表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
244/502

第六話 (後編) ダイヤモンド・ダンス


「わたし、呪符を作りに行きますね」

「頑張ってね」

 エグマリヌ嬢に見送られて居間に戻れば、ディアモンさんが呪符を作る用意をしてくれていた。

 真新しい硝子器具たちが、護符からの【光】を含んで浅く輝き、淡い影を落としている。学院の魔術実技室の空気を思い出した。

「まず臨書しましょう」

 整えられた机と椅子。

 丁寧に準備された道具。

 そしてわたしが練習できるように、ペンと物理インク、粘板と蝋石が用意されていた。

「ちょっとした恐怖ですね」

「恐怖?」

「今まで呪符作り、エクストリームだったんですよ。わたしが呪符作ったからって、この魔導航空艇、墜落したりしませんよね」

「あらあら。だったら空飛ぶ絨毯を敷いて、臨書しましょう」

 根拠のない不安に、ディアモンさんが空飛ぶ絨毯を敷いてくれた。

 単純で確実な対応。

 逆に不安がっていたのが馬鹿々々しくなった。

 いつもいつも呪符作りがエクストリームだからって、今回もそうとは限らないよね。うん。

 わたしは臨書する。

 普通、新しい呪符や護符を作る前に、呪文を習字するのだ。宝石に書き損じたら、発動しないもの。

 まずはインクとペンで綴りを覚える。慣れてきたら、宝石に書く感覚に近い粘板に蝋石。それが臨書。一年生の一学期の実技は、こればっかりだったな。

 フルスキャップ紙にさんざん練習する。

「現代の術式と随分違いますね。中世に作られた術式ですか?」

「実はねこれ、アヌパダカなのよ」

「アヌパダカ」

 まったく知らん魔術用語だった。

「星智学分野の用語。本来は『親無し』という意味でね、原因という親無くこの世に生じた存在のことよ。この魔術はパリエト師が解析したの、ミヌレちゃんの持っていた手鏡に嵌っていた呪符からね」

 過去に流れ着いていたブッソール猊下の手鏡。

 その手鏡をシッカさんが発掘して、呪式解析して、賢者連盟で再現したのか。

「ん? 開発者いないぞ?」

「だから親無し、アヌパダカよ。アヌパダカって概念は星智学で学ぶ範囲だけど、その存在は因果超越存在だから邪竜に匹敵する機密なの。宇宙アヌパダカ論からすれば、この世界そのものがアヌパダカらしいけど。「宇宙にはじまりがあった」という学説を主張している星智学者がいるの。宇宙はある瞬間から誕生した。無から有が生じない。ならば無の領域に、有の種子が時間跳躍した。そういう感じの学説」

 ディアモンさんが語る星智学に耳を傾けつつも、粘板に蝋石で呪文を綴る。

 難しい授業されながら、手元で作業するの捗るなあ。 

 臨書を終える。

 さて、お次は本番だ。

「採血器があるってことは、魔術インク、術者本人の血ですか?」

「そうなの。魔術インクは術者の鮮血に、天の川の砂鉄。媒介は術者の髪よ」

「天の川の砂鉄を使うの、初めてです」

 砂鉄は真っ黒だけど、内側から光が明滅しているみたい。闇なのか光なのかあやふやだ。

 これこそ天の川の底で揺蕩う砂鉄。これには、星光気を引き付ける作用があるのだ。

 オニクス先生の呪符【隕石雨】も、この砂鉄入り魔術インクを使用している。

 星に満ちる星光気も、人に宿る星幽体も、分解されれば同じものだからな。それらを引き寄せる魔法法則を、魔術に組みかえるのだ。

「ディアモンさん。天の川の砂鉄って、どうやって採取しているんですか」

 天の川っては、時間障壁から出られなかった星の群れだ。

 土星の外側に流れている。

「カマユー猊下が定期的に採取していたのよ」

「じゃあもう供給無いんですか」

「しばらくは無いわよ。そのうち木星まで単身赴任してくれる魔術師が見つかれば、採取再開できるでしょうけど」

 木星に単身赴任って辛いな。 

 孤独な任務だ。

 カマユー猊下は長距離幽体離脱できたから、ちょいちょい月や地球でのさばっていたけどさ。 

 手元にある砂鉄を睨む。

 貴重なのは分かっていたけど、供給が困難って言われたら、貴重さが骨身に染みてくる。

 自分の鮮血に、天の川の砂鉄を混ぜる。ほんの微量だけど、砂鉄に反応したのか血が鮮やかになった。くるりくるりと硝子棒を回していれば、指先に魔力的な負荷が伝わってくる。

 わたしは前髪の一部を、さくりと切る。

 オプシディエンヌに切られたところを切ると、あの時の苛立ちが生々しく蘇る。

 自分の髪に、自分の血を浸し、ダイヤモンドに呪文を綴っていった。

 魔術安定したかな?

