第三話 (後編) コミケで知り合いに会うとビビる
異母妹エランちゃんの目元は、レトン監督生そっくり。
でも元気度が圧倒的に違う。まるまるとしたほっぺは珊瑚みたいだし、動きも溌溂としている。
ドレスは若草色と薔薇色の縞模様という田園調で、フリルのエプロンも付けていた。繻子のリボンで、珊瑚色の護符を下げている。その姿は、ピクニックではしゃいでいるお嬢さまだ。
背丈が伸びてるし、顎や頬の輪郭がレトン監督生に似てきている。
このまますくすく育って、13年後にはわたしの身長抜かすんだよな。未来のエランちゃんを思い出す。
「妖精さんもいる! じゃあこの悪の魔法使いさんが、妖精さんの好きなひとね!」
オニクスを悪の魔法使い呼ばわりである。
見た目も中身もそうなんだけど、面と向かって言うあたり怖いもの知らずだな。
レトン監督生の白皙は、蒼白になっている。
死体みたいな色。
コミケで知り合いに出会ったらビビるけど、肉親に遭遇とかマジで震撼ものですな。
「エ………エラ………エラン、ひとりで? どうして?」
狼狽ここに極まれりだ。
青ざめている理由は、幼児がひとりで国外にいるからか。
「エランはひとりじゃありません」
抱えている人形を見せる。巻き毛のお人形さんは、エランちゃんのお気に入りだ。
「うん、ひとりじゃないね」
レトン監督生はエランちゃんの世界観を壊さないように、笑顔を繕う。顔面蒼白の笑顔って怖いな。
「どうやって来たのかな」
「ないしょ!」
「また荷馬車の荷箱に潜り込んだとか……」
「ひみつ!」
「教えてくれると嬉しいな」
赤ん坊をあやすような声色で問うけど、エランちゃんは教えてくれない。
ほんとになんで王都から自治区まで来れたんだ。
もう全部、オプシディエンヌの仕掛けた罠に見えてくる。疑心暗鬼がひどいけど、疑心暗鬼になるくらいあの女の手口は悪辣だからな。
「エランちゃん。教えてください」
「えー」
「そうですか。わたしはエランちゃんに秘密の正体教えたのに、エランちゃんは内緒なんだ………」
わたしはしょぼんとした顔を作る。
これは卑怯な物言いだ。
以前、わたしが内緒の正体を見せてあげるって一角獣になってみせたのは、エランちゃんを保護するためだ。取引の通貨にするためじゃない。
でもオプシディエンヌが絡んでいたら怖いんだよ。
「妖精さんはとくべつ!」
エランちゃんは突発的に駆けだす。スカートが大きく翻るのもお構いなしの全力疾走だ。
四歳児の全力って、けっこう早いな。
「木馬!」
エランちゃんは遥かな彼方の針葉樹を指さす。
木陰には、木馬が置かれていた。デフォルメが利いた可愛らしい造作で、たてがみや尻尾には鮮やかな彩色がされている。リボンでブローチが首にかけられていた。悪趣味じゃない程度に贅を凝らした木馬だ。
メルヒェンな木馬はこの村の風景に馴染むけど、なんであんなところに置かれているんだ?
エランちゃんは走ってるスピード緩めず、木馬に跨った。
「我は風の恩恵に感謝するがゆえに、さらに纏うことを求む」
呪文を唱えると、木馬のブローチが輝く。
あれは呪符だ。
魔術が構築されていく。
理論的には魔力があって、宝石を持っていて、文字が書ければ、四歳児でも魔術は使えるものな。
あ、誕生日が花咲月だから、もう五歳になったんだっけ?
「飛べよ、翼在るがごとくに、雲得た如くに」
エランちゃんが詠唱していくと、地べたの小石や小枝が震え、頭上の針葉樹が揺れ出した。
わたしはいま【封魔】のせいで霊視できないけど、もしかして展開範囲めちゃくちゃじゃないか。
周囲のもの全部、吹っ飛んでいくのでは?
