第九話 (前編) 鑑賞会は幽霊たちとご一緒に
「月下老からお話は伺っています。オニクス、宮中に居た頃を思えば見違えましたね」
ヴェルメイユ枢密卿に微笑まれ、オニクス先生は鼻で嗤った。
内心はどうか窺い知れなくてもとにかく友好的な態度の教会代表に対して、どういう了見だ。塞ぐぞ、その鼻と口。
「あの頃の私は、手が付けられんほど驕慢で愚昧な若造だった。私の愚行を思い出すだけで、舌を引っこ抜いてやりたくなるのではないか?」
思い出さなくても、引っこ抜きたくなる冷笑を浮かべている。わたしでも引っこ抜きたくなるレベルだ。
ヴェルメイユ枢密卿はそんな冷笑に対して、威厳とたおやかさは保ったまま。まさに王族の気品と余裕である。
「いいえ、そもそもの非は、兄陛下の甚だしいご執心です。十六の少年だったあなたを食卓にも寝床にも侍らせ、歌劇場や行幸にまで伴わせて……あれでは聖人でない限り増長するものですよ。あなたの驕慢を責めるならば、先に兄陛下の度を越した寵愛をお諫めすべきです。わたくしがお諫め申し上げても、耳を貸して頂けず……」
「ではいっそ貴女が、私を飼えばよかったのだ」
「わたくし、イグアナやカメレオンは愛しく思いますが、さすがにバジリスクを飼うほど豪放ではありませんよ」
バジリスクって先生のことなんだろうな……
っていうか先生って、女王さまオーラがある年上の女性がタイプなのかな………
「オニクス。あなたが善き道を歩むのでしたら、過ぎ去った足跡を掘り返すのはやめておきましょう。足跡を刻んだのはあなたであっても、足跡はあなた自身ではないのですから」
ヴェルメイユ枢密卿の瞳に、長い睫が翳す。
その表情を憂いと呼ぶには、あんまりにも艶やかだった。
「十年前、カマユー・カマハエウスさまに引き取られたと伺った時、あなたが善き道に向かうと信じていましたわ。あの方は魔術の徒であっても、聖なる魂を宿した方でした。こたびのご不幸はまさに、導きの星が墜ちるに等しいこと」
ヴェルメイユ枢密卿が神妙な面持ちで、お悔やみを述べる。
わたしとオニクス先生とディアモンさんとクワルツさん(魔狼モード)が、一斉に呻いてしまった。
狂った後を知らんと、そういう評価のままか………
カマユーという星は墜ちたというか、すでに堕ちていた。宇宙の果てに座する光は、時間を経て地上に届く。堕ちていても、星智学の権威の遺した徳はまだ輝いているのか。
「花は枯れて人は死ぬ。星さえいつか滅するものですが、あれほどの偉人がお亡くなりになるのは、痛惜に堪えません」
ヴェルメイユ枢密卿は哀悼を重ねる。
わたしたちの複雑なうめきは、どうやら堪えた哀しみだと思われたらしい。
個人的にはカマユー死んですっきりしてるので、ヴェルメイユ枢密卿に弔意を表されても居た堪れなくなる。温度差がすごい。
「オニクス。あなたがいちばん辛いでしょう。喪に服している姿で分かります」
先生は普段から全身真っ黒魔王さまですよ。
「カマユー・カマハエウスさまの思い出はいくつかあるのですが……」
たぶんそれ、誰も聞きたくないと思うぞ。
普段だったら流しているけど、わたしは気に食わなかった。
ブッソール猊下やスティビンヌ猊下が、カマユーの善良だった時代を惜しむのは分かる。先生が虐げられていたと知って、それでもカマユーを悼むのは理解できた。
だってオニクス先生に非があるわけだしな。
でもヴェルメイユ枢密卿が、カマユーの死を悼んでいるのは不快感があった。いや、不快感はそこじゃない。
先生もカマユーを悼んで当然って態度が、不愉快なのか。
虐待していた側の外面が良くて、虐待されていたことを信じてもらえないのは地雷だ。
でも星智学の老魔術師と、闇の教団の副総帥との因縁は、単純な構図に落とし込めない。悪行の果てに正気を取り戻した先生と、報復の果てに狂気に沈んだカマユー。
なんでこんなに不愉快なのか、自分でも言語化できない。
それでもここで黙っているのは、嫌だった。
「ヴェルメイユ枢密卿。申し訳ありませんが、カマユー猊下は晩節を汚す振る舞いをなさいましたので、わたしはその方の話をしたくありません」
わたしの発言に、ぎょっとした視線が集まった。
「ミヌレ」
真っ先に制止したのは、先生だった。
先生の腕がわたしを引き寄せ、長いマントに包み込む。
「ここは教会だぞ。賢者連盟の恥を晒すな」
オニクス先生が苦々しく呻く。
ごもっともだと納得したので、わたしは口を噤んだ。
ヴェルメイユ枢密卿の顔色を窺う限り、もう色々と手遅れだったかもしれないけど。
「そうですね。本日の話は、プラティーヌが魔女オプシディエンヌに憑依されて、【屍人形】を作成しているという急を要する議題。会議室に参りましょう」
ヴェルメイユ枢密卿は動こうとしたけど、足を止める。床へ視線を落とした。
正確には、わたしの足元にいるクワルツさんへだ。
「申し訳ありませんが、いくら躾けされていても犬の出入りは禁止しております」
「唯一、盲導犬だけは入れるがな」
先生が用意していた言い訳を返す。
「どなたの盲導犬でしょう?」
「ミヌレのだ。彼女の視力は、魔力によって補われているに過ぎん。魔力が切れてしまえば盲人だ。元司祭の診断書がある。それでも疑うならメリス県リュシュ村の教会司祭に確認を取ってくれ。この子は盲人だ。万が一に魔力が切れた場合、この犬にミヌレの安全を委ねねばならん。なに、案ずることはない。躾けの良さなら、私以上だ」
「盲人から杖を奪うことは致しません」
よし、クワルツさんも同行できるぞ。
やったね!
