第八話 (後編) 魔女狩りはテスト範囲です
オニクス先生は、いつもの魔王ルックだった。
鴉を模した仮面には【乱鴉】、蜥蜴の杖には【恐怖】と【睡眠】etc.………外している呪符は【隕石雨】のみである。
わたしは呪符は見せない方がいいかな~って悩んでたってのに、先生は変わんないんでやんの。
「……先生。これからどこに行くかご存じですよね」
「馬鹿と無学の集会所の運営本部」
う、うわ……
真顔で言い切りやがった。
総本山まで来たってのに、このひと、普段のスタンス崩さねぇな。
「なんだその顔は。教会は馬鹿と無学の集会所とはいえ、運営している枢密卿らは馬鹿と無学ではないのは知っている」
「そういう問題ではなくて、あの、わたしたち、オプシディエンヌの件で協力をしに行くんですよね……?」
先生が平然としているから、わたしの方が不安になってきた。
協力のための話し合いだよね?
戦争じゃないよね?
「【隕石雨】は持って行くつもりはないぞ」
「当然ですよ」
「他の攻撃呪文は、闇魔術だけだ。夜にしか発動せん」
いや、魔術を使わないって主義主張を大事しているひとたちのおうちに招かれているのに、そうやって露骨に呪符を輝かせているのはいかがなものかという話だぞ。
エチケットやマナーの本質って、相手への尊重だぞ。
「ミヌレちゃん。ニックの服装を指摘されると、アタシも着替えなくちゃならないじゃない」
ディアモンさんが空飛ぶ絨毯を広げながら嘯く。絨毯が広がっていく音そのものが、溜息に聞こえたのは気のせいだろうか?
着替え?
ディアモンさんが?
「………ディアモンさんの服のどこに問題が?」
慎ましい縦襟のワンピースドレスだ。
喉元も手首も詰まった慎ましさに、色合いも落ち着いた紫だもの。刺繍はたっぷり入っているし金糸も使われているけど、豪華絢爛ってほどじゃない。異国の礼装っぽさがある。艶があるのはオパールのショールくらいだ。
教会向きってわけじゃないけど、不適切ではないよなぁ。
首を傾げて、三秒後。
「あっ、異性装か!」
慣れてて忘れてた。
異性装を処刑対象から外して、二百年しか経ってないもんな。
「教会からすると、アタシは異性装してるらしいのよね」
そっか~、これから呪符装備満載の魔術師と、異性装してる魔術師と、教会に行くのかぁ~
さっきまで服装で悩んでたの、何だったんだろ。
「服装規定を云々と論じるなら、そこの怪盗が最も問題ではないか?」
先生の指摘に対して、クワルツさんは魔狼モードになる。漆黒の毛並みを持つ狼だ。
「クワルツさんはライカンスロープ化するのでいいんですよ。先生の身なりは敵対行為っぽいじゃないですか……」
「ミヌレちゃん。アタシはね、ニックの装備の仰々しさも分からなくもないの。やっぱり教会勢力内で、丸腰なんて御免こうむりたいものよ」
「…………」
わたしにとって魔女狩りはテスト範囲に過ぎない。
習った歴史。
本からの知識。
すでに遠くに過ぎ去りてしまったもの。
だけどディアモンさんにとっては、そうじゃないのかな。
魔術師は魔術師の社会じゃないと生きづらいとか、以前、言ってたしなあ。
「さ、準備できたわよ」
ハッチが開く。
魔導航空艇を直接、総本山までは下ろせない。
だから魔導航空艇は上空で待機してもらって、わたしたちはディアモンさんの空飛ぶ絨毯で降下するのだ。
わたしたちは絨毯に乗り、エグマリヌ嬢に見送られて空へと飛んだ。
「【飛翔】した方が早そうだな」
「ニックはそれでいいでしょうけど、出迎える方が発見しにくいじゃない。そもそもアナタが単身で飛んでいたら、悪魔が来たと思われるだけよ」
辛辣である。
