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第十二話(後編) 憂色の刺繍糸


 静かな展望室、暖かいお布団、健やかな寝息、そしてずしゃっと落下する感覚。

 寝入りばなに、いきなり足元から落下する錯覚だ。

 わたしの場合うっかり幽体離脱のはじまり。

 瞳に映るのは、さんざめく星空。

 魔導航空艇の外か。 

 金星遺跡まで飛ぶのに比べたら、近場だな。

 わたしは腕輪状態だったヴリルの銀環を、サークレットにする。星幽体が安定したので、真夜中のお散歩ができるぞ。魔導航空艇の周りを、ぐるっと一回転してみる。

 魔導航空艇の外壁に、テラスっぽい枠がついてる。日陰になっていて騒音がすごいから、展望用じゃなくて整備用のスペースかな。スティビンヌ猊下は高所恐怖症だから誰が整備するんだろ? お弟子さん? 

 じっと眺めていたら、水晶めいた反射が視界に差し込んできた。

 クワルツさんだ。

 腕組みしたまま、細い柵に腰かけている。

 影にはディアモンさんもいるぞ。

 勝手に幽体離脱したの見られたら、また叱られそうだな。

 彼らの視界に引っかからないように、魔導航空艇の内側に入らなくちゃ。

「たしかに原理は同じなのよ。アタシがいれば索敵できるかもしれない。ニックはアタシが戦場向きじゃないって、気を遣ってくれたけど」

「あの男が配慮できるタイプとは思わんがな」

 クワルツさんが呟く。口の中の棘を吐くような言い方だった。

 先生のこと、話してるんだ。

 思わず足を止めて、姿を隠してしまう。

「あらあら、そんなことないわ。ニックは配慮しないだけ。できないわけじゃないの。アタシの師匠が亡くなった後、ちょっと、いえ、かなりニックに泣き言いろいろ吐いたから……たぶんそれで、アタシが戦える精神状況じゃないって思ったのよ。だから、ここに残るように言ってくれたんだわ」

 昼間、スティビンヌ猊下がディアモンさん索敵に回すように提案して、オニクス先生はそれに反対した。

 戦術的な問題だけじゃなくて、ディアモンさんの精神状況を慮ったのか。

「ニックね、気に入った相手にだけは、すこぶる優しいのよ」

 憂いを帯びたまま微笑むディアモンさん。

 たしかに先生って懐に入れた相手にだけは、やたら優しいんだよな。ガブロさんはその筆頭。

「では……ミヌレくんが死なないでくれと頼めば、生きるのではないか?」


 クワルツさんの言葉に、わたしの魂が震えた。

 わたしの心の底に封じた望みだからだ。


「【破魂】は不全呪文よ。保護式を構築できなかった魔術。発動と同時に、ニックの魂も壊れるわ」

 乾ききった声だった。

 感情という湿り気が一切ない。事実だけを言葉にしているんだ。

「それは承知の上。他に何か手法はないのか? あのまま魔女と心中されては、ミヌレくんが真のハッピーエンドを迎えられるとは思えん。あの男はどうしようもない外道だが、生かせば変わる」

「もし変わるとしたら、ミヌレちゃんのお陰でしょうかね。でも、それってハッピーエンドかしら?」

 夜風が吹いた。

 ディアモンさんは髪の乱れを梳いて、ショールを肩にかけ直す。

 日常的な仕草。

 だけどその所作で、ディアモンさんの美貌が翳りへと隠れてしまった。表情が読めない。

「ニックが生き残って、ミヌレちゃんと結ばれて、それでハッピーエンド?」

「うぬ? いや、ディアモン。きみとてミヌレくんとあの男の婚約を勧めたひとりだろう」

「一年前はね」

 表情を翳に閉じ込めたまま呟く。

 クワルツさんは腕組みしたまま、首を大きく傾げた。

「あの大賢者カマユーが飼っていたから、今までは他の魔術師に報復されなかったという話か? たしかにこのまま結ばれては、あの男への報復に、ミヌレくんが巻き込まれるだろうが……」

「そうじゃないの、アタシが気にしてるのはそこじゃないのよ」

 ディアモンさんは白い息を吐いた。

 そのまま凍って星になってしまいそうな吐息だった。

「ニックね、別にいのちを軽んじているわけでもないのよ。重んじてもいないけど。殺すのか最適なら殺して、生かすのが最適なら生かすって。いのちの使い道の正解を、真剣に考えている」

「傲慢だな」

「そうね、生命の行く末に正解なんてあるわけがない。他人の生死を判断するなんて、まして自分ひとりで判断しようとするなんて、傲慢さもここに極まれりって感じ」


 ――殺すことが最適なら殺せ――

 ――捕まえることが最適なら捕縛しろ――

 ――逃がすことが最適なら逃走を促せ――


 先生の主義主張を指針にしてきたわたしのこころが、今、死にそうだった。

 星幽体なのに、心臓が痛いぞ!

