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第二話 (後編) 不退転の狼

 

 クワルツさんが、オプシディエンヌの背骨を引きちぎる。 

 オニクスが、【封魔】の杭を打つ。


 オプシディエンヌは千切られ、穿たれ、貫かれ、溢れる血が黒髪を淀ませ、それでも崩れなかった。

 まるで異教廃墟の女神像。

 この女を女神としてたらしめているのは、僅かな痛痒さえ感じてないその微笑だった。 

 乳房が杭に抉られ、背中が崩落しても、微笑には壮絶な支配力があった。畏怖と魅惑を齎す。目を背けたいほど恐れているのに、目を離したくないほど惑わされている。支配的な美しさ。


「………そう。妾の与える運命を拒むのね」

 

 地べたが振動している。

 屋敷そのものが、細かく震えていた。天井近くの窓硝子がぴしぴし鳴り、シャンデリアが揺れ動いて水晶飾りが落ち、光がかき回される。

 なんだ?

 なにかの魔術の前兆?

「その可愛い少女との恋を愉しみたいのね。無垢な愛を語りたいのね。でもあなたの魂は、少女の恋で癒せないわ。それでもいいというなら、妾から巣立ってみなさい」

 歌みたいだった。

 人魚の歌に歌詞をつけたら、こうなるんじゃないかって歌。

「あなたの恋は破れるわ。可哀想なオニクス。いつか妾の膝元に戻っていらっしゃい。あなたの絶望さえ、妾は愛してあげる」

 オプシディエンヌの皮膚が絲になる。

 皮膚が解けて千切れ、残ったのは人魚の屍だった。

 【傀儡】!

 いつから影武者と変わっていた?

 ドレスを纏ったんじゃなくて、あの時に入れ替わっていたのか。

 侵入者に新装備お披露目されただけで影武者とすり替わっておくとか、どれだけ用心深いんだ、この邪淫の蜘蛛! 


 

 屋敷が大きく振動した。

 地下の方から、鼓膜どころか心臓が痛くなるほどの爆発音が伝わってくる。

 もしかしてオプシディエンヌ、屋敷爆破した?

 行き掛けの駄賃に、屋敷ひとつ爆破するんじゃねぇ!

 せめてお屋敷爆破は、最後のあがきとしてやれよ! 

「証拠隠滅か。隠れ家の爆発は浪漫だが、煩わしいことこの上ない!」

「ミヌレ! ボクに捕まって!」

「はい! あ、モリオンくんがいます! 助けないと!」

 けっこうな騒動だったけど、モリオンくんの姿は影も形もない。もしかして地下室を整えてるのかな。

 あの魔女に従わせておくのは不憫過ぎるから、この際、一緒に賢者連盟に保護されたい。

「少年なら吾輩が探しておく。きみは早く治療を受けねば。テュルクワーズ元司祭も救護班として来ている」

 クワルツさんは警戒を解いていなかった。

 仮面の下の未来視は、周囲を見回している。

 たしかに警戒を怠っちゃいけない。オプシディエンヌが姿を消したのは、罠って可能性がある。あの女、舐めプするだけじゃなくて、絶望させるための希望を与えるのも趣味だからな。

 仮面の下の眼が、オニクスへと視線を動かした。

「ミヌレくんをどこに連れていくつもりだ!」 

 いきなり何を叫んでるんだろうと思った瞬間、オニクスの腕に抱えられた。エグマリヌ嬢から引き離される。

「ふぇ?」


「【飛翔】」


 わたしを抱えて、オニクスは天井高くに舞い上がった。

 窓ガラスを叩き割り、夜へと飛び出し、風も雲も切り裂いて飛んでいく。雲の破片が冷たくて、痛いくらいだ。

 春も盛りなのに、この冷たさと空気の硬さは、冬が舞い戻ったみたいだ。

 春のバザーが終わった時期なのにこの冷たさってことは、エクラン王国最北くらいじゃないかな。

「どこ行くんですか!」

「一刻も早くこの場から離れねばならん」

 オプシディエンヌを警戒しているのか?

「安心するといい。きみの服と【胡蝶】は持っている」

「でもテュルクワーズ猊下と合流しないと………」

「その男を誰だと思っているのだ」

 オニクスの問いかけは、何故か怒りを含んでいた。それとも苛立ちか?

