第二話 新スチルありがとうございます!
学院は一週間のうちに一日半休日と、二日全休日がある。
つまり金曜は半ドンで、土日休みってこと。
その上、金曜は選択授業のみなので、わたしは三日間休みがある。
ゲーム的にはこれが自由時間。自室で護符を作ったり、街へ出て買い物したりバイトしたり、図書館や教会で知識を蓄えたりする。
わたしは街に出ることにした。
週の最初に、外出願いを寮母に出さなくちゃいけない。素行が悪いと不受理されるけど、わたしの外出願いが無事受理された。
だけど、ひとつ問題がある。
街までは徒歩圏外。
じゃあどうするか。朝一に荷馬車に乗って行くってのがゲームシステム的な答えなんだけど、そうするとなぜか自動的に御者フォシルくんの恋愛値が上がっていく………
荷馬車に便乗してるだけなんですけど!!!
ねぇ! なんで! 乗るだけで! 好意が増すの?
ゲームシステムなら馬車に乗るわ。だって乗るしかないもん。でも実際にキャラがそこにいて、恋愛値が上がっていくのを見知らぬふりしてるのって、まるっきり悪女じゃない?
仕方ねぇなぁ、歩くか。
街まで行く道はまっすぐなのよね。
学院私有地の森を抜ければ、また森。
疲れた。
徒歩って思ったより、疲れるな………
荷物あるしな。
「なにをやっている? 生徒番号320」
頭の上の方から、声が降ってきた。
オニクス先生だ。
いつもの重々しい黒ローブではなく、都市のひとが羽織るようなケープを付けて、青毛の馬に乗っている。
「新スチルありがとうございます!」
マジかぁ~。オニクス先生の普段着キャラデザは、公式ガイドブックのラフにしか載ってなかったんだよ。フルカラーっていうか、フルカラー以上で拝見できたとは。歓喜。
怪訝な顔になるオニクス先生。
「どうした? 頭がイカレたか?」
「いやそれは元々なんでご心配なく」
へらへら笑う。
いやあ、ゲーム外の行動すると、新スチル登場するとは。最高じゃないか。うへへ。
「目抜き通りまで歩いていけるか、挑戦してたところですよ」
「馬鹿か?」
「理論的には可能です。わたしは田舎で土いじりしてたから、体力はけっこうあるんですからね」
わたしはリアルでも小遣い節約で、定期で行けるより先は歩きで賄った。少しでも節約して公式にお金を落とすためだ。
ミヌレも田舎者だし体力はそこそこある。
「そうか。じゃあがんばりたまえ」
おっ。これは選択肢を間違えたな。
間違えたら間違えたなりの反応やボイスがあるので、楽しい。新しいスチルとボイスを脳内で噛みしめて、飲み干し、反芻しながら歩く。幸せだ。
てくてく歩いていく。
………うん、やっぱ疲れたな。
何故か先生が、ぱかぱか戻ってきた。忘れ物かな。
「行き帰りの体力はあるかもしれんが、買い物などをする体力は残るのかね。途中で実験が無理だと判明したら、すぐに切り上げろ」
「はい。机上の空論でした」
わたしが素直に頭を下げると、先生は月長石のカフスに触れた。
「我は大地の恩恵に感謝するがゆえに、大地の加護をひととき返上せん 【浮遊】」
わたしの身体から、重力が切れる。水の中で泳ぐような浮遊感に、身体が押し上げられた。
反土属性魔術【浮遊】だ。
オニクス先生は片足が不自由だから、【浮遊】で移動を補助している。
先生の腕に引っ張られ、わたしは鞍に乗った。
「先生の呪符。よく見せていただいてよろしいですか?」
「封じてある術は、単なる【浮遊】だぞ」
そう言いつつ、カフスを見せてくれる。
月長石はカメオになっていて、蜻蛉が浮き彫りにされている。取り巻いている銀は非常にシンプル。だけど強度を計算して、徹底的に無駄を省いた結果のシンプルさだ。
「逆のカフスは何を封じているんですか?」
「【飛翔】だ」
デザインは同じなんだけど、【飛翔】が封じられている石は日長石だった。
風属性でも高レベルの魔術だ。
「【飛翔】があるなら【浮遊】はいらないのでは……?」
「要る」
無愛想の極みだった。
要るのか。
「土系と風系で、属性違いってのがポイントでしょうか。風の魔術が使えない状態でも、【浮遊】があれば安心ですし」
「単純に【浮遊】をかけてから【飛翔】をかけると、タイムラグゼロで飛べる」
「なるほど! それは実戦しないと分からない感想ですね」
早くわたしも色々と魔術を使ってみたいなあ。
自由に組み合わせれば、面白い効果を発揮する。
「先生は他に、どんな呪符をお持ちなんですか?」
「どうしてきみに手の内を見せねばならん?」
