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第八話 (後編)  胡蝶の寝覚め



 糸を扱う古代魔術の使い手で、天才的なクチュリエ。

 他の何を犠牲にしたって、指を取り戻すのは当然かもしれない。

 でもライカンスロープを持続させるために、内臓まで摘出するなんて………

「ねえ、ニック。アタシが食べもの食べるの嫌いだし、寝ることも苦手だって知ってるでしょう」

 ディアモンさんの言葉に、先生は項垂れたまま頷く。

「きみがレストランに行くのは、流行のドレスを眺めるためだからな。私からは信じがたいが、きみはほんとうに食べることが嫌いだった……」

「ええ。胃のなかで食べ物がこなれていく感覚って、ぞっとするし吐き気がするわ。でも食べたり眠ったりしないと、肉体が保てない。できることならアタシは、食事や睡眠に煩わされず自分の研究がしたいのよ。今この状態は、アタシの望みに近い肉体だわ。もう何も食べなくてもいいし、眠る必要もないの」

「そう、だな」

 呟きと共に、さらに項垂れる。

 先生はもう自分で吐いた言葉の重さに、耐え切れないみたいだった。

 言葉の名残りが、部屋の空気まで重くしていく。わたしも、ディアモンさんも何も言えない。きっと慰めさえ、先生を傷つける。

 部屋の外から、足音が響いた。

 沈黙を踏み割るように、足音はすべての金属に響く。

 スティビンヌ猊下は入ってくるなり、扉を塞ぐように凭れた。硝子の瞳で先生を見据える。銃口の標準が合わせられてるような感覚だ。

「そんな真人間みたいな表情、すると思わなかったさね。萎れた顔してないで、喜べばいいさね。浮かれればいいさね。魔術師の内臓を取り出して、アルケミラの雫を直接投与し、魔力を常時維持する研究。自分の研究の成功例と会話できて、歓喜に噎べばいいさね。闇の教団の副総帥閣下」

 ディアモンさんの状態は、先生の……いや、副総帥オニクスの研究の成果なのか。

 たしかにアルケミラ雫で魔力を常に回復させていたら、魔力が低くても魔術を使い続けられる。

 でも魔力維持のため内臓を取っ払っちゃったら、低魔力者の遣い潰しだ。

 むしろ低魔力者を効率良く遣い潰したかったのか。

 闇の教団らしい研究だ。

「あたしが効率良い投与装置を発明できたのは、副総帥閣下が幾多の人体実験で、アルケミラの内臓投与を実践できるまで研究したおかげさね。これがなかったら、ディアモン魔術師の両腕は灰になったままだったさよ」

「楽しいお喋りですね」

 つい口を挟んでしまった。

 スティビンヌ猊下は微かに鼻白む。

 魔導ゴーレムの人工皮膚が歪むほどだ。もし生身だったらもっと表情が引き攣っていたに違いない。

 わたしは鼻につくほどの生意気さだったのだろう。でもオニクス先生のこと、楽しくお喋りしたい相手じゃないって言ったのは、スティビンヌ猊下なのだ。

「威勢がいいさね」

 スティビンヌ猊下は鼻白みながら、唇は微笑んでいた。

「それが世界鎮護の魔術師の地位にふんぞり返って吐いた台詞なら、あたしも年長者としてそれなりに対処するさ。でも『夢魔の女王』がたとえ魔力を持たない村娘でも、きっと同じこと言うだろうさね」

「当然です」

「度胸に免じて、余計なお喋りは控えるさよ」   

 スティビンヌ猊下は背を向け、扉を開く。

「オニクス。話が終わったら、施術室に来るといいさ。またその空っぽの眼窩に、【死爆】を埋め込ませてもらうさよ」

 扉が乱暴に閉められた。

 先生は何も言わない。言えないのか。  

 ディアモンさんの傍らで立ち尽くしている。途方に暮れて立っていることしかできないみたいだ。

「ニック。ミヌレちゃんに会ってから随分、変わったわね」

「昔の私は酷いものだった」

「思い知らされたわ。古代魔術専門の魔術師の手を焼くなんて、最低よね。でもこれでアナタの被害を受けてないから友達ヅラしていられるって、通りすがりの連中から揶揄られなくて済むから、そこだけは良かったわ」