だが納得するしかない。
教会の周りをオニクス先生が飛んでたら、間違いなく悪魔の来襲だって思われるわな。
空飛ぶ絨毯で、冷たい雲の中を降りていく。
【庇護】かけてても、わりと寒いな。
そう思った瞬間、【胡蝶】がわたしのヴェールになってくれる。ヴェールの内側に、魔狼モードのクワルツさんが入ってきた。盲導犬っぽく寄り添ってくれる。
そういう社会的な馴染み具合では、犬って便利だよね。いや、狼なんだけどさ。
狼だったら盲導犬のふりができるけど、マンモスやサーベルタイガーじゃ無理だもの。
風は冷たいけど、甘えかかるように柔らかく吹く。雲が途切れてきた。
総本山が輪郭をはっきりさせてくる。
「わぁ………」
眼下に広がる光景は、萬丈の山と千仞の谷。
切り立った山の隙間に、礼拝堂や大聖堂が張り付いている。
谷間の雲は流れゆき、日陰の雲は溜まっている。あたかも雲が織りなす渓流と湖、霧散しながら凝結する天の水世界だ。なんて神秘的なんだろう。
「キュストード市国………神にいちばん近い国」
「あるいは地獄にもいちばん近いのかもしれんな」
オニクス先生の冷笑は、総本山のご威光の前でも翳らなかった。翳れよ。
「あの細長い塔は鐘楼でしょうか?」
ひときわ高い山の上に、細長い塔が建っている。針みたいだ。
「法王の住まいだな」
「魔術無しであそこに暮らすのは、不便ですね」
「まず滅多に降りないから、さほど不自由ではあるまい」
人身御供だと思ったけど、暮らしているところを目の当たりにするとますます生贄っぽいな。
食事とかの上げ下げは、人力の配膳エレベーターでも使ってんのかなあ。
空飛ぶ絨毯が下降を続ける。山間の日差しが極彩色に輝いていた。
「ステンドグラス!」
薔薇模様のステンドグラスだ!
ロリケール大聖堂より大きいステンドグラスだぞ。
こんな山と谷しかない地で、あんな壮麗なステンドグラスを組むなんて、足場はどうしてたんだろう。教会建築って【浮遊】も【防壁】も使わない。魔術無しで建てる独特の建築方法で、足場組みが必須なはずだ。
「こんな難所に足場組んで、あんなでっかいステンドグラスを嵌めたんですか?」
献身と知恵があっても、魔術抜きって信じられない。
でもそれを成し遂げたんだ。
「たしかに魔術は抜きだが、人間のちからだけでは無い。騾馬だの驢馬だの……それから」
先生の言葉が呼び水になったのか、空に大きな影が現れた。
飛竜ワイバーンだ!
硬質な空を滑り、空飛ぶ絨毯に急接近してくる。
野生じゃない。
飛竜には装具がついているもの。背中には誰かが跨っていた。緋緞子と金細工の鮮やかな手綱を握っている。
「聖竜騎士か。教会の聖騎士団のなかでも最精鋭の騎士だ」
教会の聖竜騎士。
身を乗り出してみたけど、遠すぎてマントのはためきしか見えない。
「賢者連盟のご使者。わたくしが案内します」
凛とした声を発したのは、女性だった。
威厳がある年嵩の女性の声。声質は似てないけど、学院長を連想してしまった。声の雰囲気から察するに、規律に厳しそうなタイプだぞ。
「女性の聖竜騎士さまもいらっしゃるんですね」
「………」
先生は酷いしかめっ面のまま、飛竜ワイバーンを睨みつけていた。どうしたんだろう。
飛竜ワイバーンの誘導に従って、おっきなテラスに到着する。
天井の高さが、おかしい!
六階建ての建物が入るくらいの高さがある。飛竜ワイバーンごと入れるんだから、そりゃこんくらいの高さは必須か。
「聖地キュストードへようこそ。魔術師の方々」
飛竜ワイバーンの鞍から降りて、無骨な防寒マントを外した。
マントの下から現れたのは、金髪の巻き毛と猩々緋のドレス!