「もっと見たいからです。わたし闇魔術師系のデザイン好きなんですよ。洗練されていて」
「おべっかか?」
「心外ですね。わたし、身に着けるなら闇魔術師系デザインがいいんです。そりゃデザインの成り立ちは経済的に恵まれなかった闇魔術師が、少ない費用で呪符を作りだしたってのは知ってます。でもその結果、機能美が誕生したんですよ。機能美が芸術美を凌駕している。財力に依存しない美。これはお金を持っている階級では、けして生み出せなかった美しさです」
このゲームで装備できるアクセサリー系アイテムは、99種類。
ほとんどは古典的なデザインになっていて、貴族っぽい豪奢さがある。
重くてごつい。金や銀を多く使って、いかにも特権階級的だ。肩が凝りそうなデザインで、よっぽど豪華な服を着ないとちぐはぐになる。
だけど闇魔法系のアクセサリーは違う。
洗練という方向性に進んでいる。
「そもそも美しいものを集めたら美しい。というのは芸術的敗北ではないですか? そりゃダイヤやルビーは綺麗です。それを集めたらもっと綺麗ですよ。わたしだって宝石がたくさん集まってるのは、見てて楽しいです。でもそれは素材の美しさであって、芸術とは別の方向だと思うんです。たくさん集めた花より、枯葉を美しいと思わせる。それが芸術でしょう。闇の魔術師たちが作る装飾も、蜻蛉とかトカゲとかカタツムリとか、既存では宝飾に取り入れられていないモチーフを多く含んでいます。ただのコケ脅しではなく、たしかな美があるんです。その革新性。石の硬さを生かしたシンプルさと大胆さ。幾何学的な曲線。そのすべてがかっこいいんですよ。そう! かっこいい! 貴族的なものが優雅や豪奢を誇るなら、闇魔法系のデザインは凛々しくて潔い。そこがもう大好き! 先生の持ってる杖も、蜥蜴の尻尾に黒瑪瑙が嵌まっていて、抱卵めいたデザインが怪しげで美しいです」
おっと。オタクの早口トークしちゃった。
「すみません、ちょっと興奮しすぎて涎が……」
ハンカチ出して口許をぬぐう。
でも本当に、闇の魔術師系のデザインって秀逸だわ。
「きみは素材に頼らぬ芸術性に、まことの美を見出すのか」
「えっ、先生! わたしの話を聞いていたんですかっ?」
「は? きみが語ったんだろう?」
隻眼が眇められた。
「そりゃそうですが………一方的に喋り捲っただけなので、聞き流されちゃったかなって………」
「生徒のはなしを聞かない教師がいてたまるか」
不機嫌そうに眉を顰める。
すごく意外だけど、このひとは教師なんだ。
「だから生徒に話しかけられないように、普段は姿を消している」
そうか。そこらへんは尊敬していいのか微妙だな。
「でもわたしに話しかけてくれましたよね」
「体調が悪そうだったからな」
「言動以外は良い人なんですね」
「乗せるんじゃなかった」
表情を歪ませて呻く。
わたしは落とされないように、先生に身を寄せた。
「良い香りがしますね。この香りは………」
「月下花の香りだろう。この花の精油は、魔術的インクに使用する。きみは果物っぽいにおいがするな」
「寮の裏に実ってたミラベルの実、持ってきたんですよ。寮母さんには食べていいか確認取りました」
「そんなにたくさん食べるのか?」
「市場で売って小銭を稼ごうと思いましてね。学費は免除でもお小遣いは無いので、なんとか頑張りたいです」
ゲームシステムじゃ出来ないけど、やってみたい。
「市場は商業ギルドに場所代を払ってないと、行商もできんぞ」
「ええっ! うちの村では出来るのに!」
「辺境のド田舎は知らんが、物を売るときにはギルドから許可書を買う。その金で市場が整備されている」
じゃあお昼ご飯にするしかないな………
やっぱり正規のゲームシステムに則ったやり方じゃないと、お小遣いは稼げないのか。くすん。
「私が半分買おう。どうせどこかで昼飯を取るつもりだったからな」
「ありがとうございます!」
だらだら喋っているうちに、目抜き通り近くまでくる。駒を進めると、下馬旗が見えてきた。この旗より先は、貴族でも乗馬できない。
先生は馬から降り、黒瑪瑙の杖をつく。
「帰りは荷馬車を拾うといい。学院行きの荷馬車が、城門前から夕刻に出る」
「先生はいつお帰りですか?」
「分からん。目的のものがあればすぐだが、無ければ代用品を探さんとな」
魔術の素材探しかな。
先生にミラベルの実を半分渡して、ふらふらと目抜き通りを歩く。
初めて目にした、すごく見慣れた世界。
リアルテーマパーク!