「元司祭さまで、獣属性治癒系では最高位の御方です」

「賢者連盟の魔術師だぞ!」

 ああ、そうか。

 十年前まで記憶が戻ってるから、連盟は敵対しているんだ。

「大丈夫ですよ。賢者連盟とは和解というか、協力関係というか………とにかく逃げなくてもいい相手です。戻りましょう」

「馬鹿な。きみは騙されている」

「月下老と話し合いしたんですよ」

「だが私を許さん老人が、ひとりいる」

「カマユーなら死にましたよ!」

 瞬間、オニクスが急停止した。

 びっくりするくらい急激に停まったせいで、わたしの内臓がぐるっとひっくり返るかと思ったぞ。

 空中でピン止めされたカラスみたい。

「は? 死んだ?」

「ええっと、カマユー猊下はお亡くなりになりました」

 丁寧に言い直す。

 言い直す必要なかったかもしれんけど。

「そんな椿事、オプシディエンヌは言ってなかった」

 おまえらずっと寝台で盛り上がってただけじゃねーか。

 じわっと怒りが滲むが、落ち着いて仮説を述べる。

「賢者連盟を仮想敵として維持したかったんでしょうかね。それとも話するの忘れているとか……」

「何があった? あれの肉体は木星で、厳重に保護されているはずだ。賢者連盟のみならず魔術師界の要だぞ」

「詳しい経緯はご説明しますから、とにかくみんなのところに戻りましょう!」

「いや、事情の説明が先だ。星智学のご老体がいなくば、あの我の強い魔術師どもが団結できるはずがない」

 我の強い魔術師たち。

 ブッソール猊下やアエロリット猊下が脳内に浮かぶ。

 我の強いタイプが、かなり死んだからな……

 それを説明したらまた長くなる。

「とにかく先に治癒してもらいたいです。戻りましょう」

「駄目だ。きみが賢者連盟に騙されてないという保証がどこにある?」

 頑固め。

 しかしわたしは実力行使できねぇしなあ。

 両腕に刺さっていた【封魔】の杭は、エグマリヌ嬢が引き抜いてくれた。でもまだ胸に、モリオンくんに撃たれた【封魔】の弾丸がひとつある。これを取り除かない限り、完全復活は出来ない。

「きみから話は聞くが、魔弾の摘出が先だな。腕が見苦しい」

「切った本人が言うな」

 かなりイラっとしたぞ。

 これはもうキレていいんじゃないかな、わたし。

「切断した時は気に留めなかったが、今は目のあたりにすると胸がざわつく。この感覚は重くて不快だ」

 罪悪感かな。

 副総帥オニクスの頃にはなかったけど、オニクス先生には罪悪感があるからなあ。 

「あのですね、そういう時は『痛ましい』とか『身体を労わることを優先してほしい』とか言うんですよ」

「気取った言い方だな」

「………」

 ほんとこのおっさん、どうしようもねぇな………

 奴隷生活と戦場暮らししていたら、丁寧な言い方なんてどうやっても身につかんのは分かる。

 でも、これで一回、宮中暮らし経てるのがヤバい。

 そりゃ宮中の蛇蝎って、みんなに嫌われるよ。

「宮中風の言い方がお好みなら、従おう。ミヌ、ミヌ、私のミミンヌ」

「………」

 先生のボイスで、仔猫ちゃん(ミヌ)とか、にゃあにゃあちゃん(ミミンヌ)とか呼ばれるとは思わんかった。

 たまに先生もポエム吐くけどさ。全人類より大事とか。



 【飛翔】しているうちに、月明かりに目が慣れてきた。

 眼下に広がっている風景は、針葉樹の森だ。もみの木の端正なシルエットが、どこまでも続いている。

 この光景は、ガブロさんの暮らしていた森に似ている。

 ってことは北方の山岳部か?

 ひたすら針葉樹の上空を飛んでいくと、ひんやりとした風が吹いてくる。

 リコルヌの雪原みたいな風だな。底冷えしているけど、乾ききっていない、雪や氷の香りをたっぷりと含んだ空気だ。

「きみの貧相な体では、凍死しそうだな」

 オニクスはマントを脱いで、わたしをくるくる巻き巻きした。

 まるで赤ちゃんのおくるみだ。

「おぎゃー……」

 口さがないけど、わたしを抱きしめてくれる腕は優しい。きっと労わりたいという気持ちはあるんだ。

 それにマントを捲いてくれたのはありがたい。ますます冷え込んできたからなあ。

 いや、もう空気が凍てついてくるレベルだ。

 夜霧がわたしたちを包む。

 月明りの輝き混ざった霧は硬質で、硝子の破片が混ざっているみたい。

 次の瞬間、オニクスの高度がいっきに下がった。

 「【氷障】か」

 発動中の魔術を阻害する水系魔術だ。

 もしかしてエグマリヌ嬢が追いかけてきて、【氷障】を発動させたの?

 魔術を阻害する魔術は、数多く研究されている。音を無くして呪文詠唱できなくする【静寂】。呪文の術者保護に干渉して構築を阻む【抗魔】。経絡に干渉して構築を阻む【封魔】。術者に催眠をかけて詠唱させられなくなる【無言】。そして先生の開発したカウンター型攻撃魔術【蝕魔】。

 この【氷障】は、発動している魔術の効果を何割か下げる。

 発動できるけど、魔術がコントロールできなくなったり、威力が弱くなったりするのだ。

 オニクスの【飛翔】が、制御困難になっていた。御そうとしているけど、足がつった水泳みたいな不安定さだ。ふらふら蛇行しながら斜めに落下していく。 

 狼の唸り声が、針葉樹の空気を震わせる。

 野生の狼じゃない。

 魔狼モードのクワルツさんだ。己の輪郭を置き去りにする俊敏さで、針葉樹の梢を駆け、飛びあがってくる。

 人間どころか獣の跳躍力さえ上回る。

 オニクスの喉笛目掛けて、牙を剥く。

 刹那、オニクスは【飛翔】を解除した。

 地面に自由落下していく。

 【氷障】の効果範囲内で【飛翔】を切った?

