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第十話 (中編) 聖ステラは何を視た? 


 修道士の案内で、会議室から離れた別室に通される。

 やたらシンプルな造り。多分おつきの人の控室だな。飾り気がない上に、暖炉さえないもの。

 ちょっと肌寒いけど、古めかしい雰囲気は味わい深い。歴史建造物の重さがある。

 奥のテーブルには修道女が待っていて、三人分のハーブティーとお茶菓子が用意されていた。ハーブティーの爽やかな香しさで、石造りの固い雰囲気は緩和されていく。

 それにテーブルの下には、暖を取るための円錐形の足温器が置かれていた。熾きになってる石炭のぬくもりだ。

 しかもお茶菓子はカヌレ。

「御用があれば、遠慮なくお声かけ下さいませ」

 修道士と修道女が、ぴったり息の合った一礼をして別室から退出する。

 遠ざかる足音は聞こえない。廊下で待機しているのかな。

「癇に障る部屋だ」

 オニクス先生が腰を下ろしたのは、質実剛健な椅子である。背もたれが無くて、腰を下ろすところに木板が張っているだけだ。先生の足の長さに対して椅子は小さすぎ、体重に対して椅子は弱すぎる。古い木材が軋む音は、耳障りだった。

「教会の人間は、居心地の良い椅子を罪深いと思っているのか?」

 オニクス先生は冷たく言い放つ。

 足温器の石炭だって、怯えて冷え切りそうだった。

「空飛ぶ絨毯、敷きましょうか? ニックが座るには低いでしょう」

 ディアモンさんがてきぱき椅子を片付けていく。

 絨毯を広げてくれた。やったね、空飛ぶ絨毯というごろごろできる場所が登場したぞ。

 空飛ぶ絨毯って、こういうところ便利だよな~

「お茶菓子。クワルトスくん食べる? アタシは昨日の晩ごはんがまだ胃に残ってるから」

「食べる」

 クワルツさんが人間形態に戻って、カヌレをもぐもぐする。

 もっちりした食感を楽しめば、焦がし蜂蜜の風味が広がった。このカヌレ、最高に絶品だ。

「ほう、修道女が焼いた本物のカヌレだ」

 感心した呟きだ。

 教会菓子の代表格って言えば、まずカヌレ。修道士がワインを醸して、修道女がカヌレを焼く。そういうイメージだ。

「クワルツさんとしては懐かしい味ですか?」

「うむ。吾輩が幼い頃、鶏の壺抜きを積極的に手伝ったから、修道女たちによくカヌレを貰った。大半の修道女は牝鶏を殺すの苦手らしくてな」

 エグマリヌ嬢もうさぎ捌くの苦手だから、牝鶏の下ごしらえ苦手な修道女って想像つく。

「毎週、月曜は鶏を潰す日だから、その時に顔を出せるよう狙っていたものだ」

「修道院って鶏肉料理が盛んなんですか?」

「ワインを作るからな。ああ、ワインの澱を取るために、卵白を利用するのだ。その余った卵黄でカヌレを焼き、雄鶏と産卵率の下がった牝鶏が日々の糧となる」

「合理的ですね」

「合理的かつ美味だ。労働派修道院のフリカッセは最高に美味い。吾輩にとって月曜はカヌレも貰えるし、夕餉はフリカッセだったから、わりと好きな曜日だったな」

 フリカッセか。

 肌寒い中で思い出すと、余計にフリカッセが食べたくなるなあ。

 今の季節とこの標高じゃ、足温器も頼りないし、ハーブティーもすぐ冷めていく。

 わたしたちはくつろいでいるけど、先生はしかめっ面だった。

「先生? どうしました? 幽霊でも来ました?」

「【透聴】が通らん」

 先生の耳朶には、【透聴】の呪符が輝いている。

 会議を【透聴】するつもりだったのか。

「廊下の外は聞こえるが、会議室まで展開が届かん。いや、届いているのだが、ぼんやり籠って聞きとれん。石造りが厚過ぎるのか。それとも風の加護が足りんのか」

 たしかに総本山って、標高すごい高いもんな。

 標高が高すぎると空気が薄くて、風属性が使えなくなる。

 風属性【透聴】が発動しても、風の加護が足りてなくて展開範囲が狭いのかな。

「石造りと空気の薄さ両方かもよ。諦めたら?」

 ディアモンさんの言葉に頷く代わりに、先生は魔術を解除する。

 それでも会議内容が気になっている様子だ。無理もない。先生にとっては、オプシディエンヌとうまく心中できるかどうかに関わって来るもんな。