庶民の地区は、立ち並ぶ家々の一階が小さくて、二階、三階と上がるごとに大きくなり、通りへと迫り出していく。これは固定資産税が一階の敷地面積で決定するからだ。
こんな造りで不安になってくるけど、各階の梁に用いられる木材に梃の原理が働いていて、床が重みに耐えられるようになっている………らしい。建築には詳しくないけど、税金逃れで発展した街並みだと思うと面白い。
人物は二次元がよかったりするパターンが多いけど、建物やアイテムはやっぱ三次元よ!
あとあの真鍮の看板!
スチルで千回は見た、酒場の看板。『引かれ者の小唄亭』だ。真鍮の輝きを目にするだけで感動で泣きそうになる。
バイトも出来るし、冒険者のロックとのイベントも発生する。
ただし開店は夕方からだから、まだ入れないんだよなあ。
広場まで足を運んだ。広場の中央にあるのは、アクアマリンの噴水だ。巨大なアクアマリンの原石から水の護符が作られて、魔術によって滾々と水が湧き出ている。行き交う馬たちの水飲み場になっていた。
BGMが鳴り響く。
この音楽、ゲームの街中BGMじゃありませんか。生演奏されているぞ。
蜂蜜色の肌の旅芸人たちが、演奏している。このBGMがいちばん……好き…!
青と金の瞳の美女が、ラピス・ラジュリ。リュートを抱いてかき鳴らしている。
赤と黒の目の青年が、ジャスプ・ソンガン。右手で太鼓を叩きながら、左手で葡萄状の鈴を鳴らしている。
一曲終わると、わたしは小遣いの中から課金する。
「素敵でした。テンポは楽しげなのに、メロディが物悲しくて、そこに憂愁を感じます。この曲も弾き方も大好きです。これからも頑張ってください」
オタなので感想を送り付ける。
ラピス・ラジュリさんはちょっぴり驚いて、それから嬉しそうに笑ってくれた。ああー、拙い感想を喜んでくれてる。幸せ。
わたしが稼げるようになったら、もっと課金します。
音楽を聴いていると、後ろから声をかけられた。
「………おじょうちゃん。占ってあげようか、タダで良いよ」
声のぬしは、木陰のテントの奥だ。
ひどく目を惹く紫色の布地は、毒を持つ生き物の鱗にそっくり。
初回だけタダの占いテントだ。
招かれたわたしは、のこのこと入っていく。実際入るとびっくりした。思った以上にすごく不思議なお香が焚かれて、空気の密度が高い。それに白い鸚鵡の剥製が飾られていた。薄暗いテントの中、やけに白さが目を引く。あの鸚鵡、スチルにはなかったけど……
「きたね、おじょうちゃん……」
暗いテントの奥に、老婆が座っている。
老婆というか…………すでに人間の干物になっているのに、辛うじて生きてる感じである。貝殻や珊瑚、動物の爪や牙で作った護符を、じゃらじゃらと提げていた。
盲目の老婆は、小さな水晶を撫でている。
このお婆が恋愛値を占ってくれるんだよ。
「世界を侮るべからず。汝より、世界は深く存在うるゆえに」
えっ、この占い文は初めて聞いた。ひょっとして超レア台詞?
ゲームと同じ台詞だと思っていたけど、違う台詞が聞けて超ラッキー。
「おじょうちゃん………婆の宣託を受け入れるか否かは、おぬし次第。これは護符じゃよ。またほしくなったらおいで………」
地味な空色の石が、黒や黄色の飾り紐に縛られている。
空の護符。
旅芸人が天候が荒れないよう願って作る護符。暴風や落雷で傷つかなくなる優れもの。30%の確率で破損します。
またおいでって言ってくれるけど、次回から有料。
初回限定無料アイテム。
さっそく着けよう。
わたしは校章のブローチを外して、空の護符を首から下げる。
うん。紺色のワンピースに合ってる。かわいい。
お花屋さん、装丁屋さん、代筆屋さん、ひとつひとつ眺めていく。ゲームだと移動が一瞬だから、こういうちまちましたお店を見つけるの楽しい。
残念ながら、お蕎麦屋さんはない。わたし的には蕎麦を食べたいけど、そりゃ無いわよね。半熟卵と蕎麦が恋しい。あとニシン。
その代わり美味しそうなクレープ屋さんを見かけた。コワンの実のジャムやミルティーユの漿果のジャムを乗せて、くるっと巻いたシンプルなクレープ。
ちょっと細めの路地に入れば、臓物屋さんとか鶏肉屋さんとか野禽商さんとか並んでいる。内陸国だからお魚屋さんが無いんだ。
豚肉店さんには頭を落とした豚肉が、ずらっとつるされていた。豚ってちょうど大きさとか体毛とか人間に似てるから、頭がない状態だと、首切られた人間の死体そっくりでおもしろい。おっぱいと蹄は動物だけど。
お店を眺めていたら、通りはいつの間にか暮れなずんでいた。
やべぇ、馬車!
