表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
294/502

第五話 (中編)  黒葡萄酒のしずく


 わたしの蹄は、厩へと駆けだしていた。

「お待ちなさいっ」

 寮母さんの制止を振り切る。

 待てるわけないじゃないか。

 記憶を失っている時の犯罪行為だって、最終的にオニクス先生がひっかぶることになるんだぞ。

 なんとかしないと。

 裏庭へと飛び降り、井戸を通り過ぎて、厩へと目指す。

 微かな家畜臭を道しるべにして、わたしは駆ける。

 魔術ランプが下がっている二階建ての茅葺屋根。家畜臭も強くなってきたし、造りからして、あそこが厩だ。

 常夜灯に照らされた扉を開ける。

「どうしました!」

 藁と獣の匂いが満ちた空間だった。

 家畜の匂いは密度が高い。むわりと肌に纏わりつく。ヴァン・ド・ノワールが破水しているせいか、厩の匂いがさらに独特な臭いになっていた。

 柵の奥には、ヴァン・ド・ノワール。

 オニクスやレトン監督生、それから馬丁さんや園丁さんがいる。みんな藁塗れになっていた。

 いろいろ散らかっているけど、異常な事態は起きてない。

 人間が惨殺死体に変わっているわけでもない。

 じゃあ、何に叫んでいたんだ?

 ぽかんとしていると、寮母さんも追いついてきた。スカートの裾を直しながら、背筋を伸ばして厩を見回す。

「死体はありませんね」

 わたしと同じ感想だった。

「どうした、ふたりとも血相変えて」

 オニクスが不思議そうに問うてくる。

 おまえのいるところで悲鳴が上がったら、おまえが犯人だと思っちゃうんだよ。という気持ちを丁寧に述べたい。

「叫び声が聞こえたので、何かあったのか心配になったんです」

「ああ、なかなか仔馬が産まれんから、腹に手を突っ込んでみたら馬が暴れてな。間抜けがひとりすっ転んだ」

 冷徹な物言いで、転んだ馬丁さんを見下ろしている。

 怪我は無いみたい。

「お世話になってる方に対して、冷たい物言いは控えて下さい」

「使用人に愛想を振りまくのか。卑しいな」

 倫理と見解の相違が甚だしい!

 はらわた煮えくり返ってるし、言い返したいんだけど、今、大切なのはヴァン・ド・ノアールだ。

「それより難産なんですか」

「双子だ。二匹の足が中で絡まっている」

 それは良くない話だ。

 足が絡まっているのも良くないけど、双子がそもそも問題だ。

 お馬さんって人間や山羊と違って、双子を産みにくい体格なのに。

 自分のとこの馬が双子を孕んでいたら、農家のおやじさんはがっくりするよ。

「破水から何分経過した?」

 オニクスは馬丁さんに問う。

「25分です」

「あと5分待って分娩できなかったら、胎の中で潰すか」

「やめて!」

 寮母さんの悲鳴は騒霊となって、木材を軋ませ、周囲の藁を切り裂いた。舞い上がり破水の匂いと混ざる。レトン監督生が咄嗟に【庇護】を詠唱して、被害を抑えた。

 ヴァン・ド・ノアールは怯えなかったけど、馬丁さんと園丁さんと他の馬はびっくりしているぞ。

「何とかして頂戴! 潰すのはいやよ、それは嫌。赤ちゃんを潰さないで!」

「馬の双子が無事に産まれるケースなど、稀でしかないぞ。このまま出産させたら、生殖器が傷ついて母体に負担が………」

「分かってます!」

「私がやらなくても、死産する可能性の方が高い!」

「それでも!」

 寮母さんの叫びに対して、オニクスは舌打ちした。あの厭味ったらしくて長ったらしい舌打ちだ。

 姉弟のあいだで、空気が濁って強張っていく。

 解決する方法はある。

 わたしのキスだ。

 キスをすれば、飛竜ワイバーンだって天馬ペガサスだって癒せるんだ。

 出産時にひどく痛い思いをさせてしまうし、体力の消耗はわたしじゃどうにもできない。それでもヴァン・ド・ノアールが生きていてくれさえすれば、傷を癒すことができる。

 でもヴァン・ド・ノアールはそれでいいの?

 死ぬかもしれないんだ。

 わたしは完全一角獣化する。

 一匹の一角獣になって、ヴァン・ド・ノアールに寄り添った。

 黒いつぶらな瞳に、白い一角獣が映る。

「わたしがキスすれば、ひどい傷も癒せます。でも死んでしまったら癒せない。もし産みたいなら、首を縦に振って下さい。嫌なら………」

 言葉が終わる前に、ヴァン・ド・ノアールは首を縦に振った。はっきりと。

 産みたいんだ。

 わたしは一角半獣化して、上半身だけ人間の輪郭に戻る。

「ヴァン・ド・ノアールは産みたいそうですよ」

「……分かった」

 オニクスは腕を突っ込み、馬の胎を探った。

「仔馬の脚を引っ張るぞ」 

 ヴァン・ド・ノアールは悲痛に嘶く。耳を塞ぎたくなる。

 ぺしゃりと仔馬が流れ出す。

 汗まみれで崩れるヴァン・ド・ノアールの口に、わたしは唇を寄せた。魔力を込めた息吹きを与える。

 わたしの息吹きは魔法となり、傷ついた内臓を治癒していった。

 ヴァン・ド・ノアールは黒葡萄めいた瞳で、わたしを見据える。頬を寄せてくれた。

「無事、産まれたな」

 ん?