「アタシ、これを遠くに置いてくるから」

 ディアモンさんが呪符を離れた場所に置いてきてから、わたしは【幽体離脱】する。

 視界を閉ざせば、ダイヤモンドの輝きが視える。

 それはまるで、暗黒の海にたったひとつ輝く北極星。永遠の指針。

 星の導べを目指し、跳んだ。

 次の瞬間、目の前の風景が夕焼けの雲海になっている。

 いや、わたしが外に跳んだんだ。

 見るものまで燃え尽くすような茜色だ。不死鳥の羽ばたきが、世界を覆いつくしたみたい。

「ミヌレ」

 この世でいちばんわたしの愛する声がした。

 魔導航空艇の昇降舵、そこの翳りには漆黒のマントが暴風に弄ばれていた。オニクス先生だ。夕暮れにマントを棚引かせる姿は、一足早く訪れた夜のよう。

 大きな手には、ダイヤモンドが握られている。

 まるで一番星。

 一足早い夜と、一番星。

「ミヌレ。五感は正常に機能しているか? 普段との齟齬は?」

「感覚がぼんやりしています。意識はしっかりしている寝起き……いえ、逆ですね。夢の中で、夢だって自覚している感覚に近いです。うーん、というか、見ている夢が現実だとしっかり認識している状況でしょうか」

 今の自分の感覚を、言語化していく。

「成功だな。つまりきみの星幽体は、正常に機能しているということだ」

「そうなんですか?」 

「ああ。見事なものだ。きみは時間も空間も思いのままだな」 

 思いのままにならない相手に言われてしまった。

「ヴリルの銀環は、きみの腕に『在る』のだな」

「うい」

 わたしの手首には、ヴリルの銀環が存在している。

「アトランティスの時空連続存在結晶体か。在り方に時間と空間の干渉を受けないとはいえ、星幽体に対しても連続存在しているのは興味深いな。エーテリック領域まで連続時空体なのか」

 先生はわたしとかヴリルの銀環とか、【星導】を観察する。

「ミヌレ。一旦、肉体に戻るといい。肉体に依らないと星幽体が消耗する。練習ならいくらでも付き合うから」

「ういうい」

 わたしは頷いて、肉体へ戻る。

 でもふらふらして難しいな。

 自分の星幽体でも、思い通りにならない。

 つい手足をばたばたさせるけど、周囲に干渉できないから無駄なんだよね。アクションゲームでコントローラーを振り回しちゃうひとみたい。

 自分の肉体へ帰還した。

 傍らにはディアモンさん。

「うまくいったみたいね。もう何度か練習できそうかしら?」 

「ういうい!」

 先生の持っている【星導】と往復する。

 よしよし、コツを掴んできたな。

 【水中呼吸】の時もそうだけど、わたしって結構、上達早いな。ふふん。

 そう思った瞬間、がくんと落ちる。重力に干渉されないのに、落下していた。展望室の前まで滑り落ちる。

 おっと、気を抜いちゃだめだな。

 分厚い窓の向こう側に、エグマリヌ嬢がいた。あとクワルツさんも。

 ふたりでお喋りしてるみたい。

 仲良くなったのかな?

  

「ほんとうはミヌレと学院に戻りたいんじゃないんだ」


 ふえっ?

 ど、どういうこと?

 まさか学院でなにかあったの?