帰りの馬車が行っちゃう!
門へと急いだけど、フォシルくんの荷馬車は無かった。
うん。そりゃ朝わたしを乗せてくれれば、こっちに来てるって分かってるから、待っててくれるだろうさ。
でもわたしが街に来てるって、フォシルくんも知らんからな。
仕事が終わったらさくっと帰るわな。
どうしよう。
明日も全休日だけど、無断外出になってしまう。そうなったらどうなる? 反省文? 停学? まさか退学?
こんなイベント無い。
いや、考えろ、わたしはこの世界を知ってる。設定を知り尽くしている。なら解決方法を思いつくはずだ。
「教会の鉱石電話!」
重要な公共施設には、鉱石電話が引かれている。
王宮、裁判所や関所。それから教会にもある。
荷馬車に乗り損ねたと電話で伝え、教会で厄介になると伝えれば何とかなるかも。叱られるのは確実だけど、無断外泊よりずっといい。
夕暮れてきた通り道を走る。
歩いているひとの感じが、変わってきた。酔漢とか、露出の激しいおんなのひととか。
ゲームは途中で死んだりしない。
だけど、これは?
今は?
物盗りに刺されたら、わたしは、どうなる。
元の世界に目覚める?
それとも、本当に、死ぬ?
突然、ふっと、全部消えてなくなるかもしれない。
目の前の光景も、音も、匂いも、温度も、わたしの意識もなにもかも。
鐘楼を持つ教会は、茜色の光を浴びて切り絵みたいになっていた。
あと一息で、教会の敷地だ。
わたしは思いっきり駆けこむ。ここまで来たら大丈夫。正面の扉は閉まっているけど、脇の小さな戸は開いている。
ドアノブに手をかけた途端、ドアが引っ込んだ。
思い余ってすっころぶ。
「生徒番号320。荷馬車に乗り遅れたか」
オニクス先生だった。
「はい。先生はどうして教会に?」
「敬虔な信者だからな」
「………先生。そういう騙す気の無い嘘って、言ってて楽しいですか?」
「わりと楽しいな。実のところ鉱石回線の調律だ。公務魔術師が持ち回りで調整してる」
「そんな裏設定が……」
知らんかった。
先生が寮母さんに連絡してくれて、結局、行き帰りとも先生の馬に騎乗することになった。
夕暮れ道に馬を引く。
なんか、妙な、匂いがする。
金臭いっていうか、鍛冶屋みたいな空気。でも火が燃える匂いはしない。皮膚がちりちりしてきた。熱のせいじゃない。魔力がどこかで膨れ上がっているせいだ。わたしでも先生でもない。
金色の光が、頭上で明滅する。
あれは攻撃魔術【雷撃】のエフェクト。
嘘だろ! BGMもステータスウィンドもなしに、戦闘開始?
シームレスにもほどがある!
「オニクス先生っ! 【雷撃】がきます!」
わたしは咄嗟に、馬上で立ち上がる。
【雷撃】を浴びるためだ。
「ひぐっ………」
目の底が、ちかちかする。
舌の奥が、びりびりする。
脳の芯が、ぐるぐるする。
ミヌレの魔力耐性は、並外れて高い。それに占いおばばからもらった空の護符のおかげで、軽減されてる、たぶん。とはいえ、マジきっついなァ………
先生は【浮遊】の呪文を紡ぎはじめる。
「我は大地の恩恵に感謝するがゆえに………」
唱えかけた呪文より早く、白い紐が物陰から飛んでくる。
紐じゃない。粘着質な糸が、先生の服や肌にべったり引っ付いてた。それから口許にも。
「【蜘蛛】!」
獣属性の【蜘蛛】の呪文だ。
蜘蛛のごとき粘着質の糸を放ち、相手を傷つけず捕縛する。
路地の向こう側に、フードを被った人物がいた。ひとりじゃない。四つの方向から魔力を感じるから、四人かな。
「また『光の教団』か」
先生のため息に混ざった単語に、わたしの耳は反応した。
『光の教団』
設定資料集に書いてあった。闇の魔術を排斥しようとしている異端派教団だ。
非暴力を唱えているから、物理攻撃はしてこない。攻撃魔術は神の意志なのでオッケーらしい。なんや、その屁みたいな理屈。
「ときどき私を殺しに来る連中だ」
先生の口調は、「たまにナンパされる」並みに憂鬱かつ軽い。
命狙われるのって結構、きつくないですか…?