緋のドレスはシンプルかつ豪奢なの。マントから袖からスカートまで猩々緋なんだけど、純白のボディスがアクセントになっている。真っ白いレースをスカート部分に垂らしていて、軽やかな質感を足しているから単調になってない。
鮮やかだけど、奥行きというか深みがあって上品だ。
ひょっとかして本物の猩々の血から、シルクを染めているのかな。東方にしかいない魔獣、猩々の血はこの世でいちばん綺麗な緋の染料が採れるもの。
………あれ?
そういえば教会で緋って言ったら、枢密卿の装いだよね。
法王聖下の次に偉い階級だ。
あっ、この猩々緋のドレスって、ひょっとかして女性枢密卿の正式な僧服か!
確かに高位の聖職者、大司教とか枢密卿って豪華な僧服だもんね。婦人用ならドレスに匹敵するね!
このドレスの素敵さだけで、教会への好感度が上がる!
「はじめまして、ミヌレ・ソル=モンド魔術師。わたくしは枢密卿ヴェルメイユ。騎士聖省の卿も務めています。対立の歴史を越え、この聖地にお招きできたこと喜ばしく思います」
女枢密卿は古風な顔立ちをしていた。年齢はわたしの母親くらいなのに、纏う雰囲気は何百年も熟させた威厳だ。
化粧はしてないけど、目尻と唇は緋色。膚の色が透けているから、血管の色彩が咲いている。
こめかみには白髪がちらほら混ざっているけど、金鍍金された純銀みたいでむしろ気品が増していた。
いにしえの女王さまの肖像画が、動いて喋っているみたい。
わたしは『臈長けた』って単語を知ってたけど、想像できなかった。今日やっとその単語が、形になって目の前にいる。臈長けた、ってまさにこの貴婦人を表しているんだ。
こういう古風で威厳ある貴婦人に、絢爛なドレスはぴったりだ。これだけ緋の主張が強いドレスを着る以上、ドレスに見合った気品や威厳がないと、けばけばしくなっちゃうもんな。
おっと、ドレスに見とれてないで、礼儀正しくご挨拶しなくちゃ。
わたしは呼吸を整え、一歩踏み出す。
動けば纏っていた【胡蝶】たちが羽ばたき、あたりに散って消えていった。石造りの空気が、わたしの頬に触れる。
「はじめまして。ミヌレ・ソル=モンドと申します」
優雅なカーテシーを目指し、頭を下げる。
よしよし。こんな感じでいいかな。
わたしの頭上に溜息が落ちてきた。
オニクス先生からだ。
なんだ? わたしの挨拶、出来が悪かったのか。
「久しぶりですね、オニクス。兄の葬儀以来かしら?」
ヴェルメイユ枢密卿はたおやかに微笑み、オニクス先生へ手を伸ばす。
先生はその手を取り、頭を下げた。
それだけでもわたしの心臓を硬直させるのに十分だけど、さらに先生ときたら枢密卿の手の甲に口づけをしたのだ!
宮中みたいな振る舞いだ。
「……枢密卿、か。聖ガラリト修道院の院長になっているのは聞き及んでいたが」
「欠員が生じたため、つい先日、枢機卿を拝命したのですよ」
知り合いなん?
わたしが疑問の凝視を突き刺すと、先生は隻眼を僅かに眇めた。
「先々代の第一王女だ」
「………ぷぇ」
「補足すると、先代エクラン国王の妹で、公爵殿下の姉にあたる王族だ」
脳内に浮かぶ王室家系図。
先代国王ピエール18世の妹で、ディアスポール公爵の姉。
つまりプラティーヌ殿下の伯母じゃん!
王族女性って結婚しなかったら、修道院に入るって設定……じゃなくて伝統は資料集で読んだ。でも尼僧になってるもんだと思ってたよ。枢密卿まで成り上がるパターンがあるのか。
これ、オプシディエンヌ討伐に協力してもらえるんかな。
めっちゃ不安………