第十話 (後編) 聖ステラは何を視た?
簡素な石造りの間に、枢密卿の纏う猩々緋は目も眩むほどの艶やかさ。まるで荒れ地に咲いた薔薇。花の香りを探してしまいそうだ。
「オニクス。途中経過ですが、賢者連盟に協力する方向へ進んでいます。ただあなたたちが、千年の時間を飛ばされたという物証はありますか?」
「物証、だと?」
「千年前から持ってきたものとかですか?」
わたしの問いに、ヴェルメイユ枢密卿は首を横に振る。
「逆のものが欲しいのです。あなたたちが砂漠帝国に残してきて、現代で発掘されたものはありますか? たとえば大規模な石碑を名前入りで作ったとか……砂漠遺跡からの発掘品で、あなたたちの私物だと証明できるものがあれば早いのですが」
「それならアタシの師、パリエト猊下が発掘しています」
シッカさん、わたしの髪を砂漠で探していたものな。だったら目的以外の物も相当、出土したんだろう。
「いえ、賢者連盟から用意された証拠でなく、他の発掘団が発見した品でないと信頼性がありません」
「じゃあゼルヴァナ・アカラナの絵姿は残ってますかね。あれはわたしの姿を描いたものですよ」
その意見に、今度はディアモンさんが首を横に振った。
「魔術弾圧期に絵姿は破壊されているわ」
「教会は余計な事ばかりする」
先生が枢密卿の目の前で言い放った。なんでそんな臆面もなく言えるんだ。脳内のモリオンくんが「面の皮の千枚張りですかァ」って嗤ってる。
「……オニクス。千年前から帰還するための魔術を作ったのでしょう。その研究書は今、手元にありますか?」
「いや、ダマスカスの中央図書館に置いてきてしまったな」
「書籍にまとめたものでしょうか?」
「革表紙のノートに綴ってある」
砂漠の古文書。
蛇と鴉の紋様が描かれた漆黒の書。
わたしの予知では、砂漠遺跡で発掘される書だった。
そう、あの書は現代で発掘される運命なのだ。
まさか。
「バギエ公国の国立大学遺跡調査団が、不可思議な古文書を発見しました」
「時魔術の研究書! 発掘されたんですか?」
わたしの叫びに、ヴェルメイユ枢密卿は立ち上がった。
「すぐバギエ公国に連絡を入れて、筆跡を確認しましょう。オニクスの筆跡なら、王宮に書類が残っています。確認が取れたら、正式に賢者連盟と協力して、わたくしが国王の叔母としてあなたたちを王宮に案内します」
やった。
国王陛下の叔母が門を開けてくれるなら確実だ。
王宮に入れる。
だけど先生の顔は渋いままだった。なんでや?
「枢密卿。何故、【時間漂流】を気にする? 教会として禁忌は【屍人形】の方だろう?」
先生からの質問に、ヴェルメイユ枢密卿は居住まいを正した。
「時間干渉は、【屍人形】以上の禁忌だからです」
「それは存じ上げなかったな」
先生は慇懃無礼がお上手だ。
たしかに時属性が禁忌ってのは、わたしも知らんかったけど。ディアモンさんも知らなかったような顔をしてる。
「公表はしていません。民衆への教義に入れるまでもない。本来、人の身で時間や因果に干渉など出来ようはずがないからです。ですが……」
ヴェルメイユ枢密卿は、緋の唇を固く結んだ。
何か躊躇ってるみたい。
「では【時間跳躍】した私たちも、教義に反する存在か」
「……いえ、オニクス」
「時間を超越するのが罪ならば、【時間跳躍】を生み出した私と、使役できるミヌレは、教会にとっていかなる存在だ? 教会はオプシディエンヌ討伐に協力する。そこまではいい。だが次は? 取って返す刀でミヌレを殺めるか?」
「先生!」
「ニック!」
二人分の叫びも、先生の歯止めにならなかった。
「ミヌレが討伐されるかもしれんのに、放置しておけん。将来的に教義がどう解釈されるか分からん以上、とりあえず総本山を更地にしておくか。私は教会など消し飛んだところで、一向に構わんぞ」
「……あなたはいつも白か黒かで論じる」
緋薔薇色の唇が紡ぐ囁きは、奇妙なくらい穏やかだった。石造りの室内が凪いでいく。
「それほどまでに弱体化しているのですか? カマユー・カマハエウス猊下が亡くなられた後の賢者連盟は」
「なにを……」
「ミヌレ・ソル=モンド魔術師の未来を庇護できないほど、象牙の塔は力を失っているのですね」
静かな問いは、矢のように魔術師たちを射抜く。
先生ときたら、馬鹿正直に顔を顰めた。
「隠棲された月下老からの書簡が届いた時、もしやとは思いましたが……考古魔術師ブッソールの訃報、それに続くカマユー・カマハエウス猊下の訃報。猊下の事故に巻き込まれて、世俗に介入できる有力な魔術師も亡くなっておられるのですか? それとも内部抗争でも起こりましたか? あるいはそもそも彼らの死は、内部抗争の果てに引き起ったものでしょうか?」
弱体化は正解だった。
冒険ギルドの交渉役だったブッソール、アエロリット猊下、パリエト猊下、そしてカマユー。四人も賢者が欠けた。脆弱化しているのは否めない。
賢者連盟は緘口令を敷いているけど、敏いひとは異変に感づくだろう。
そしてヴェルメイユ枢密卿は、たぶん並外れて敏いひとだ。
「単に先生は「更地にする」ってのが口癖なんですよ」
わたしはフォローした。
「あまり宜しくない口癖ですね」
緋の口許は微笑みを装う。その笑みときたら咲き誇る薔薇のように美しかった。目付きは全然、笑ってねぇけど。
「聖ステラはご存じですか」
「はい。五百年前に地震を予知して、火あぶりにされた修道女さんですよね」
反射的に答える。
答えたのはいいけど、なんでいきなり聖ステラ?