 再発動できないかもしれないのに!

 自由落下していい高さじゃない!

 わたしが冷や汗かくと、針葉樹の枝に沈んでいく。

 もみの枝のクッションで減速したけど、焼け石に水だよ。

 オニクスは腰のクリス・ダガーを抜いた。幹に刃を突き立て、落下を止める。太い枝に着地した。

 自由落下しても安全か、きちんと見極めて【飛翔】を解いたんだ。そりゃそうだな。このひとは【飛翔】の熟練者だし、そもそも【飛翔】の免許は緊急落下時の安全な落ち方とかやるものな。

 クワルツさんも着地する。

 魔狼から人間の姿に転じ、怒りの形相を仮面で覆う。

「ミヌレくんをどこに連れていくつもりだ!」

 喉も張り裂けんばかりの尖り声だ。

 憤怒のあまりライカンスロープが暴走しているのか、犬歯が牙になっているじゃないか。

「どこでもいい。私と彼女ふたりだけの世界ならば、どこでも構わんよ」

「正気に戻れ! ディアモンがどういう気持ちで、この手甲を織ったと思っているッ!」

 あの手甲はディアモンさんのお手製なの?

 焼けた両手、回復したんだ。

 わたしは安堵するけど、オニクスは隻眼を訝しそうに眇めるだけ。

 記憶の無いオニクスにとって、ディアモンさんの名前は何の意味もない。知らない他人の名前。それでもクワルツさんは、ディアモンさんのことを言わずにいられなかったんだろう。

 クワルツさんは泥飛沫を上げて追撃してくる。

 オニクスは身を捩って、クリス・ダガーを投擲した。

 未来視の狼は刃を躱す。

 彼の水晶体は即時的な予知ができる。オニクスがダガーを放つのもお見通しだ。

 だけどオニクスが放ったのは、クリス・ダガーだけじゃなかった。腰の飾り布も、いつの間にか解かれている。オニクスの手から放たれた飾り布は、狼の首に巻き付いた。

 狼に首輪するが如く飾り布で締め、体重をかけ、片腕だけで絞め上げる。

「大した素早さだが、タイミングを読めば対処しようがある」

 飾り布の隙間から、骨が軋む音がする。

 牙の隙間から、涎が泡立って垂れる。

 まずい。

「やめてください! オニクス!」

「賢者連盟の狗だぞ?」

「わたしの友人ですよ!」

「友人のふりをして、情報や命を奪おうとするものなどいくらでもいる」

 わたしの説得に対して、飾り布の締め付けは緩むどころか強くなっていった。

 オニクスの手の力も、クワルツさんの怒気も、どちらも増していく。

 このままじゃ、クワルツさんが死んでしまう。全キャラ最速だけど、防御力やHPは人並なんだぞ。

 殺されかけているのに、クワルツさんは引かない。

 こっちが引くしかない。

「エグマリヌ嬢!」

 どこかにいるはずのエグマリヌ嬢に呼びかける。

 クワルツさんの援護してるんだから、声の聞こえる距離にはいるのは間違いない。

「【氷障】を解除してください。この男にはわたしから事情を説明して、納得させます! 賢者連盟と敵対してる時点まで記憶が戻っているから、誤解があるだけなんです!」 

 自分でも無茶な願いだと分かっている。

 死に物狂いで助けにきた友人が、またさらわれそうになっているんだ。クワルツさんとエグマリヌ嬢の矜持や友情は、二度目の誘拐を許さないだろう。

 それでも今は見逃してもらわなければ。 

「お願いです! オニクスはわたしを傷つけたりしません!」

 叫びの数秒後、世界が氷解していく。

 エグマリヌ嬢が【氷障】を解除してくれたんだ。

 苦渋の決断をさせてごめんなさい。

 魔術を阻害する白い氷は消え、夜の黒が舞い戻ってきた。

 オニクスは【飛翔】と【浮遊】を詠唱し直す。

 飾り布から手を離すと同時に、瞬く間に高度を限界まで上げる。あまりの速さに、わたしの内臓が置き去りになりそうだった。

「怪我は無いか、私のミヌレ」

 蕩けるような囁きだ。

 副総帥オニクスの奥底には、オニクス先生が存在しているのは間違いない。

 記憶が戻る可能性は高い。

 それでなくても今のオニクスに、状況を納得してもらえれば何とかなる。

 助けようとしてくれたエグマリヌ嬢とクワルツさんには、ほんとうに申し訳ない。

 でも記憶が戻れば、戦う必要はないんだ。


 わたしはおとなしく誘拐される。

 この選択が最適解なのか分からない。

 でもエグマリヌ嬢とクワルツさんが傷つくのは、見たくなかった。


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