 エグマリヌ嬢の陰った声に、無いはずの体温が低下していく。星幽体の記憶している肉体感覚器が、わたしを奈落に叩き落してきた。


「戻るんじゃなくて、進みたい。ミヌレの進む道を見守って、いざとなったら食い止めたいんだ」

「食い止める、か」

「約束したんだ。ミヌレがオニクス教師のようにならないために、邪悪な道へ踏み入ったらボクが全力で止めるって」

 ああ、空中庭園でそんなこと話した記憶があるな。

 覚えていてくれたんだ。

 そう言ってくれる友人がいるってだけで、わたしは十分、心強い。

 実行できるかどうかは、また別の話だ。できなくてもわたしとエグマリヌ嬢は友達だぞ。

「だから騎士として鍛錬を怠らず、攻撃呪文だって身に着けた。ボクは強くなりたい。一角獣に守られる乙女じゃなくて、並び立てる戦乙女になりたかった」

「ふむ。では叶っているではないか。きみは不死鳥にも臆さず戦える戦乙女だ」

「足りない!」

 裂帛が響く。

 硝子越しのわたしにまで、振動が伝わってくるほどの叫びだった。

「………全然、足りない。ミヌレはボクの思ったより、ずっと遥か先に進んでいる」

 わたしは魔力ほぼ無限ってチート能力に、ヴリルの銀環ってチートアイテムが加わってるからなあ。

 そのチートが先に進ませてくれているだけだ。

「さりとて戦う力だけが、誤ったものを引き止められる力ではない。日常に居て、日常へと引き戻してくれる友人は、掛け替えのないものだぞ。それでは駄目なのだな」

「駄目だ。ボクが騎士を目指したいって言った時、周りのひとたちは代替案を出してくれた。騎士団所属の治癒魔術師はどうか、剣術の師範はどうかと。でもそれはボクの目指したい道じゃない」

「将来の夢は妥協せんでもいいが、人間関係は望み通りにはならんぞ」

「……それでも、ボクはミヌレに置いてけぼりにされたくないんだ」

 盗み聞きしているの、罪悪感が募ってくる。

 わたしは一旦、先生のところにとんぼ返りした。

「先生。幽体離脱の練習、そろそろ休憩します」

「頃合いだな」

 わたしは速攻で肉体に潜り込む。最短記録だ。

 勢いよく跳ね起きる。

「エグマリヌ嬢のところに行ってきます!」

 全力ダッシュで螺旋階段を駆けてるけど、マジでノープランだ。

 意気消沈してるエグマリヌ嬢の力になりたい。どうすればいい? まったく分からん!

