第七話 (後編) 世界劇場
死闘だ。
絶え間なくぶつかり、響き渡る金属音で、飲み込む唾まで金属の味がしてくる。
呪文で援護しようと思ったけど、無理だ。副総帥オニクスの速さについていけない。
詠唱より速いなんてものじゃない。肉体的な速さもさることながら、判断も速い。
あらゆる動作が、わたしが思考するより速いんだ。こっちが打つべき一手を判断する間に、副総帥オニクスは二手三手と攻撃を繰り出していく。
脳が考えるより早く、四肢と脊髄と星幽体が、最適を選択しているんだ。
これが全盛期の速さか。
あの高身長が、クワルツさん並みの速度で動いている。
先生は脚の不具合を抱えていたけど、相手は過去の自分だ。ある程度は剣筋を読めているんだろう。紙一重で躱していく。躱しきれずに、髪や皮膚が裂かれて、ときおり血が散った。
ふたりとも目まぐるしく位置が変わり、一瞬で攻守は転じる。
「老いぼれが。見苦しい動きだな」
「若造が。剣筋を読まれているのも分からんのか」
先生は躱しながら詠唱している。
何を唱えているんだ?
副総帥オニクスに闇属性攻撃は無駄だ。【恐怖】や【乱鴉】じゃない。
「【焔翼】」
先生が真紅の焔を纏った。
羽ばたく炎は、眼球さえ溶かす業火だ。この魔術ならたとえ蜘蛛の巣に引っかかったとしても、溶かして、動きが妨げられることはない。
「下らんな。【耐炎】を纏っている私に………」
そう。先生のクリス・ダガーには、【耐炎】の護符が嵌められている。それは副総帥オニクスも同じ。
どうして【焔翼】で炎を纏った?
その疑問は当然、副総帥オニクスにも湧く。
「単純な話だ」
先生は語りながら、鋭い切っ先を振るう。
「炎を纏うと、動きが読みにくいだろう」
火星色の炎は先生の輪郭を揺らがせ、熱が空気を歪ませ、火の粉たちが視界を過る。
そして一気に踏み込んだ。
副総帥オニクスの腕に、先端が刺さる。
けど、浅い。
咄嗟に後ろに跳ぶ。
「小手先の技に頼るとは、衰えた証拠だな」
口許歪ませて悪態ついたけど、【焔炎】の効果時間は長い。
速度において、先生は圧倒的に不利。その不利は、副総帥オニクスの視界を、炎で錆びさせることで埋めたのか。
「刺突剣でない武器なら……」
副総帥オニクスの手に握られていたエストックは、輪郭が変わっていく。長く伸びていき、刃が生まれていく。
長柄戦斧ハルバードへと転じた。
4メートル近いハルバードだ。あんな巨大なハルバード、人類の膂力で扱えるのか?
いや、それより武器の形態を変えられたってことは、この空間、まだ先生が完全に支配権を取り戻していないんだ。
魔法空間は魔法そのもの。
主の無意識に服従する。
「使ったことがある武器に変形できるようだな」
ハルバードは大きく振りかぶられた。銀光めいた刃が翻り、炎を両断する。
断たれたのは炎だけ。
あまりにも勢い込んで振り過ぎたせいで、隙も大きかった。先生は一撃を躱し、戦斧の刃は地べたに食い込む。
先生が間合いを詰めた。
副総帥オニクスは這うような姿勢から、背筋の力で無理やり、刃を下から上へと振り上げる。あの体勢から動けるなんて、化け物みたいな膂力と体幹だ。
先生の肩を切り裂いた。
血飛沫と火の粉、それからわたしの悲鳴まで入り混ざる。
真紅の淵へと倒れていく先生。
「先生っ!」
わたしの呼びかけに振り向いたのは、副総帥オニクスだった。
一歩、わたしへと近づく。
わたしの脚は反射的に後ずさりしかけたけど、踏みとどまった。もし逃げれば、もっと恐ろしいことになりそうだったから。
「ミヌレ、私だけの愛しい女王。私の方が強いだろう。老いぼれなど見限って、私を愛してくれ。そうすれば私は本物になれる」
血塗られたハルバードを持ちながら、わたしへ微笑みかける。
ハルバードじゃなくて、薔薇の花束でも抱えているみたいな笑い方だった。血なまぐさい花束はこの男には似合っているけど、わたしは欲しくない。
血だまりの中、先生がゆるりと起き上がった。肩を押さえているけど、鮮血は止まらない。
「きみが私と成り代わったところで、幸せにはなれんよ」
「ミヌレが私だけを愛してくれれば幸せになれる!」
「無理だ」
それは言葉のかたちをした溜息だった。
血だまりまで溜息をついたように波紋して、広がっていく。
「愛されてしまえば、不安が湧く。独占を願う。渦巻く負の想いを埋めるために、次から次へと愛を貪欲に喰らうのだ。私は敵に対してバジリクスの如く猛毒を垂らすが、愛するものに対してはマンティコアの如く喰らおうとする。生まれながらにして満腹中枢を欠いた魔獣のように。私は愛されてはいけない。できるのは、正しく愛することだけだ」
「馬鹿々々しい。愛されても意味がないならば、どうして誰かを愛さねばならん?」
「そうだな。馬鹿々々しい。それでも私は、この子を正しく愛したいのだ」
「私は、愛されたい!」
「頑是ないことだ」
隻眼が眇められた。
表情の変化は僅かだったけど、副総帥オニクスにとっては煽りに近かったらしい。
こめかみがびくびくと痙攣していた。蛆が食い破っているように、脈打つ血管。
「黙れ、老いぼれ!」
「時代遅れは貴様だ」
先生の手にあったのは、魔導銃。