「先生。わたしが前衛防御しますから、あとは先生の術で片付けて下さい。なんか持ってますよね、攻撃方法」
「攻撃魔術を持ってなかったら?」
先生の口許が意地悪く歪む。
「たまに自分のこと殺しに来る人たちがいるのに、丸腰なんですか?」
「まさか」
先生は黒瑪瑙の杖を掲げた。
やっぱ攻撃手段のひとつやふたつ、持っているみたいだ。
「魔力耐性が高くて攻撃方法を持ってないわたしが、前衛として盾になる。たぶんこれが最適戦術ですよね」
わたしは馬を飛び降りる。
先生はすでに術を唱え始めている。頼もしい。
「我は汝を恐れるがゆえに、呪を紡ぐ。炎を恐れぬ勇者あれど、痛みを恐れぬ聖者あれど、死を恐れぬ賢者あれど、恐れを恐れぬものは在らず」
よっしゃ。フルボイス呪文詠唱ありがとうございます!
背後の教団員が、ふたたび【雷撃】を放とうとする。こちとら新規ボイス聞いてんだぞ。邪魔すんじゃねぇよ!
わたしは身を投げ、雷撃を浴びた。
「ぉげ…ッ」
クッソ、内臓まで痙攣してる。昼飯に食ったミラベルの実の味が、喉まで競り上がってきた。
だけどレア呪文が、詠唱されてんだぞ。ここで気絶するならオタじゃねぇ。
気合を入れ直そうとしていると、甲高い響きが走った。
空色の石に亀裂が入った音だ。
確率30%で破壊されるけど、もう一回くらいは耐えてほしかった。いや、でもあと一回くらいなら生身で受けても、ギリギリ、死なない、たぶん。希望的観測。
どっちにせよわたしに攻撃能力は無い。盾になって、先生が後衛から魔術攻撃する。それ以外の勝ち筋は思いつかない。
「なにやってんだ?」
第三者の声が響いた。
路地から飛び出してきたのは、いかにも冒険者って感じの青年だった。
革製の鎧と、毛織のマント、腰には小剣と予備のナイフを何本か。
冒険者は戦闘より移動がメインだから、鞣革を油で煮た鎧と短剣が主流装備。そして野営用のマント。あれは典型的な冒険者姿だ。
彼は冒険者ロック。
小剣を抜いて、教団員に飛び掛かる。
「何をする!」
「いやいや、そりゃこっちの台詞だっつーの。杖ついてる奴と女の子を取り囲んで、雷撃浴びせようとしてるやつは、どうあがいたって悪党じゃね?」
そりゃそうだ。
心の中で思わず拍手喝采。
唐突に飛び込んできた冒険者に、教団員たちは狼狽している。口調はめちゃくちゃ軽いんだけど、小剣の一撃は重い。
その間に先生の呪文が、完成する。
杖に嵌まっている黒瑪瑙の呪符が、魔力と呪文に反応した。
「恐れよ。涙に嘆き、悲鳴に叫び、闇に額ずくがいい。【恐怖】」
広範囲に波紋する魔力圧。
闇の魔法が、敵を打ちのめす。
教団員たちは途端に震え、喚き、狂い、泣き始めた。
「魔術で左右されるような脆弱な自我しか持たんのか。その程度で私に喧嘩を売るとは、蒙昧にもほどがある」
先生に巻き付いていた【蜘蛛】の糸は消え去った。
「えげつないですねぇ」
思わずつぶやくと、隻眼がわたしへと向けられた。
「発案者がぬけしゃあしゃあと」
「最適解だと判断したので発言しましたが、目の当たりにすると………」
「怖いか?」
「逃走と失禁と気絶と号泣。反応が分かれているんですね。これは本人の恐怖体験の影響でしょうか?」
わたしの言葉に、先生は少し微笑んだ。
「ああ、闇の魔術とは心に干渉するだけで、心は操れん。反応は千差万別。中にはやたら武器を振り回す怯え方もある」
「恐怖で狂暴化ですか。扱いが難しい魔術ですね」
「それを理解できるなら、きみは素質がある」
先生は魔術を解除した。
恐怖に泣きわめいていた教団員たちは、途切れたように膝をつく。
えっ、なんで解くの?
