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第四話 (中編) 真夜中零時の灰かぶり


 

「発端としては………オプシディエンヌの浮気です」

 やっぱりここからだろうか。

「オプシディエンヌが他の人間を寝所に引き込むからって、あなたが殺して……いえ、まあ、殺しきれてなかったのでこんなメンドクサイ事態になってるんですけど、とにかく十年前にあなたは浮気したオプシディエンヌの首を刎ねて、賢者連盟に下ったんですよ」

「彼女に愛想が尽きたのは、分からんでもない。道理で肌を重ねても、それほど燃えなかったわけだ」

 ………その件は今年の思い出したくないこと暫定一位なんですけど、あなたかなり長時間、オプシディエンヌと寝床にいましたよね。

 反射的に頭突きしそうになった。

 危ない危ない。

 今は攻撃じゃなくて、説得のターンだぞ。

「だが私が賢者連盟に下るだと? ありえんな」

「じゃあ教団が瓦解したら、どこに行くんですか? 頭下げて宮中の末席に置いてもらいますか? それとも逃亡の旅をされますか?」

 オニクスは言葉を詰まらせた。

 常に大きな組織に属してきたひとだ。

 それ以外の人生は、想像できないのだろう。己の主人を選ぶ矜持はあっても、己自身を主人にはしない。

「たとえ連盟に下ったとしても、私を恨んでいる連中は少なくない」

「だから代わりに、発動実験を課せられているんですよ」

「結果、足に煩わしい不具合が生じたな」

 口許を歪ませ、不自由な方の足を撫でる。

 普段、オニクス先生は体幹の良さとか体力で無理に動いているけど、片足が不自由なんだ。

「実験動物とはな。それはまたずいぶん友好的な関係だ」 

「たしかに危険な実験を押し付けるなんて、友好とはいえませんけど………」

 発動実験は贖罪のひとつ。

 って言いかけたけど、『贖罪』って単語を使っていいものか。

 今のオニクスには罪を償うって意識が無い。そんな相手に発動実験は『贖罪』って説明したら、なんでって反感喰らわないかな?