「時間干渉が禁忌な理由を、ご説明しましょう。聖ステラは、火あぶりにされる前にいくつもの預言を遺しています」
「地震以外の予知もしていたんですか?」
「ええ。遥かな未来のことを。それは絶望の預言でした。彼女が語った預言は地震だけでなく、疫病、災禍、暗殺、戦争、噴火。あらゆる絶望を諳んじたのです。火あぶりされたのは、地震が外れた落胆ではなく、むしろ次から次へと終わらぬ災禍の預言たちを恐れたとも伝わっています」
「災いを予言してくれる魔法使いを殺すとはな。金の卵を産む牝鶏を、鳴き声がうるさいと縊り殺したようなものだな」
オニクス先生の冷笑が放たれた。
「それでも先見の明があるものによって、預言は書物となって遺されました。聖ステラの預言書、そう名付けられて総本山の封印の間に保管されています。その最終章に記された言葉をお伝えしましょう。聖ステラ最後の預言です。ただし本来であれば、枢密卿以上しか知り得ない預言です。あだやおろそかに口にすべきではない預言です。まして魔術師に伝えるなど、五百年間ついぞ無かったことです。今回の口外に関しては、法王聖下からの特別の許しを得てお伝えします」
部外秘の預言か。
ヴェルメイユ枢密卿は視線を動かさず、緋の唇を浅く開き、知る人の少なき預言を語る。まるで古風な肖像画が喋っているみたいだ。
「聖ステラの預言、最終章最終節『その女、恣意にて魔力を揮い、因果の律、天地の理、時空の箍を毀せしものなり。その女より先に宇宙は崩れ、生まれしは混沌なり。まことの罪に神の赦しなく、永劫に贖うべきものなり』」
「………」
厳かな空気に、わたしは何も言えなかった。
肺腑が苦しくなってくる。心臓の鼓動ひとつが重い。指の震えを止めるために拳を握っても、震えはひどくなっていく。
「己の欲望のままに魔力を揮う女。時空を壊すもの。間違いなく魔女オプシディエンヌのことでしょう」
ヴェルメイユ枢密卿は淡々と語る。
「その女より先に宇宙は崩れ。すなわち魔女オプシディエンヌが世界を壊すことを示唆しています。神の赦しなき罪を犯すのだと………ゆえに教会は時間に干渉する存在を恐れているのです」
薔薇が閉じる様にヴェルメイユ枢密卿が語り終えれば、石造りの小部屋に静寂が統べる。
誰も喋らない。
何の音も無い。
鼓膜に届くのは、聖ステラの預言の余韻だけ。
時間や宇宙を壊すって預言されたのは、ほんとうにオプシディエンヌのことなの?
『その女』
そもそもオプシディエンヌは『女』じゃない。
両性具有だ。
女って時点で、オプシディエンヌは除外されるんじゃないか?
預言に語られている『女』はオプシディエンヌじゃなくて、わたしなんじゃないか。
『恣意にて魔力を揮い』
わたしだって世界より、自分のために魔力を奮ってきた。
オプシディエンヌも好き勝手してるけど、わたしも変わりはない。
『因果の律、天地の理、時空の箍を毀せしものなり』
占いお婆から言われた台詞が蘇る。
年老いた呪詛はざりざりと濁って、砂風めいていた。
──おまえたちはこれから罪を犯すよ──
──竜を目覚めさせるとか、国を滅亡させるとか、そんなことじゃぁない──
──ほんとうの罪だ──
『生まれしは混沌』
ゼルヴァナ・アカラナの信徒たちは「女神にして女王なり。無窮の混沌なり」と賛辞していた。
無窮の混沌って、わたしを指している。
『……まことの罪に神の赦しはなく、永劫に贖うべきものなり』
永劫に償う。
その文章はわたしが『永久回廊』で、夢魔の女王になっていることを示唆しているんじゃないか。
では預言の『その女より先に宇宙は崩れ』って一節は?
考えたくはないけど、わたしのせいで宇宙が無くなってしまうのか。
そんなことない!
わたしはこの世界を愛している。何よりエグマリヌ嬢やクワルツさんやディアモンさんがいる世界を、消滅させるなんて出来っこない。
わたしは世界を滅ぼさない!
破壊神にはならない!
………でも先生のためなら?
わたしは一度、砂漠の帝国を滅した。
だったら宇宙だって、無に還すんじゃないか。
聖ステラ。
五百年前に火あぶりになった修道女。
あなたはいったい、どんな未来を視たの?