第七話 (後編) 魔法空間は何番地?
わたしは野外ホールにいた。
現代風でも古代風でもなくて、中世風の木造野外ホール。木造円形場って言うのかな。
屋根付きの立派な舞台があった。彩色された柱が屋根を支えて、緞帳が垂れさがっている。
観客席も屋根付きだ。三階建てのてっぺんに茅葺屋根が葺かれていて、ぐるっと丸く舞台を取り囲んでいた。
そんで観客席のいちばん下は土間だ。剥き出しだけど固く踏み固められた土の地面に、藺草と香草が撒かれている。藺草が床に散らばってると中世っぽいよね。
外でも中でもない造りになっている建物。
現実の場所じゃない。
だって空に浮かんでいる光は、月でも太陽でもないもの。茫洋としているのに、太陽より大きな光の球だ。黄昏なのか黎明なのか分からない。それになんとなく色彩が銀灰色にくすんでいる。銀板写真の世界に入り込んだみたいだ。
でも、誰の魔法空間だ?
先生と、クワルツさん、ディアモンさん、エグマリヌ嬢、そしてスティビンヌ猊下。全員の魔法空間に跳んだはずだ。
じゃあもしかしてわたし、どっか遠くにいる知らない誰かの魔法空間に入り込んじゃった?
寒気がしてきた。
自分が迷子だって気づいた時の心細さが、犇々と骨を軋ませている。
戻らなくちゃ。
早く、早く、自分の肉体に。
でも、どうすれば戻れるんだろう。
出口が分からない。
舞台の幕は重く垂れ込めているし、出入り口は封鎖されている。錫杖でも破壊できない。
閉じ込められてる?
あれ? これ、どうしよう………
なんかゲームが詰んだ感覚があるぞ。
瞬間、引っ張られてる感触した。
「ふぎゃっ!」
やだ。どこに引っ張られる?
抵抗したけど、ぐんぐんとどこかに落ちていく。
「ミヌレちゃん」
「ふへっ!」
目覚めた場所は、展望台だった。夜明けから未だ遠い星明かりと、護符の【光】も灯っている。
その冷光を受けていたのは、ディアモンさん。
すぐ隣ではエグマリヌ嬢が穏やかな寝息を立てている。
ここは現実だ。
やっと、現実空間に戻ってこれたんだ……
「無断でレディの寝室に入ってごめんなさいね。幽体離脱で迷子になりかけていたから、銀の紐を引っ張らせてもらったわよ」
「お手数おかけしました……」
わざわざ起きて、様子を見に来てくれたのか。
「あの、魔法空間があったんです。知らないひとの、誰もいない魔法空間………」
「そんなに外まで飛んではなかったはずだけど? アナタの糸を繰って、すぐに手ごたえがあったもの」
ディアモンさんが首を傾げる。
このひとは高位の魔術師。しかも糸の扱いにかけては、師をも凌ぐって師匠本人に太鼓判を押されたひとだ。その感覚は信頼できる。
ってことは、わたしは遠くに飛んでいないんだ。
「では密航者でしょうか?」
根拠のない思い付きに、ディアモンさんの柳眉が微かに顰められた。
「………無いとは思うけど、一応、スティビンヌ猊下にお尋ねしてくるわ」
「わたしも行きます」
「エグマリヌ嬢が起きた時ひとりだと、きっと心配するわよ。アナタがまた暴走してどっかいったんじゃないかって」
わたしが常に暴走してるみたいじゃねーか。
否定できねーけど。
お布団にもぐる。包み込んでくれる温度は心地よいけど、眠りを連れ戻してくれなかった。カーディガンに袖通して、物音でエグマリヌ嬢を起こさないように、螺旋階段を降りる。
給湯室だ。
わたしはお湯を沸かす。狭い空間に、たちまち広がる湯気。
あの魔法空間は誰のものだったんだろ。
銀版写真色した中世風の野外ホール。
仮説そのいち わたしが遠くまで幽体離脱。
仮説そのに 密航者がいる。
仮説そのさん この魔導航空艇の外に誰かが飛んでいた。
考え込んでいると、ディアモンさんが冷気の残滓を纏ったまま戻ってきた。豊かな髪には、氷の粒が残っている。
夜明けの空気で冷え切った手に、暖かいハーブティーを渡す。
「密航者はいなかったわよ。空飛ぶ絨毯で外まで確認したけど、魔術師の反応はなかったわ。スティビンヌ猊下に報告してからだから、即座ってわけじゃないけど」
だったらもし魔術師が近くを飛んでいたとしても、わたしに接触されてすぐ消えたのかな。
「ミヌレちゃん。仮説がもうひとつ立てられるわ」
「なんでしょう」
「純粋に夢を見た」
「うーん」
反論が言語化できないけど、魔法空間っぽかった。
芝居。舞台。演じる場所。狭い空間。変わる背景。大道具。
わたしの降りたあの野外ホール。
まさか……
「ディアモンさん、「子供の頃から、何度も見る夢が己の魔法空間」って言ってましたよね」
「ええ。仮説のひとつにすぎないけどね。でも信憑性はあるわ。アタシも小さな頃によく見ていた夢が、魔法空間化しているから」
「わたしは1000周予知夢した部屋が、魔法空間なんですよ」
その仮説は、わたしにも合う。
「だったら先生の魔法空間って不思議ですよね」
「ニックって、器用に空間を変えられるのよね。でも可変率がやたら高い魔術師もいるから、別に変じゃないわ」
「いえ、先生も元予知発狂者ですよね。その時に繰り返した予知夢の形態は、芝居でした」
王立オペラ座で聞いたことがある。
先生の多重予知のかたちは、芝居だったって。観劇するたびに結末が変わる芝居。
「なら魔法空間のかたちは……」
わたしは給湯室を飛び出して、居間に入る。
まだ先生とクワルツさんはまだ眠っていた。微かな寝息だけが聞こえる。
足音立てないように空飛ぶ絨毯に飛び乗り、わたしは星幽体で先生に飛び込んだ。
仮説を思いついたら、まず実践だ。
仮説そのご
あの野外ホールは、先生の魔法空間の一部。
「オニクス先生っ!」
わたしが飛び込んだ闇の中、先生はまだマントぐるぐる芋虫だった。その奇行、続行してたのかよ!
