第十七話(中編) 荊の城は眠らない
真プラティーヌ殿下は何を考えている?
わたしたちを欺こうとしているのか?
なんのために?
仮説そのいち
騙されている
オプシディエンヌから、ここにくるのが敵だと吹き込まれて、わたしたちを敵認識している
仮説そのに
誤解
騙されていないけど、わたしたちを敵認識している
仮説そのさん
判断中
わたしたちが敵か味方か判断できていない
仮説そのよん
値踏み
わたしたちが味方であると認識しているけど、ほんとうに助けてくれる実力があるか様子見状態
うーん、ぱっと思いつくだけでも、パターンがありすぎて分からんな!
っていうか動機の仮説なんて、キリがないだろ。
真プラティーヌ殿下の性格とか逸話とか知っていたら絞り込めるけど、初対面の他人の動機なんか分かるか!
わたしの知らん事情もあるだろう。ラリマーくんがいる理由も分からんし。
それに「サフィールさまみたいな凛々しい騎士に救出されたかった」っていう、脳みそパンケーキな動機だってありうるぞ!
んな馬鹿げた仮説はさておいて、身を隠している理由の第一候補は警戒だよな。
誤解なら説得するけど、オプシディエンヌに騙されているなら説得は難しいな。百戦錬磨の魔女の手管だぞ。状況を把握できないまま、説得するとか無理ゲー。
そもそもプラティーヌ殿下ご自身、どこまで事態を把握しているんだ。
ご懐妊をご存じなのか。
知ってしまったらショックで、魔法空間に引きこもっちゃうかもしれない。
いや、プラティーヌ殿下が正気だって前提で、仮説立てちゃってるけど、発狂してるパターンもある。
仮説そのご
発狂中
本気でコルディエリット元監督生だって思い込んでいる状況
わたしだって予知発狂している時は、ミヌレだって思ってなかったもの。似たような状態かもしれない。
無理やり拘束して、発狂されたり、戦闘になったら悪手だよな?
この魔法空間のあるじはプラティーヌ殿下。
魔法空間のあるじに抵抗されても七面倒だし、敵対なんかしたらラリマーくん死にそう。
それにオプシディエンヌだっているはずなんだ。現実空間で交戦中だからそっちに集中しているだろうけど、戦闘中に干渉されてプラティーヌ殿下を隠されたら本当に厄介だ。
ちょっと様子見するか?
最善手を思いつくまで、騙されているふりがしたい。
でも魔法空間の外では、先生とオプシディエンヌが戦っている。クワルツさんもエグマリヌ嬢もいるんだ。こんなところで時間を浪費できない。
なにがなんでも口先三寸で、この真プラティーヌ殿下を外に出すぞ。
頑張れ、わたしの演技力!
「ラリマーくん、コルディエリット嬢。とりあえず一度、この世界から脱出しましょう」
まずは正攻法だ。
「ミヌレ! 何言ってんだよ、プラティーヌ殿下も助けなくちゃ駄目だろ」
ラリマーくんが血相を変える。
余計な事言い出してくれたなあ。
プラティーヌ殿下は目の前なんだよ。
狂ってるのか騙されているのか分かんないけど、しれっと身柄を確保したいの。
いや、真プラティーヌ殿下が正気かつ誤解されているだけなら、ラリマーくんの台詞で心動かすかもしれない。演技ではない真摯さだ。
「ミヌレが来る前、貧血と空腹が一気に襲ってきたみたいな感覚になっていたんだ。本気で気絶しそうだったんだよ。殿下も意識を失って、一刻を争うかもしれないんだ」
「ですがおふたりも心配です」
あえて反対意見をぶつけるぞ。
納得されたら脱出できるし、反対されてもラリマーくんが敵じゃないアピになるから、どっちに転んでもわたしはお得だ。
「死ぬかもしれない状況だって言ったの、ミヌレじゃないか」
「見捨てるわけじゃありません。わたしがまた戻ります。絶対すぐに戻りますから、大丈夫ですよ。ここは滞在するだけで消耗する空間なんですよ。わたしのように魔力が馬鹿みたいに多い魔術師なら平気ですけど、このまま闇雲に探して、ラリマーくんがまた動けなくなったらどうするんです? 級友を倒れるのが分かっていて……」
「ミヌレ! ぼくは庶民じゃないんだ。商家や職人じゃない、貴族なんだ」
唐突にプロフィールを主張し始めた。
どうした?
