第十九話(後編) 聖娼ネフィラ・ジュラシカは復活する
血と蝶が、わたしから散っていく。
「【封魔】の護符の改良版ですよ。あなたの魔力量や適性に、媒介調律されています。やっとこれをあなたに打ち込めた」
モリオンくんが近づきながら、滔々と語る。
霊視が封じられた現状、お喋りしてくれるのはありがたい。それでも炎の揺らぎと音のせいで、位置はぼんやりとしか掴めなかった。
「ミヌレ嬢。ここに来るまでに何人もの配下が亡くなったけど、最終的には報われた。あなたさえ我が主に献上すれば、なにもかも帳尻が合う」
モリオンくんは王手のつもりだろう。
でもまだだ。
胸に魔弾を撃ち込まれても、わたしには一角半獣が残っている。
たとえ視力を奪われても、【飛翔】で逃げられなくても、【胡蝶】に、護られなくても、わたしは一角半獣ユニタウレだ。
この蹄の強さと速さがあれば、魔導銃とだって対等に戦える!
……いや、だめじゃん。
こいつ殺せないんだった。
モリオンくんは未来で会ったんだよ!
成長した姿を目の当たりにしたんだ。彼は殺せない。殺すことが出来ない。歴史を変えようとすれば、ブッソール猊下の二の舞だ。因果律に逆らったことで、最悪の事態に収束するかもしれない。
殺さないように戦闘不能にする?
あるいは殺されないように撤退する?
マジかよ。
でも、やるしかない。
「ミヌレ嬢。言っておきますが、我が主がいらっしゃるまでミヌレ嬢には近づきませんよ。あなたには懲りているんです。躊躇いなく魔導銃を暴発させる獣属性魔術師に近づいたら、いのちがいくつあっても足りない」
クッソ!
一回、交戦したことあるから、わたしの間合いに踏み込んでこない。
そりゃ魔導銃を暴走させる女になんぞ、近寄りたくないよ、わたしでも!
ぐずぐすしていたら、オプシディエンヌがやってきちゃう。
いや、援軍がいるのはこっちも同じ。
ヴェルメイユ枢密卿が騎士聖省を動かしてくれている。
だけどここで助けを待っていたら、ディアモンさんが死んじゃうかもしれない。
撤退戦だ。
モリオンくんから狙撃できる魔導銃を奪って、ディアモンさんとどっかにいるスティビンヌ猊下を抱えて、空飛ぶ絨毯で離脱か。バックアップしてくれる聖騎士のところまで撤退すれば、何とかなる。たぶん。
「さすがオニクス先生のご子息ですね」
わたしは挑発する。
焼けつく空気の中、動揺した気配が伝わってきた。
「……あの男、ボクが自分の息子だって、あなたに教えたんですか?」
「いえ、先生は知りませんでした。先生はずっと、オプシディエンヌが堕胎したと思っていましたよ」
「それでも今はボクが息子だって、知っているんだ」
「ええ」
わたしが頷くと、一気に炎が燃え盛った。
産毛を焦がす炎の感覚。
いや、違う。これは炎じゃない。
モリオンくんの殺意だ。
「だったらなんてボクを愛しに来ないんだ!」
燃え盛る裂帛と共に、わたしへなにかが振り下ろされる。棒状の何かだ。
身体が反射的に避けようとする。
駄目だ。
無力なふりをしろ。
油断を誘え。好機を作れ。
わたしは最初に一手、最悪なミスをした。その挽回だ。
抵抗のそぶりだけで、わたしは倒れ込んで、攻撃を受ける。
頭上に叩き下ろされたのは、魔導銃の銃床だった。こめかみを掠っている。
「血を分けた息子だぞ! どうして! どうして! ボクなんか要らなかったっていうのか! ああ、ボクだって要るもんか! あんな閨狂いの母親に、戦狂いの父親! まともなパパとママが欲しかったッ!」
癇癪の勢いで、銃床が二度、三度、わたしの頭蓋へと振り下ろされる。容赦ない勢いだ。
興奮している。
この燃え盛る劫火の中、こんなに叫んでいたら肺腑に含まれている風の加護が絶える。
このまま殴られているだけで、こいつ自滅しそうな勢いだな。
「どうして他所の子を愛しているんだ! なにが教師だ! 先生だ! あの男、イカレているのか! 父親なんだから、ボクが先だろう! ボクが愛されているのが普通なのに! 当然なのにッ! あなたより先に、血を分けたボクが愛されるべきだっただろう!」
「血に頼ってどうするんです……たとえ双子であっても、母子であっても、他人ですよ」
愛の理由に、血を求めるのか。
だったら哺乳類に生まれてんじゃねえよ。もっと同種の嗅ぎ分けが得意な虫にでも生まれてろ、クソが。
癇癪が途切れた。
無くなったわけじゃない。途切れただけだ。胆から力を抜けば、押しつぶされてしまいそうな巨大な感情が、モリオンくんから漏れ出している。
わたしから視力が奪われている分、漏れ出した何かを強く感じた。
今だ。
魔導銃を奪う!