だけど先生はすかさず呪文を紡いだ。
魔術構成を解くのと紡ぐの、境目がない滑らかさ。
「我は汝を愛すがゆえに、呪を紡ぐ。汝こそ死に似ており、死からいのちを守りたまうもの。眠れよ、揺籃の内、天蓋の下。今こそ彼らにひとときの安らぎを 【睡眠】」
教団員たちは石畳に伏した。聞こえてくる寝息。
「戦闘でいきり立っている人間に【睡眠】は効果がないが、【恐怖】から解放されて意識が揺らいでいる人間には効く。闇魔術を使うときは、精神が空疎になった一瞬を狙うと通りやすい」
「勉強になります!」
武芸の心得みたいだな。
「さらにこの状態で【恐怖】を重ね掛けすると、悪夢に魘される」
先生はついでにもう一度、【恐怖】を発動させた。眠っている連中が、途端に苦しみだす。
おもしろい。勉強になるなあ。
冒険者のロックさんは、状況が掴み切れてないみたいだった。わたしと目があった途端、手を貸してくれる。
「お嬢ちゃん。怪我は?」
「平気です。護符の効果で、威力は減ってましたから」
このミヌレという主人公、戦闘があっても次には回復している。
魔力内蔵量が高くて、本能的に体内で自己治癒魔法をかけているんです。 By公式ムックQ&A。
天晴なご都合設定。
つーか、ミヌレは魔術を使ってもMP減らないし、状態異常にもかからないの。
これは乙女ゲーだから、戦闘はぬるいんだよ。一緒に旅に出て、好感度を上げるための手段ってだけ。さすがにクリア後ダンジョンは、本腰入れないと攻略できないけど。
とはいっても、雷撃食らって痛みと痺れは残ってんだけどね。
「ねぇ、こいつらパニくったり眠ったりしてんの、あんたの魔法?」
ロックさんは大げさに怖がっていたが、飄々としていた。
近くで見ると冒険者って、身体の厚みがすげーな。露骨にムキムキじゃないけど、体躯の土台が違う感じがする。威圧感がないのは、ロックさんが人懐っこい笑みを浮かべているからだ。
「訂正しておくが、魔法とは近代魔術を利用せず、魔力を放出することだ。私は魔術師であって……」
「ねぇ、ヤバい遺跡とか行く時はおれ雇ってよ。おれの名前はロック。専門は宝さがし」
冒険者ロックが、雇えるようになったぞ。
脳内に効果音が響く。
「どうせ墓荒らしが精々だろう。その身の丈に不相応な銀のダガーは、軍人墓地からでも漁ってきたのか?」
初対面の相手に、めっちゃ失礼なことをぶちかます。
さすがに怒るんじゃないかと心配したけど、ロックさんは豪快に笑っていた。
「身の丈不相応なのは正解! これ、じいちゃんの形見だからさ」
「そうか」
いきなり先生は、ロックさんの頭を撫でた。
何故?
「おれ成人してるよ」
「そうか」
興味なさそうに手を放した。
「で、魔法使いの旦那。こいつらどーすんの?」
「魔法使いではない」
「おれ、王都は来たばっかでさ。自警団の詰所は知らねぇの」
「こいつらは放置で構わん。光の教団だ。自警団に引き渡したところで、どうせ教団が手をまわしてくる。手続きの時間だけが無駄だ」
「へえ、そんなもんか」
ロックさんはあくまで暢気だった。
「ねぇねぇ、旦那。いい感じの冒険者宿、知らねえ? 飯食えるとこがいいんだけど」
「知るか」
「『引かれ者の小唄亭』って宿屋兼酒場があります。冒険者ギルド認定のお店で、ご飯も美味しいらしいですよ」
わたしの発言に、先生の隻眼が眇められた。
「きみはそんな店に出入りしてるのかね?」
「まだ入ったことないですよ。でも楽しそうだから、一度、入ってみたいなって思ってました」
「じゃあ嬢ちゃん、いっしょに飯食いに行くか?」
「マジですか!」
ゲームでは何度もバイトというミニゲームをしたけど、食事はしたことない。
そこでご飯が食べられるなんて最高じゃん。コラボカフェ以上の公式だ。
「私は入りたくない」
「先生はおなかすいてないんですか?」
「その件に関しては否定はせんが、冒険者の酒場など足を踏み入れる気はない」
「そうですか。じゃあ、わたし、ロックさんを案内してきますから、先生は別の酒場で食事されます? 王城通りには『白鳥の歌亭』っていう小奇麗な食事処がありましたよ」
「馬鹿なことを言うな、きみから目を離したらあの女に叱られてしまうだろう」