「わたしが【幽体離脱】で会議を覗くのはどうでしょう?」

「ミヌレくん。教会手話と現代エノク語をヒアリングできたのか?」

 できない。

 キュストード市国の公用語って、現代エノク語だ。わたしたちが不在なら、当然エノク語を喋ってる。

「魔術を警戒して、手話交じりで語っているかもしれんぞ」

「でも行くだけ行ったら、ムービーギャラリーに収録されるかもしれませんよ」

 収録されるかどうか分からんけど、ムービーギャラリーならクワルツさんが聞き取れる。

「ミヌレ。その案は悪くはないが、きみの幽体離脱が未熟だ。許可できない。魔力がある聖職者とているのだ。仮に魔法空間を構築できるほどの聖職者がいて、きみが入り込む事故が起きる可能性もある」

 真剣な口調で釘を刺された。

 つい昨晩、他人の魔法空間に不法侵入しまくった前科があるからな。

「じゃあ【星導】をクワルツさんに会議室前に持っていってもらって、そこを目指せば大丈夫ですよ。ディアモンさんがいるし、補助してもらえば……」

「【透聴】してみたが、扉の前には修道士と修道女がひとりずつ。廊下を曲がった先と窓辺に、聖騎士が二人組になって見張りをしている。用心深いことだ。第一、次に私たちが呼ばれる場所が、御前会議の間とは限らん。【星導】が回収できないと困るぞ」

 それも、そうか……

「きみは休んでいなさい」

 先生の眼差しも囁きも優しくて、わたしは素直に頷いてしまった。 

 おとなしく空飛ぶ絨毯に転がる。

 先生は懐から資料を出して読み耽っていった。

「ニック、ハーブティーが冷めるわよ」

「いらん。不快な香りではないが、そのハーブティー、姉のベッドの匂いがする」

 ラヴェンダーとオレンジピールのハーブティーである。たしかにベッドのサシュにも使う香りだな。

「そういえばニックのお姉さんって、ラヴェンダーのコロン使ってたわね」

「寮母どのの匂いは、コロンではなくてリネンウォーターだと思う」

「……何故、ふたりとも私の姉を知ってる?」

 自分から寮母さんの話題を振っておいて、ディアモンさんとクワルツさんを不審そうに見つめている。なんでやねん。 

「ミヌレちゃんを給費生から留学生に変えた時、会ったのよ。生徒に手を出して婚約した挙句に、消息を絶った愚弟に対して、騒霊現象を起こしていたわよ」

「そうか。元気そうで何よりだな」

 半分くらい呻きじみた声を上げて、資料へと視線を戻す。

 めちゃくちゃ真剣だな。

「………背の君」

 わたしは古代デゼル語で話しかける。

 先生は眉毛を動かしただけで、わたしに見向きもしなかった。書類に視線を落としたまま口を開く。

「夫婦ごっこは終わったはずだが」

「ついさっき「オプシディエンヌの魂だけを滅する。その方法は掴んでいる」っておっしゃってましたよね」

「言った記憶はある」

「もしかして【憑依】解除の方法って、まだ目途が立ってないんじゃないですか……?」

「安心するといい。闇魔術は私の専門だ。時魔術などという未開の地ではない」  

「その言い草。目途が立ってないんですね」

「たとえ目的地まで果てしなくても、闇魔術は踏み慣れた領域だ」

 ぁうう、完全に【憑依】をどう処理していいか、分かんない状態じゃねーか!

 さっきの会議で煙に巻いていたの、自分でもやり方が五里霧中だから、虚仮脅しだったのかよ!

「あらあら、ニック。もう観念したら?」

 ディアモンさんが溜息めいた言葉を吐く。

 そういやディアモンさんは古代デゼル語が理解できるんだったな。古代魔術専門なら必須スキルだから。

「そうですよ、失敗したら大変じゃないですか」

「ミヌレちゃん。そうじゃなくて、ニックはもう【憑依】の解除方法を掴んでいるのよ」

「ふぇ?」

「単純よ。ミヌレちゃんが【幽体離脱】して、プラティーヌ殿下の肉体に入り込めばいいのよ。殿下の星幽体を連れて、一時的に脱出するの」 

 単純だな。

 簡単じゃないけど。

 他人の魔法空間に干渉するのか。

 クワルツさんは【魅了】されていても、わたしが友人だから受け入れてくれた。あとわたしの魔力の残滓があったのも幸運だった。それでも動きにくかったもの。相手がオプシディエンヌなんて、かなり危険だよな。