手を伸ばし、銃身を引っ掴む。わたしの腕の中に納まる魔導銃。
だけど息苦しいほどの金臭さが、わたしの身体を包んだ。
これは、攻撃呪文の兆候。
「【雷撃】」
モリオンくんから、シンプルな攻撃呪文が放たれる。
クソ、わたしが魔導銃を奪うって、予測されていたのか。
下肢まで、痺れて……
「あなたは予知発狂者でしたね」
モリオンくんは落ち着きと魔導銃を取り戻す。
口調には蔑みが含まれていた。
そりゃ予知発狂してましたよ。
周囲の人間をゲームのキャラクター扱いして、起こる出来事をイベント扱いしてましたよ。
「ご存じですか? 過去と現在を切り捨てるほと絶望しないと、予知発狂できないんですよ」
「え……」
「父オニクスが分かりやすい例です。戦争によって功名を上げれば、未来は輝かしいものになる。魔力はそう予知した。だからオニクスの魔力は将来のために、戦争に不向きな奴隷の自我を滅し、戦争に適合した兵士の自我を再構築した。そして梟雄オニクスの出来上がりです。敵も味方も殺すことを厭わない戦争狂」
自身の魔力が、未来のために現在と相いれない人格を、分解して再構築した?
では……
わたしは……?
「あなたは愛されないことを当然だとして、傷を負うことも躊躇わない。愛されたいと願わない。両親に期待しない。血縁にも拘泥しない。そうならざるをえないほど、あなたの家庭環境は劣悪だったんですよ」
「劣悪……ってほとじゃないですよ」
父親は日曜学校に通わせてくれなかった。
視力の無いわたしを見下していた。
価値観の齟齬はあっただろう。
それでも養ってくれていた。学院に入る時は、真新しいタフタのワンピースを用立ててくれた。婚約した時は両親はわたしのために遠路はるばる、学院まで様子を伺いに来てくれた。家業の養蜂があるのに。
幼い頃の記憶の断片を引きずり出す。
指に乗った蜜蜂を太陽に透かしたこと。司祭さまが訪れる前にティーセットに触れないように言われたこと。染色する時は近づかないように山羊小屋近くで遊んでいたこと。それからバター作りの水抜きや、にわとりの羽根むしり。
悪くはない思い出だ。
ほんとは愛されてなくて、ただ世間体だけで衣食住を提供されていただけかもしれない。それでもモリオンくんが言うほど酷くない。
父親の態度に腹が立つけど、先生の過酷さに比べたら凡百だ。
オニクス先生の鉱山奴隷時代や、徴兵時代は過去視で読んだもの。
それと比べたら……
――そうか……もう、人格が崩壊して、再構築されてるのか――
一年前、わたしの予知発狂を診察した先生は、そう呟いたんだった。
人格崩壊からの再構築。
だったら、わたしは、本当に一度、人格が壊れたの?
「忘れているだけだ! あなたが忘れて、誤魔化しているだけだ! その欺瞞をやめろ! 誤魔化すな、誤魔化すな! あなただって愛されてない子供だろう! あなたは虐待を受けていたんですよ! 過去と現在を切り捨てていいと思うほど、虐げられていた! 家族に愛されなかったか、あるいは悍ましい愛され方しかされなかった! 愛されることも、血縁も、不要だと切り捨てるほどに虐げられていた。それを忘れて、ボクに説教ですか! まったく羨ましいですね! 親からの仕打ちを忘れてしまえるなんて! 思い出せ! 思い出せ!」
ふたたび銃床に殴られた。
頭蓋骨から顎まで、振動に貫かれる。歯まで砕けそうな勢いだった。
「思い出せ! どんな辱めだった? なにを強いられた? 自分で自分を殺すほどの地獄を、思い出すんだ!」
モリオンくんから繰り返される殴打と問いかけに、わたしの脳じゃないところから記憶が泡立ってきた。
――ミカちゃんは………の、お世話するために、ここに引き取られたんだ――
――………に、感謝するんだぞ――
――ミカちゃん――
身動きできなかった。今度はわざと動かなかったわけじゃない。ほんとに動けなかった。
ミカちゃん……?
予知発狂して、ミヌレをゲームの主人公のキャラクターだと思っていた時、わたしは自分の名前が「ミカ」だと思っていた。
わたしがミヌレなら、その名前はどこから拝借した?
いや、そもそもわたしは……
本当にミヌレなの?
「お楽しみ中、邪魔するわよ」
オプシディエンヌの嘲笑が、わたしの鼓膜に触れた。