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第一話 (後編) 鳥籠グラン・ギニョール


「妾の息子を篭絡しようとしてるのかしら? すっかり元気になったようね」


 オプシディエンヌが浴室の手前で立っていた。

 一糸まとわぬ姿だ。

 不死鳥からの目映い光に乳房も陰茎も晒して、よっつの腕で濡れた重くなった黒髪をかき上げている。裸身を誇るでもなく恥じることもない姿は、神話の彫像みたいだ。

 みたい、じゃない。

 まさしく神話の生き物だ。

「魔女……レムリアを興し滅ぼし、アトランティスも滅亡させた魔女」

「人違いよ。妾はそんな化け物じゃないわ」

 いけしゃあしゃあと言い放つ。

 文明を滅亡させている魔女って情報を、オニクスやモリオンくんに秘匿しているのか?

「しらばっくれるな。腕がよっつも生やしておいて」

「あなただって足が四本もあるじゃない」

 ぐぅの音も出ない。

 一角半獣ユニタウレ状態だから、わたしも足が多いんだよ。

 オプシディエンヌは多腕の異形だけど、ライカンスロープ系の高位魔術師なら不可能ではないかもしれない。

 絨毯へ雫を散らしながら、椅子に腰かける。

 オニクスが黒曜石の髪を、丁寧にタオルで拭いていく。その様子にわたしの心臓から、体温が一気に去っていく。 

「忌まわしい蜘蛛! おまえが人類外なのは、月下老や法王聖下から伺ってるんだ! 最終的にオニクス先生の心臓を喰らうつもりだろう!」

「妾が化け物なら、息子のモリオンも半分化け物ね」

 なに都合のいい時に息子呼ばわりしてるんだ。召使扱いしておいて。

 だけどオプシディエンヌの言葉に、モリオンくんの表情が硬くなった。

 母親が閨狂いの毒婦ってのは受け入れられても、人類でさえない化け物なのは受け入れられないのか?

 化け物だとしたら、自分も半分は化け物になってしまうから。

「モリオン、下がって休みなさい。あなたが篭絡されると思っていないけど、そろそろ休憩する時刻でしょう」

 オプシディエンヌが手を一振りすると、モリオンくんは一礼して出ていく。

 黒と白の瞳が、わたしへ向けられた。

「威勢がいいわね。さっきまで可愛らしいすすり泣きをしていたのに、もう悲しんでくれないの? それとも逃げ出す方法でも思いついたのかしら?」

 思いつく最中なんだよ、こっちは。

 わたしが黙って睨んでいると、オプシディエンヌは唇を歪める。

 嗤っているのか?

 もしこれが嗤いだったら、世界でいちばん邪悪な嗤いだ。

「哀しみの囀りが終わったら、次は悦びの囀りを聞かせてもらおうかしら」

 オプシディエンヌは指を振る。

 一瞬で、鳥籠が解かれた。

「べぎゃっ!」

 絨毯に落下する。

 腕は封じられているし、下肢も縛られているから、受け身も取れない。顔面、打ったじゃねぇか。

「オニクス。この子を愉しませてあげましょう」

「子供を抱く趣味は無い」

 わたしに見向きもせず、オプシディエンヌの髪を拭いている。

「いいじゃないの。たまには。妾のお願いよ」

「……」

 オニクスが気重そうにやってきて、わたしの首根っこを掴みやがった。寝台に引きずられていく。

 最悪な予想が頭のなかをぐるぐるする。

「はっ、離せ!」

「いい子にしていなさい。パパとママみたいに、あなたを可愛がってあげるから」

「邪悪ゥ!」

 寝台に投げ飛ばされた。

 オプシディエンヌとオニクスの手が、わたしの膚を這う。

 だめだ。

 いやだ。

 こんなの先生が正気に戻ったら、自害するレベルじゃねーか。

「先生……先生っ、う、あ、やめろ! オニクス!」

 瞬間、オニクスが手を引いて、膝を付いた。

 わたしに傅くように。

 いや、ように、じゃない。わたしに傅いたんだ。

 黒い隻眼は、呆然としていた。自分がどうして膝を付いてしまったのか分かっていない。

 副総帥オニクスの奥底には、『オニクス先生』の記憶がある。

 時間を巻き戻されたんじゃなくて、封じられているだけだ。少なくとも肉体には、わたしと過ごした記憶が残っているんだ!

