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第十四話(前編) お城は蜘蛛が巣食ってる


 先生は腰のクリス・ダガーを抜く。 

 媒介は千の胎児を殺した隕鉄のダガー。

 

 オリハルコンの器に、弱水を満たす。

 魔術インクは反土属性のオリハルコンの器で汲んだ反水属性の弱水に、マンティコアの毒液をほんの一滴。

 


 切っ先に魔術インクを滴らせ、至宝石に呪文を綴っていく。

 

 魔女を殺しきる魔術の完成だ。

 


 

 魔導航空艇の居間で、先生は装具を作る。

 わたしはそれを眺める。

 真剣な眼差し、器用に動く長い指先、ときどき挟まる深呼吸。あの横顔に口付けたいと思う。

 先生の傍らにいられるのは、あとどれくらいだろう。

 あと何時間?

 あと何分?

 悠久の砂漠で聞いた砂時計の音がする。この世のどこにもない、この世のすべてにある砂時計。

 砂時計は最初から落ち続けていたけど、終わりが迫らないと聞こえない。

「完成だ」

 蠍の尾を模した指輪に、闇色の石がよっつ嵌めこまれていた。

 まるで四つ目の蠍だ。 

「凶悪かつ凛々しさがあるデザインで、まさに絶対死の使者を体現してますね。うっかり死に憧れそうになる雰囲気があります」

 オプシディエンヌに盗られた装具より、シャープになってる。

「わたしの手で、はめてもいいですか」

 無言で大きな手が差し出された。長い指に蠍をはめる。  

 毒蠍の指輪と、蜜蜂の指輪。

 デザインはまったく似てないけど、どちらも刺す虫だ。

「お揃いですね。針を持つ虫」

「地に這って毒をまき散らす虫と、空を翔け蜜を集める虫だ。天地ほどに運命が違う」

 詩を吟する口ぶりで、わたしの手を取った。

 蜜蜂の指輪が煌めく左手だ。

 日長石に先生の唇が触れた。吐息が触れるか触れないかくらいの優し過ぎるキスだ。

 きっとこれが先生の精一杯なんだろう。

 リリン………

 伝声管が鳴った。壁についている真鍮の伝声管は、別の部屋からの声を届けてくれる。 

「王都に到着したさね、オニクス」

 操縦室にいるスティビンヌ猊下の声だ。

 言葉も口調も無機質なのに、死刑囚の呼び出しに聞こえた。

 先生は逝くのだ。

 もっと一緒にいたかった。もっといろんなこと習いたかった。

 やりたかったことばかり数えそうになって、わたしは気持ちと涙を拭う。

 砂漠での旅は楽しかったじゃないか。

 いくつもの思い出と形見。

 これ以上を望んでどうする?

 わたしは失ったものを数えたりしない。

 先に進もう。

 この世界で生きるため、先に進むんだ。

 ディアモンさんがやってきた。

「クワルトスくんは先に降りて、ヴェルメイユ枢密卿と合流したわ。アナタたちも準備はいいかしら?」

「ああ。刺繍遣い。きみにも世話になったな」

 先生はそう呟いて、クリス・ダガーを抜く。自分の黒髪をひと房、断った。

「アトランティスの先祖返りした男の髪だ。研究に役立てるといい」

「あらあら。貴重な媒介になりそうね」

「ハァ? わたし貰ってませんよ!」

 思わず叫んじゃったじゃねーか。

「どうした? いきなり欲しがって」

「ディアモンさんが遺髪を貰うのにわたしが無しなんて、おかしいじゃないですか。へそ曲がりますよ、おへそ!」

 わたしは自分の腹を、べちんべちん叩く。

「ニックの髪を切り揃えるわ。中途半端な髪のままより、綺麗に整えた方がいいでしょう」

 ディアモンさんが先生を散髪する。針仕事も器用だけど、はさみ捌きも素早い。先生はこざっぱりして、わたしの分の遺髪が手に入った。

 いつもだったら、やった! ってはしゃいじゃうけど、今はそういう気分じゃないな。

 居間の寝椅子にリネンを敷く。真新しくて密な織りのリネンは、祭壇みたいだった。

 わたしは銀環をサークレットにして、寝椅子に横たわった。

「ミヌレちゃん。準備はいいかしら」

 肉体から抜け出して、星幽体になったわたしは、ダイヤモンドの輝きを目指した。

 先生の懐にもぐりこむ。【星導】は強い引力を持っているみたいに、わたしの星幽体を引き寄せてくれる。ダイヤモンドに内包されたダイヤモンドになった気分だった。

 


