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第六話 (前編) 蛇に捧げる子守唄



 カーテンの隙間から差し込む夕日が、瞼に届いた。


 うん?

 

 部屋に入り込む光の色合いと方向は、たしかに夕焼け。

 どうして熟睡していた?

 わたしはオニクスが眠っている隙に、魔法空間に入ろうと画策していたんだぞ!

 起きようとしたけど、全身に肩こりめいた感覚があった。身体を動かすのが億劫だな。

 もしかして思った以上に疲弊していた?


「妖精さん!」


 肩こり感覚を押しのけて起き上がれば、寝椅子の上にエランちゃんがいた。あとお人形も。

「髪の毛が病気のひとね」

 エランちゃんは悲しそうな顔で、わたしの頭を眺めていた。

 腕はにょきにょき生えてくれたけど、髪の毛はまだ貧相なままなんだよな。

 Q なんで腕の再生より、髪の再生が遅いんだよ。

 A 経絡が通ってないからです。

 長患いの病人は、男女関係なく髪を短くしてしまう。介護しやすいようにだ。

 散切り髪で、エランちゃんはわたしが重病人だって思ったんだろう。

「妖精さん。あれはエランが摘んだの。お見舞いの花、かわいいでしょう!」

 エランちゃんが指さしたのは、花瓶から零れ落ちるほど活けられた花だった。晩春の花がありったけ集められている。

 花瓶の横に、革張りの鞄がある。

 大きく開かれていて、医療機器っぽいものが入っていた。

 薬鞄か。

 何の革なのか分からんけど、飴色の上質な革っぽい。角は真鍮飾りで補強されている。職人が丹精込めて造ったって雰囲気だな。本格的な薬鞄だ。

「お医者さんが来てたんですか」

「それはね、悪い魔法使いのおねえさんの鞄なの」

 そうか。寮母さんの私物か。

 重厚な外見に負けず、中身も立派だ。

 専門的な道具がいっぱい。

 わたし、こういうの眺めるの大好き。

 ぷしゅぷしゅポンプがついた小瓶。これは吸入器か。喘息持ちのひとが使うやつだ。

 喉頭ブラシもある。喉が腫れた時に患部に直接、チンキを塗る道具。

 薬用匙。陶器製で目盛りがついている匙だ。

 このエッグスタンドみたいなのは、洗眼器か。お目目洗うカップ。

 蓋の部分には、治療用ピンセットや鋏が揃っていた。

 めちゃくちゃ本格的だな~

 チンキの小瓶だって、たくさん揃っているし。

 いろんなハーブチンキだ。

 学院で錬金薬コースに進むと、こういう錬金薬も調薬したりするんだよな。アヘンとかマンドラゴラとかモーリュとかアンテラで作ったチンキ。魔力回復や魔術インクにも使うから、魔術師だって自分で調合したりする。

「シルフィウムのチンキ?」

 いちばん古いラベルには、シルフィウムって綴られている。

 すごい。絶滅危惧植物なのに、どうやって手に入れたんだろ。

 シルフィウムって有角獣アマルテイアの好物だけど、人間にとっては催淫避妊薬なんだよな。だから乱獲されて、砂漠帝国時代にはめっきり減っていたんだよ。

 ん?

 何故、寮母さんの鞄の中に催淫避妊薬が?

 産婆の弟子だった頃なら兎も角として、淑女寮の寮母としても、寮母さん個人としても相応しくない。

 こういうのが相応しいのは、邪淫の魔女オプシディエンヌだ。

 背筋にひやりとした感覚が走る。

「寮母さんはどこですか?」

「出ちゃだめ!」

 エランちゃんが扉の前で立ちふさがる。

「どうして?」

「とにかくだめなの! いっしょに遊ぼう。瓶詰めのお菓子もあるよ」

 エプロンポケットから、瓶詰めのお菓子を出す。中身は素朴なビスケット。

 やたら必死だ。

 まさか扉の先ぜんぶ、オニクスのやつが皆殺しにしてるんじゃ………

 ぞっとする想像が、脳髄を支配していく。妄想だと笑い飛ばせない。だってオニクスなのだから。闇の教団の副総帥、賢者連盟が討伐を決行した邪悪な魔術師なんだ。

 扉の一枚向こう側は、夕焼けじゃない赤さに支配されているのか?