あの女って……ああ、寮母さんのことか。
結局、先生も冒険者の酒場へと行くことになった。
ひとの奢りでコラボ飯だ。
『引かれ者の小唄亭』は半地下が酒場、一階から三階までは宿屋になっている。
扉を開く前から、中の騒がしさが伝わってきた。歌声に笑い声。罵声に怒声。ぜんぶひっちゃかめっちゃかだ。
冒険者たちが集まっている酒場だから、お上品な学院とは天と地の差。
食事は手づかみ、鷲掴み。食卓の上じゃ、酔っ払いが踊っていたりする。座るための専用家具などという気取ったものはなくて、客たちは樽かひっくり返した桶に腰を下ろしていた。
良い点は怪我人が多い。
隻腕のひともいれば、顔が半分くらい歪んでいるひともいる。仮面で顔半分を隠している先生は、目立つどころか馴染んだ。
「おっ、けっこう酒の種類が多いじゃねぇか」
ロックさんは壁の黒板を眺める。
赤エール、生姜エール、黒ビール、白ビール、修道院特製の薬草酒、プリュネルの自家製酒、ボスコップ酒、ワイン。
さんざんバイトというミニゲームやったなあ。庶民のお店に給仕なんてお上品なものはなく、キャッシュオンデリバリー方式だ。カウンターに次々来る注文客にお酒を注ぐ。あれは記憶力と反射神経を駆使した。
カウンターの奥側からは、肉の煮える匂いに焼ける匂い。それから香辛料や香草の匂い。
「おれは赤エール! 大ジョッキで」
「まともなワインはあるか?」
ワイン派なんだ。
カウンターにいるオヤジは、封蝋が施されたワインを持ってくる。先生がエチケットを確認した後、封蝋から埃を取って栓を抜いた。
お酒はオヤジさんが管理してるけど、料理は女将さんの担当だ。
「はいはい。『小鳥の墓』は、あと一皿で終いだよ」
料理してる女将が叫ぶや否や、すかさず先生がそのメニューを注文した。
「きみに奢るのは、一番安いやつだ」
わたしが奢ってもらえた食事は、日替わりスープだった。中身はベーコンとキャベツのごった煮。
木製のお椀に盛って、黒胡椒をガリガリって削る。
新鮮なキャベツが甘い。これすごく滋味が富んでる。
ベーコンの脂と塩気はスープに溶けて、ちょうどいい塩梅になっていた。玉ねぎは解け切ってなくなってるけど、隠れていい仕事してます。ローズマリーは肉の臭みを消して、ただの飾りじゃなかった。
ロックさんが注文した料理は、ベーコンとレバーの盛り合わせ。ベーコンは小動物くらいの大きさがある。
先生が食べているのは、『小鳥の墓』という鶏肉の煮物だ。小間切りにした鶏肉を、ワインで煮込んでいる。臙脂色の料理のネーミングとして、鳥の墓場は頷けた。
「美味ぇ。このレバー、仔牛のレバーみたいにきめ細かくて美味いな」
「牛乳と重曹で、30時間かけて洗ってるらしいですよ」
「きみは本当にこの店、初めてなのか……?」
胡乱な眼差しで問うてくる先生。
「噂に聞いていただけですよ。それにこういう冒険者御用達の酒場に入るの、夢だったんです!」
胸を張って答える。
「すっげーわかる。おれもガキの頃、こういう酒場に出入りする人間になりたかったもん。嬢ちゃんもレバー食うか?」
「ありがとうございます!」
「こんだけレバーが美味いなら、冒険者タルトも注文するか」
冒険者タルトって、このゲーム内で名前はよく登場する。ファンブックには、「中身はいろいろ」って書かれていただけ。
「中身なんですか?」
「定義としては、安いくず肉をゼラチンで固めたタルトだ。豚の心臓とか肺臓とか、若くないウサギ肉とかだな。臓物の処理がまともな店ならうまいが、そうでない店で頼むと最悪なものが出てくる」
説明してくれたのは先生だった。
「けっこう詳しいんですね」
「どこの酒場にもあるからな」
「冒険者タルトって酒場によってまったく違うから、初めての店だと博打なんだよね」
ロックさんは快活に笑って、レバーをもうひとつ分けてくれた。それからタルトを注文する。
美味しいごはんだ。
学院の食事はもちろん一流なんだけど、量はちょっぴりだし、行儀作法に気を遣う。最初はわくわくしたけど、最近めんどくなってきた。ここは気楽におなかいっぱい食べられる。