 先生が魔導航空艇から【飛翔】して、王都の森へと降りていく。

 どんよりとした晴れ模様だった。

 それとも晴れた曇り空かな?

 鉛色の暗雲が王城に掛かっているけど、空は完璧な蒼。なんて明るい曇り空だろう。影が濃いのに光も濃い。蒼鉛の空だ。

 着地地点は王領林。

 ひときわ濃く鬱蒼とした陰に、大型の箱馬車が停まっていた。

 紋章こそついてないけど、優美な曲線だけで構成され、金鍍金が施されている。魔術ランタンを掲げ持つのは、金鍍金の天使たちだ。車輪まで金彩色が施されている。四人乗りだけど、正装ドレスでも悠々と乗れる広さだ。

 いかにも王侯貴族が乗っていますって感じだな。

 誰もいない森にこんな派手な馬車があると、御伽噺の挿絵みたいだ。今日の日差しが彫塑的だから、よけいに挿絵っぽい。

 馬車の扉が開き、ヴェルメイユ枢密卿が降り立つ。

 日差しのせいで今日は童話みたいな背景だから、ヴェルメイユ枢密卿が古めかしい肖像画から抜け出してきた印象を受ける。現実味の薄い光景だ。

「予定していた時刻より遅かったようですが、何か問題でも生じましたか?」

「問題になるほどの遅延ではあるまい」

 あれ?

 御者席が空っぽだぞ?

「クワルツさん、どこいったんですか?」

 本日の御者役を担ってくれるのは、クワルツさんだ。

 先に降りているはずなのに………

「索敵……というより偵察ですね」

 偵察か。

 瞬発力の高い未来視を持ってるクワルツさんは、偵察にも打って付けだ。

「オニクス魔術師、ミヌレ・ソル=モンド魔術師。打ち合わせしましょう」

「打ち合わせ? 枢密卿が王城の門を開け、私がオプシディエンヌを暗殺する。それで十分だろう」 

「あなたは類まれな兵士です。わたくしより修羅場を踏んでいると承知の上で、言わせてもらいます。わたくしの撤退命令に従ってください。たとえ勝利を目前にしても」

「私の戦略は三流だからな」

 自虐的に呟く。

「戦術は一流だが戦略は三流。精霊遣いによく言われた」

「戦略が三流とは思いませんよ。あなたは勝利条件が違うのですから」

「勝利条件?」

「あなたもろとも世界を滅ぼすこと、それがあなたの勝利条件でしょう。ブッソールという魔術師とは面識がありませんが、噂を耳にする限り精力的て、野心家な魔術師だったのでしょう。彼はおそらく概念に無いのですよ、自分と周囲すべて滅することが勝利条件など。普通は敗北条件なのですから。あなたはそれが勝利条件になっているから、三流だと思い違いをされているだけです」

 緋薔薇色の唇は、淑やかに語った。

 あんまりにも淑やかすぎて、闘争を語っているとは思えない。貴婦人がオペラかバレエの感想でも語っているみたいだ。

 先生の勝利条件が、己含めたすべての死滅か。

 そうなのかもしれない。

 無意識にすべて破滅させる選択肢を選び続けているのかしれない。

 先生はどいつもこいつも、そして自分さえも死ねばいいと思っているのだから。魔王かよ。

「戦争をすれば、味方と敵の国力を崩壊させる。それがあなたの戦い方。ですが今ここに至っては、その戦略でいられると困るのです」

 そりゃそうだ。

「戦場は水物、どう転ぶかは誰にも分りません。腹蔵なく申しますが、教会として最高な結末は、あなたとオプシディエンヌが相打ちすること。教会の怨敵と、賢者連盟の飼っている最強の魔術師、それが共倒れすれば都合がいい」