 連盟内で揶揄られてたんだ。

 それでもオニクス先生と友達でいてくれたんだ。  

 先生はもう相槌さえ打てなかった。

 部屋と肺腑に満ちる沈黙は、周囲にあるどの金属より重い。あまりに重さに、首を縦に振ることも横に振ることも出来なった。最初の音を紡いだのは、ディアモンさんの吐息だ。

「ニック。パリエト師の【胡蝶】を解放しにきたのでしょう」

 先生は頷いて、マントの下から、虫かごを出した。

 わたしの【胡蝶】が封印されている。

 シッカさんが十四年の歳月をかけて、千年の忠義を賭して、わたしを護るため織ってくれた古代魔術。

「魔女オプシディエンヌの封印だ。私では解放できなかったが、きみなら解けるだろう」

「当然」 

 ディアモンさんは自信たっぷりの笑みで、虫かごを受け取った。

 虫かごを構成する糸に触れる。

 柳眉が顰められた。

「賞賛したくないけど……構成としては巧みだわ。無駄がない。虫篭そのものをミヌレちゃんの髪で織って、保護機能を誤認させている。【胡蝶】の防御機能で、封印機能を維持しているから、破壊するのはまず不可能ね」

 観察しながら、虫かごを撫でていく。

「でも解放することはできるわ」

 まるで楽器をつま弾く指遣いだ。音楽が流れてないのが不思議なくらい。あるいは砂漠の民しか聞こえない音楽が満ちているのかもしれない。

 蝶が輝く。鱗粉が散るように、光が散る。

 小さな虫かごが震え、解けた。

 寝覚めるように、一気に溢れ出す幾千億万の蝶々。

 蜘蛛の巣から解放されて、蝶が歓喜に満ちている。喜びが伝わる。

 蝶たちはわたしの髪に集まり、肩に休み、指先に留まる。

 はらはらと散って、一匹の蝶になっていった。

「ミヌレ、きみの髪が………」

 隻眼に映る鉱石色の髪。

 伸びてる!

 わたしの髪が元通りに、ううん、もっと長くなっている。

「【胡蝶】が髪に姿を変えたのね。ミヌレちゃんの髪も、素材のひとつとして織り込んであるもの。ミヌレちゃんの髪にも擬態できるわ」

「じゃあ蝶の個体が減っているんですか?」

「いえ、髪に化けているだけで、個体を減らしたわけじゃないわ。アナタの髪が伸びるまで、蝶たちは髪に化けた方がいいって判断したみたい」 

 じゃあ【胡蝶】が発動したら、またわたしの髪の毛は散切り頭になっちゃうわけか。

 とりあえず普段の見た目だけでも元通りになってよかった。

 髪なんてそのうち伸びるし、帽子で隠せばなんとかるけど、先生の気持ちが落ち着かないだろう。

「すっかり元通りですね」

 わたしが先生に笑いかけると、隻眼もろとも表情が翳った。

 何故だ。

「施術を受けてくる。私も元通りにせねばな」

 わたしを振り払うように出て行ってしまう。

「あらあら。ニックはずいぶんと気に病んでいるようね。良かったわ」

「良かったんですか?」

 わたしの口調はちょっと非難がましくなってしまった。

「まともになってきたってことよ。本当に変わるのね、人間って……」

 細く途切れそうな溜息をつく。

 吐息だけじゃなくて、姿勢や目元からも疲れが滲んでいる。

「ディアモンさん、お疲れですか。すみません、お見舞いになのに解呪させてしまって。失礼します」

「待って、ミヌレちゃん」

 か細い声で止められた。

「アナタこそ療養が必要よ。それを自覚してちょうだい」

「わたしは療養おわってますよ。寮母さんが看護してくれましたし」

 チート回復した腕を、ぷるぷる振る。

 神経も経絡も問題ないし、体力も魔力も全回復してる。

 もう大丈夫って全身で主張したけど、ディアモンさんの眼差しは和らがなかった。

「こころの方よ。身体が回復したからって、精神は容易く癒えるものじゃないわ。ニックを恋い慕っているのは分かるけど、構うのは控えて安静して。ニックのことはアタシが見てるから」

「ディアモンさんこそ療養中ですよ」

「刺繍できるくらいには回復できたわ。今はアナタを大事にしてくれる友達と、穏やかに過ごしてほしいの。お願いだから」  

 心配してくれるのはありがたい。

「ありがとうございます、ディアモンさん。そうさせて頂きます」

 忠告するディアモンさんがあんまりにも真剣だったから、素直に従うことにした。

   






 でも拉致も監禁も、ほんとうに大したことないのだ。

 先生が死ぬという未来以上に、わたしに辛いことなんてないんだから。



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