第十話 (前編) 聖ステラは何を視た?
幽霊と雑音が消え、落ち着きを取り戻した会議室。
わたしはあんまり取り戻してないけど、表面的には落ち着いている。たぶん。
耳鳴りする静寂の中、円卓にいた老枢密卿が咳払いした。このひとが議長かな。
「議題を確認しましょう。賢者連盟のミヌレ・ソル=モンド魔術師とオニクス魔術師は、プラティーヌ殿下がオプシディエンヌに【憑依】されていると主張している。仮にそれが真実であれば、王族が【屍人形】で死体を弄するなどあってはならぬ事態。ただ騎士聖省を動かすには、他国の王族にも通用する物証が必要です。我らは国家間において中立を貫くため、騎士を動かすならば全国家への説明責任が生じます」
老枢密卿は手話交じりで、ジズマン語を喋る。
ジズマン語がヒヤリングできないひとのために、手話で同時に喋ってる。器用。
「オプシディエンヌの性格上、宮中に【屍人形】を飼っているはずだ。数体、確保すれば物証として十分だろう」
「ではわたくしが王宮に参りましょう。本当に【屍人形】を発見できたら、聖騎士によってプラティーヌ殿下の身柄を確保させます」
「それでは逃げられる」
オニクス先生の声が、朗々と響いた。
「聖騎士を組織だって動かせば、オプシディエンヌに気づかれるやもしれん。相手は【憑依】を使える魔女。万が一にでも他の肉体に逃げられては、手掛かりを失ってしまう。証拠はあとで確保しろ。私が単身、潜入する」
「そしてプラティーヌ殿下を暗殺すると?」
緋薔薇色の唇が発した問いは、棘が含まれていた。
ご自身の姪御ってこともあるけど、継承順位が高い王族が没するのは、一国家だけの問題じゃないもの。西大陸全土に波紋する。
「いや。【憑依】を解除し、オプシディエンヌの魂だけを滅する。その方法は掴んでいる。ただそこに行き着く間に何らかの妨害があるはずだ。教会にはそれらの戦後処理を頼みたい。葬儀は得意とするところだろう」
先生の言葉を直訳すると、「何人かぶち殺すので、黙認しろ」である。
物騒な発言だ。
「オニクス。あなたがそんなぬるま湯じみた提案をするなんて思いませんでした」
あっ、オニクス先生をよく知ってる枢密卿からすると、ぶち殺すから黙認してくれって頼みにくる態度が穏便なんだ。マジで若い時の先生って、戦闘狂……いや、過激派だったんだな。
「私ひとりならば、さっさとオプシディエンヌを殺しに行っている。だがミヌレがいる。あの魔女はミヌレでさえ素材にしかねん邪悪な女だ。殺したいからといって、教会と連盟の対立を招き、彼女の未来が翳ることも本意ではない」
会議室の視線が、わたしに集中する。
ぅう、注目されて恥ずかしい。一角獣化して、クワルツさんと一緒に状況を知らんぷりしたい。
「たしかにあなたは恋愛第一主義ですからね」
「どこが?」
素で問うオニクス先生。
「宮中で国王公妾と密通する男が、恋愛第一主義でなかったらなんだというのですか」
そうだな。しかも心中まで望んでいるからな。
蛇蝎のオニクスとしては穏便な意見だったらしいけど、ヴェルメイユ枢密卿は納得したらしい。矛先を収めた。
「質問をさせて頂きます」
挙手をしたのは、白いひげの大司教さまだった。おひげが羊みたいにもこもこしてる。
温厚そうなおじいさんで、テュルクワーズ猊下とはまた違う意味で聖職者っぽい。色素の薄い瞳は、平和に草を食んでる羊みたいだな。静かで、優しい。でも何を考えてるのか、いまひとつ掴めない眼差しだ。
纏っている僧服はもちろん紫なんだけど、他の方々みたいに絹オンリーじゃない。羊毛の交ぜ織りだ。かっちりした裁断で、クワルツさんの神学校の制服に似てる。
発音がエクラン王国宮廷っぽいから、エクラン王国の名門のご出身かな。
大司祭は、わたしたちへと視線を向けた。
「賢者連盟の方々はオプシディエンヌの残党に関して、どのくらい把握しているのでしょう」
「ミヌレ。曲芸団と占い婆。それと、あの小姓を」
モリオンくんか。
オプシディエンヌの息子、そして先生の息子でもある少年だ。
「先生が、そうおっしゃるなら」
わたしはコントローラーを操作して、クー・ドゥ・フードル曲芸団と、占いお婆のムービーを流す。
「『妖精の取り換え仔』を擁した曲芸団に関しては、目下、元司祭が追跡調査中だ。占い婆は行方が知れんが、生存は確実だ」
「コーフロ連邦で暗躍しているサーカス団の特徴と一致していますな」
ムービーのクー・ドゥ・フードル曲芸団に対して、大司教は眼差しを絞っていた。
「この曲芸団について、何かご存じなのか?」
「魔女オプシディエンヌが生存していると、そんな噂を一年前に小耳に挟みましてな。内々に調べさせてはいました」
「ペルリエール大司教。一年も隠していたのですか?」
ヴェルメイユ枢密卿は表情も口調も穏やかだが、内心は穏やかじゃなさそうだった。
「慎重を期すべきだと思いまして。闇の教団の総帥が生きていたとなれば、賢者連盟の手落ち。魔術師方々の体面に関わります。友好的な関係を維持したいので、精査してから恩を売ろうと思いましてな」
