すべての序 目の見えない女の子
空の果てには星が墜ちました。
梢には葡萄が実っていました。
野には花弁が散っていました。
風には蜜蜂が歌っていました。
そして女の子が生まれました。
これがすべての幕開けだったのかもしれませんし、これがすべての終止符だったのかもしれません。
蜜蜂の村に、女の子が誕生しました。
両親は大喜びしました。結婚三年目にして、やっと待望の赤ちゃんを授かったのです。
祖父や祖母たちも祝福します。
近所のひとたちも果物と花をあらんばかりに届け、親類たちからも赤いキャラコや漂白されたリネンが贈られて、司祭に洗礼され、赤ん坊は喜びをもってこの世に迎えられました。
元気に泣き、夜は眠り、母乳もよく飲みます。
山羊の乳だけは嫌がって、口に含ませるなり吐き出します。そのせいなのか黄疸が長引きましたが、それもすぐに治りました。黄疸が治ってからは、赤ん坊のほっぺは林檎のように赤くつやつやで、すくすく育っていきました。
めでたしめでたし……ではありませんでした。
女の子は、目が見えなかったのです。
最初に察した母親は戸惑い、どうしようか迷って、迷って、ずっと迷っていました。ただどうしようかとぼんやり案じておりました。
母親に悪気は無かったのです。
夫や司祭さまやお医者さまに相談すればよかったのですが、自分から相談するという概念がありませんでした。もし誰かが女の子の目を視えないことを察して、これこれこうすればよいとアドバイスすれば、母親は素直に従ったでしょう。
言いつけを守るのは得意なのです。
でも言いつけられないことは出来ないのです。
どうしようかと思いながら、朝から山羊の乳しぼりをして、糸を紡ぎ、針仕事をして、炊事と掃除をすれば一日は終わりました。
どうしようかと悩みながら、週の初めに洗濯をして、翌日にはアイロンをかけ、水曜日にキルティングの集まりに参加し、木曜日にバターを搗き、金曜日には雑貨屋へ行き、土曜日に翌日の分の料理まで作り、日曜日に礼拝をすれば一週間は終わりました。
どうしようかと迷いながら、春に石鹸を作って大掃除をして、夏にチーズや瓶詰め豆をはじめとした保存食をこしらえ、秋に染め物をし、冬に蝋燭を作れば一年は終わります。
そうして一年経ち、二年経ち、月日が経っていきました。
母親はどうしていいのか戸惑ったまま、目の見えない娘を、自分の目の届く範囲だけで育てます。
娘に糸紡ぎや針仕事をさせず、バター搗きや鳥の羽根むしりや小麦粉篩いをさせました。
石鹸造りや染色をするときは近づかせないように、山羊と一緒くたに山羊小屋にやりました。
色や形で表現すると伝わらないので、家にあるものは擬音で表現しました。バターパットのことをバターぺちぺちと呼んだりします。
そして司祭さまの訪問日には、高いティーセットを出すからと、けして近づかせないようにしました。
父親はとても働き者だったので、夜明け前から家業の養蜂に勤しみ、日暮れまで帰ってきませんでした。明るいうちに娘の様子を見ることは、ほとんどありません。
夜更けに父親が帰宅すると、女の子はすぐに膝に抱っこされました。お喋りも上手です、祖母が読み聞かせた絵本も暗唱できましたし、蜜蜂のための花や香草も匂いで判断できるのです。
幸か不幸か女の子は病気ひとつせず育ち、お医者さまの手を煩わせることはありません。
だから、誰も、気づきませんでした。
司祭さまが訪問するまでは。
リュシュ村の教区司祭さまは、それぞれの各家庭が恙ないか年に一度か二度ほど訪問しました。台所に食料があるのか、老人が病で放置されていないか、妻が暴力に脅かされてないのか、子供が健康で育っているのか。
司祭さまはいつも観察して、どんな小さな悩みごとや困りごとでも、あるいはその本人の自業自得であっても、親身になって解決していきました。
ある日、養蜂家の家に訪問しました。
一人娘は健康そうです。
ですが明るい昼間に、手探りで進む仕草に違和感を覚えたのです。
会話してみれば、明瞭な受け答えをします。でも天気が良いことを、眩しい日と言うのです。色の名前は出てこないのです。
司祭さまは検査をさせました。
その時、女の子はもう五歳でした。
女の子の目が見えないと判明した時の家庭の混乱は、書き記すにはあまりに冗長な悲劇でした。
母親は叱られてしょんぼりしました。
しょんぼりしただけです。
女の子の盲目が発覚した後、黙っていた過去を悔んだり、未来に備えたりはしません。ただもう叱られてしまったので、意気消沈しているだけでした。
父親は娘の将来を考え、悩み、あれやこれやと考えを巡らせました。
可愛い一人娘です。
女子修道院に入れるのか。
盲人学校に通わせるのか。
この養蜂家には金銭的な余裕がそこそこありました。修道院か盲人学校のどちらにせよ寄付すれば、娘は点字を学んで、自立し、幸せに生きていけたことでしょう。
でも父親はそのどちらにも、娘の運命を委ねたくなかったのです。
修道院も盲人学校も、この村からずっと遠いところにしかありません。
父親は幼い娘と離れ離れになるのは嫌でしたし、苦労なんてさせたくありません。その感情を「愛している」と呼ぶならば、父親はまさに娘を愛していました。このうえなく溺愛していたのです。
どうすれば娘が幸せになれるのか。
娘の幸福のためなら、何も惜しくはありません。
三日ほど眠れない夜が続いたさらにその翌日、父親はこう叫びました。
「よいことを思いついたぞ!」