「先生の魔法空間って、芝居小屋なんじゃないですか?」
「なんだ、唐突に?」
「ペンと紙を貸してください!」
わたしが叫ぶと、先生の魔法空間が職員棟の私室に変わる。書き物机の上で、フルスキャップ紙にさっき見た劇場の光景を描いていく。
「先生が予知発狂していた頃に見た芝居って、こんな感じの中世風野外ホールでしたか?」
紙を突き付ける。
芋虫状態だったけど、マントがぬらりと広がった。芋虫から蛾に変化したみたいだ。なんかあれを思い出す。『幻獣解体新書』に載ってたミミックオクトパス。墨が【幻影】の魔術インクになる蛸。
マントの下へと引きずり込まれるフルスキャップ紙。
「……そうだ。これだ。私は小遣いを握って、この芝居小屋に通っていた。いつも売店でドライフルーツの詰め合わせを買って、私の未来が上演されるのを、他人のように眺めていたのだ。だが壊された」
「壊された?」
魔法空間って壊れるものなの?
「我が師ラーヴだ」
告げられた名前に、背筋が伸びる。
この大陸を支える偉大な竜のお方だ。
わたしの脳裏に、千年前の砂漠で『星蜃気楼』が壊されていく光景が過る。ラーヴさまの尾によって、魔術も物理も効かない『星蜃気楼』の外壁が破壊されたのだ。
ラーヴさまって魔法空間が具現化してなくても、破壊できるのかよ。
出来そうか出来なさそうかで言ったら、間違いなく出来そうだけどさ。
「私の予知発狂を癒すため、我が師は偽りの世界である芝居小屋を毀したのだ。この地獄じみた世界こそ、私の現実だと知らしめるために」
「でもあるんですよ。さっきわたし視ましたもの!」
わたしはヴリルの銀環の錫杖化し、霊視をする。
先生の魔法空間は、薄紙に包まれているみたいだ。
「とぉっ!」
錫杖でぶん殴る。
明るいオレンジ色の火花が散って、わたしが跳ね飛ばされる。
うっすら波紋していくのは、暖かなオレンジ色だ。
触れたくて、でも近づくのは怖くて、眺めているとほっとする。大きな焚火を眺めている気分。
この感覚はどこかで見た記憶がある。
「……これ、偉大なる竜のお方のちからですよ!」
「我が師のお力?」
先生はやっとマントから顔を出し、己の魔法空間の壁に触れる。
「師に砕かれた世界が、ここに、あるのか?」
「壊したのは、ブラフ?」
「回復したかもしれん」
「封印されてるんでしょうか」
仮説はいろいろ立てられる。
ラーヴさまに事情を伺えば早い。
のだが………あの方が目覚めると、地震ときどき国家滅亡って感じだしな。最悪、大陸崩壊するもの。絶対に起こせない。
「ところで先生。ずっと昔、先生がわたしの予知発狂を癒せなかったら、竜のお方に診てもらうとか言ってましたけど、ラーヴさまを起こすつもりだったんですか」
「きみを安心させるつもりで、本気で起こす予定はなかった。お目覚めになれば、きみを挨拶させようと思っていたが」
「そうなんですか。でもその魔法空間クラッシュ式治療、喰らわなくてよかった」
心底ほっとするよ。
わたしの正気を蘇らせるためでも、あのおたくの小部屋を破壊されたら泣いちゃう。
「っていうかクラッシュ式治療って、大雑把過ぎませんか? 癒すって言葉から乖離しまくってますよ」
「我が師の魔法は、我が師でさえ御せぬほど大いなる力なのだ」
そりゃたしかに繊細なの苦手っておっしゃっていたけどさぁ、ラーヴさまご本人も。
でも己の大きな力を制御できなかったら、なんというか………
「天災ですよね」
「地震だからな」
「そうですね」
最初から竜のお方は、大いなる災厄だ。
地球に五度の大絶滅を齎したお方。
傅き敬いて祈る対象であっても、けして縋りて願い乞う存在ではない。
賢者連盟があのお方に冠した異名は『邪竜』。
けして的外れではない忌み名なのだから。