楽師さんたちがやってきた。BGMを奏でている蜂蜜色の肌のふたり、ラピス・ラジュリさんとジャスプ・サンガンさんだ。日が高いうちは広場で、暮れれば酒場で、BGMを響かせる。
舞台に上がって、陽気な音楽をかき鳴らす。
ちなみにあの舞台は、国が公開処刑やっていた時代の処刑台で、店名の由来だ。
「めっちゃ異国的美人じゃん。ねえ、旦那もそう思うよね」
「蜂蜜色の乳房の女には、死んでも近づかないことにしている」
露骨な嫌悪で、眉宇に皺を寄せる。
なんかトラウマでもあるんか。
「旦那、もう勃ないの?」
「若造、私はまだ現役だが、惰性で勃起するほど若くない」
「あのおっぱいは惰性じゃ……おっと…」
ロックさんはわたしに気づいて口を噤んだ。
礼儀正しさには感謝する。男ふたりに挟まれて、生々しい話題は生理的に良くないからな。でも露骨な言い回しを避けて、先生の女性の好みに突っ込んでくれてもよかったよ。
リュートの音色が切なく変わって、澄んだソプラノが混ざる。
遥かな異国の言葉だ。歌詞の内容は分からないけど、悲哀を美しく歌っている。恨みも悔みも辛みもない、どこまでも透明で純粋な悲しみ。
サントラに入っていたから、作業用BGMにしてたなあ。わかんない歌詞だと原稿が進む。
でもサントラよりずっと鮮明で、心臓まで響く。
あれだけ喧噪の驟雨にまみれていた酒場が、いつの間にか静かになっていた。
ソプラノが歌い終わる。
拍手喝采が起こり、ラピス・ラジュリさんは投げキッスをした。
舞台から降りて、客たちの間をゆるりと歩きながら、秋波を送っていく。わたしたちのテーブルにもやってきた。
「こんばんは、ちっちゃなお姫さま。誘拐されてきたなら、おねーさんが助けてあげるわよ」
「大丈夫ですよ。もともと保護者です」
「素敵な男ぶりの保護者さんね。あたくしはラピス・ラジュリ、楽師で歌い手よ」
甘ったるい囁き。
ラピス・ラジュリさんは蠱惑的に、先生へとしな垂れかかる。
先生ってこの客層のなかで、いちばん上質な生地と仕立ての身なりだしな。それに襟ぐりや袖口も清潔だし、髪にフケもなければ爪に垢も溜まっていない。
でも先生はめっちゃ不快そうだった。
乳房が押し付けられているのに、彼女の存在を全力で無視している。
「あら、女はお嫌い? ジャスプ・ソンガンと遊ぶ?」
「ねぇねぇ、おねーさん。おれはどう?」
ロックさんが前のめりで挙手する。
「逞しくて可愛いぼうやね。とっても魅力的。でもおねーさんは、お金と武勇伝を持ってない殿方とは遊ばないの」
先生が革財布を出す。
結構な額の銀貨を出して、ロックさんに渡した。
「さっきの加勢の礼だ」
「えっ、こんなに? マジ?」
「私は帰る」
「お疲れー。おれ、ここ常駐宿にするから、依頼あったら来てね」
ロックさん満足そうにエールを飲み干した。
わたしもおなかいっぱいになって、身体がほくほくしてる。夜風が気持ちいい。
月は随分と傾いていた。
闇魔術がいちばん力を持つ時刻だ。この時間に、闇の魔術師を襲ってくる連中はいないだろう。
「王城はきらきらしてますね」
遠くに見えるお城は、銀と金に光り輝いていた。光の護符の蒼褪めた輝きと、蜜蝋の暖かい灯火、それが遠目からだと銀と金に見えるのだ。
「きみは襲われたというのに呑気だな」
「いえいえ、狙われているのは先生で、わたしは痛かっただけですよ」
「生徒番号320。きみに【恐怖】をかけても、効果がなさそうだ」
「そりゃ魔力量と魔力耐性は比例しますから」
魔力量が人並外れて高いって理由だけで、ミヌレは学費免除に加えて、給食費や寮費も支給されている。魔術の効きも悪いだろう。
「そういう意味ではない。皮肉だ」
「おや、通じないとは皮肉った甲斐もないですね」
「機会があったら、全力で【恐怖】をかけてやる」
月明かりを背にして、わたしたちは馬に揺られ揺られた。
学院の裏門には、寮母さんが佇んでいた。
待ち構えていたって方が正しいかも。深い色のヴェールで顔が見えないのに、不機嫌そうな空気が伝わってきた。神経質に指を動かしているせいで、仔鹿革の手袋がきしきし鳴っている。
「電話を受けてから、ずいぶんと時間がかかりましたね」
ふたり揃って、めちゃくちゃ叱られる。
その上、わたしは校則の書き取りをやらされることになった。