魔法空間で武器が自由に変わるなら、魔導銃だって作れるんだ。
オリハルコン光沢の銃身が、闇の中で呼吸するように艶めく。
魔弾が放たれた。
「………ッ!」
副総帥オニクスの脚が撃たれる。
間髪入れずオニクス先生が、駆けた。
すでに魔導銃はエストックに転じている。
「消えろ」
先生のエストックの切っ先が、副総帥オニクスの心臓を突いた。
鍔まで埋め込む勢いで踏み込む。
副総帥オニクスは呻きながら、クリス・ダガーを抜く。先生の脇腹へと深く刺した。それでも先生は怯まない。
だって相打ちなら、先生の勝ちだもの。
「……がッ!」
互いに血が噴き出す。
霧のように真紅が噴き上がった。
藻掻きながら、ふたりとも膝を付き、血の海に伏す。
「先生っ!」
わたしは駆けだしていた。
血煙と血の海を踏み越えて、先生へ抱き着く。
生々しく血を流す傷に、口付ける。癒しの吐息が傷を塞いでいく。
相打ちなら、わたしが癒す。
「ミヌレ……」
血の海の底から、呼びかけられた。
振り向けば、倒れたままの副総帥がわたしを見つめていた。
「……ミヌレ、ミヌレ」
副総帥オニクスの瞳には、絶望しかなかった。
たとえオプシディエンヌの魔術で産まれたひこばえであっても、このひとだってオニクスだ。
駆け寄ったわたしに、オニクスが縋りつく。
「どうして私を愛してくれない」
「愛していないわけじゃないんです」
「私以外を愛するなら、そんな愛など価値がない! 愛は唯一でなければ、すべて嘘だ!」
血を吐きながら、わたしの腕を強く掴む。
先生が副総帥を踏みつけた。
「………ぐッ」
「哀れな生き物だな。自分の理想とする愛から外れれば、容易く絶望する。愛は理想通りにならんというのに」
先生は過去の己を見下ろしながら、腰からクリス・ダガーを抜いた。蛇を模した刃だ。
とどめを刺す気か。
わたしは咄嗟に、ダガーを持つ手に縋りつく。
「先生、駄目です!」
このままじゃ副総帥オニクスの記憶が、先生のなかへと還ってしまう。
根拠も理屈もないけど、直感的にそう感じた。
わたしへした仕打ちで先生が苦しむなんて、絶対に嫌だ。
先生は記憶を消されただけ。罪なんてないのに、罪悪感を植え付けたくはない。
「これはわたしが喰らいます」
わたしは『幽霊喰い』だ。
先生の過去の残滓を喰らいつくして、忌まわしい記憶を無くさなくちゃ。
一粒残らず、一片残らず、この過ちを喰らってしまえ。
「ミヌレ。その願いは聞けない。私は覚えていなければならん。でなければ私の愚行が、きみのなかだけで残ってしまう」
「それでいいじゃありませんか!」
「駄目だ。私の罪は私のものだ。きみにだけ辛い記憶を押し付けたりはしない」
先生は有無言わせず、過去のオニクスの喉首を掻っ切った。
介錯されて、輪郭が淡くなって、色彩が揺らぎ、消えていく副総帥オニクス。
いや、先生に還ったんだ。
空間の罅割れから、光が湧く。
なんだ突然。
警戒しかけたけど、わたしはこの光の色を思い出す。
夕焼け色めいた輝き。いや、夕焼けよりもっと濃くて躍動的だ。まさに生命を宿した溶岩。これはラーヴさまの涙であり魔法だ。
わたしは以前、これに触れた。
先生から【制約】をはぎ取った時、わたしは自分の吐息を吹きかけて、この涙を魔術インクにしたんだ。
わたしの、吐息。
思いついたというほど明快な思考じゃなかった。なにか突き動かされるようにわたしは膝を付き、溶岩の輝きへキスをした。
輝きが縮み、結ばれ、一滴の涙になる。
「世界が………」
空間に入った亀裂が、一斉に広がり、爆ぜた。
いや、爆発じゃない。ラーヴさまの魔法が押しとどめていたものが、一気に拡張していくんだ。
視界が一変する。
闇と血と蜘蛛の糸が、閃光によって消え去って、残る光景は……
「円形の劇場!」
わたしたちは屋根付き舞台に立ち、扇状に広がった階段客席を眺めていた。すべてが木組みで、一階は土間、中世っぽい造りの劇場だ。
以前、幽体離脱していて、ここに入り込んでしまったことがある。やっぱりこの劇場は先生の魔法空間なんだ。
予知発狂を治癒するため、ラーヴさまに封じられた空間。
先生は呆然と眺めていたけど、舞台から飛び降りる。マントを翻し、足を進めた。まるで役者が花道を歩くように堂々と。
階段を上がっていき、客席を撫でる。懐かしそうな眼差しで。
「私が通っていた劇場だ……私は、ここで『オニクス』の劇を見ていた。上演されるたびに筋書きが変わる劇を、この席で」
わたしの予知形態はゲームだけど、先生の予知の形態は演劇。
今まで先生の魔法空間は、舞台だけだった。だから大道具が切り替わるように、先生の意思のままくるくる変わっていた。でも本当は舞台と客席、このふたつ揃った状態が正常なんだ。
わたしがムービーギャラリーとかアプデされたみたいに、ここも改装されていくのかな。
「『世界劇場』。私はここをそう呼んでいた」
名を紡けば、世界から埃が払われていく。くすんでいた視界が洗い流されるみたいに、彩度が上がっていった。
一陣の風が吹く。
どこからか花びらが吹いてきた。
無数に舞い上がる花弁。
何色か分からないほど儚い色の花びらたちは、『世界劇場』を祝福しているみたいだった。