それはオニクスもレトン監督生も察したらしい。
オニクスはわたしを抱き締めて間合いを取り、レトン監督生は【庇護】をエランちゃんにかける。
「オニクス、【蝕魔】………ッァア、これ最近のやつだ!」
カウンター型【蝕魔】は、つい最近、開発したばかりの魔術だ。今のオニクスは戦術に組み込んでいないし、呪文も知らない。
でもよく考えたら、エランちゃんとは未来で会った。
死亡はもとより大怪我とかも無いし、なんとかなるんだろうな。
エランちゃんの呪文の末尾が結ばれた。
「【飛翔】」
砂埃が空高く舞い上がり、周りの小石が石礫になって降り注ぐ。
局地的異常気象っぽい。
エランちゃんが木馬に跨ったまま、とんでもない斜め方向に飛んでいった。魔術に振り回されている。エランちゃんが【飛翔】を制御して、自力着地とか無理っぽいな。
レトン監督生はすでにゴーグルつけて、【飛翔】していた。
安心感のある制御だ。
暴走木馬を食い止め、エランちゃんを抱きかかえるレトン監督生。
エランちゃんを捕まえた時点で、もうレトン監督生は息も絶え絶えだった。肩で息している。
辺り一辺ひっちゃかめっちゃかだったけど、村の人たちが平然と集まってきた。手には柳ホウキだのバケツだの、大きなずた袋だの麻紐だの、それから手押し一輪車なんかも持ちだしている。特に誰かが何か言ったわけでもなく、号令も相談もなく片付けて解散していった。
「手際が良い……」
「さすが護符試験の村だな」
オニクスが感心する。
開発したばかりの護符が、不具合を起こさないか実験する村だものな。ちょっとした暴発や突風くらいは、生活に織り込み済みか。
レトン監督生が下りてきて、そのままぐったり膝を付いた。
エランちゃんは満面の笑み。
「すごいね、エランちゃん。もう文字が綴れるんですね」
「乳母やにね、これ写してって、紙に書き写してもらったの。そっくりになるまで何度も書いたの!」
丸写しというやつか。
法律も事故事例も魔術法則も学ばずに丸写しでやっちゃうの、冷や汗が出る。
………わたしも【浮遊】を作って、先生に注意されたことあるけど、周囲のひとたちはこういう気分だったんだろうな。
唐突に過去の自分を客観視させられると、ちょっと辛いな。馬鹿さ加減も大概にしてほしい、過去のわたし。
「それでね、そっくりに書けるようになったら、母さまの帽子からグリフォンの羽根ぬいて、ブローチ貰って、雨粒集めて書いたのよ」
「お母さんいいって言ったの?」
「もらいますって、お手紙おいたよ」
事後承諾か。
レトン監督生が起き上がる。呼吸が落ち着いたようだ。
「エラン、とにかく、みんなが心配しているから、おうちに………」
「帰らない! 母さまはエタンが生まれてから、エタンの母さまになっちゃったの! だからいいの!」
エランちゃんは口許にくっと力を入れて、顎をくるみみたいに皺塗れにして突き出す。三歳の時から変わらない不服の表情だ。
最近、エランちゃんには弟のエタンが生まれたので、不貞腐れているのである。予知で見た。
末っ子が末っ子じゃなくなった環境の変化は辛いだろうけど、【飛翔】を使って越境とか予想範囲外過ぎる。というか予知範囲外だな。わたしの予知範囲は、エクラン王国程度だから。
「だから妖精さんと遊ぶの!」
「ミヌレ一年生はひどい怪我をして、治療と療養のために来たんだ」
兄からの説得に対して、エランちゃんの表情は威嚇モードのまま。でも文句は堪えている。
不服だけど納得したのか。
「治るまで待ってる」
「そのお人形も帰るの嫌なのかい?」
エランちゃんは抱きかかえてる人形を、ちらっと見た。
不服そうな顔のまま黙ってしまう。
「エラン。まず母さまにお手紙を出そうか。エタンばっか構って寂しかったって。それを出してから戻ればいいよ」
