第六話 (前編) ダイヤモンド・ダンス
「キュストード市国への到着予定はいつだ?」
「天気にも左右されるけど、この調子だったら明日の正午さね。それまで居間も資料も好きに使うといいさ」
「ありがたく使わせてもらう」
先生は書架の資料を、引っ張り出す。
念願の【憑依】の資料だ。
貪るように文字を読む。
わたしもこそっと覗く。書き文字なのに活版印刷めいた硬さ。知らない単語と知らない公式ばかりが綴られている。異世界の文章をジスマン語に訳したみたい。
でも先生とディアモンさんは読めているんだよな。
「あらあら。【憑依】の魔術インク、直系血族の鮮血って書かれてるけど、オプシディエンヌって直系いるのかしら?」
「いる」
先生の呟きときたら、あまりに素早く短かった。
オプシディエンヌは【憑依】に、モリオンくんの血を利用したのか。
「ああ、直系卑属がいるってこと?」
「そうだな。しかし魔導ゴーレムへの【憑依】は、非常に興味深い。魔導技術と闇魔術がこうも巧く噛み合うとは、私の想像以上だ。物質の形成力から疑似的な欲望体を作って、乗っ取るのか」
「乗っ取るなんて人聞き悪いさね。精霊に自我は無いさよ」
「倫理的にどうなのかしら? 精霊を疑似的に作るのも、その人造精霊を乗っ取るのも」
「精霊に人権はないだろう」
「あらあら。人魚の人権運動が興ってるんだから、そのうち精霊にも人権が出来るかもしれないでしょう」
「どのみち先の話だ。精霊の人権運動が始まらんうちに、このやり方で人工精霊を増産してみたいものだな。精霊を疑似的に自我を与えて殺せば、死ぬ瞬間の欲望体変動が観察しやすい」
……またエグいこと言い出してる。
死に際を観察するためだけに、人工的に精霊を産み、こころを与えて、殺すのか。
わたしは眉を顰めたし、ディアモンさんも柳眉を顰めていた。
「ニック、倫理に欠けた実験すると、また反感喰らうわよ」
「面白そうな実験さね。でも面白さばかり追求していると娑婆から追い出されるから、やめた方がいいさよ」
スティビンヌ猊下があっけらかんと笑ってる。
もしかしてこのひと、オニクス先生なみの倫理観しか持ち合わせていないけど、世渡りにもスキル振ってるだけか……?
「下らん。この実験に踏み切れば、生死のあわいを解明できる。生ぬるい周囲に媚び諂って、世界の真理を得られると思……」
先生は口から出した言葉と嘲笑を、ひどく唐突に打ち切った。
沈黙の一拍後、隻眼をわたしに向ける。なんだ、不意打ちだぞ。
「きみはこの実験の手法をどう思う?」
「マジで胸糞悪いと思います」
「そうか。ではしない」
倫理観マイナスの実験をやめてくれるのは嬉しい。
でも倫理観をわたしに委ねないでほしいんですけど。
わたしが先生に首輪をつけてるみたいじゃない。
「そもそも人工精霊の創造が、サイコハラジック特異体質者が必須とはな。再現条件が困難過ぎる」
「アナタが再現性云々言うの?」
「それを言われてしまうと、面目ないが。ん、こっちの資料は閲覧して構わんのか……?」
「駄目な資料はないさよ」
「いや、ゴーレムへの魔力供給の記録」
「魔力はダーリンに補給してもらってるから、誰憚ることないさよ」
「スティビンヌ猊下。これは猊下だけでなく配偶者のプライバシーにも関わりますから、閲覧は差し控えさせて頂くということで……」
額を突き合せて資料を読み込んでいった。
高レベルになってくると、わたしにお手伝いできることはない。
わたしは自分がたまに、特別ですごい魔術師だって思ってしまう。だけどそんなことはない。先生のお手伝い出来ないもの。
「ハァアア~~~」
盛大な溜息が吐き出されてしまった。
「ミヌレくん。むずかってるのか? 安心毛布代わりに、あの教師のマントを盗んでこようか」
「クワルツさんはわたしをいくつだと思っているんですか」
安心毛布とか、三歳児かよ。
「ミヌレが人恋しいなら、ボクが抱き締めているよ」
エグマリヌ嬢がわたしを抱きしめてくれる。
その腕には、力強さと体温が戻っていた。
「もう起きて平気なんですか」
「仮眠したら魔力が少し戻ってきたからね」
寝椅子から身体を起こす。
「兄が狙われてるって詳しい話、ボクに聞かせてくれる約束だろう」
「そうでした。ご説明しますね」
いつも通りディスプレイ召喚して、ムービーギャラリーを流すか。
でも音声を流すと、先生たちの集中のお邪魔さんかな。
どうしようかと思っていると、スティビンヌ猊下が手招きしている。
「お喋りするなら二階の部屋を使うといいさ」
スティビンヌ猊下が人差し指を振ると、天井の隅っこから螺旋階段が下りてきた。
藤蔓がそのまま銀細工になったような、植物的曲線の螺旋階段だ。コンパクトな機能性に、芸術美が高いなんて完璧じゃないか。
ただこの未亡人の変装のままだと、上がりにくいなあ。
「ミヌレくんは二階で着替えてくるといい。吾輩は後にするから」
「ありがとうございます」
重いドレスのスカートを抱え込んで、零れた裾はエグマリヌ嬢に持ってもらって、せっせと階段を上る。優雅さマイナス値だな。
螺旋階段の先には、小さな扉ひとつ。
開けた途端、光が溢れた。
「展望室だ~」
丸窓が並ぶ小部屋で、空気には天然の日差しがたっぷりと含まれている。
これこれ、こういう風景が見たかったの!
