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第三話 (前編) コミケで知り合いに会うとビビる



 痩せ細った月が沈み、太陽が姿を現した。

 黎明が稜線を薔薇色に彩っているけど、オニクスはまだ夜に追われるように全力で飛び続けている。

「どうした、私の仔猫(ミヌ)。物憂げだな」

 そりゃ胸が不安でいっぱいなんですよ。

 クワルツさんの負傷も心配だけど、エグマリヌ嬢も心配だ。けっこう悩みがちなタイプだから、わたしを誘拐させてしまった選択を悔んでいるんじゃないか。

 サフィールさまの件で心労があるのに、助けに来てくれた。その想いを、わたしは無碍にしてしまった。

 そんなこと話したって、このオニクスには通じないだろう。

「わたしの服と【胡蝶】はお持ちなんですよね」

「ああ。一度、降りるか。着せてあげよう」

「【破魂】は持ちだせました?」

「……知らん魔術だな」

 下降しながら、首を傾げる。

 もしかしてこのオニクス、【破魂】を開発する前まで巻き戻されている?

 そりゃそうか。

 オプシディエンヌが飼うつもりなら、自分を殺せる魔術を研究する前まで戻さなくちゃ危なっかしいもんな。

 どうすんだ、【破魂】が無かったらあの魔女、完全消滅させられないぞ。

「あの魔女を完全消滅させる魔術ですよ。高位の要素をも滅して、転生や憑依さえ出来なくさせるんです。あの魔女は【憑依】持ちですから、下手に殺すと足跡辿れなくなるだけです。【破魂】は不可欠です」

「あの魔女など放置して、東大陸に渡るという手段もあるぞ」

「絶対にあの女、殺します」

 生かしておいちゃいけない生き物だ。

 わたしの吐いた言葉に、オニクスは楽しそうに微笑んだ。

「きみは殺意が高くて愛らしい」

 わたしはオリハルコンドレスを着せられて、もう一度、マントにおくるみされる。

 ふたたび【飛翔】していく。

「ここはどこらへんですか?」

「モンターニュ地方との境だな。エクラン王国寄りの」

 脳内に世界地図を広げる。エクラン王国飛地の『空中庭園』が近い。

 オリハルコン鉱山である『空中庭園』の一部は、連盟の支部として使われているんだよなあ。

 逃げ込む先が『空中庭園』ってのは安全だけど、説得と説明ゼロで賢者連盟に連れ込むってことになっちゃう。オニクスにだまし討ちだと思われたら、拗れるかな。

 そもそも先生の故郷だ。

 いや、故郷なんて優しい単語、相応しくないな。

 奴隷として育って、兵士として生きた地獄だ。 

 行くわけがない、か。

「ニシン街道が近いな。隊商か野盗を制圧して、金銭を鹵獲しよう」

「だめですよ!」

 叫んだ途端に、顔を顰められた。

「私の戦術に何か問題点があるのか?」

「あなたが選択する戦術は、オプシディエンヌに読まれがちなんですよ。合理的だと思う手段こそ、危険です」

「たしかにオプシディエンヌに離反した今となっては、いつもの最善手はかえって悪手か」

 納得してくれた。

 っていうか堅気の商人も賞金首も、いっしょくたなのは頂けないぞ。

 砂漠帝国で、奴隷商と盗賊から金品捲き上げて路銀にしていたノリか。

 滅びを約束された千年前なら大目に見るとして、いや、駄目なんだけど、現代で無差別鹵獲とか単なる強奪行為じゃねーか。まあ、犯罪者なんですけど、十年前のオニクス先生は。

 ニシン街道の上空を【飛翔】していく。

 このニシン街道ってのは、この道のあだ名だ。むかしからこの街道には海の幸が運ばれてきた。庶民にとっては海の幸と言えばニシンだ。ロブスターや帆立は【飛翔】で運ばれるからな。だから庶民はニシン街道って呼んでいるのだ。

 ゆるゆると飛んでいくと、人工的な色合いが視界に入ってきた。

「市場だ!」

 仮設テントが張られていて、なんだか賑わしいな。

 ニシン街道添いとはいえ、こんな深い森の中に、唐突に市場が広げられているのは意外。しかも山中の市っていう規模じゃない。

 『湖底神殿』の市場ほどじゃないけど、相当な熱気だぞ。

 でもおっきな市場といえば、大道芸に吟遊詩人。蜂蜜肌の放浪民たちの稼ぎ場なのに、BGMがないなあ。

 不思議。

「あれはモンターニュ自治区名物、ブカン・マルシェだな」

「書籍市? こんなところで?」

 ここは結構、山奥だぞ。

 流通が不便すぎる。

「モンターニュ自治区では、検閲も書籍制限もない。だから各国で発行できない文書が、ここに集められて売り買いされている。危険な魔術の研究、猥雑小説、殺人鬼の手記や身分撤廃者の啓蒙書………どんな内容であろうと、モンターニュ自治区では咎められない。他国では出版禁止になる書籍が、モンターニュ印刷所で印刷されて、ここで販売される」

