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第十九話(前編)「世界を侮るなかれ」



 わたしは目を開く。

 ここ、エグマリヌ嬢のお城の侍女室だ。

 大きな窓からは明るい日差しが入ってきている。窓辺には針葉樹の枝が飾られていた。

「起きたか」

「ふほっ?」

 ベッドに先生が横たわっていた。

 先生はシャツをはだけている姿だから、ちょっとドキドキする。

「おはよう、ございます」

 なんか変な夢を見ちゃったな。 

 このゲーム世界が本物なんだって、オニクス先生に教えてもらう夢。都合がよすぎるよね。

「魔術が安定しつつあるな」

 先生の手のひらが、わたしの胸へと伸びる。

 一角獣に突き刺された胸は塞がっていた。傷が目立つけど仕方ないな。

「馴染むまで魔術は禁止だ。本来なら治癒魔術師に診察してもらうのが最適だが、きみのメンタルのほうが心配だな」

「メンタル?」

 わたしは首を傾げる。

「ミヌレ。言っておくが、私はきみの夢に強制介入した。夢の中で伝えたことは真実だからな」

「………は? ははは、何をおっしゃいます?」 

「こっちの世界が現実だ」

 へえ~

 その発想はアリだなあ~

「ところで先生。大事な話っていうのは?」

「さっきした! 夢で話しただろう? きみが現実だと思ってる世界は、きみが造った仮想現実だ」 

「そんな御冗談を」

 先生はわりと見え透いた嘘つくよね~

「アアァアッ、この発狂者、狂い具合が根深いな! 私もそうだったが!」

 先生は頭を抱えた。

 ベッドの上で転がる。

「ミヌレ。いったい何回、能動型の予知をした?」

「能動型の予知……?」

「きみが言う、ゲームだ。どのくらい繰り返した。十数回か?」

「このゲームだったら、ざっと千回はやり込みましたよ!」

「け、桁を間違ってないか? 基本的に人間は精神構造上、能動型予知を十回も繰り返せば、人格が崩壊する。はずだ。そういう理論値……」

「間違いなく千回はクリアしましたね!」

 このゲームへのやり込みや愛を疑われるなんて、絶ッ対に嫌だ。

「最初のうちは攻略本無しでプレイしてたから、いっつもフォシルくんとの恋愛ENDになっちゃって。フォシルくんは飽きたし、なるべく違うプレイすることにしたんです。それでロックさんとレトン監督生は見れるようになったんですけど、怪盗とサフィールさまは掠りもしねぇし。思い切って買っちゃったんです、攻略本!」

「………」

「良いもんですね、攻略本って。もともとわたしは歴史とか古典オタだったんですが、ゲームに一気に沼りましてね。公式から出版される書籍は全部買いましたよ。情報掲載してた雑誌も古本屋でフルコンプしました。でもオニクス先生と寮母さんだけは、情報ほぼ無かったんですよね。好物さえ載ってない」

「………言ってる内容はよく分からんが、私と姉は闇属性の耐性が並外れて高いせいで、探索や予知の対象になりにくい。ちなみに私の好物はスイカだ」

「スイカ! スイカ好物なんですか。あっ、なんか小説にもありましたね、そのネタ。なんかスイカネタで一冊、同人誌が描けそう」

「………同人誌?」

「生まれて初めて同人誌も作ったんですよ。台詞を間違うの嫌なんで、全ルートの台詞、ノートに書き写していったんです!」

「………」

「だから千回はプレイしてます」

「…………ぅあ」

 先生の口から呻きが漏れた。

 まるで刃物を持った狂人とふたりきりでいるみたいに、顔色は青白くて口許は引き攣っていた。

「そうか……もう、人格が崩壊して、再構築されてるのか」 

 先生は何か言ってる。

 同じ言語のはずなのに、どうしてか先生の言っていることが理解できない。

 わたしの脳の素通りしていく。 

「きみは今まで多重予知の発狂による躁状態だったが、もうすぐ現実を理解して錯乱、その後に鬱が来る。怪我を理由に休学届を出しておいたから、いまは休養しなさい」

 素通りしていった単語の中から、『休学届』だけが引っかかる。

 わたしが学院を休むの?

「ハァ? なんで? 勝手に! 休学って!」

「経験者には従っておけ」

 不満だ。

 大怪我して、休学するのも已む無しなのは分かる。心臓がなくて呪符が代行している状態だもん。慣れるまで魔術使うのも心配だ。

「そんな大事なこと、先に説得してほしかったです」

「結論は決まっている。休学した方がいいと分かるだろう。座学だけならまだしも、実技は無理だ」

「それは分かってますけど……」

 イラついてきた。

 わたしはベッドから抜け出して、手近にあったショールを身体に巻いて、窓辺に行く。硝子窓を開けると、雪と同じくらい冷たい風が吹き込んできた。

 ここは使用人用の部屋だから、窓から見えるのも使用人区画だ。

 納屋とか厩とかごちゃごちゃしていた。古い城塞ってのは、籠城戦を想定しているから、お城の中に水源とか菜園とか鍛冶場とかを設けていたらしい。鍛冶場がないと武器や蹄鉄の修理ができないからな。このお城も歴史があって、広々とした放牧場まで城壁のなかに造ってあった。