 でもヴリルの銀環があればラーヴさまの魔法空間まで行けたし、不可能ってほどじゃないか。

「じゃあなんで先生は苦悩してるんですか?」

「何故だと? オプシディエンヌが支配している肉体に、きみの星幽体を侵入させるなど許可できない。きみを危険に晒すのは本意ではないのだ。鎮護魔術師としても、むろん私個人の気持ちとしても」

 真顔で言い切った。

 オプシディエンヌと心中したがってる先生に、そんな決め台詞を言われましてもなあ。

「ニック。たしかに【幽体離脱】は危険だわ。でもミヌレちゃんの銀の糸の制御を、アタシが保護と補助すれば成功率は上がるのよ。そもそも肉体は魔導航空艇に残しておけるじゃない」

「私は反対だぞ。オプシディエンヌは巣を張っているはずだ。蝶など貪り食われる。全人類よりミヌレが大事だ」

「そういう決め台詞は良くないぞ」

 クワルツさんがにょろりと首を突っ込んできた。

「真面目なことを言わせてもらうが、世の中おしなべて地獄とか、全人類より大事だとか、決め台詞で議論をぶった切るのは話し合いに対しての誠意がないぞ。結論ありきの態度だからだ」

 瞬間、先生が言葉に詰まった。

「ミヌレのいのちに関して、妥協する気はない」

「吾輩とて妥協はできん。だがオプシディエンヌ退治に行くのに、納得してないミヌレくんを放置するのか。それではカリュブディスとスキュラの挟み撃ちではないか」

 どっちがカリュブディスでどっちがスキュラだろう。

 たぶんわたしがカリュブディス。  

「………それでも、私は」

 苦渋が色濃く滲んで、空気までも濁ってきた。

「先生。反対されても、わたしは赴きますよ。絶対に阻ませません。わたしの全身全霊全魔力を賭して、あなたの末路を見届ける特等席は確保します」

 わたしが告げれば、隻眼が翳される。

 もともと黒瑪瑙じみているのに、さらに闇が深まった。

「そうか。手遅れか」

 唇から零れた溜息は、言葉のかたちを成していた。

「……何もかも私の因果か」 

 悲しげだった。

 どうしてそんな悲しそうな顔をするんだ。

 わたしが先生をいじめているみたいじゃないか。

「うむ。この教師が悪いな」

 クワルツさんが身もふたもなく、先生を責める。

「そもそも勝算があるとか言っていたが、オプシディエンヌに近づけるのか。あの蜘蛛の魔女に」

「ニック、あの魔女の弱点を知ってるの?」

「弱点か。いくつか心当たりがあるが、それが彼女がブラフであえて見せた偽りなのか、気まぐれに教えた真実なのか判断つかん。あの女は他人の絶望を、何よりの娯楽として消費するからな。彼女が紡ぐ蜘蛛の糸とて、火によって融解するが、それさえ対処法があるやもしれん。だが【隕石雨】を打てば間違いなく破壊はできる」

「ニック。後先考えず目先の勝利を取ろうとするのはやめてちょうだい」

「私とて賛成されなければ、【隕石雨】など打たん」

 賛成されたら、打つのかよ。

 まさか王宮内では【隕石雨】は打たないだろう。普通、絶対に打たない。だってエクラン王宮って、国務卿や公爵や騎士団長の居室もあるんだぞ。王宮が滅したら、政治と軍事がいっきに崩壊する。

 いや、でもこのひと、湖底神殿で打ちかけたよな。

 市場があって、ひとがいっぱいいる湖底神殿の上空で。

「………先生。絶対に、打たないで、くださいよ」

「安心したまえ。王宮に入る時は、きみは星幽体だ。きみに被害はないぞ」

「やめろって言ってるんですよ」

「分かった」 

 真顔で頷く先生。

 え……【隕石雨】、まさかほんとに打つ選択肢を視野に入れていたのか。

「これは吾輩の浅慮かもしれんが、むしろこの男を先に討伐しておくべきではないか?」

「私はもう討伐された後だ」

「討伐されてこれか……」

「これなのよ……」

 沈痛な静けさが落ちてきた。

 静かというより強張った空間で、軽快なノックが響く。

「茶の代わりでも運んできたか?」

 先生は軽口を叩き、クワルツさんが瞬時に狼の形態に転じる。

 扉が開く。

 ノックの主はヴェルメイユ枢密卿だった。


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