 沈黙の中、ノックが響く。

 このノックの主は誰だ?

 血まみれのオニクスじゃないだろうな………

「ミヌレ一年生。起きたんですか?」

「寮母さん。うい、起きてます!」

 返事をすれば、寮母さんが入ってきた。いつもの未亡人めいた地味な装いである。

 外の空気もいっしょに入り込んでくる。食事の匂いが漂っていた。野菜が切り刻まれていく青い匂いとか、挽かれた胡椒の刺激とか、炒められ焦がされていくバターの香ばしさとかだ。 

 扉の先は、ごく普通の日常と続いているみたいだった。

 寮母さんの黒い眼差しが、わたしの手元を見下ろす。シルフィウムのチンキだ。

「そのチンキは愚弟の私物ですよ」

「ハァ?」

 わたしの喉から、失礼にもほどがある声が出てきた。

 でもシルフィウムのチンキが先生の私物って、マジで聞き捨てならないぞ。

「【耐魅】の護符の魔術インクですからね。ただシルフィウムのチンキは、錬金薬剤用のヘルメス気密がないと管理が難しいですから、わたくしが預かっているんです」

「ああ、そういう理由なんですね」 

 薬品類は専門家に管理してもらった方がいいよな。

「オニクスは何をしています?」

「厩仕事です。仔馬の世話をさせていますよ。暇させると碌なことしない子ですから」

 なるほど。

「あなたのモブキャップを作っていたんですが、サイズはどうかしら?」

 寮母さんは手にモブキャップを持っている。襞付きでサテンリボンが飾られているモブキャップだ。老婆と幼女しか被らない帽子だぞ。モブキャップを被る年齢じゃないんだけど、素直に被っておく。

