第十七話(後編) 幻獣の生態は、オタクの嗜み
「おはよう、ミヌレ。さ、朝ごはんだよ、食べたらさっそく行こうか!」
「………」
夜明け前なのに、エグマリヌ嬢の元気さはなんなんだ。
寝室に押しかけてきて、朝ごはん盆を出す。サブレとレモネードだった。朦朧しながら平らげた途端、着替えを急かされ、銀世界に連れ出された。
わたしとエグマリヌ嬢は、遠乗りに出かける。
エグマリヌ嬢の馬は、二人乗りしていても軽やかに雪原を駆けていく。
「領地の冬は峻厳としている。でもボクは何より美しいと感じるんだ。こんなに寒いのに、ほっとする」
そうか。
寒い以外の感想がない。
頭からショールでぐるぐる巻きになっているけど、鼻の軟骨が凍ってるぞ。
ここまで乗せてきてくれた彼女にゃ悪いけどさ………ぶっちゃけ城の暖炉の前で、ごろごろ読書していたかった!
エグマリヌ嬢は平気そうだった。そりゃ故郷だしな。ミヌレは南の盆地の生まれなんだよ!
「美しいだろう?」
「ええ、とっても神秘的です。雪が針葉樹も岩肌もすべてに等しく降り注ぎ、白く冷たく柔らかく……」
感想を求められたので、舌を回して作る。
いや、素直に言うと寒いんだよ。
もう帰りたいなって思っているけど、エグマリヌ嬢は針葉樹の合間に駒を進める。
息を吸うのも冷たくて辛くなってきた。
吸い込む空気に、緑色の香気が混ざった。
「あ、いい香り……針葉樹の匂い、かな?」
すっきりとした香りだ。
めちゃくちゃ上品な樟脳の匂い。
「枝が雪折れしたから香っているんだね。ほら」
エグマリヌ嬢は鞍上に立って手を伸ばして、折れた枝を引っ張る。白い雪と緑の香りが降り注いだ。
「本当にいい香り」
「むかしはね、この葉っぱだけ集めて、クッションにしていたんだよ」
針葉樹の枝を抱きしめて、雪を進む。
王都や故郷じゃ拝めない風景だけど、そろそろ帰りたいな。
「ミヌレに見せたいものがあるんだけど………」
「なんですか?」
「うちの季節の風物詩。確実に見れるかどうか分からない。極稀にしか現れないから」
馬を駆けさせると、針葉樹が開けたところに出る。
街道にほど近い雪原に、それは居た。
「一角獣……」
不羈たる獣、一角獣。
「冬はごく稀に山から降りてくるんだ。一角獣は誰にも仕えない。誰かの飼い葉おけから餌を食まず、軛を架せられ畑を耕しもしない。この世でいちばん気高く美しい生き物だよ」
エグマリヌ嬢と馬を降りる。
本当に綺麗だ。
額の角は一メートルくらいあって、真珠光沢で輝いている。鹿と馬の中間みたい顔立ちをしていて、蹄は偶蹄。なので馬ではない。博物学的に分類すれば鹿とか山羊に近しい。尻尾は獅子に似ている。
そう、尻尾!
めちゃくちゃレア素材じゃありませんか。あの一角獣のしっぽの毛があれば、獣属性の呪符が作れる。
欲しい。
「図鑑より、ずっとずっと素晴らしいだろう」
エグマリヌ嬢が手を差し出せば、一角獣はゆっくり近づいてくる。
静まり返った雪原に、車輪の音が響いた。
街道の方からだ。
一頭立ての箱馬車が一台、走ってくる。
速度は衰えていないのに、ドアが唐突に開いた。
「ミヌレ!」
箱馬車から姿を現したのは、オニクス先生だ。
えっ、まって、ちょっ、いま、いま、名前!
わたしの名前を、呼んだ!
いやいや、ミヌレはヒロインの名前で、わたしの名前じゃないけど!