  

 打擲音が響いた。


 オプシディエンヌがオニクスの頬を引っ叩いたんだ。

 モノトーンの双眸が、冷徹に見下ろしている。

「あなたの女王は妾よ。妾だけがあなたを傅かせ、跪かせることができる。そうでしょう」

「その通りだ」

「この小鳥、可愛がってあげようと思ったけど、躾け直すほうが先だったわ」

 オプシディエンヌはわたしの髪を掴む。

 切られて短くなった髪だ。無理やり捕まれると、皮膚が剥がれそうになる。

 オプシディエンヌは裸身のまま、わたしを引きずって寝室を出る。

 吹き抜けに面した廊下だ。

 天井も高い。

 この規模の屋敷だと、相当な敷地面積だな。

 モリオンくんが書類抱えて歩いている。あいつ多忙だな。

「我が主? 恐れ入りますが、地下はまだご用意が整っていません」

「この小鳥を躾けにいくの」

 わたしの髪を引っ張って、持ち上げやがった。

 暴れてみてもびくともしない。

 細腕のくせになんて力だ。

「モリオン。大階段室で遊ばせている傭兵どもに、女はあてがっていないのよね」

「はい、我が主。ここの人員は最小限で、予備は………まさか」

 黒水晶めいた瞳が、わたしを凝視する。

 怯えたような眼差しだ。

「ええ。暇つぶしにこの小鳥を貸してあげましょう。面白い肉体だから玩具にするかもしれないし、娼婦の代用にするかもしれないわ。あなたはどうやって傭兵たちに可愛がってもらえるか楽しみね」

「全員、喉笛噛み切ってやる」

 幽霊の喉笛だって噛み切れたんだ。

 傭兵だろうが、魔獣だろうが、残らず食いちぎってやる。

「噛み切る自由があればいいけど。戦場で女を犯すときは、ロープなんて優しいものは使わないのよ。手の甲をまとめてナイフで刺しておくの。あなたは腕がないから、どこをナイフでピン留めしてもらうのかしらね」

「武器が手に入るなら、ラッキーだな」

「口が減らない子ね。愛らしく振舞えば、可愛がり方が優しくなるかもしれないでしょう」

「わたしの魂は、水商売向きじゃないんだよ」

「本当に口が減らない子。そんな口の悪さで愛されると思う? 愛されないと損するわよ」

「損したくなかったら、子宮から生まれてこねぇよ、クソが……ッ」

 ざん切り髪を引っ張られて、階段を引きずり降ろされた。角が額にぶつかって、階段絨毯の留め具が下肢の皮膚に引っかかる。

 呻きなんて上げるものか。

 いまわたしがやるべきことは、弱音を吐くことじゃない。

 観察だ。

 階段留めは銀でも鍍金でもない鉄製。屋敷の造りは立派だけど、飾られている絵画も少ない。売買か、担保。

 没落貴族の邸宅か。

 オプシディエンヌが購入したのか、季節借りしたのか。あるいは信者からの献上って可能性もあるな。

 観察を。

 情報を。

 もっと思考を進ませる材料を!

 ささいなことでもいい。

 逃げるために。戦うために。わたしに情報を。


 恐怖という感情より、観察という理性を優先しろ。

 これはわたしが情報を得る絶好の機会。好機なんだ。傭兵たちの人種、方言、服装、武器、会話の内容、そのひとつひとつ、けして見落とさない。たとえどんな想像を絶する凌辱だろうとも、わたしは諦めたりしない。


 大階段を降りれば、大きな両開きの扉が聳えていた。ホールに繋がっているのか。

 オプシディエンヌが扉を開ける。

 護符のシャンデリアによって照らされた大玄関室。そこでは屈強な野郎たちが全員、大理石の床に倒れていた。

 ふへっ?

 エネミー全滅してる?


「ハッハッハッ!」


 天井から降る哄笑。

 その笑い声はクワルツさん!

 シャンデリアの上部を見上げてみれば、相変わらず世界観を放棄しまくった衣装で、ポーズ取ってる!

 元気そうだな!

 わたしと視線が合う。

 仮面に隠された水晶体が、わたしを凝視していた。

 髪を切られ、両腕を断たれ、呪符の杭が穿たれ、四つ足を縛られ、オプシディエンヌに引きずられるままの無力なわたしの姿を。見苦しいから、あんま見ないでほしい。

「……ミヌレくん」

 瞬間、シャンデリアから飛び降りて、真っすぐオプシディエンヌの首を狙った。

 鋭い手刀を、紙一重で躱すオプシディエンヌ。

 紙一重っていっても、オプシディエンヌときたらワルツでも踊っているみたいに優美だった。

「大仰な挨拶は怪盗の嗜みじゃないの? 今宵の猟奇芝居(グラン・ギニョール)に相応しい前口上を期待していたのに」

「魔女がッ! 貴様は殺す!」 

 怒りと殺意に煮えたぎった咆哮が、大階段室に轟いた。

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