「魔力を多く必要とする実験は、あなたほどの魔術師じゃないとできませんし………」

 わたしは言葉を選ぶ。

 慎重に発言したからって、その選択が正しいとは限らない。

 でもオニクスは納得したみたい。

「確かに」

「それにずっと発動実験させられているわけじゃなくて、普段は学院の先生をやっているんです。監視と発動実験の義務はありますが、囚人状態ではありません」

「教師しつつ、折々に発動実験?」

「うい」

「連盟からすれば、発動実験は懲役のようなものだろう」

「うい」

「私は懲役しながら教師をやっていたのか?」

「……うい」

 単語のチョイスが的確だ。

 贖罪しながら教師って言うと格好がつくけど、懲役しながら教師ってマジなんだろうな。

 懲役中なのに、どうして教員試験に受かったんだ………謎だわ………

 しかも王立名門学院だぞ。

「学院そのものが監獄ということか」

 いやいや、学院は監獄じゃねぇよ。

 でもひとによっては学院を地獄だと感じるかもしれん。そういうひとにとっては、監獄か。

 オニクスは勝手に納得してくれた。ありがとう。

「監獄暮らしとはいえ、きみと出会える程度の自由はあったわけだな」

「ええ。テュルクワーズ猊下立ち合いの元で、正式な婚約式も執り行いました」

「婚約か。よくあのご老体が許したものだ」

「カマユー猊下に関しては悶着ありました。最終的にわたしを殺そうとしたんですよ」

「何故?」

「わたしに世界を滅ぼす力があるから」

「常ならば誇大妄想と一笑に付すところだが、真実か。そのくらいの魔力がなくば、ヴリルの銀環も扱えんだろうし、オプシディエンヌもきみを飼おうとしないだろう」

 納得してくれた。

 オプシディエンヌを基準に判断されるのは気分が良くないが、とにかく納得してくれればそれでいい。

「殺したくても、わたしの回復力って人並外れているでしょう」

「ああ、化け物だな」

 褒めてるんだろうな~

「だから星幽体崩壊の魔術のため、カマユー猊下が木星から肉体もってきたんですよ。そんであなたが殺しました」 

「それは愉快な知らせだ」

 ほんとうに愉快そうだった。

「賢者連盟と仲直りする条件として、わたしに【制約】が書き込まれました。被害にあった分の損害賠償のお金は、レトン監督生に借金しています。だから恩人なんですよ」

「信者の献金は当然だろう」

「生徒です」

 わたしが頭突きの体勢で睨むと、オニクスは口を噤んだ。

「こういう経緯で、賢者連盟とは友好……とまではいかなくても、休戦というか、和平とか、そんな感じです」

「経緯は呑み込めた」

 オニクスは何か考え込みながら、空っぽのゴブレットに触れていた。反射する光たちは、言葉にならない感情と思考みたいだ。オニクスの脳内でも、忙しなく考えが巡っているのだろう。

「少なくとも私が教職に就いて、何年か経過している。しかも王立学院でだ。賢者連盟が私を討伐する気がないのは確かだな」

 やった。

「賢者連盟が敵じゃないって分かってくれたんですね」

「一応」

 これはもうほとんどレトン監督生のお手柄だな。

 紀要や手紙の物証は強い。

 よし。あとは幽体離脱できる体調を整えて、先生の魔法空間に降りて、記憶をサルベージするだけだ。

 かなりの大仕事だろう。不安はある。

 でもとりあえず、連盟が敵じゃないって理解してくれて、わたしから【封魔】が取り除かれたのは一歩も二歩も前進だ。

「連盟はどうでもいいが、きみが私の婚約者とは気分がいい」

 軽くキスされた。

 唇と唇が触れ合うだけの、挨拶みたいなキス。

「赤い果実の味がする。ルージュより香しいな」

 さっき食べた果実か。

 フレーズの漿果が実る時期なら、次に熟していくのはネクタリンやカシスやフランボワーズ、グロゼイユ。そしてスイカだ。

 ガブロさんちで食べたスイカを思い出す。

 スイカを食べたからって、記憶を取り戻せるほどオプシディエンヌの魔術は杜撰じゃない。でも先生の大好物だもの。早く実るといいな。

「そのうちスイカの味もするようになりますよ」

 わたしの囁きに、隻眼が眇められた。 

「スイカ? きみはあんなものを食べるのか」

「………あんなものって」 

「驢馬の餌だ」

 冷たい眼差しで唾棄した。

 十年前って、まだスイカ好きじゃなかったの?

「飛地の野生スイカはたしかに腹下すシロモノですけど、本土のスイカは品種改良されてて美味しいですよ。ほら、ガブロさんだって、本土のスイカは赤くて美味しいっておっしゃっていたじゃないですか」