 傲慢って言われてみればそうだけどさ!

 うう、未熟な倫理観だった。

 未熟というか戦場倫理観だよな。

 徴兵された先生は、過酷な戦場に追いやられたからこんな倫理観になったんだ。ガブロさんをはじめとした部下を率いて、勝つために、いいや、生きるために。

 生きることさえ困難だったからこその倫理と価値観。 

 平和な時代で学院生活を謳歌していた子供が、丸パクしていい倫理じゃない!

 砂漠の戦争で、先生の価値観の危険性を理解していたけど、知り合いにそういう指摘されると羞恥で死にそう!

 わたしはもっと自我を持った方がいい!

 確固たる己を持とう!

「ニックにとって他人のいのちって、ファッションに興味ない人間がTPO配慮するレベルなのよね。だからミヌレちゃんが否定すれば、ニックは虐殺をやめるのよ。このファッションでデートしていいか恋人に尋ねて、ダメって言われたら素直に着替える程度なの」

「ふむ。己のコーディネートを他人に委ねるとは真性マゾだな」

 クワルツさんが突然、意味分からんこと言い出した。

 なんだそのトンチキ結論。それだけでマゾ認定するなよ。

「そうね。分かるわ」

 ディアモンさん、トンチキ結論が理解できるんだ!

 ……もしやこのふたりのファッションセンスは隔たっていても、ファッション観は似通ってるのか。

「とにかくニックは、倫理の外部判断装置として、子供を使ってるの。最悪だわ」

「最悪よりひとつマシだろう」

「最悪よ。いいえ、最悪以下よ。だってもしミヌレちゃんが不在の時に、ニックがやらかしてごらんなさい。ミヌレちゃんが止めれば起こらなかった悲劇が起こったとして、ミヌレちゃんは自責しないと思う? 自分が止めていれば、こんなこと起こらなかったのにと、一瞬でも思わないでいられるかしら?」

 問いかけにクワルツさんは口ごもった。

 わたしもだ。

 先生の行き過ぎた実験や戦術を、わたしは止められる。

 だけど、わたしがいない間に虐殺が起こったら、わたしは仕方なかったって受け入れられるだろうか。忘れられるだろうか。

「一年前だったら、まだ良かったわ。ニックにとってミヌレちゃんは可愛い存在だった。大事な生徒。その程度だった。でも今はもう違う。倫理を委ねるまで依存している。こんなグロテスクなことってないわ。ミヌレちゃんは年の割にしっかりしてるし、強い子よ。だからきっとニックが生き残ったら、あの子はニックのメンタル介護をするでしょうね。奴隷のトラウマと戦場のトラウマを拗らせた大人のメンタル介護に、ミヌレちゃんの一生を消費させるの? あの子だって予知発狂してる上に、世界鎮護って重責があるのよ。周囲の支えと保護が不可欠だわ。そんな子に、大人の介護させるなんて! ニックが死ぬよりグロテスクな結末だわ」

「吾輩は死ぬより残酷とは思えんよ。あの男のメンタル介護は確かに重いが、あの男は変わるはずだ。テュルクワーズ元司祭や月下老からも、あの男が善き方向へ変わったとお墨付きがあるではないか」

「元が酷過ぎただけよ」 

「辛辣だな。そこは否定は出来んが、あの男自身が言ったではないか。ミヌレくんためならどんな屈辱も呑むと。ミヌレくんの傍らでは望んで凡夫の身になると。あの男を、魔女と心中する魔王ではなく、ミヌレくんの傍らに生きる凡夫にしてやればいい」

 魔王から魔術師へ。

 そうなってくれれば、どんなにいいか。

「吾輩はあの男が嫌いだが、それでもミヌレくんのハッピーエンドには欠かせないだろう」

「そうかもしれないわね。でも、なにもかも机上の空論だわ。だってニックは、オプシディエンヌを完全消滅させなくちゃいけないもの」

「本当に死ぬ以外の方法は無いのか?」

「そうよ、死ぬの」

 乾いた囁きに、憂色が含まれる。

「いえ、普通の死よりさらにタチが悪いのよね。高位の要素さえ滅するもの。二度と生まれ変わることもない。永遠の消滅よ」

 ディアモンさんの唇は、憂いを夜に刺繍しているみたい。解き解せない言葉が、わたしに縫い込められていった。

 わたしは虚空を蹴って、自分の肉体に戻る。

 これ以上、先生が消滅する話なんて聞いていられなかった。



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