころは重くて、トゲトゲしている。

 やっぱりオプシディエンヌが気がかりなんだ。あの邪悪な魔女を滅するまで、真の平穏なんて無い。

 

 とても静か。

 足音ひとつない。

 でも誰かが近づいてくる気配がする。

 この村ごと魔術騎士団の護衛が入っているから、不審者じゃない。

 【胡蝶】も反応しないし。

 誰だろう。

 寝返り打つふりしてちょっとだけ顔を上げれば、真鍮色の反射が網膜に届いた。

 レトン監督生だ。 

 木漏れ日のせいで真鍮色の髪はいつもより眩しく、緑陰のせいでローブはいつもより黒く感じた。

 熱を出して、寝込んでいたのに。捻挫と打撲、良くなったのかな?

 ううん、それよりレトン監督生が、昼寝中の女の子に近づくとは意外。

 女の子が昼寝しているところに近づくなんて、一挙一動が礼儀正しいレトン監督生らしくない。

 緊急の用事かな?

 それにしては動作が落ち着いている。

 緊急じゃないとしたら……

「うそ寝って、なんでバレたんです?」

 わたしはむくっと起き上がって問うた。

 突然起きたわたしに対して、真鍮色の眼差しは落ち着いている。やっぱり近づく前からわたしが寝てないって察していたんだ。

「昼寝してないと思ったよ。僕ならしない」

「ん?」

「オニクス先生が手術を受けている最中に、きみが午睡すると思わない」

 腑に落ちた。

 オニクス先生は【死爆】の処置中なのである。そのさなかにわたしが高いびきしないって推論か。

 その推論に達したのは分かる。

 でも近づいた動機は分からない。

 わざわざうそ寝しているところにやってきた理由は、なんだろう。緊急でなさそうなのに、このタイミング。そう、クワルツさんとエグマリヌ嬢が不在のこの状況。

「なにか、大切なお話でしょうか? エグマリヌ嬢たちには聞かせられないような?」

「相変わらず話が早い。差し出がましいようだけど、ミヌレ一年生の精神状況を案じている。ここで過ごすのは辛くないかい?」

 またそれか。

 みんな、よってたかってわたしのメンタルを案じてくれる。

 別にわたしは辛くないのに。

「辛くなんてありませんよ。メルヒェンな風景に美味しいおやつ、何よりエグマリヌ嬢とクワルツさんもいるんですし」

 心強い友達がいるのだ。

 ふたりともすごく気遣ってくれる。気遣われ過ぎて重いけど、嬉しくないわけじゃない。

「それが辛くないかな」

「ふぇ?」

 素っ頓狂な声が出てしまう。

 レトン監督生は余所行きの笑みを拭って、穏やかながらも真剣な面持ちになる。舌の上にある言葉を吟味するように、僅かな沈黙を挟んでから、口を開いた。

「覚えているかな? 以前、旧街道できみは御者補に対して、オニクス先生への偏見を窘めていたね」

 あんまりにも昔の話で、思い出すのに数秒要した。

 フォシルがクソふざけた発言かまして、わたしが黙れと言った件か。

「先生への評価を偏見だと言い切り、無礼だからと発言を止めさせた。きみの態度は羨ましかったよ」

 もしかしてレトン監督生にも似たような状況があったんだろうか。

 先生への偏見や侮蔑を、一方的に聞かされる状況。 

「きみがどれだけ先生が好きか、それなりに理解しているつもりだよ。だから」

 言葉が切られる。

 真鍮色の眼差しが、わたしを真っすぐ見据えた。 

「先生のこと忌み嫌っている友人ふたりに囲まれて、きみは辛くないか?」

 レトン監督生は重い事実を吐く。

 その問いかけは深く深くわたしの胸に沈み、自覚してない深層へ突き刺さってしまった。



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