羊みたいな外見のおじいさんだけど、中身は羊じゃないな。
「かの大魔女オプシディエンヌ本人の足取りは杳として掴めませんでしたが、闇の教団の残党が組織立って活性化しています。ご要望とあらば証人喚問も可能です。憑依云々という魔術的な点は分かりませんが、オプシディエンヌが生き延びて暗躍している可能性は極めて高いですな」
教会側もオプシディエンヌの動きを掴んでいたのか。
「そのサーカス団の他にも、オプシディエンヌの部下を確認しているのですか」
わたしは返事をして、モリオンくんを画面に映す。
赤蜜色の膚の少年だ。
「……ディアスポール公爵の小姓ですね」
ヴェルメイユ枢密卿が呟く。
「オプシディエンヌがプラティーヌ殿下に憑依しているのが事実なら、やはりディアスポール公爵も正気ではないのでしょうね」
自分の姪のみならず、弟まで篭絡されているのだ。
肉親が危険な状況でも、焦りや動揺は表に出していない。状況を語る手話の指先に、震えひとつなかった。
「オプシディエンヌがプラティーヌ殿下の肉体を乗っ取っている。とりあえずそれを事実だという前提で、会議を進めましょう。だとすれば何故、今までピエール19世を弑さなかったのでしょう? もし王妃がご懐妊されれば、継承権は遠のくばかりですよ」
「逆に問うが、何故、ピエール19世を弑す必要がある? おそらく女王になるつもりはないのだ。王姫として降嫁し、そこで自由を謳歌する目論見だろう。女王だの王太女だのになってしまえば、公務で身動きがとれん」
「降嫁」
ヴェルメイユ枢密卿の緋の唇が、その単語を食む。
まるで知らない単語を初めて口にするみたい。
だけど降嫁ってのは、王族の女性が臣下に嫁ぐことだ。王族女性って基本的に、他国の王家に嫁ぐか修道院に入るか二択だけど、歴史的には何名か降嫁している。ヴェルメイユ枢密卿こそ修道院入りする前は、選択肢のひとつだったんじゃないのか。
「降嫁狙いですか。それならピエール19世は逆に安全でしょうね」
花びらほどの吐息を零す。
「オニクス。わたくしは公妾時代のオプシディエンヌをよく知っています。闇の教団の件も聞き及んでおります。魔術師としてどれほど優れているのかは測りかねますが、あの魔女は間違いなく策謀家。オプシディエンヌの前に辿り着いたとして、勝算はあるのですか?」
先生は立ち上がった。
飛びぬけた長身に、長い手足。
立ち上がるという動作だけで、ひとの注目を集める。
「勝算はある」
「具体的には………」
「易々と私の計画を告げると思うか? この中にオプシディエンヌへ情報を漏らしている人間がいないとも限らんのに」
「それは教会への侮蔑ですよ、オニクス」
ヴェルメイユ枢密卿は淑やかさを崩さず、強い口調で諫める。
諫められて当然だ。
警戒するのは分かる。だけど協力お願いしにきて、おまえらのなかに裏切者いるんじゃねーかって、馬鹿正直に言い出す奴がいるかよ。
ディアモンさんは顔を青くしているし、クワルツさんは狼モードでも不機嫌さを醸しだしていた。どうしよう。わたし、先生の後頭部どついた方がいい?
でも話し合いの場で、代表者の威厳を減らすのは悪手だよね?
さすがにまずかったらディアモンさん、オニクス先生を強制的に黙らせるよね、さっきのムービー鑑賞会みたいに。
わたしがおろおろしている間に、先生と枢密卿との空気が硬くなっていく。
「この円卓に並ぶ方々は、【魅了】されていないと判断された者に限ります」
「その程度の用心では足りん。まったく足りん。あなたならご存じだろう、オプシディエンヌの手管を。時間を費やして誑し、僅かな隙に【魅了】し、魂のいちばん弱い場所を舐り、そして解放する。そう、あの魔女は【魅了】を解くのだ。一度、決壊した理性は、【魅了】が解除されたところで元通りにはならん」
大きく腕を広げて、演説する。
「この円卓に座する人間すべて聖人か? かもしれん。この危惧は私の疑心暗鬼、愚かな杞憂に過ぎんのかもしれん。だが枢密卿。その程度の用心もできぬ男に、あなたは王家の領域を侵す作戦を任せるのかね?」
「その程度の用心も欠かせませんが、それ以上の信頼も欠かせません」
「信頼、なるほど。あなたがたは私を信じてはいないが、私はあなたがたを信じろと。それは搾取ではないかな」
「歩み寄りを求めてるのですよ、オニクス。あなたは白か黒かで物事を語りすぎる」
「私の手のひらを明かせと訴えるのは、歩み寄りとは思えん。たとえば賢者連盟のように、私の眼窩に【死爆】を埋め込む。これを私は歩み寄りと呼ぶがな」
仮面の上から、眼球があった場所をつつく。
「一任して頂きたい」
ピリオドを不遜に吐き捨てた。
「私は【憑依】されているプラティーヌ殿下を救い、オプシディエンヌを完全消滅させる。絶対だと約束しよう」
「頼もしいお言葉」
ヴェルメイユ枢密卿の呟きはピリオドじゃない、カンマだ。
「魔法を拝見させて頂き感謝します。魔術師の方々はお疲れでしょう。別室でお茶を用意させましたので小休止しましょう。次の会議まで、どうぞお寛ぎを」
たおやかだけど有無言わせぬ微笑みによって、会議に休憩が挟まった。