「馬鹿かッ、一角獣から離れろ!」
怒声が雪原に響き渡る。
あ。
ああ、そうだ。一角獣は穢れなき乙女にしか懐かない。
もし近づいた乙女が、清くなければ。
振り向けば、一角獣は嗤っていた。
唇を捲り上げ、歯を剥き出して、わたしを嗤う一角獣。
蹄が、雪を蹴る。
一角獣の角が、わたしの心臓を貫いた。
「………ごふっ」
血が、口にあふれる。
心臓の鼓動が、終わる。
朦朧とする視界。
【飛翔】してきた先生が、一角獣を蹴り飛ばす。角が折れて、わたしの身体は雪原に投げ飛ばされた。
臙脂色の血が、雪を染めていく。
エグマリヌ嬢がわたしの身体を抱き上げた。ああ、血で汚れるよ。
「ミヌレ! ミヌレ!」
「『解剖魔術学』は読んだな。心臓の代わりに血液を魔力で循環させろ」
うるせぇ、今やってんだよ。
痛みは反射的に魔力で遮断しているな。
血液の最優先は脳。手足が冷たくなるからどうしても四肢に魔力を行き届けさせたくなるけど、非常時にはいっそ切り捨てなきゃいけない箇所だ。脳に血液をいきわたらせる。海の底の人魚のように。
「生徒番号010、【庇護】を展開させろ。私がここで処置する」
あら、レトン監督生も来てたの。
レトン監督生はめちゃくちゃ蒼褪めているけど、一拍遅れて【庇護】の魔術を構築展開させた。
周囲から冷気が遠ざかる。
あ、ちょっとだけ呼吸がしやすくなった。ありがとう。
ざくざくと、足音が近づいてきた。誰だ。
「どうしてだ! あんたはどうして一角獣が動く前に、ミヌレが刺されるって…分かったんだ……」
フォシルくんの声だ。
御者してきたのフォシルくんだったか。
「うるさい、処置の邪魔だ」
「その通りだ。今はミヌレ一年生の治癒だけに集中すべきだ。今は」
「ボクが連れてきたせいだ……ミヌレ………」
エグマリヌ嬢の瞳から涙が溢れて、頬に滴り、わたしへと落ちる。
阿鼻叫喚だなあ。
はよ処置してくれ。
「きみの心臓があった場所に、一角獣の折れた角の先端がある」
レア素材ゲットしてたのか。
やったね。
「馬鹿。やった、じゃない」
先生の隻眼は眇められた。
わたしなにも言ってませんけど? 勝手に心読まないでください。
それにさ、一角獣の折れた角って、クリア後ダンジョンのボス『夢魔の女王』を撃破しないと入手できないんだぞ。超レア。
「これを呪符化させる。獣属性魔術の基礎は覚えたか?」
わたしは頷いた。
「生徒番号220、魔術媒介に処女の髪が必要だ」
「構いません」
エグマリヌ嬢はただでさえ短い髪なのに、根元から無理やり切る。
「雪を涙で溶かしてくれ。それが魔術インクになる」
処女雪を手のひらで掬い、流れでる熱い涙で溶かす。その水でエグマリヌ嬢の髪を濡らし、わたしの人差し指に結いつけた。
「詠唱補助する。きみは臨書を」
獣属性の臨書。練習しとけばよかった。
ぶっつけ本番かよ。
「出来るか、ミヌレ」
頷く。
「まだ、きみに、大事な話をしていない」
「………はい」
先生が呪文を先導していく。
「我は何ぞや 無垢に屈して、清廉にかしずくもの
我は何ぞや 獰猛に抗いて、暴虐といさかうもの
囚われの屈辱には、敵か己の死をもってして終わらすのみ
我が何か 知るがよい」
わたしの指先は震えながら、胸に刺さった一角獣の角の欠片に、呪文を綴っていく。乙女の髪で、雪と涙で。
そして呪文の最終章。
「嘶け、我は獣
蹄を持ちて走駆せし獣
角を宿して、毒を清め、汝を貫き裁くもの
【一角獣化】」
呪文の末尾が結ばれて、わたしの胸に呪符が生まれた。