「あたまのおふとん」

「なんですか、唐突に」

「いえ、わたし、子供の頃、こういうキャップをあたまのおふとんって呼んでたなって………寒い時、あたまのおふとん被せてって、母にお願いしていたんですよ」

「あたまのおふとん!」

 エランちゃんがくすくす笑っている。

 開いている扉がノックされた。視線を上げれば、廊下側にレトン監督生が立っている。

 毛皮付きの外套を羽織って、ゴーグルを着け、旅支度を整えていた。帰るのかな。

 上級生は自由度が高いけど、監督生は学院での雑務がある。仕方ない。

 少し心細いけど、ううん、すごく心細いけど、学院に戻ってくれるならレトン監督生はオニクスからの被害を受けずに済む。

「エラン、帰るよ」

「……あとちょっと。お菓子あるもん」  

「名残惜しいのは分かるけど、ミヌレ一年生の目が醒めたら帰るって指切りしたろう。父さんたちが待ってる」

 ああ、だからさっきエランちゃん、わたしが目覚めたこと内緒にしようとしていたのか。

 五歳児の可愛い我儘だけど、正直、紛らわしかったよ、エランちゃん。

 我儘は、わたしのこころに余裕があるときにしておくれ……

 エランちゃんはしょんぼりしながら、わたしのところにやってくる。

「妖精さんにお菓子あげる。ばいばい」

 瓶ごとお菓子をくれた。

 エランちゃんを見送ると途端に静かになる。

「ミヌレ一年生。夕餉の支度はまだ時間がかかるみたいですから、空腹ならビスケットを食べていて下さい」

 寮母さんが瓶詰めのビスケットを指さす。

 そういや、小腹も空いたしな。

 ひとつだけやたらでかいビスケットがあるな。

 アイシングがべったりついてる。

 わたし、甘すぎるの苦手なんだけど……

 あれ? このアイシング、模様じゃなくて文字だ。

 『レトン監督生は、また戻ってきます。オニクスに見つからないように』

 メッセージがアイシングで綴られていた。

 思わず寮母さんの顔を見てしまう。黙って頷く寮母さん。わたしも黙って頷く。

 オニクスが【透聴】持ってるから、こういう手段で連絡してくれたのか。

 べたべたに甘いビスケットを、胃のなかへ証拠隠滅していく。

 さて、この六角形の部屋には暖炉がない。暖房機能はオランジェリーに依存しているのか。

「寮母さん。晩ごはんは何でしょうか?」

 雑談しながら窓際に行く。

「野菜のポタージュ。ライスグラタン、食後にはシャンパンジュレです。あなたは草食系ライカンスロープ術者ですから、肉と卵を抜くように頼んでおきました」

「ライカンスロープ状態の食事が、ライカンスロープしている動物に依存するのって常識なんですね」

「わたくしは魔術学院の淑女寮を任せられた寮母ですよ。それくらいは知っています」

「そういえば、淑女寮ってどうなっているんですか………」

「何も心配ありませんよ。あなたと愚弟が行方知れずになった時点で、わたくしも連盟の保護対象になりました。今は長期休暇中です」

 他愛もない会話しながら、窓ガラスに吐息をかけた。

 白く濁ったところに文字を書く。

 『わたし、目覚めが悪かったんですか?』

 『愚弟が【睡眠】をかけたからですよ。対象は、この村全住民です』

 わたしだけじゃなくて、全員を魔術で眠らせたのか。

 寮母さんまで眠らせたとしたら、凄まじい警戒心だな。寝首を掻かれるの用心しているのか。

 『あまつさえあなたを抱きかかえて寝ていたようです』

 ああ、それで身体が肩こり状態なのか。

 先生って筋肉の塊だから、一緒に寝る体勢によっては、わたし筋肉痛になるんだよな。

 さて、向こうがその気なら、わたしはどんな作戦を取ろう。

 オニクスはレトン監督生が帰ったって思っているだろう。だったらレトン監督生に起こしてもらえばいいのか?

 先生が寝てるタイミングで戻ってきてもらって、わたしを起こしてもらう?

 いや、またオニクスがわたしを抱きかかえて寝たら、わたしだけ起こすなんて高難易度ミッションじゃねーか。

 オニクスだけを眠らせれば……

 眠らせる、か。

 寮母さんの薬鞄を一瞥する。

 わたしはヴリルの銀環を錫杖化して、魔法空間からメモ帳とペンを召喚した。

 レトン監督生宛ての手紙だ。

 計画を書き綴り、寮母さんに手渡す。 

 一読した寮母さんは頷いた。

「ミヌレ一年生。わたくしは強壮剤を作ってきます。もし愚弟が部屋に入ったら、すぐにベル紐を引っ張るんですよ。いくら婚約者であっても、病人相手には謹んでもらわなくてはいけませんからね」

「はい」

 姿勢を正して返事する。

 さて、おとなしく回復が必要なふりをしていよう。全身肩こりだし。

 オニクスは厩で作業してるけど、絶対に【透聴】を発動させている。さっきのわたしと寮母さんのやり取りだって、【透聴】してないはずがない。

 ひょっとしたら手紙を書いていた物音も、聞きつけているんじゃないか。

 背筋がぞっと凍る。

 まずい。

 レトン監督生に手紙を届けたなんて知られたらまずい。

 リカバリーしなくちゃ。

「よし、寝よう」

 わたしは目を閉じ、すやぁと眠りに入った。

 現実逃避じゃない。

 わたしは魔法空間に降り立つ。小部屋には、ゲーム機とディスプレイ。資料集や薄い本が詰まりまくった本棚。隅に追いやられているけど学習机もある。落書き帳とかミリペンとか、ブラシとか手鏡とか、マグカップとかティッシュとか、ごちゃっと乗ってる。

 ゲーム機を起動させて、最新のムービーギャラリーを一時停止。落書き帳に六角形の部屋の様子をスケッチしていく。  

 この落書き帳を現実空間に召喚すれば、手紙を書いていたんじゃなくて、落書きしてたってアリバイができるぞ。アリバイじゃなくて偽証かな。

 警戒しすぎかもしれないけど、できる用心はすべてしておかなくちゃ。



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