「発禁書籍市ですか!」

 思わず叫んでしまった。

 だってこれ予知だと無かったイベントだもの。興味が湧く。

「立ち寄ってみたいのか? 構わんが」

 いや、いくら楽しそうでも、市に寄ってる場合ではない。わたしは誘拐されてるんだから、早く誘拐犯を説得して、クワルツさんたちと合流しなくちゃいけないんだよ。

 興味はあるんだけど駄目だ。

 でもこういう大規模な市場なら、近くに旅籠もあるかな。

 旅籠が満員でも、休憩できる場所くらいあるだろう。

 オニクス説得のため事情説明するにしても、込み入ってて長くなるし、腰を据えられる場所の方がいい。

 自己弁護終了。

「立ち寄りたいです」

 オニクスは木々の茂る陰に、ゆっくりと降り立ってくれた。

 針葉樹の匂いに、真新しいインクの匂いが混ざっている。本屋や図書館とはまた違う、独特の空気だな。

 会場は踏み固められた土に、厚手のテントがいくつもいくつも並んでいる。携帯式の机に、いろんな書籍が並べられていた。

 『湖底神殿』には及ばないけど、いろんな国のひとが行き交っている。立ち読みするひとや、交渉するひと、紙の束を買っていくひと。

「あの紙の束って、もしかして本文だけですか? 裁断と製本してないんですね」

「装丁してから発禁処分されれば表紙付きだが、発禁処分が確実なら装丁に回さない。本文だけだ」

「へー、じゃあ本分を購入したひとが、別の印刷所に表紙を頼むシステムなんですね」

 たしかに書物の装丁って、凝るひとは凝るものな。レトン監督生の別荘に置かれていたオニクス先生の魔術書とか、漆鞣しに箔押しっていう凝った装丁だったもの。特装版だった。

 大行列ができてるスペースもある。

「プドリエ大公国発禁処分になった『ある貴族未亡人の懺悔』シリーズ、最後尾はここになっていまーす」

 行列捌いているひともいた。

 あんなん壁サーじゃん。

「『義兄に愛されし修道姫』、新刊はここまでで終了です」

「印刷所から『王妃と侍女の秘蜜』が届きました! ご購入は十部までです! 十部までとなっております!」

 混雑具合がひどくなっていくぞ。

 夜明けてそれほど経ってないのに、熱気がとんでもない。

「猥雑書の区域か。さすがにカタログがないと迷うな」

「カタログ?」

「売り手から場所代を徴収し、その場所と販売目録を記載したカタログを買い手に販売する。これが書籍市の収入だ」

 完全にイベントですよ。

 人込みをうろうろと歩き、休憩場所を探す。

「道を尋ねるのは駄目ですかね」

「カタログ未購入でうろついているのが見つかったら、追い出されるぞ」

 警備のひとに追い出されたら、面倒だな。

 いくつ曲がってもどこまで進んでも、書籍ばかり売られている。とはいえ随分歩くと、インクや紙の匂いが変わってきた。古書の匂いだ。

「古本も集まっているんですね」

「法律が変わって、焚書や禁書になった類だな。掘り出し物を探すならここだ」 

 こんな事態じゃなかったら、掘り出し物探すのに。

 絶対、また来てやる。

「………あっ、食べ物の匂いしてきましたよ!」

 鼻腔に届いたのは、肉の脂が焼けて弾ける甘い匂いだ。香ばしさ中には、香辛料のスパイシーな匂いも含まれている。

 きっと食べ物売ってる屋台か何かがある。ということは、その近くには食事取れる場所があるんじゃないかなあ。 

「食欲があるのか。図太いな」

 オニクスはほっとしたように言う。

 表情と言葉が合ってないぞ。

「あのですね、そういうときは「食欲があって喜ばしい」とか言うんですよ」

「気取った言い方を努めよう」

 ハァ?

 わたしが我儘言ってるみたいな態度取られたんですけど?

 我儘じゃないと思いますけど?

 香ばしく焦げた匂いを案内役にして、オニクスは歩いていく。

 歩いているだけなのに、ちらちらと視線が集まってきた。

 オニクスの並外れた長身と隻眼のせいかな?

 それとも連盟に手配されているとか、オニクスの顔知ってるひとがいるとか……?

 知り合いなら兎も角、復讐者と鉢合わせたら最悪だ。

 日が高くなって、ますます人も増えてきた。ここでオニクスが暴れたら、死傷者が凄まじいことになるぞ。 


「オニクス先生!」


「ぽぇ?」

 叫んだのはわたしじゃない。

 品の良いテノール。

 レトン監督生だ!

 苔緑の毛皮付き外套に、真鍮の飛翔用ゴーグルを首にかけていた。あの苔緑の外套、以前にも見たことあるけど、古代魔術で繊維を学んだ後だと、素材は最高級のバフォメット綿の綾織って分かる。地味だけど最高級防具だよ。

 真鍮色の髪から覗くのは、紫水晶のピアス。あれは先生が借金申し込むときに作った護符だ。

 にしてもどうして禁書市にいるの?

 そりゃ読書が趣味なのは知ってるし、稀覯本を貸してもらうイベントもゲーム中にあったよ。でもモンターニュの発禁書籍市に足を運ぶほど、収集家だとは思わなかった。

 最上級生は成績さえ良かったら、ある程度の自由が利く。

 でも監督生は忙しいはずなのに。

 わたしが混乱しているうちに、レトン監督生は人込みを掻き分けて駆けつけてきた。


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