「カブロ? あの男と会ったことがあるのか」

「うい! おうちに滞在させて頂きました。ガブロさんが育てたスイカは、瑞々しくて甘くて美味しかったですよ。野生のえぐみあるスイカとは、全然違います」 

「貧しい暮らしだな」 

「満ち足りた暮らしでしたよ」 

 そりゃレトン監督生やクワルツさんの実家と比べたら、金銭的な余裕はない。ロックさんの靴を買うために、指紋が擦り切れるくらい冬中、内職しなくちゃいけなかった。

 でも家も酪農場も家畜も畑も、行き届いて綺麗だった。

 不意の客を持て成せるゆとりはあった。

 自給自足の慎ましい生活。

 ああいう大地と仲良くする生活も、悪くはないなって思う。

 貧しいわけじゃない。

「私のいのちの恩人として、恩着せがましくたかってくると思っていたがな。名誉除隊申請してやったことで弁えたか」

 口端に浮かぶのは、冷笑だった。

 記憶を失ったこのひとは、ガブロさんに対してまで冷たいのか。

 ガブロさんが沈んでいた時、何も言わず傍らにいた先生の姿を思い出す。労わる言葉が浮かばなくても、労わりたいという優しさはあった。

「どうした、痛みが発生したか?」

「いえ、ガブロさんにまで、そういう冷たいおっしゃりようをするとは思わなくて………」

 ショックだ。

 十年前のオニクスは、こんなにも冷やかなんだ。

「他の男のことなど、どうでもいいだろう。きみは私だけ見ていればいい」

「あなたのことだけ見てますよ」

「ならば何故だ。何故、さっきからガブロだの貧弱な小僧のことを気にする」

「あなたが後悔するからに決まってるからでしょうが! 四方八方に暴言吐きまくってると、記憶が戻った後、土下座行脚先を増やすことになりますよ」

「頭を下げるのか。私が?」  

 オニクスから発された声には、信じられないというニュアンスが含まれていた。

「頭くらい下げますよ」

「そんな選択肢を選ばざるを得ないほど、私は落ちぶれたのか………」

 愕然としてやがる。

 いや、世界でいちばん偉かろうが、詫びることもあるだろ!

「頭下げるのは、悪いことじゃないでしょう」

「最初は正当な謝罪であっても、一度でも頭を下げて、腰をこごめ、膝を折ってしまえば、それからの人生は謝罪という選択に抵抗がなくなる。最初は屈辱でも、だんだんと魂が摩耗していく。私は、そこまで堕ちたくない………」 

 わたしが思ってる以上に、謝るのが嫌いなんだ。

 嫌いというより、忌避している。 

 謝罪だろうが、嘘だろうが、コネだろうが、殺人だろうが、金だろうが、慈善だろうが、人生っていうデッキはカード多い方がいいと思うけど。その方が楽しいと思うよ。戦術が増える。

 でもそれはわたしの価値観だしな。

 このひとは謝罪というカードそのものを、人生のデッキに入れたくないのだ。意固地だな。

 わたしはオニクスに寄り添う。

 輪郭と体温を、ぴったりとくっつけた。

「堕ちてませんし、変わってません。十年間いろいろなことがあって、あなたは少しだけ器用になっただけですよ。処世術ってやつですね」 

 オニクス先生は根本は変わってないんだよな。呆れるくらいこれっぽっちも変わってねぇんだよ。

 それでも………その頭を下げることを忌むままでも、わたしのためなら、凡百の男に堕そうと言ってくれたのだ。 

 信義の内容がどうであれ、わたしのために信義を逸らしてくれた。それが正しいのか分からないけど、愛しいと思う。

 わたしは薬指を撫でる。

 指の付け根に、日長石と蜜蜂の銀輪郭が浮かび上がる。

 銀の羽根に、金の胎。わたしの指先に永遠に留まる蜜蜂。

「無機宝石を体内に入れているのか。経絡負荷が生じるはずだが…」

「魔術的なことはあとで観察するとして、先にこの指輪そのものをご覧ください」

 たしかに魔術師としては、体内に呪符を収納してる方が気になるだろうけどさ。

「あなたが贈ってくれた指輪です。婚約式の時に頂いた石を、手ずからアクセサリーに仕立ててもらったんですよ。銀の部分は、千年前に滅びた砂漠帝国の銀貨を溶かしたものなんです」

 わたしはこれを三度、贈られた。

 婚約式の宝石として、千年前の砂漠でチョーカーとして、そして夜明け前の雪山で指輪として。  

 この人が作ってくれた装具は、すべて思い出深い。初めて貰った月長石のペンダントも、スカートクリップも、真珠のイヤリングも。特にこの指輪には、狂おしいほど思い入れがある。