「子爵家に生まれたんだから、己の身の安全より、社会や王家を優先しなくちゃいけないんだ。いくら末っ子でも、どんなに危険でも、プラティーヌ殿下がおわす以上は自分ばっかり逃げるわけにはいかない。だから、怖いこと、言わないで……」
彼の空色の瞳は、土砂降り一歩手前って感じで潤んでいた。
責任と恐怖の板挟みになっている。
ラリマーくんを煽ったりして、可哀想なことしちゃったかな。
でも、これでわたしたちが敵じゃないアピは完璧だろ。
コルディエリット嬢に化けた真プラティーヌ殿下へ、ちらっと視線を送る。
「あの、コルディエリット嬢はどう思います? ラリマーくんの貴族的義務感は正しいですけど、こんなところで行き倒れでもしたら取り返しがつきません」
殊勝な態度を装う。
「それは庶民の思考ですね。ラリマー子爵令息の言う通り、プラティーヌ殿下をお探し致しましょう。死ぬならばそれは運命です。王家を見捨てて生き延びる方が、取り返しのつかない事態です」
「そう、ですか」
ラリマーくんは良い仕事をしてくれた。
お姫さまを救出するって真摯さと凛々しさは、ばっちりアピールされている。
なのにこの王姫さまときたら、あくまで留まると主張しやがった。
強固な態度だ。
狂気なら、上流階級の令嬢として献身的だ。
正気なら、わたしたちが敵だと、オプシディエンヌに吹き込まれているのか。
っていうか正気でも狂気じゃねぇか? 王族本人が、貴族に対して死ぬのが当然って態度は、ちょっとオプシディエンヌに影響されるんじゃねーの。マジ邪悪。
………そう、邪悪だ。
わたしの脳裏に、第六仮説が這い上がる。
嫌な予感と共に、ぞわりぞわりと這う。
厄介な仮説だ。
そしてなんて不快な仮説だ。
プラティーヌ殿下はオプシディエンヌと共犯。
オプシディエンヌは長い事、プラティーヌ殿下の肉体を占拠していた。でも占拠するだけじゃなくて、完全に篭絡していたら?
騙されているわけじゃなくて、この状況を理解した上で共犯関係だったら?
これが的中していたら、最悪だ。
囚われの姫君が善良なんて、誰も保証してくれない。
いや、でも第六仮説が当たりだったら、プラティーヌ殿下ごと殺しても良いのでは?
そんでプラティーヌ殿下の肉体に、誰か適当な闇魔術得意な魔術師の魂をぶち込めば、未来は改変されねぇよな。【憑依】は賢者連盟で実用化されてんだからさ。
ヴェルメイユ枢密卿も後始末を手伝ってくれそうだし。
………うーん、わたしが邪悪だ。
そこまでやっちゃうと、オニクス先生じゃん。
闇の教団の副総帥レベルじゃん。
正気か狂気か判別もできてねぇのにそれやったら、マジで今後の人生の倫理がヤバいな。
真プラティーヌ殿下は自分のために貴族が死ぬのも当然って思ってる王族で、こっちが敵だと勘違いしているだけかもしれないし。
悪くはないパターンとはいえ、なかなかうんざりだな。そんなのが王位継承者なんて。
よし。
とりあえず味方の立ち位置を確保しつつ、試しに一発ぶちかまそ。
もし拘束に失敗しても、おふたりが心配だから無理やり脱出させたかったんです、あとはわたしがひとりでお探しますみたいな感情論で押し通せるしな。押し通せるかな? いや、押し通すという気合が大事。
押し通すぞ!
ここは魔法空間。
魔力を体外へ出すための呪符は不要。呪文さえ習得していれば、魔術は使いたい放題だ。
わたしは考えこむふりして、壁際に寄る。
遊戯室の壁際には、白緞子のテーブルクロスがかけられたプチテーブル。デキャンタとワイングラスたちは、シャンデリアとお揃いの模様が切子されて、食器のかたちにされた宝石みたい。
「逃げたいならミヌレだけ逃げればいいよ! 貴族じゃないんだから!」
「ラリマーくん、落ち着きましょう。お水を飲みませんか?」
「水なんて無いよ」
わたしは返事の代わりに呪文を詠唱して、水をワイングラスに満たす。
「えっ、呪符は?」
「この空間だと、呪文さえ知っていれば呪符無くても魔術が使えるんですよ」
「うそ!」
「ラリマーくんもやってみるといいですよ。【水】なり、【閃光】なり」
「よし」
ラリマーくんは目まぐるしく表情を変えた。
「我は光に傅くゆえに! その瞬きの加護を降らしたまえ……」
意気込んで呪文詠唱する。
「【閃光】」
至近距離で目映い光が炸裂した。
薄暗い室内の隅々まで、碧の目映さに突き刺される。
光が去った後には、ラリマーくんは驚きに目を見開いていた。
「うっわ、ほんとに出来た! こんなの無敵じゃん! なんでニケルいないんだよ。この場に居なかったら、嘘だって思われるじゃん」
そう。
呪符無く魔術を使えるなどあり得ないって、魔術師の常識だ。
その常識、いや、世界法則が覆ったら、ラリマーくんみたいに試したり、あるいは否定したり驚いたりするはずだ。
真プラティーヌ殿下は平然と眺めている。
「コルディエリット嬢は、もう試してみたんですか?」
わたしが問いかけてから、微かに戸惑う真プラティーヌ殿下。
「ええ、やってみました」
反応が薄い。
っていうか、もう黒い。
魔法空間は呪符無しで発動できる。ここが魔法空間だって知っていれば、魔術を試すわな。
でも彼女はここが魔法空間だと知らない様子だった。
さっき「どうして、こんな暗いところにいるのかしら……」とか言ったもの。
現在位置を把握してないどころか、自分の居場所がおかしいのに今気づいたような発言だ。
なのに、もう魔術を呪符無しで、発動させた?
もしプラティーヌ殿下が狂っていて、己自身をコルディエリット嬢だと思い込んで行動しているなら、発言が矛盾している。
いくつか立てた仮説。
可能性が高まってきたのは、不穏な仮説ばかりだった。