 めちゃくちゃ正直にぶっちゃけてきた。

 唐突だしぶっちゃけ度合いのレベルも高くて、もう言葉を失うぞ。

「二番目はオプシディエンヌが死んで、あなたが生き残ること。教会の怨敵を屠り、満願成就です。賢者連盟の発言力が増して、政治的な立ち回りを考えなくてはなりませんが、これも最高にほぼ等しい」

 さらにぶっちゃけやがった。

 先生が生き残ったら政治的にメンドクサイって、なんだよ、クソ!

 わたしはこんなにもこんなにこんなにも、生きていてほしいって願っているのに!

 癇癪を発したかったけど、先生は神妙に聞いている。我慢しよ。

「三番目はオプシディエンヌが生き延びて、あなたが死ぬ。教会の全戦力をオプシディエンヌにつぎ込まないといけませんが、もともとそのために聖騎士は存在するのです。犠牲は痛ましいですが、やり遂げましょう」

 眉宇を曇らせながらも、強い口調で言い切った。

「四番目はオプシディエンヌが生き延びて、かつオニクスが使役される。あなたが裏切るとは微塵も思っておりませんが、魔女の魔術を見くびるつもりもありません」

「月下老と同じ危惧をしているのか。案じなくていい。そのために私の眼窩には、【死爆】が入れられている」

 仮面越しに眼窩をつつく。

 あの仮面の下には、【死爆】が埋め込まれていた。遠隔発動するけど、展開位置指定ができない火属性攻撃呪文。使い方は御覧の通り、爆発させたい居場所に置くか、あるいは人に埋め込むか。

「その【死爆】が破壊、あるいは機能しなくなった場合、即時撤退を求めます」 

「百も承知。あの魔女の奴隷になど、二度とならん。ミヌレの未来がかかっているならば、私は己に根付いた破滅の無意識さえ、超越して見せる」

「そう……それから最悪と等しい仮説がもうひとつあります」

 最悪に等しい?

「オプシディエンヌが死に、オニクスが洗脳された状態で生存した場合、ミヌレ・ソル=モンド魔術師はどうしますか」

「え……」

 話題と視線が、いきなりわたしへ飛んできた。

 いや、それより先生が洗脳された状態で、生き残ったら?

「即断できないということは、その可能性を考えなかったのですね」

「……想定にありませんでした」

「結論は?」

「枢密卿! ミヌレに酷な質問を……」

「この程度の選択を可及的速やかに判断できなくて、どうして戦場に連れていけます」

「先生を拘束。洗脳解除に努めます」

「分かりました。オプシディエンヌ死亡時にオニクスが洗脳下の場合は、拘束を優先。協力しましょう」

「教会は先生を殺したいんじゃないんですか?」

「いえ、政治的な面倒を避けたいだけです。賢者連盟の魔術師に借りを作れるならば、わたくしは喜んで協力致しますよ。ただミヌレ・ソル=モンド魔術師。わたくしが協力するのは、他者に被害が及ばない場合に限ります。もちろん他者とはあなたも含みますよ」

 もしオニクス先生が洗脳され、誰かに危害を加えるなら見過ごせない。

 ヴェルメイユ枢密卿が案じているのは、その時、わたしが敵に回る事態だ。同盟を結びに来たわたしと正面切って戦うことを、オプシディエンヌと戦う前から視野に入れているのか。

 わたしに敵に回ってくれるなと、足を引っ張ってくれるなと、釘を刺された。



 先生がオプシディエンヌに狂わされた状態、か。

 闇の教団の副総帥オニクス。


 

 砂漠で箍の外れた振る舞いは、思い出すだけで辛い。

 それでもわたしは生かすだろう。

 オプシディエンヌさえ死ねば、先生が死ぬ理由は無い。絶対に生かす。

 教会と連盟を敵に回しても。

 どんな犠牲を払っても。


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