 お馬さんたちが干し草を食んでる。雪が積もってんのに馬は元気やな。

 放牧場を眺めていると、フォシルくんがいた。そういや先生の乗ってきた馬車の御者、フォシルくんだったもんな。

 手綱を引いて、馬を運動させている。

 ぼんやり眺めているとフォシルくんもわたしに気づいた。目を見開いて、わたしの名前を叫ぶ。

「ミヌレっ!」

 フォシルくんが全身全霊で叫ぶ。

 そんなに必死に叫ばなくても、聞こえるよ。

 元気になったよーと返事する代わりに、フォシルくんに手を振る。まだ大声で返事するのはかったるい。

 突然、先生に後ろから抱き締められた。ローブの中に包み込まれる。

「………あっ」

「風邪をひくぞ」

 窓を閉める。

 先生の腕に閉じ込められると、途端に身体が暖まってきた。心臓が欠けているのに、胸が熱い。

「御者の小僧がいたな。きみの治療中に始終、恋人ヅラしていたが………付き合っていたのか?」

「告白されましたが、お断りしましたよ」

 まさか断られたと理解してねぇのかな。

「きみが結婚してしまったら、こんな風には抱き締められないな」

「………ァあ?」

 囁かれた言葉が理解できなくて、喉から呻きが出る。

 このおっさん、今、なんつった?

「もちろんきみが運命の相手と巡り会っても、私は出来る限り支える。きみの幸せの邪魔にならないよう、細心の注意を払って」

「……マジで何言ってるんですか?」 

「きみには幸せになってほしい」

 黒い隻眼に見つめられる。

 微笑みは優しいのに、底なしの闇じみていた。

 幸せになってほしいと告げたその言葉の中に、先生は居ない。きっと居やしないのだ。

 心が冷えていく。

「夢に介入した時、きみは私の過去に触れたな?」

「ふへっ?」

「精神介入の代償だ。ある程度までは諦めている。だが、どこまで読んだ?」

 そうだ。さっきまでゲームの外伝小説を読んでいた。

 鉱山奴隷の少年が徴兵され、あくどく軍功を立てて、宮廷まで昇りつめる物語。一巻まで読んだ。あれが先生の過去か。

「…………宮廷で……寵姫オプシディエンヌに魔術を習ったあたりです」

「黒歴史には触れてないのか」

 待てや、おっさん。

「戦争中のあれこれとか宮廷のあれこれとかは、黒歴史と違うんかい」

「あんな程度はセーフだ!」

「ひえっ、マジかよ……」

 何やったんだ。

 しかし疑問がひとつ解消されたな。どこで闇魔術を習ったのかって不思議だったんだけど、寵姫オプシディエンヌからだったのか。

「軽蔑しただろう」

「いえ、別に………あくどいとは思いますけど、戦争中のことを戦後生まれのわたしが、どうこう言える立場ではありませんし」

 励ましたつもりだったけど、オニクス先生は悲しそうに顔を歪めた。

 なにか悼むような、悔いるような、祈るような眼差しで、唇を硬く結んでいた。

「きみが思う以上に、私は罪深い。私の罪は贖えるほど軽くはないのだ。きみをその罪に巻き込むつもりはない」

 絶対的な拒絶だった。

 わたしの心のなかに、オニクス先生へ言うべき言葉が見つからない。

 訴えたい意見ならある。伝えたい感情ならある。でも重い罪を背負っているこのひとに、わたしは何をどう言えば良いのだろうか。

 沈黙の中、ノックが響いた。

「オニクス先生、ミヌレ一年生が目覚めたと伺いましたが」

 部屋の外から聞こえる、穏やかなテノール。

 レトン監督生だ。

「あの御者め。余計なことを」

 先生は長い舌打ちをした。

 そうか。わたしの目が覚めたこと、フォシルくんがレトン監督生に伝えたのか。

 オニクス先生は部屋を出て扉を閉める。ふたりとも扉の前で喋っているから、耳をすませば会話は聞こえた。

「目覚めているが、意識覚醒は不十分だ」  

「それでも構いません」

 あ、エグマリヌ嬢の声だ。

「……許可できない」

 ため息みたいな微かな返答だった。

「魔力暴走による多重予知が起きてる。それがどういう状況を引き起こしているか、生徒番号010だったら理解できるだろう」

「………彼女は現実を、現実だと認識していない?」

「正解だ」

「それは真実なのですか?」

 エグマリヌ嬢の声は硬くて強くて、なんかすっごく怒っていた。

「何が言いたい?」

「無礼を承知で申し上げます。不当にミヌレを囲っているのではないのですか?」

「私を信頼しないのは正しいが、この分野で偽りはせんぞ」

「エグマリヌ一年生。先生は闇魔術の分野に関しては、ひとを欺いたりはしない」

「では、ほんとうに……ミヌレは」


「狂っている」

 

 オニクス先生の声が響いた。

 冗談も揶揄も一切ない、真剣な声。

 わたしは物書き机の前に立つ。

 そうだ。わたしは同人誌を作っていた。わたしはゲームの台詞を書き写していた。ファンレターとか感想だって書いていた。だから文字だって、書けるはず。あっちの世界があるって証拠。

 ペンを手に取る。

 だけど、指は動かなかった。  

 自分で絵入りの図鑑を作っていたとき、わたしが綴ったのはこの世界の文字だけ。




 ああ、なら、先生の言うことは、ぜんぶ、ほんとうのこと?



 

 ――ここは予知を繰り返すために、きみが魔法で作り上げた仮想世界――


 ――きみがゲームだと認識している世界こそ真実だ――


 ――現実と仮想が反転している――





 鼓膜の底でリフレインする声。


 この世界が、わたしの、元々の、世界。



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