長い長い廊下をみんなで歩いていく。
いつまで続くの、この廊下? 空飛ぶ絨毯に乗ったまんまだった方が良かった気がするけど、それは失礼っぽいよな。
しかしこんなだだっ広い廊下って、廊下って呼んでいいものなのかな。王都の大通りくらい幅がある。露店商を両側に並べられるんじゃないかな。もっと別の名称がある気がする。
天井もすこぶる高いし。
精密な天井画とか壁画とかが増えてきた。
まさに宗教芸術。
観光で眺めてるなら綺麗だけど、天使の視線のなかで生活しているのって息苦しそう。こんなの天使監視社会じゃん。わたしそもそも肖像画系は興味ないから息苦しいって思うのかな?
ここが天国なら、わたしはきっと天国に不向きな人間だ。
「枢密卿。どこまで行く気だ? 禁足域まで入りそうだな」
「御前会議の間です」
ヴェルメイユ枢密卿の小さな呟きに、オニクス先生とディアモンさんとクワルツさんが同時に固まった。
「まさか法王が御臨席するのか?」
「クリスタリザシオン聖下は、終わりなき祈り捧げる御身。ただ会議の内容は伝わると思って間違いありません」
ふーん。
どっかでのぞき見してるとか?
いないふりして会議を見ている系かな?
辿り着いたのは、古風ゆかしい大会議室。
天井近い位置には、巨大な銀の聖印が飾られていた。マルとバツを重ねたかたちが、教会のシンボルマークだ。燻し銀で清楚かつ重厚な空気を重している。
聖印に光を捧げるように大きな窓が並び、聖印からの光を受けるみたいに床に大きな円卓がある。
その円卓には、紫の僧服を纏った大司教さまたちと、緋の僧服を纏った枢密卿が待ち構えていた。
………女性の大司教さまがいない。
おい、こっちは紫のドレスを楽しみにしてたのに、老人ばっかってどういう了見だ!
老紳士しかいねーじゃん!
司教位のドレスも見せろ!
わたしは直立不動のまま、こころのなかで駄々をこねる。
「ミヌレ・ソル=モンド魔術師。敵意はもっていませんよ。ただ魔法と言うものに不慣れですから、わたくしたちも緊張しているのです。どうかオプシディエンヌのこと話してください」
ヴェルメイユ枢密卿がたおやかに、席に着くよう促してくれた。
顔が強張っていたらしい。
軽くほっぺマッサージしよ。むにむに。
「ではご説明します」
ヴリルの銀環を、腕輪から錫杖へと転じさせる。
銀が纏っている光は、不思議な明るさだった。頼りないほど淡いけど、御前会議室にあるすべての濃い影を打ち払っていく。
淡い光が増していった。会議室いっぱいに満ちていく。
錫杖の光が、いつもより広がっている。
いや、錫杖から放たれている光だけじゃない。どこか別のところからも淡い光が溢れている。
わたしは他にあるはずの光の源を、視線だけで探す。
聖印だ。
壁に飾られた聖印も、わたしの錫杖と同じように淡い光を溢れさせている。
ひょっとしてあの聖印も、ヴリルの銀環と同じアトランティスの遺産?
教会総本山にだったら、アトランティス遺産があっても不思議じゃないよな。
とりあえずディスプレイ&ゲーム機召喚。
そして毎度おなじみムービーギャラリー鑑賞会!