優しく宥めすかす。
「僕も父さんに手紙を出したいし、一緒に書かないか?」
「うん。エランもレトンお兄ちゃんのインクで書きたい。紺色のカッコイイやつ!」
柱廊ホールになっている一階で、わたしたちは一休み。
手術の準備待ちだ。
ベンチに敷布とクッションを用意してもらったから、やっと抱っこモード解除してもらえるぞ。
オニクスはベンチに座っても、わたしを抱きかかえていた。
離す気配がない。
「……あの、下ろしてください」
「私の女王にして、私の仔猫。回復するまで、きみの領地は私の腕の中だ」
優しい労わりはできないのに、気取った睦言は吐けるのかよ。オプシディエンヌの教育の賜物だな。賜物じゃねぇよ、呪いだよ。
「抱きかかえられてる姿勢のままだと疲れるんですよ。下ろしてください」
率直に言ったら離してくれた。
タイミングを見計らったように、村の人が飲み物を運んでくる。
陶器のジョッキには、湯気が立ってる。この匂いからして、ボスコップの実のホットジュースか。今日は小寒いから丁度いい。
わたしは腕がないので、赤ちゃん匙で飲ませてもらった。
まさかこの齢で、離乳食用の匙を咥えることになると思わんかった。病人にも使うけどさ。
そんなわたしの姿を、エランちゃんがじっと見つめてる。
「妖精さんはほんとにお怪我してるのね。お見舞いに花を摘んでくる」
「エラン。先にお手紙を書くといいよ。その方が遊ぶ時間が増えるから」
レトン監督生は、自分の携帯文具鞄を持ってきた。
真鍮の飾り細工が施された鞄だ。
開くと仕込まれた【光】の護符が、鞄の中を照らす。
革張りの手帳や、エンボス加工がされた臙脂色のバインダーが入っていた。どれも揃いの真鍮の飾り細工で、護符の青白い冷光を受け、物静かな艶を帯びている。消耗品であるペン軸や吸い取り紙の入った紙箱も、行儀よく鞄の隅に収まっていた。
蓋の裏側には革バンドがあり、真鍮のペーパーナイフと封筒が挟まれていた。
インク瓶を取り出す。日差しが通り抜けていくと、宵色の翳が机に落ちる。太陽が沈んだばかりの宵の空みたい。じっと見ていれば、一番星が隠れていそうな紺色だ。
エランちゃんは紺色インクと、透かし模様と金罫線の便箋で、お手紙を書き始めた。それを見守るレトン監督生。
「レトンお兄ちゃんは何を書くの?」
「知り合いに会ったので、もう少し滞在するって連絡だよ。ほら、エラン、袖にインクがつくよ」
ほのぼのした兄妹の日常。
オニクスが身じろぎして、隻眼を細めた。
「その鞄に入っている手紙。私からか?」
鞄に収められている封筒には、Onyxと綴られていた。
「ええ。ご覧になりますか?」
手紙の束をオニクスへ渡す。
借金を申し込んだときのお手紙かな。
便箋を開き、隻眼は文章をなぞっていく。
「間違いなく私の文字だ。私は随分ときみが気に入っていたらしいな」
読み進めていくと、オニクスの空気が和らぐ。吐息ひとつ分ほどの緩みだけど伝わってきた。
今までずっとレトン監督生に警戒していたのか?
休憩所を提供してくれる知り合いと会うなんて、都合がいいものな。
………あれ? それにしてもなんでレトン監督生、オニクス先生からのお手紙を鞄に入れっぱなしなんだ?
だって借金の申し込みしたの結構前だぞ。賢者連盟に殴り込み終了してすぐだから。
恋人からの手紙でもあるまいに。
愛しい恋しいひとからの手紙なら、抱え込むのも分かる。わたしだって先生から貰ったものは、広告一枚だって大切だ。
でもそうじゃないのに持ってるなんて、違和感。
まるでオニクスから信用される小道具として、鞄に用意していたみたいじゃないか。
なんだかやっぱりレトン監督生、怪しくないか………
オニクスは肩の力を抜いているけど、わたしは逆に強張ってしまった。