 蜜蜂が蜜を齎すように、この指輪で記憶が蘇ってくれればいいのに。 

 わたしは奇蹟を願う。

 なんの根拠もない、ロマンチックな望み。魔術師らしくない。

 オニクスはわたしの左手をとって、指輪の細工を観察する。

「たしかに私の細工だな。蜜蜂は蜜月の象徴。私が乙女に贈る婚約指輪なら、モチーフに蜜蜂を選ぶのは納得の範疇だ。だが…」

 隻眼が眇められた。

「大衆に媚びたデザインだ。こんなものを作るようになるとは、私も魂を売るのが上手になったな」

 鼻で嗤われた。

 わたしは咄嗟に指輪を引っ込め、自分の左手を守るように抱きしめる。

 先生が作ってくれた指輪を、こんな風に嘲笑われるなんて我慢ならなかった。わたしはこのデザイン好きなのに。

 たしかに先生が普段作る細工よりクセを薄めて、デフォルメを強めているから、媚びたデザインって評したんだろう。

「私ならもっと素晴らしい指輪を贈れるぞ。女王に相応しい絢爛の指輪だ」

「わたしにとって、これがいちばん好きな指輪です」

 記憶が戻らないのは当たり前だけど、貶されると思ってなかった。 

 こころの柔らかいところを、踏み荒らされた気分だ。

 そっぽ向くと、力強い腕がわたしを抱きしめてくれた。

 そのまま腰に腕を回されて、背中を撫で上げられる。

「経絡に負荷はないか?」

「え、ええ。呪符の出し入れにも、不具合無いですよ」

 胸に触れられた。

 検診したいのかな。それとも【制約】をなぞっているのかな。

 わたしはされるがまま、大きな手のひらで撫でまわされる。

 あれ? なんか、検診してる触り方が違うぞ。普段は経絡と筋肉の流れに沿うように、しっかりと触れてくる。

 でも今は指先だけで、くすぐられるみたいだ。

 まるで、愛撫。 

「ミヌレ」 

 顔を上げると、キスされた。

 ぼんやりしている間に、舌が押し入ってくる。

 これはいやらしい方のキスだ。

「………だめです!」

「まだ体調が悪いのか?」

「そうではなくて……」

「オプシディエンヌと寝たから拗ねているのか?」

 ハァ?

 あれだけのことしておいて、わたしの感情が「拗ねる」だけで片付くと思ってんのかな。

 このオニクス、ちょいちょい無神経だな。

 殺意が湧きそう。

「拗ねていません。わたしは未成年ですから、ふしだらな振る舞いは控えた方がいいですよ」

「下らん。他人の作ったルールに縛られるとは、家畜だぞ。きみは私を愛していて、私もきみを愛している。何か問題があるのか?」

「記憶が戻った後、わたしにこんなことしたら悔みますよ」

 魔力供給のためであれ、わたしを抱いたことは、先生にとって深い悔恨になってしまった。

 上塗りさせるつもりはない。

「………はは」

 掠れた笑いが、オニクスから漏れた。

「この私が頭を下げるようになり、愛した女ひとりも抱けないのか。腑抜けだな。十年経って私は老いさらばえたか。もはやそれは別人ではないか」

「処世と倫理が備わっただけですよ」

 ……いや、倫理が備わったっていうと語弊があるな。

 魔術実験に関して倫理マイナスのままだ。

「別人だ。いや、残骸だ! きみはそんな残骸になれというのか!」

 絶望に顔を歪め、わたしを押し倒す。

「連盟も学院もどうでもいい。記憶など戻らなくていい。ありのままの私を愛してくれ」

「大丈夫ですよ。記憶が戻っても、根本はちっとも改善されていませんから!」

「いいや、頭を下げるようになれなど、私に、ここにいる今の私に、死ねと言うに等しい! 私に死ねと言うか!」

「卑怯な言い方です!」

 わたしの癇癪が爆ぜた。

「その言い方が通るなら、わたしに先生を見殺しにしろと言うようなものですよ!」

 怒りなのか哀しみなのか分からん感情が溢れ出す。

 荒ぶる感情の押し上げられるように、体内の呪符が皮膚まで浮き上がってきた。

 耳朶には真珠、太ももにゴーシェナイトとグリーンベリル、首後ろにはアクアマリン、そして胸には月長石。

 わたしの身を守り、誘う、宝石たち。

「きみは『先生』を愛しているのだな……」

 声が凪いだ。 

 その囁きは、夜に融けてしまいそうだった。いいや、オニクス自体が夜に滲んで融けて、消えてしまいそうだった。

「私は、望まれないのか。死ねというのか」

「違……ッ!」

 大きな手のひらが、わたしの首を鷲掴みにする。

 首が絞められた。

 なんて瞬発力と握力だ。

 呪文唱える隙が無い。

「なら、いっしょに死のう。私の可愛い仔猫(ミヌ)


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