そりゃ空飛ぶ絨毯や【飛翔】を使えば、雲海はいつだって観れるよ。
でも生身だと臨場感はあっても、優雅さがいまひとつなのだ!
展望室でゆったり遊覧。ここでミヌレ・オリジナルでも飲みながら、暮れたり明けたりする空の移り変わりを眺められたら、最高にバカンスって感じ。
「ミヌレ、着替えがあるのかい?」
「魔法で召喚するんですよ」
わたしはヴリルの銀環を撫でる。
銀に輝きながら、三日月の装飾には、環がいくつも飾られた錫杖になった。
太陽の日差しが満ちた展望台に、銀の淡い光が灯る。金色の日差しが描いた影と翳を、銀の光が打ち消していく。光と影から、金と銀になる展望台。
錫杖の力を借り、魔法空間から紺色のワンピースを引っ張り出す。肌寒いし、カーディガンも召喚だ。
「え、どこから……」
エグマリヌ嬢が目をひん剥いていた。
「魔法です」
「そう、なんだ。着替え、手伝うよ」
エグマリヌ嬢がドレスを脱がせてくれる。
貴族が外出に着るためのドレスって、背中ボタンなんだよね。貴族のご婦人って、侍女がいることが前提だから。逆にお出かけ着なのに後ろボタンじゃないと、侍女がいないって証拠で中流扱いされるらしい。
わたしはキャミソールとペチコートとドロワーズ姿になる。やっとドレスの重さから解放された。急ごしらえのドレスって体形に合ってないから、疲れが倍なんだよね。
「ミヌレ。その怪我、え? 模様じゃなくて呪文……?」
氷色の瞳に映っているのは、わたしの【制約】だ。
紋様じみた呪文が、鎖骨の下から胸にかけてに刻まれている。
わたしは気に入っているけど、初見だとびっくりさせちゃうかな。
「これはわたしが世界を滅ぼさないようにする枷ですよ。わたしの力が強いので、制限してるんです」
「へ……へぇ」
ワンピースに袖を通して、クワルツさんを呼ぶ。
「展望台か。これは絶景だな」
クワルツさんが飲み物を持ってきてくれた。マグカップに満ちるのは、暖かいハーブティーだ。
ホットワインの気分だったけど、あったかいってだけで嬉しい。
「あったかいの落ち着きますね」
この魔導航空艇って、魔導ゴーレムの最適温度に合わせているからなのか、肌寒いんだよな。
「ふむ。やはり教師のマントを盗んで……」
「それは遠慮します」
きっぱり告げて、ハーブティを味わう。
「高所恐怖症の女主人が住む魔導航空艇に、展望室があるのは意外でした」
「来客用ではないか?」
「そのわりには殺風景ですね。椅子ひとつ無い……召喚!」
魔法空間の居間から、ソファとテーブルを引っ張り出す。
よしよし。これでくつろぎモードに移行ですぞ。まさに優雅な遊覧タイム。
「エグマリヌ嬢、どうぞ」
「う、うん。ありがとう」
エグマリヌ嬢はソファに腰を下ろす。外の景色は綺麗なのに、物憂げに項垂れてソファを撫でていた。
どうしたんだろ?
そっか、サフィールさまが気がかりなんだな。お兄さん想いだもの。
錫杖をさらにもう一振りして、ゲーム機&ディスプレイを召喚した。
「なんだい、これ……?」
「わたしが過去見たことある光景を映してくれる魔法です。順番に説明しますね」
経緯を説明するため、まずオプシディエンヌの【時空漂流】ムービーを流す。
「こいつが性悪魔女です! こいつさえいなくなればだいたいの物事が片付きます!」
あと千年前の砂漠を少し映す。
「性悪魔女に千年前に飛ばされて、先生と旅していました」
トラウマも刻まれたけど、楽しい思い出もたくさんある。
にんにくヨーグルト料理の夕餉、珍しいお肉の屋台、宝石めいたタイルが輝く湯殿、マンティコアとの戦闘。
そして夜の黝と砂の赭の狭間で、キャラバン隊が進む情景。
「で、このチートアイテムたるヴリルの銀環を入手したんですよ。これと先生の開発した時魔術で時空を跳んで、現代まで戻ってきました」
錫杖を鳴らす。
音が響くたびに、銀の光が影を打ち消していく。
「で、砂漠から戻ろうとして未来に行きすぎちゃったんですよ。その時に! この地雷カプを!」
『リコルヌ伯爵夫人プラティーヌ殿下、第三子ご出産』の記事を一時停止。
うぅ、何度見ても許しがたい文面!
エグマリヌ嬢は放心していた。
………
しまった。
これ、十三年後には、エグマリヌ嬢のおじいさまが亡くなってるってことじゃないか。
迂闊な文面を見せちゃった……