 ついにノープランのまま、展望室に戻ってきちゃった。

「エグマリヌ嬢……あの、幽体離脱の練習、終わったから、エグマリヌ嬢と遊ぼうかな~って……」

「ありがとう」

 そうは言ったものの何して遊ぼう。

 だって魔法を使っちゃうと、またエグマリヌ嬢がへこむかもしれないし。

「ミヌレくん。エグマリヌ伯爵令嬢からワルツを習ったらどうだ?」

「そうですね!」

 身体を動かせば、悩みがひととき遠ざかるかもしれない。

 わたしはコントローラー操作して、音楽を流す。王宮舞踏会に流れるヌエメットだ。

「幽体離脱はうまくいったのかな?」

「まだディアモンさんの補助がいりますけど、慣れてきました」 

 わたしたちは踊りながらお喋りする。

「ミヌレは今、どのくらい呪文会得したんだい? 【浮遊】と【水】と、あと【庇護】、【防壁】、【水上歩行】だよね。それから【一角獣化】も」

「この銀環に結んでいるのが【閃光】、ピンブローチは【土坑】です」

「目つぶし落とし穴だね」

「あとは………【水中呼吸】です」

「欲しいっていってたもんね。じゃあうちの湖に遊びにくるといいよ。うってつけの行楽になるね。あれ……【水中呼吸】って真珠がふたついるよね、持ってた?」

「ぅ、ういー」

 あんまり人外じみた振る舞いすると、またエグマリヌ嬢が萎んじゃうかな。

 でも隠しておくのも嫌だしな。

 わたしは耳朶から、真珠の耳飾りを浮かばせる。

 カリュブディス水支柱渉りで作った呪符だ。

「体内に収納できるの?」

「ほんとはしちゃだめなんですよ。これやると後天的に経絡が増加して、魔力負荷がかかるらしいです。わたしは魔力ぼぼ無限なので、例外的に平気なんですが」

「………便利だね」

 エグマリヌ嬢はちょっと言葉を探してから、無難な発言をしてくれた。

「ボクはね、次、【氷障】を作る予定なんだ」

「おや。意外ですね」


 水属性防御系【氷障】。

 【氷壁】と違って、物理防御力は一切無い。

 これは非結晶の氷を空間に飽和させて、魔術干渉を弱める対魔術用防御壁だ。

 魔術って、宝石みたいな結晶質や潜晶質には干渉しやすい。魔術鉱石学の基礎だ。

 逆に硝子とかの非晶質には、干渉しにくい性質がある。

 結晶していない氷の粒を無数に生じさせて、魔術をジャミングするのだ。自分の魔術もジャミングされちゃうけど、エグマリヌ嬢はレイピアも優れているから問題ない。

 【静寂】はまだ詠唱してない魔術を阻害するけど、【氷障】は発動後に阻害できる。

 でもこの呪文、予知でエグマリヌ嬢は習得しないはずだったよな。

 一年生で【水】【氷壁】、二年生で【鏤冰】【水鏡】、三年生【伐氷】【凍結】【沃雪】。そんで四年で【霧氷】【雹弾】、五年【霓竜】【絶対零度】。サフィールさまとの特殊イベントを経て、水属性最強攻撃呪文【海嘯】を習得するはずだ。

 エグマリヌ嬢はオプシディエンヌの干渉があるから、騎士団に騎士見習いとして属したり、かなり予知と変わっているもんなあ。

 取得する呪文が変わってもおかしくない。

 【氷障】かあ。

 魔術師との白兵戦用の防御魔術には、適している。レアケだけど。

 ………エグマリヌ嬢の仮想敵、もしかしてわたしでは?

 いつかわたしが道を踏み外した時のため、呪文を用意してない?

 すごいな。

 わたしは先生と対峙する可能性を、考えもしてなかった。先生から与えられた言葉が指針だった。なんて馬鹿な子供だったんだろう。甘え切っていたんだ。

 だから、砂漠であれだけ苦しむ羽目になった。

 サフィールさまは「愛するものと対峙したとき、それは誰かの手助けでなく己でしか対処できない」とおっしゃっていた。

 敵と戦うことや、愛するものを守るなんて簡単だ。

 ほんとうに大事なのは、愛する相手と対峙する時。

 誰かを愛した時、その相手と戦う覚悟を決めるのは、とても思慮深くて気高いと思う。

 わたしと戦う可能性を視野に入れて、呪符を揃えていくエグマリヌ嬢が、愛しい。

 わたしとの関係を切り捨てないってことだから。

 善き処へ引き留めるために、悪しき道に立ち塞がるために、エグマリヌ嬢は力を得ようとしてくれる。

 友人じゃない。

 親友だ。


 

「【氷障】は意外かな?」

「いえ、レイピアが使えるエグマリヌ嬢には相応しいです。でも先に【沃雪】とか【伐氷】を習得されるのかなって思ってました」

「雪下ろし用の魔術か。そこらへんの呪符も作ると便利だけど、おじいさまが嫌な顔をされる。「伯爵家として相応しい魔術だけを習得するように」って絶対に反対なさるんだよね」

 ああ、魔術そのものに階級差があるものな。

 【浮遊】とか【土坑】あたりの土木工事に重宝されている魔術は、見下す魔術師がいるんだよ。

 エクラン王国って、マジでなんにでも階級差を付けるけどさあ。スポーツにしても、お酒にしても、ペットにしてもそうだ。

 魔術に貴賤ランク付けられるのは、ほんと腹が立つ。

「でもミヌレだって【土坑】習得したし、ボクも【沃雪】を取ろうかな」

「そうですよ! 魔術に貴賤はありません! 雪道軍行に使用するって言い張っちゃえばいいんです!」

「いいね。その言い訳はアリだね」

「エグマリヌ嬢。次、雪下ろしするときは、わたしが【浮遊】でお手伝いします」

 わたしが意気込むと、エグマリヌ嬢の笑顔にえくぼが浮かんだ。

「雪下ろしが楽しみだ」


 緩やかなヌエメットが満ちる展望室。

 夜空の星たちが、ダイヤモンドみたいに輝いている。


 わたしは星に祈る。

 人間は誰だって譲れないものがある。許せないことがある。価値観もいろいろ、優先順位もそれぞれ。どれほど親しくても、違う道を歩んでいく。

 ……それでも、エグマリヌ嬢と戦うことがありませんように。

 ずっと踊っていられますように。

 こめかみが痛くなるくらい、星に祈った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