 もう二匹とも産まれたのかな?  

 わたしは産み落とされた赤ちゃんを見る。

 仔馬の生首?

 いや、胴体はある

 薄暗い厩の中、顔だけが真っ白くて、身体は真っ黒だから、一瞬、生首かと思っちゃった。

 まるで黒い仔馬が、精製した小麦粉に顔突っ込んだみたい。

「双子ではなかった」

「ァア?」

 さっき双子だから潰すって言っておいて、誤診?

 それはかなりふざけた話では?

「双子だった、というべきか」

「じゃあ………もう一匹はお亡くなりに?」

「いや、生きている」

 オニクスが魔術ランタンを掲げ、生まれたばかりの仔馬を照らす。闇から浮き上がる黒仔馬の下肢。

 脚がたくさんあった。

 今度は見間違えじゃない。影で増えてるようにしか見えないけど、たしかに脚が八本ある。

 八本………?

 わたしの脳は、タコを連想する。

「ミミックオクトパス?」

「異馬………」

 レトン監督生が呟いたのは、聞き慣れない単語だ。

「馬型幻獣と馬とのハーフの総称だな。これはペガサスとのハーフか」 

「馬とペガサスって交配可能なんですか」

 ウマ科の動物同士って、すべて異種交配できるのは知ってる。騾馬とかよく見かけるもんな。

 でもペガサスはウマ科じゃない。

 馬って、ウマ科じゃないペガサスでも、受胎して出産できるのか。驚き。

 もしかしてペガサス側の魔法が、受胎に関与してるのかな。月下老みたいに人類とホモ・サピエンスのハーフが誕生することもあるから、片親が魔法を使えれば、どんな生物だって交配できるよな。

「グリフォンと馬は交配できるし、ペガサスと馬も交配可能だ」

 ああ、グリフォンと馬とのハーフは、ヒポグリフって幻獣になるからな。

「ヒポグリフのように、頻繁に産まれはしない。ペガサスが彷徨ってきて、雌馬を孕ませるのは稀だ。とはいえ探せば記録に残っている。コーフロ連邦王国では、ヒポカンパスとの異馬も三件確認されている」

 深海が生息域の海馬ヒポカンパスと、馬。どうやって交尾したんだろう……?

「ただし雄のペガサスと雌馬が交配した場合、間々、減胎が失敗する。翼が生えるべき要素が脚になり、多脚化するのも減胎失敗のひとつだ」

「減胎って何ですか?」

「ペガサスが身ごもると常に双子になる」

「馬の体形で、双子?」

 お馬さんって双子は産みにくいのに?

 ペガサスはウマ科じゃないけど、骨格とか生殖器とかほとんどウマ科だったはず。

「途中で弱い方が、もう一方の胎児に吸収される。吸収された兄弟が、ペガサスの翼だ」

「………吸収された、兄弟」

 ペガサスには自由な翼が備わっている思っていた。

 どこまでも翔けられる美しい両翼。

 だけど、それは兄弟を犠牲にして得た自由だったんだ。

 ヴァン・ド・ノワールは八本脚の我が子を、ぺろぺろと舐めていた。

 仔馬も八本脚で立ち上がり、へその緒がついたまま乳を飲む。

 慈愛だな。

 馬の赤ちゃんって足が長すぎて、馬っていうより鹿っぽいな。

「ミヌレも解剖してみたいだろうが、この馬の所有権は姉だ。さすがに無断で腑分けはできんぞ」

 オニクスの言葉に、わたしの肩が震えた。

 たしかに雄の仔山羊とか、生まれてすぐにレンネット取る話するよ。

 でもお馬さんって積極的にお肉と皮にする家畜じゃないから、そういう発言をされると怖気が走る。

「寒いのか、ミヌレ」

 オニクスが上着を羽織らせてくれる。

 さっきまでわたしの首を絞めていた手は、暖かくて優しかった。

「部屋に戻ろう。いや、部屋はひどい有り様だったな、別の寝所を仕立てさせよう」

「こんな真夜中過ぎにご迷惑ですよ」

「きみの命令を迷惑だと感じるような人間など、生かしておく価値はないぞ」

 うん。この男と話し合いは通じないな。

「それよりヴァン・ド・ノアールの傍にいたいんです。容態が悪化したら、わたしの魔法で回復させなくちゃいけませんし」 

「ミヌレ一年生。あなたは休みなさい。部屋はわたくしが整えます」

「ですが」

「今のでまた魔力を消耗したでしょう。ヴァン・ド・ノアールには愚弟とわたくしが付き添いますし、何かあったらあなたを叩き起こしますよ」

 ヴァン・ド・ノアールが心配だ。 

 いや、だけどこれはチャンスか……?

 わたしが先に寝て、オニクスが夜番すれば、睡眠時刻に時間差が生じる。

 オニクスが眠っている隙に、魔法空間に潜り込めるじゃないか!

  

 素直に頷くことにした。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